そ  ば  会

 

 一月もなかばを過ぎ、正月気分もぬける頃になると、毎年きまって寺島さんから、そば会の催促がくる。もう何年も前から

恒例の行事だから、わたしも予想して、なんとなく覚悟はきめている。

 最初、団地の新聞でわたしの作るそばを紹介したときに、ご希望の方にはどなたでもご馳走しますと書いたら、すぐに近所

に住むひとりの女性が訪ねてきた。その女性が寺島さんであった。

 寺島さんはなにごとにも積極的な方で、ある有名女流作家の弟子として小説を勉強するかたわら、手当たり次第に雑誌や新

聞に投稿したり、いろいろな文学賞に応募したりと、非常に積極的に日々をおくられている。

 最初の年は寺島さんひとりで来られたが、次の年からはおともだち数人といっしょに、にぎやかにお越しになる。なんでも

小学校のPTAで知り合った仲間だそうで、すると二十年以上のお付き合いということになるのだろうか、すでに子育てから

も解放され、それぞれ文学、絵画、習字、織物といった趣味に打ちこんで、生活を楽しんでおられる。

 旅行などもよくいっしょにされるそうで、先日、みんなで函館の町を歩いていたら、あるグルメテレビ番組の取材班に声を

かけられ、撮影に協力したのはいいが、あとで放送されたものを見たら、ババガレイという魚を紹介するための伏線に利用さ

れたにすぎなかったと言って、憤慨していた。

 わたしもこの時期になると、じっと待つのも落ち着かないので、畑の大根や蕪を届けるふりをして、それとなく偵察に行く

ことにしている。すると決まって、

「今年もそろそろですね。みんなも期待していますので、よろしくお願いします」

 という。それでやっと観念して、日程の調整をはじめることになる。前日に石臼で粉を挽かなければならないので、それが

可能な日をいくつか選び、あとは寺島さんに決めてもらうのである。

 日程がきまれば、その前日、まず畑に行って、薬味のねぎと大根を抜き、そのほかにも旬の野菜があればついでに取ってく

る。今回はほうれんそうと蕪を引いてきた。それから家に帰って、玄そばを挽きはじめる。今年はご隠居さんの都合で、氷室

そばが栽培できなかったので、わたしの師匠でもある箕面のそば屋“K”の主人、Nさんから分けてもらった北海道のそばで

ある。千二百五十グラムの玄そばから、ほぼ三時間かかって、七百九十グラムのそば粉がとれた。

 夜は、昼間挽いたそば粉の一部をつかって、そば蒸しパンをつくっておく。これはそば粉に砂糖、べーキングパウダー、卵、

牛乳、塩を加えたものを、型にいれて蒸したもので、素朴な味で喜ばれ、コーヒーといっしょにデザートとして出すものであ

る。

 そして当日は、朝食もそこそこに、そばを打ちはじめる。山の芋をすりおろして少しまぜただけの、十割そばである。木鉢

でこねる作業が終わり、のし台の方に移ってからは、生地が乾燥してしまわないように、手際よくしなければならない。なの

にそういう時にかぎって、玄関にだれかが来て、インターホンのチャイムが鳴りだす。家内がいれば出てくれるのだが、たま

には今回のように、いないこともある。仕方なく、ちかくの受話器をとった。

「どなたですか」

「長尾台の中村ともうします」

「どういうご用件でしょうか」

「今の世は、ひとたび目を世界にむけますと、飢えに苦しむ人たちや・・」

「ちょっと待ってください。そんなところから話をはじめられても、今はとても付き合っておれませんから、失礼します」

 と言って、すぐに受話器をおいたのだが、先方はおかまいなしに、しばらく独演をつづけていたようである。時々やってく

るある宗教団体の広報活動らしいが、この手の人達は、自分の言いたいことだけをまくしたて、人の話は聞かないタイプが多

いので、あまり相手にしたくないというのが本音である。

 そばが打ちあがれば、今度は家内が、つけあわせの料理をつくる。今年は天ぷらに、ほうれんそうのごまあえと蕪の酢づけ

である。その間にわたしは包丁を研いで、ねぎをきざみ、大根をおろす。ねぎは東京風に土をもりあげて栽培した、白身の多

い九条ねぎである。今年はとくに信州や東京のまねをして、白身の部分だけをきざんで薬味とした。残った山の芋もついでに

おろして、つけあわせの一品とする。

 つゆは、自分でかつおぶしを削り、昆布とかつおの両方からだしを取ってつくるのだが、容器にいれて冷凍しておけば、か

なり日もちがするので、いつでもわが家の冷凍庫にストックがある。

 そうこうしているうちに約束の昼となり、待ちかねたように、みなさん揃ってお出になる。テーブルにはすでにエビと野菜

の天ぷらにほうれんそうのごまあえ、蕪の酢づけ、山の芋のトロロ、漬物などが出ている。この漬物も畑で栽培した大根を漬

けた完全自作のたくあんである。お茶を省略して、すぐにお酒をだす。銘柄は地酒「蔵の香」である。

 この酒は、友人と旅行にいくときなど、いつも燗をしたものを魔法瓶にいれて持っていき、汽車のなかで駅弁を食べるとき

に飲むのだが、宿に着いてから出るその土地一番の地酒とくらべても、昼の方がうまかったと言わせる酒なのである。

 そばに酒はつきもので、そばが出てくる前に、どんなそばだろうかと想像しながら飲む酒を「そば前」と言い、そばを食べ

ている最中に飲む酒を「なかわり」、食べおわってから飲む酒を「箸あらい」という。そば屋によっては、その都度、銘柄ま

で変える凝った店もある。つまりそばを食べるときは、始めから終わりまで、酒を飲みつづけるということで、それだけそば

と酒はよくあうということでもある。

 酒を飲んで料理をつついているうちに、鍋の湯が沸いてくる。今年は、容量十リットルの圧力鍋を買ったので、今まで以

上にうまいそばが茄でられるようになった。茄で時間は四十秒である。

 茄であがれば、すばやく水洗いして麺をしめ、水をきってざるに盛る。きざみノリもなにものせない、ただのもりそばで、

わが家では、冬でもこれで食べていただくことにしている。

 寺島さんたちは最初のひと口をすすったとたん、「うーん」と捻って、一瞬、静かになる。だがすぐに、

「これこれ、この腰、腰がちがうのよねえ、噛んだら押しかえしてくるような」

「そう、ここのそばを食べたら、もうどこに行ってもだめね」

「このあいだも東京の有名なそば屋に入ったんだけど、粉っぽいのよ」

「そうなの、いくら有名な店でも、畑野さんのそばには叶わないわよという気がどこかにあるのよね」

 などと、また盛り上がってくるのである。そんなに言われると、わたしとしても悪い気はしなくて、ついお酌をしてまわっ

たりする。

 そうして一段落したところで、デザートとして、コーヒーとそば蒸しパンをだす。蒸しパンは昨夜蒸しておいたものを、ラ

ップしておいて、食べるときに電子レンジで過熱するのである。

 前回、寺島さんたちにお会いしたときに、最近本格的に、会社の仲間と、退職後をめざしたフルートカルテットの練習をは

じめたという話をしたら、たいへん興味を示してくれて、この日も、そのカルテットがその後どうなっているかという話にな

った。

「この四月に、箕島で演奏会をすることになりました」

「箕島って、和歌山のさきの」

「そうです。箕島の、あるレストランのオーナーが、自分で企画した演奏会に呼んでくれたのです」

「まあすてき。それじゃあ、今年の春の旅行、そこにしない?」

「箕島だったら、気候も温暖でしょうね」

「お魚もおいしいわよ、きっと」

「きまりっ」

 なにが本当の目的かなどという詮索はこの際しない。それより、われわれのデビューコンサートの切符が、その場で四枚も

約束されたことの方が重要で、それこそ今年のそば会のおおきな収穫だったのだから。