老 後 カ ル テ ッ ト

 

 定年後にひとつの夢がある。それは、退職したあとトリオとかカルテットといった小編成の室内楽をやりたいということであ

る。それもただ単に退職者があつまって、自分たちの楽しみのためだけに合奏するのではなく、他人を楽しませることのできる

演奏をしたいと思っている。できれば学校や、老人ホームや地方都市をまわって、ちいさなコンサートを続けられれば最高であ

る。

 そのためには難題もある。ひとつは経済的な問題で、もうひとつは技術的な問題である。

 なぜ経済的な問題かというと、この手の活動は、持ち出しにこそなれ決して儲からないからである。よほど世界的に有名なア

ンサンブルなら別だが、ふつうは慈善事業を兼ねた道楽と考えた方がいい。生活するための経済的な基盤を、年金なり何なり、

ベつにひとつ確保しておかなければやっていけないのである。プロのオーケストラプレーヤーの人たちでも、退職後にちいさな

アンサンブルをと考えている人は多いはずだが、実際には生活に追われてそれどころでない場合がほとんどであろう。

 わたしも退職後の生活に、経済的な不安がないわけではない。だが高望みさえしなければ、なんとかなるのではなかろうか

と、いい加減なところで楽観しているところがある。もともと今までも、わたしが熱中してきたことには、なにひとつ儲かる話

はなかったのである。そして今まではそれでもよかったのだが、ほんとうに収入のなくなった定年後に、そういう呑気なことが

できるのかと言われると、経済音痴のわたしには何とも言えなくなる。

 予測不可能なことにいくらこだわっても仕方がないので、次は技術的な問題である。この技術的な問題は、さらにふたつに分

けられる。個人々々の技術の問題と、全員のアンサンブル技術の問題である。

 個人の技術については、できるだけ早い時期に、できるだけ良い指導を受けることと、あとはその人個人のこれまでの精進に

かかっていると言っても過言ではない。そして全員の技量は同程度であることが理想である。技量に差がありすぎると、活動を

長続きさせることがむつかしくなる。たとえばひとりとび抜けて未熟なメンバーがいたとすると、彼自身には負担がかかりす

ぎ、他のメンバーには不満がたまるからである。

 一方、アンサンブルの技術の方は、一朝一夕にどうなるというものではない点では、個人的技術と同様だが、違うのは四人が

集まらなければ磨きようがないという点である。

 メンバーひとりひとりはそれまで違う音楽環境に育ってきているのだから、急に集まったところで、すぐに全員が同じ歌をう

たえるものではない。たとえばカルテットで、四人がそれぞれ違うことを弾いていても、頭のなかでは全員が、リーダーと同じ

うたい方で、同じ歌をうたっていなければ、アンサンブルはちぐはぐなものになる。この全員が頭のなかでうたっている歌の、

ユニゾンがいかに合うかが、アンサンブルのよさを決めると言ってもいい。そして全員の歌をそろえるためには、それまで育っ

てきたと同じくらいの年月をかけて、ゆっくり同化しあう必要があるのである。

 よく世界的な名手たちがにわかにカルテットを組んで、わずかな練習回数で演奏することがあるが、そういう場合、何が起き

るかというスリルのようなものはあるが、アンサンブルとしての充実した醍醐味は得られないことが多い。ひとりひとりの技量

は少々落ちても、何十年も練り上げてきたアンサンブルの方が聞きごたえがあるのはそのためである。

 わたしは二十年も前から、会社の仲間とフルートカルテットをやってきた。しかしそれは、仲間の誰かが結婚するからといっ

て演奏をたのまれた時とか、ラジオに出演することになった時などに限られていて、その時だけ何ケ月か集中的に練習し、ふだ

ん何もなければ、何年も集まらないこともあった。目的がなくては練習に身が入らないからである。

 その中でチェロを弾いているKは、わたしが入社するまではクラシックギターを弾いていた。そこへわたしが入社して、夜勤

の晩などにバイオリンを弾いているのを聞いて、じぶんもチェロかベースをやりたいと言いだしたのである。そこでわたしが当

時習っていたバイオリンのT先生に頼んで、チェロの先生を紹介してもらったところ、もちまえの凝り性がさいわいして、その

先生が亡くなるまでの何年間か、熱心にレッスンをつづけた結果、オーケストラ奏者のように初見で何でもこなすという器用さ

はないけれども、どんなアマチュアプレーヤーにも負けない立派な音が出せるようになった。

 性格的にはかなり頑固なところがあり、最初のうちは合奏に誘っても、まだまだと言ってなかなか応じなかったが、徐々に合

奏の楽しみも覚え、快く参加するようになった。しかし小さい頃から合奏で育ったわけではないから、不器用で、他のメンバー

に迷惑をかけることも間々あり、わたしもリーダーとして時たまきびしいことを言わざるを得なかった。そんなわたしに反発す

るところもあったのだろう。練習も仕上がる頃になると、いつもみちがえるほど立派な演奏をして、メンバーを驚かせた。

 又、フルートを吹いているMは、わたしより四年あとに入社してきた、おなじく技術屋である。大学のオーケストラでフルー

トを吹くかたわら、指揮もしていたという彼はかなりの自信家でもあった。

 当時、開発部に所属していたわたしは、ひまな時に開発部の発振器を二台使って、人間の耳はふたつの音の周波数が一致した

ことをどうやって判定するのだろうか、などということを考えていた。すこしだけ周波数のずれたふたつの音が同時に鳴ると、

ミキシングされてうなりが発生することは知られている。言いかえれば、うなりが消えた時が、ふたつの音の周波数が一致した

時である。

 ところがふたつの発振器の音を別々に両耳にいれたのでは、周波数がずれていても、うなりがはっきり聞こえないのである。

その理由は、人間の脳には、両耳からはいってきた音をミキシングする機能がないためのように思われる。つまり、うなりをは

っきり聞きわけるためには、空気中でミキシングされた音を聞かなければならず、しかもその場合の聞く耳は、どちらか片方の

耳の方がいいのである。

 さらに一時はやった右脳左脳理論をここに持ち込むならば、周波数の一致を判定するのは右脳の独壇場であるから、この場合

の片耳は、右脳に直結しやすい左の耳の方ががいいことになる。

 そのような研究結果を背景に、わたしは入社してきたばかりのMに、オーケストラのチューニングのとき、オーボエの音とほ

かの楽器の音が合ったことを、どうやって判定していたか聞いてみた。すると彼はあたりまえの顔をして、「そんなこと、自然

にわかりますやん」と答えた。自然にわかればそれに越したことはないのだが、その後、Mと合奏しているうちに、彼が口で言

うほど、それほど立派な耳を持ってはいないことが判明した。フルートの演奏もまだ研鑚の余地があった。

 そこで彼に、その気があればいい先生を紹介してもいいがと聞いてみると、習いたいと言うので、おなじくT先生にお願いし

て、松本の高橋俊夫先生を紹介していただいた。高橋先生は若いころアメリカに渡り、すでに現役を引退して行方のわからなく

なっていたフルートの巨匠マルセル・モイーズの足跡を追い、苦労のすえ、ロッキーの山中に隠棲していたモイーズをさがし当

て、何年間か一緒に生活してレッスンを受けてきた人で、帰国してから、スズキメソッドによるフルート教則本を書き、又、そ

の本がドイツの文部省で全面的に採用されることになり、ドイツ政府から講演に呼ばれたという先生である。

 Mは月に一、二度のわりで、大阪から松本まで通うレッスンを、一年以上続けたようである。この努力のせいで、Mのフルー

トの音は、それまでと比べて見違えるほどよくなっだ。

 こうしてふたりがだんだん育ってくるにつれて、ときどき招集をかけて、カルテットの演奏をしてきたのである。しかしまだ

ひとりメンバーが足りないので、毎回、外部から知り合いのバイオリン弾きか、ビオラ弾きを頼んで来てもらっていた。

 足りないひとりを外部に頼まなくてもいいように、わたしは毎年、新入社員で優秀なバイオリン弾きかビオラ弾きがはいって

こないかと、二十年ちかく待ちつづけた。だがとうとう今まで、そういう社員は現れなかった。

 もう待ってはいられない。そろそろ本格的にアンサンブルの練習を始めなければ、定年後のデビューにまにあわない。これか

ら始めようとしている練習は、今までのような短期のものではない。じっくり十年以上続けていくのである。そして練習の目的

は、そのものずばり、「定年退職後のデビューをめざして」である。

 結局、もうひとりのメンバーは、以前から音楽仲間であり、現在、大阪府の公衆衛生研究所に勤めているO氏にきまった。彼

は関西フィルの前身であるビエールフィルハーモニックの草創期にビオラ弾きとして在籍し、同団のルーマニア演奏旅行にも同

行している。

 O氏をふくむ三人が、わたしの決めた目的に賛同して、「やろう、やろう」と言ってくれたのは嬉しいことだが、O氏がどう

してもビオラを弾きたいと言うので、バイオリンを捨ててビオラー本に忠節をつくすつもりでいたわたしが、仕方なくバイオリ

ンを弾くことになった。

 練習のペースはむりをせず、二、三週に一度とし、春と秋にはメンバーの親睦をかねて、一泊か二泊の合宿練習を神鍋高原で

行うことを申しあわせた。

 このように全員が意志統一をして、定期的に練習をはじめた以上、正式に団の名称も決めなければならない。今までは会社の

名前をつかって、ABCカルテットで通していたが、退職後となるとそうもいかないだろう。語呂がいいので内輪では、面白半

分に老後カルテットと呼んでいたが、正式な名称となると、すこし暗いのではとだれもが首をひねる。

 結局、全員の血液型がちがうことに着目して、チェロ、フルート、バイオリン、ビオラの順に血液型をならべて、ABOBA

四重奏団にしようと決まったのが、昨年の秋の合宿のときであった。つまりチェロのKがAB型、フルートのMがO型、バイオ

リンのわたしがB型で、ビオラのO氏がA型ということである。

 フルート四重奏の曲としては、有名なモーツァルトのフルート四重奏曲が四曲とハイドンにすこしある程度で、他の作曲家は

ほとんどこの編成で曲を書いていない。だからあとは、よく知られた小品等をフルート四重奏用に編曲することで、すこしずつ

レパートリーをひろげていく必要がありそうだ。

 さてこの四重奏団が所期の目的を達して、定年後に活躍できるかどうかは、ひとえに各人のこれからの節制いかんにかかって

いる。せっかく絶妙のアンサンブルに育っても、その時点ですでによぼよぼだったり、病身では元も子もない。カルテットは四

人そろってこそカルテットで、ひとりでも欠けてはカルテットにならないのである。しかもデビューしたからには、すくなくと

も十年は続けなければ意味がない。そのあいだに誰ひとりとして脱落することのないよう、わたしは今から、天にも祈りたい気

持ちでいる。