氷 室 そ ば の 栽 培
そばの栽培にはいろいろな苦労がある。
と言っても、すべてご隠居さんまかせなのだから、苦労しているのはご隠居さんばかりで、わたしは話を聞いてハラハ
ラしているだけである。そういう立場から、ご隠居さんの苦労を代弁してみようと思う。
そばを栽培するときのまず最初の難問は、どのくらいの密度で種をまいたらいいかということである。あまり密にま
き過ぎると、栄養が不足して、茎がひょろひょろになり、実りも悪くなる。そうかと言って、あまりまばら過ぎても、
お互いに寄りかかれなくて、雨や嵐で倒れやすくなる。
雑誌のグラビアなどで、まっ白に雪をかぶったような、満開のそばの花を見ると、かなり密にまかれているように見
えるのだが、畑を提供してくれている森川翁などは、
「すべて作物は、密植ほど不経済なことはないのです」と言われる。
そこで先日、兵庫県の床瀬という山村に行ったときに、土地の老女に尋ねてみた。その老女の話から、そばをまく時、
その地方には昔から、「猫の足みっつ」という言葉があって、猫の足あとひとつに、三つぶ程度の割合でまいていたこ
とが解った。これはやはりかなり密である。
密度については、この説をひとまず信用することにして、つぎの難題はハトとスズメである。これにやられると、せ
っかくまいた種がほとんどほじくられて、一割も残らないということになる。
この鳥害にたいする対策として、畑一面にピカピカひかるテープを張りめぐらしたり、大きな目玉の絵をぶらさげた
りしてみたが、効果はかんばしくなかった。
おどしが効かないとなると、彼らが畑に近づけないように何かで遮蔽するしかないというわけで、畑全体を防鳥網で
被ってみた。しかしこれも被い方が悪かったのか、裾のすきまから毎日のようにハトが潜りこみ、あげくの果てに出ら
れなくなって、朝、行ってみると、網に大穴をあけて逃げていたり、たいていは猫に襲われて羽だけになっていた。
ある朝はやく、森川翁が畑のそばを通っていたら、ハトが網のなかであばれていたと言って、捕まえて持ってきてく
れた。それをご隠居さんに手渡しながら、
「あんたらの憎い敵を捕まえてやったで、ハトめしにでもして食べなはるか」と言ったという。
ご隠居さんは、ハトを食べるのは平気だが、そんなことをすると奥さんの機嫌がわるいと言って、わたしの所へ持っ
てきた。見ると、うまそうなキジバトである。そっと畑に持っていき、ご隠居さんにシメてもらって、その晩わが家で
ステーキにして食べた。
防鳥網のおかげで、思いがけないごちそうにありつけたが、もともとハトを捕まえるために網を張ったわけではない
ので、これも一回でやめた。
次に考えた方法は、種をまき終えた畑の上に、黒の寒冷紗を敷きつめることであった。こうすれば土も温まり、適当
に雨も通すから、種の発芽は早まり、一石二鳥となる。種を鳥から守るという点では、現時点でこれが最も効果的な方
法である。これで発芽率はほぼ百パーセントになった。
そばは十センチくらいに伸びたところで、間引いておひたしにするとうまい。これはそばもやしとも言い、今までは
鳥に食べられて間引くどころではなかったが、寒冷紗を使いだしてから、いくらでも食べられるようになった。
この春も、芽が出てみると、やはり密集しすぎていた。種の不良をみこして多めにまいたのが、すべて発芽したため
である。これを間引いているところへ、ひょっこり森川翁が現れて、
「なんと気のながいことをやってなはるな。こうするんです」と言うなり、そばの新芽をまとめてひとつかみにして、
ひき抜こうとした。森川翁はひょっとして、せっかちなのかも知れない。二ヵ月ほど前にも同じようなことがあった。
双葉のままで冬を越したほうれんそうが、春になって伸びはじめると、やはり詰まりすぎて、間引かざるをえなくな
ってきた。ところがあまり詰まりすぎていて、一本抜くと、となりの苗までいっしょに抜けてしまう。
何かこまったことがあるたびに、新兵器を開発するご隠居さんが、今回は竹を削って細いヘラのようなものをこしら
えた。このヘラを苗の横にさして、まわりを傷つけずに、目ざす一本だけを抜こうというわけである。
わたしがこのヘラを使っているところに、森川翁が通りかかって、今回と同じことを言ったのである。その時はわた
しも、森川翁の説に同意して、面倒なご隠居さんのやり方をやめた。だがそばとなると、話がちがう。あわてて森川翁
を制して、
「ちょっと待ってください。そばの世界には、猫の足みっつという言葉があって、かなり密植してもいいようですよ」
と言うと、翁は不満そうな顔をして、
「猫の足みっつてかい。猫の体みっつと違うか」と、ひとり言のように言い、
「まあええわ。その道その道のやり方があるやろからの」と、無理に納得されたようだった。そして急に思いだしたよ
うに、
「ほんで、そのそばどうすんねん」と聞いてきた。
「おひたしで食べるんです。森川さんも食べられますか」
「そやなあ、うちの女どもに聞かなどうも言えんな。うちは山芋掘ってかえっても、食べてくれよらへんねん」
そう言えば昨年、じゃが芋を掘っていた時も、同じようなグチを聞いた。
じゃが芋は、一本のつるに、拳以上に大きいものから、ラムネ玉くらいに小さいものまで、いくつもの実が群がって
なる。ところが翁の収穫するところを見ていると、大きい芋だけ取って、小さいのはすべて捨てていた。わが家では、
じゃが芋の小粒をまるごと空揚げにすると、みんな喜んで食べる。それで、捨てるなら頂きたいと申しでた。すると翁
は不思議そうな顔をして、
「そんなもん、どうすんねん」と聞いてきた。
「空揚げで食べたらおいしいんです」
「ほう、そんな食べ方もあるんかい。うちは面倒くさがって、こんなもん食べよらへん」
「それで森川さん、このじゃが芋、どうやって食べられるんですか」
「うちかい。うちは何ちゅうか、ゆでて、つぶして、マヨネーズをまぶした、まあけったいなもんですわ」
翁はポテトサラダがお嫌いなようであった。
このように、我々がよろこんで食べるのに、翁には口にあわない物が、外にもいくつかある。せり、みずな、だいこ
んの葉などがそうである。我々がうどの花まで天ぷらで食べると言った時には、翁は目をまるくして、
「あんたら、何でも食うてまうなあ」と感嘆していた。だが、何でも食べるという点では、我々よりヨトウムシの方が
数段上である。
朝、畑に行ってみると、トマトであれ、キュウリであれ、じゃが芋であれ、えんどうであれ、すくすく伸びはじめた
ばかりの茎を、根元からブツリと食いちぎられていることがある。そんな時ご隠居さんは、
「又、ヨトウにやられた」とくやしがる。
「ヨトウって何ですか」
と説いてみると、昼間は土の中にかくれていて、夜になると出てきて、手当たりしだいに食い荒らす虫だから、夜盗
虫というと教えてくれた。
食いちぎられた苗の近辺を、昼間にほそい棒で掘りかえしてみると、必ずと言っていいほど、すぐに犯人が見つかる。
青虫を大きくしたような図体で、茶色がかった虫である。これが又、たちの悪いことには、夜中にあれだけの悪事をは
たらいておきながら、昼間は、わたしは何もしていませんという顔で寝ころんでいるのだから、なおさら憎らしい。
昨年の秋、そばの開花が間近になってきた頃であった。畑の一部で、葉が虫に食われて、穴だらけになっている所が
見つかった。そしてその被害は日に日に拡大して、しまいには.花まで食べられはじめた。だが、いくら目をこらしても、
犯人らしいものは見つからなかった。
意を決したご隠居さんは、ある晩、懐中電灯をもって畑にいってみた。そして畑にあかりを向けたとたん、その場に
立ちつくした。そばと言わず、大根と言わず、あらゆる作物にヨトウムシが群がり、どちらにあかりを向けても、光の
帯のなかに十匹ちかいヨトウムシがうごめいていた。ひと所にしゃがみこむと、まわりじゅうにヨトウムシがいるから、
しばらくその場を動けなかったという。
最初は一匹ずつ捕まえては踏みつぶしていたが、そんなことでは間にあわなくなり、割り箸ではさんではビニール袋
に放りこむことにした。そうしたら一時間ほどで、千匹ちかくになったそうである。
翌日その話を聞いたわたしは、にわかには信じることができず、確かめるために、その晩ご隠居さんと一緒に畑にい
ってみた。
話はうそではなかった。懐中電灯の光のいたる所に、ヨトウムシたちが、昼間とはうって変わって、眼光らんらんと
輝かせながら、バリバリと音が聞こえそうなほどの勢いで、そばや大根の葉を食べていたのである。
その晩も前日と同じほどいけ捕り、畑をひとまわりして、元のところに戻ってみると、又、つぎの新手が現れている
という風で、一体どれだけいるのか見当もつかない状態だった。
結局、一週間ほど毎日この作戦を遂行して、やっとすこし下火になってきた。捕獲した総数は何千匹になるか解らな
いが、すべてビニール袋に詰めては、灯油を数滴たらして、大量虐殺してしまった。
あとで聞いたところによれば、和歌山の方では、この虫をエサにして、鯉を釣るそうである。はじめからそうと知っ
ておれば、むざむざ殺さずに、釣りエサ屋にでも持っていくのだった。そうすれば魚も喜んだことだろう。
魚は喜んでも、人間にとってヨトウムシは、あまり喜ばしい食べ物とは言えない。
ある人が東京で中華料理店に入って、八宝菜を頼んだところ、出てきた料理の上に、野菜といっしょに調理されたヨ
トウムシがのっていたので、食べずにとび出したという話を聞いたことがある。又、近所のある奥さんは、野菜のシチ
ューを作って、できあがりに鍋のふたを取ってみると、ヨトウムシが一匹浮いていたので、家族に見つからないように、
虫だけこっそり捨てだそうである。
ヨトウムシをひと通り退治すれば、そばは再び元気をとり戻してのび始める。だがある程度のびると、今度は茎が細
くよわいために、雨や風で倒れやすくなる。総倒れになると、土に触れた実からすぐに次の芽が出てしまうので、収量
が半減してしまうのである。
そこでご隠居さんの次の仕事は、竹を細く割ってはアーチ状に曲げ、畑のあちこちに突きさして、倒れた時のもたれ
にすることである。
ここまでくれば、いよいよ収穫まで、最後の敵はスズメだけとなる。
そばの花が咲きはじめて半月もすると、ひとつひとつの花の中に、小さなピラミッドのような形をした、緑のそばの
実が姿を見せ始める。この状態ではまだ実はやわらかいのだが、しだいに黒くなるとともに、完熟してかたくなる。
ところがスズメは完熟したものより、半熟のやゝやわらかいそばの実が好物のようで、花が終わるころに大挙してや
ってきては、熟しはじめたばかりのそばを徹底的に食いつぶしてしまう。
こうして食いつぶされたそばの実は、もう二度と熟すことなく枯れてしまう。スズメはそばの実の汁だけを吸い、実
を食いちぎるわけではないから、見た目には被害の状態がわからない。収穫まぢかになって、ほかの実はまっ黒に熟し
ているのに、被害にあった実はいつまでも黒くならないから、初めてわかるのである。
せまい畑を毎日のように、しかも人影さえなければ、朝から晩までずっと大群におそわれ続けるのだから、この被害
はバカにならない。ひどい場合は、収量が平常の三分の一くらいにガタ減りしてしまう。このスズメ対策が一番難問な
のである。
が、種まきのときと同様、案山子や銀ピカテープといったおどし道具はほとんど効き目がない。となると防鳥網しか
ないのだが、この網が張れるのは花が咲くまでで、それ以後だと、張るときに花や実を傷つけて、かえって良くない。
では花が咲くまでに張れば問題はないかと言えば、これにも障害があった。森川翁からクレームがついたのである。
花にあつまる蝶が自由に出入りできなくてかわいそうだ、という理由からである。わたしが見たところでは、蝶たちは
何の苦もなく網の目をくぐりぬけているようだったが、それより、毎年そばの花を楽しみにしている翁には、網が目ざ
わりだったのかも知れない。
そんなわけで、それ以後は網を使用しないようになった。
一般に、秋そばより夏そばの方が、スズメの害を受けやすい。秋は田んぼの方に米が豊富にあるので、そばまでは手
がまわらないのだろう。それ以外に、年によっても状況は少しずつ違う。網がなくてもたいして被害のない年もある。
そういう年は何かの条件で、スズメの発生が少なかったと考えられる。敦賀湾のキスが、素人でもよく釣れる年もあれ
ば、プロの船頭でもほとんど釣れない年もあるのと同じことだろう。
スズメの少ない年は放っておいてもいいが、多い年はそうはいかない。何もしなければ、そばが全滅してしまう。そ
ういう時は森川翁も見かねて、案山子をもってきて立てたり、大きな犬のぬいぐるみを畑のすみに座らせたりしてくれ
る。だが、こんなものは図々しいスズメにかかると、すぐになめられてしまって、何のききめもなくなる。
じっとしているからなめられるので、電気仕掛けかなにかで、たえず畑のまわりを動きまわるとか、たまに吠えると
かすればいいのだろう。夜はスズメも寝ぐらへ帰るから、日が暮れればスイッチが切れ、日の出とともに又、動きだす
ようにする。いや、たえず動くより、しばらくうずくまっては、突然動きだす方がもっといいかも知れない。
こういうものを製品にして農協で売りだせばきっと売れるはずだが、いまだに見かけないところをみると、やはりむ
つかしいのだろうか。
それならいっそのこと、わが家の駄犬を訓練して、スズメ追いはらい犬に仕立ててみてはどうか。いやこれもだめだ。
簡単に見切りをつけては、犬に対して申し訳ないが、わが家の駄犬ときたら、スズメはおろか、自分のごはんをノラ猫
が食べにきても追わないくらいだから、まず見込みはない。となると最終的に残るのは、私しかいない。
四六時中つきっきりで畑の番をするとなると、そこで生活をするということになるから、まず衣食住の条件がそろわ
なければならない。そのうち衣だけは、着のみ着のままでもなんとかなるからいい。しかし残るふたつは省くわけにい
かない。
さいわい今時分の畑には、じゃが芋がいくらでもなっているし、玉ねぎや小芋のたくわえもある。飲み水も、畑の一
ヵ所に、わき水をひいてあるから心配ない。あとは鍋とコンロを持ってくれば、なんとかなりそうである。
最後の住に関しては、畑のすみに古い農機具小屋があって、壁土は剥げおち、柱も傾いているけれども、戦後の一時
期、人の住んだ実績があるということなので、きたないのだけ我慢すれば、住めそうである。
ただそうなった場合、会社のわたしの席はどうなるかということが気になる。無事にそばの収穫は終わったが、会社
の席がなくなったというのでは困る。
前に、そばの栽培はすべてご隠居さんまかせで、私は何の苦労もないと書いたけれども、それは表面上だけで、頭の
なかでは、私だって苦労のたえ間がないのである。