箕 島 の フ ラ ン ス 料 理
ABOBA四重奏団が和歌山の箕島で、昨年の五月十日に、やぶれかぶれの演奏会をおこなってから、もう半年以上がすぎ
た。
やぶれかぶれといっても演奏に臨む心境のはなしで、演奏自体がやぶれかぶれになったわけではない。どうしてやぶれかぶれ
かと言えば、われわれは老後を豊かにしようという目的で、すこし前から定期的に室内楽の練習を始めていたけれども、始めて
からまだ日が浅く、とても一回の演奏会をこなすだけのレパートリーもなければ、その技量もなかったのである。
それなら引き受けなければいいのだが、その演奏会を企画したのが箕島でフランス料理店をいとなむ喜多さんというご夫婦
で、出演者にはギャラのかわりにフランス料理のフルコースをごちそうしてくれるそうだという話を聞いたばっかりに、食いし
んぼうのわれわれとしては、断れなくなったという訳である。
場所はJR箕島駅の近く、文化福祉センターとよばれる新しい建物で、われわれが演奏した部屋は、小学校の講堂にあるよう
な舞台があって、カーペット敷きの、パーティや会議にもつかえるような部屋であった。今回はサロン風の演奏会ということ
で、その舞台はつかわず、聴衆と同じフロアで演奏した。
入場券の販売については、喜多さんが手書きのポスターを店の前に立てておいたところ、各社の新聞記者がそれを見て、それ
ぞれ地元の新聞で紹介してくれたため、券は飛ぶように売れたそうで、六時の開演までに百人以上の人がつめかけ、ちいさい会
場はほぼ満席となった。
まず開会のあいさつである。ふつう室内楽の演奏会というと、演奏だけでおしやべりはしないものだが、われわれの場合そう
はいかない。演奏時間が正味で九十分もあれば、おしやべりはいらないけれども、われわれはレパートリーをすべてはき出して
も、せいぜい六十分である。あとの三十分はおしゃべりでもたせるしかないのである。
そのための司会役を、寺島さんの奥さんにお願いしてある。寺島さんはもともとわたしの作る氷室そばのファンで、四人のグ
ループで、年に一度そばを食べに来るのが恒例となっている。昨年のそば会のときに、ABOBA四重奏団の話になり、その場
で後援会ができてしまったのである。もちろん今回の演奏旅行にも、そのメンバーは同行している。
司会のおしゃべりとしては、最初と最後のあいさつと、メンバー紹介や曲目紹介も予定しているが、大筋の原稿だけわたしが
書いて、あとはすべて寺島さんのアドリブにまかせてある。寺島さんは現在、瀬戸内寂聴氏のもとで小説を勉強している作家の
卵である。まかせても安心なのである。
そのおしゃべりでも足りない分を、さらにわたしの随筆の朗読でおぎなうことにしている。室内楽の演奏会に朗読など、前代
未聞のことかもしれないが、そうするしかなければ仕方がない。これもやぶれかぶれのひとつである。ただ朗読の内容を、演奏
とすこしでも関係づけるために、現在わたしが使用している化学処理バイオリンの生い立ちについて書いた「化学バイオリンを
試作する」にしたので、すこしは言い訳がたつ。
夕方六時、まず主催者として喜多さんがひとことあいさつし、そのあとを寺島さんが引きつぐかたちで演奏会は始まった。こ
のあいさつも時間をかせぐために、楽団結成のいきさつから、レパートリーがたりない弁解など、すこし長めのおしゃべりにし
てある。そしてやっと第一曲目のゴセックのガボットである。
各曲の前には作曲者と曲目の紹介を入れ、さらに一曲目と二曲目の間には、メンバーの紹介を入れた。ただ、わたし自身の紹
介については、自分で原稿を書くのも照れくさいので、寺島さんに任せていたら、そばの味のことばかり紹介していたようであ
った。わたしが書いた紹介原稿というのはつぎのようなものである。
まず、フルートの松岡さんです。朝日放送に勤める技術屋さんで、端整な顔立ちから、女性ファンもおおく、これからもこの
楽団の切符の売上げにおおいに貢献することでしょう。フルートは大学でも吹いていましたが、勤めてから本格的に、松本の高
橋俊夫先生のもとに通い、一年間みっちりレッスンを受けました。家に帰ればふたりのお嬢さんのよきパパです。どうぞよろし
く。
つぎがバイオリンの畑野さんです。(適当にお願いします)
つづいてビオラの大竹さんです。大阪府立公衆衛生研究所に勤めるお医者さんです。そんないかめしい所でなにをしているの
かと申しますと、いまや世界的に問題になっていますエイズの研究をしているそうです。一日もはやく有効なワクチンを開発す
るために、毎日、エイズウイルスに直接触れているそうですが、大竹さん、やっぱりあれですか?ふつうの人は大竹さんに近寄
らないほうがいいのですか?(大竹氏、そんなことはないと否定する)・・ということです。手などに触れても大丈夫というこ
とですから、ファンの方はあとで遠慮なく握手など求めてください。どうぞよろしく。
最後にチェロの鹿島さんです。彼の名前は正しくは「のぶもと」というのですが、仲間内ではふつう「しんげん」と呼ばれて
います。武田信玄の「しんげん」ではなく、元を伸ばすと書く「しんげん」です。ところが彼の場合、元を伸ばすというより鼻
の下をのばす方がなにより得意で、社内でも無類のギャル好きで通っています。女性社員の間では、彼はチェロをひくより、布
団をひくタイプだなどと噂されているそうです。ごめんなさいね。これはわたしが言っているのではなく、畑野さんに聞いたこ
とをそのまましやべっているだけですからね。
というわけで以上四人、よろしくお願いします。
というのが原稿だったが、寺島さんはもっと手をいれて、松岡信藏の紹介には、笛を吹けばすべての動物が集まってくるとい
う童話を引用して、彼が笛を吹けば会社中の女性が寄ってくるという話にしたり、鹿島伸元の場合は、彼を傷つけないようにも
っとやさしい表現をしていた。ただ大竹氏だけはひねくれて、予想していた答えと逆の答えをしたために、司会者が一瞬どぎま
ぎする一幕があった。
これでメンバーの紹介をおわり、二曲目は金婚式である。この二曲はこれまでも、仲間の結婚式などでよく演奏したもので、
ABOBAのテーマミュージックとして定着したようである。そして三曲目がハイドンのセレナーデである。この曲の原曲は弦
楽四重奏であるが、第一バイオリンのパートをフルートに置きかえれば、フルート四重奏にもなる。
この後が問題の朗読である。いくら作者みずからの朗読といっても、アナウンサーや役者のようにうまくはしゃべれない。そ
の上かなり長い話なので、朗読がへただと、間がもたない。ところがその心配は無用で、聴衆はとても真剣に聞いてくれ、話の
なりゆきに敏感に反応してくれたようであった。それにしても、おわってからアンケートを見ていたら、今後どのような企画の
催しをご希望ですかという問いに、だれかが「演奏と朗読の会」と書いていたのは、すこしできすぎという気がする。
前半最後の曲は、モーツァルトのフルート四重奏曲第三番ハ長調である。フルート四重奏曲を書いた作曲家は、モーツァルト
のほかにはわずかしかいなくて、曲もほとんど知られていない。モーツァルトの書いた四曲だけが名曲として現在に残り、特に
一番、三番、四番はよく演奏されていて、今回はその三番と四番を演奏するわけである。
三番がおわるとしばらく休憩で、その間に聞きに来られた方全員に、喜多さん夫妻がコーヒーのサービスをした。コーヒーが
だめな人や子供たちには、ミルクも用意してあるという至れり尽くせりの演奏会である。有料の演奏会ということで、アマチュ
アのわれわれとしては、はじめかなりプレッシャーがあったのだが、これですこし気が楽になった。
後半のプログラムは、頭に有名なメヌエットを三曲並べてみた。バッハとべ−トーベンとボッケリー二のメヌエットである。
バッハとべ−トーベンが編曲物で、ボッケリー二は弦楽四重奏をフルートに置きかえたものである。そのあと最後に又、正規の
フルート四重奏曲にもどり、モーツァルトの第四番イ長調を演奏してプログラムをしめくくった。
以上でほぼわれわれの全レパートリーをはき出したわけであるが、実際はもう二曲ほど小品を残してある。それは演奏がおわ
ってから拍手が鳴りやまなかった場合の、つまりアンコール用である。司会者がそのように仕向けたせいでもあるが、事実、拍
手が鳴りやまなかったので、バッハのG線上のアリアをまず演奏し、つづいて最後の最後として滝廉太郎の「花」を全員合唱し
て、この演奏会を終わった。
寺島さんが気をきかして、お別れのあいさつの中で、この四重奏団の後援会に入りたい方は大歓迎だから、あとで申しでてほ
しいと冗談で言ったところ、ほんとうに二人ほど入会されたそうであった。
ところで喜多さん夫妻の方は、休憩時間のコーヒーサービスがおわると、ひとあし先にレストランに戻って、われわれ四人と
後援会をあわせて八人分の料理の用意にとりかかっていた。
まず地元の貝をつかったオードブルから始まり、スープ、魚料理とつづき、つぎに子牛のリードボーという肉料理が出てき
た。リードボーというのは胸腺の肉ということで、これがメインディシュといってもいい程の風格があったが、あとでフィレ肉
のステーキが出てきたところをみると、メインでないことだけは確かで、多分アントレとよばれる一品かもしれないけれども、
フランス料理に疎いわたしには確信がない。
料理にそえたワインがまたすばらしく、信州の方から特別にとりよせているという白ワインは、やや甘口の、ぶどうの香りが
とてもよい物だった。こうしてデザートのコーヒーとお手製ケーキを食べおわる頃には、われわれはここちよい演奏の疲れと、
ワインの酔いと、豪華なフランス料理の満足感につつまれて、夢みごこちのうちに、春の宵の中に溶け込んでいくようであっ
た。