寄   生   虫

 

 芭蕉の句に、「蚤虱馬の尿する枕もと」というのがあった。奥の細道だったと思う。

 家畜や屋外で飼っているペットなど、今でもノミやダニはつきものである。というより、自然界に生きている生物は、寄生

虫に寄生されて生きることが宿命だといった方がいい。鳥でも魚でも、獣でも昆虫でも、寄生虫を避けては生きられない。

 われわれ日本人も最近でこそ、ノミ、シラミ、南京虫、ダニ、回虫、さなだ虫など、見たこともないという顔をしているが、

ついこの間まで、結構そういう虫達と仲よくしていたのである。わたしの小学生時代でも、検便はひっきりなしに行われてい

たし、虫下しは何回か飲まされた覚えがあり、あわい恋心を感じていた女の子が、進駐軍から支給されたDDTを頭からふり

かけられて頭をまっ白にしていたこともある。

 イソップのなかに、こんな話がある。一匹の犬にあまりたくさんダニがたかっているのを見かねた仲間が、ダニを取ってや

ろうと申し出ると、その犬は断って言ったという。

「こいつらはすでに満腹になっているから、もうそんなに悪さはしない。なのに今、こいつらを取ってしまって、また新手の

ダニどもに一から血を吸われたのではかなわん」

 この寓話を経済社会的に解釈すると、ダニが搾取階級で犬が搾取される階級ということになるようだが、そんな話はどうで

もいい。問題は、あまり悪さをしないなら、ダニが寄生していても何ともないものかどうかという点である。

 それは比較の問題であって、いないに越したことはないはずである。それが証拠に、クロハタなどという大きな魚につきま

とって生活しているホンソメワケベラという小魚は、クロハタの体表に寄生している虫を食べるという功績によって、クロハ

タに食べられることはないということである。ワニの口のなかを掃除する小鳥についても同様である。

 この事実は、クロハタにとって寄生虫がいくら小さくてもやはり不愉快な存在であることを意味している。それどころか寄

生虫によっては生命さえも危うくするものがあるのだから、とりつかれた個体にとっては脅威にちがいないのである。もっと

もこのホンソメワケベラも、傷ついて弱ったとたんに、クロハタに食べられてしまうという。それは、弱ってしまえば虫をと

る役目も果たせないので、クロハタがあっさりと見切りをつけたと考えられないこともない。

 わが家に駄犬がいっぴきいる。外で飼っているため不潔になり、寄生虫にとりつかれることが多い。まず小さいころに一度、

ノミにやられて全身の毛が抜けて、ただれたことがあった。このときは近くの獣医に注射してもらい、以後ノミ取りシャンプ

ーで何回か洗ってやっているうちに全快した。

 その後は、ノミ取り首輪をつけることにしたら、ノミにやられることはなくなったが、そのかわり毎年暖かくなって来ると、

ダニがつくようになった。最初はごま粒くらいの小さいものが、毛の奥でごそごそしている程度だから、たいして気にせずに

放っておくと、一週間もするとたっぷりと血を吸ってまるまると太ったものが耳の中や、目のまわりにしっかりと食らいつい

ている。こうなると簡単にはとれず、むりをすると犬も痛いものだから泣く。一度ラジオペンチでひっぱってみたら、ダニの

皮だけがむけて、中身はいぜんとして食らいついたままだった。

 今年も梅雨がちかづいたので先日調べてみたら、もう小さいダニが無数に見つかった。取れるだけ取って、あと体を洗って

やった。

 数日後、わたしは入浴していてわきの下に、なにか異質なものができているのに気がついた。ふと見ると小豆大の血まめで

ある。ほとんど自覚症状もないのに、いつの間にか血まめができていることに、よくない病気を心配したけれども、よくみる

とそれは血まめではなくて、もう半分とれかかっている直りかけのかさぶただった。

 なまなましい血まめの色をしたかさぶたが、もう直りかけだというのもおかしな話だが、たしかにとれかかっているのであ

る。それで思いきってそのかさぶたをひきはがしてみた。知らない間にできたできものが、知らない間にかさぶたになったと

いうのも不思議で、一体どんなかさぶたかよく見てやろうと目を近づけたその時である。かさぶたとばかり思っていたかたま

りが、突然手の平の上で、ゴソゴソと動きはじめた。ダニであった。犬のダニがうつったのである。

 人間といえども自然界の生物の一種である以上、たえず寄生虫の脅威にさらされていることにかわりはない。よく、通勤電

車でとなりに座っている若い女性が、いねむりをして寄りかかってくることがある。わたしの方は一向にかまわないが、気を

つけた方がいいように思う。