一 泊 二 日 の 入 院 体 験

 

 六十年ちかく生きてきて、幸か不幸か大病を患ったことがない。べつに患いたいわけではないが、入院というものを一度し

てみたいと常々考えていた。ストレスがたまってくると、釣りや旅行にでて発散させたくなるように、入院にもそういう魅力

を感じていた。

 入院すれば仕事のみならずあらゆる日常の拘束から解放されて、たっぷり自由な時間ができるだろうから、読みたくても読

めずに溜まっている本などもまとめて読むことができそうだ。ノートパソコンを持ちこめば、だれにも煩わされずに心いくま

で文章を書くこともできるだろう。などと夢のようなことを考えてあこがれていた。また政治家や役人が悪い事をして捕まり

そうになると駆け込み寺のように病院に逃げ込むのも、そういう気楽なイメージをあたえるのに役だったようだ。

 その長年の夢がついに最近かなったのである。

 先日のこと、まだ冬の寒いさかりのある朝、急に腹が痛くなって目がさめた。いつも起きだす時間に近かったので起きて下

におりていくと、家内がいつものように朝食の準備をしている。しかし腹の痛みはどんどん激しくなるばかりで、とても着替

える気力もなくその場にうずくまった。ホットカーペットのうえに横になるとすこしは楽になるかと思いそうしてみたが痛み

は一向におさまらない。じっとしていられなくて又、起きあがった。今までに経験したことのない、まさに居ても立ってもい

られない痛さである。

 その痛さを我慢しながら、ふと数日前に、ある友人から聞いた話を思い出した。

 彼の知り合いが最近、腹痛を起こし、最初は今年の風邪の特徴かと思っていたが、ちょっと様子がちがうので医者に行って

みたら、腸閉塞と言われすぐ手術したという話だった。

 ひょっとしたらその腸閉塞かもしれない。そう考えるとこの痛みはよく理解できる。一時も手をゆるめることなく持続して

締めつけてくる痛みである。しかもその痛さで体のあちこちが痙攣する。きっとそうに違いない。すぐに病院にいかなければ

ならない。朝食の準備をしている家内に、食事はいいからすぐに近くのT病院に電話して、時間外の診察をしてもらえるかど

うか聞いてくれと頼んだ。

 時間外だけれども運よく、当直医が診てくれるというので、急いで家内の運転する車でT病院に駆けつけた。

 まだ暖房の効いていない待合室で待つ間も、痛みと寒さで体ががたがたと震え、じっとしていられない気持ちだった。やが

て当直医のS先生がでてきて、すこし暖かい診察室に通された。症状を聞いて、おなかのあちこちを押さえたり触ったりして

いたが、どうも腸には異常がみつからないようで、「解らん」と頭をかかえていたが、とりあえず看護婦が肩に痛み止めの筋

肉注射をしてくれた。そうしておいて、

「その痛みからすると、もうひとつの可能性として、尿管結石が考えられます。ちょっと尿を取ってきてください」と言った。

 尿検査の結果をみたS先生は、すぐに点滴とエコー検査の手配をするようにと、看護婦に命じた。尿に血尿が検出されたの

である。これでますます尿管結石の可能性がおおきくなった。点滴は尿をどんどん出すためで、エコーは腎臓の状態をしらべ

るためである。

 そろそろ外来の診察開始時間がちかづいて、看護婦や先生たちがつぎつぎに出勤してきていた。注射の副作用か、口の中が

かわき唇もくっついてもどかしくて仕方がないので、なんとか唾で湿らせようとしたが、唾も出なくなっていた。そのかわり

に痛みの方はようやく治まりかけていた。

 ちょうど出勤してきたエコー担当の先生は、私のおなかにグリセリンのようなものを塗り、その上に固い棒状のものを押し

付けながらディスプレイの画面を見ていたが、ひとこと「右側の腎臓が腫れていますね」と言って、写真を数枚とった。

 この時点で、担当医が当直のS先生から、出勤してきた本日の外来担当のN先生にかわったようだ。N先生は尿検査とエコ

ー検査の結果から、自信にあふれて「尿管結石です」と診断した。

「この痛みはわたしもよく解っていますから、いくら痛がっても、いくじなしとは言いません。出産より苦しいと言われてい

ます」とも言った。

 そうなるとどんどん尿を出して尿管に詰まった石を排出させるために、一日に二千cc単位で点滴をしたい。水を飲んでも同

じことだが、水はそんなに飲めるものではない。やはり点滴が手っ取り早い。しかしそれだけ点滴するにはかなりの時間がか

かる。通院でもできないことはないが、できれば入院してもらった方が都合がいいがどうするかと言う。

 長年あこがれてきた入院ができるとあって、一も二もなく了承した。

 それならまず、入院するための事前の健康診断がいるということで、胸のレントゲン撮影や血圧測定などひと通りの検査が

あった。そして部屋はたまたま二階の入院病棟のふたり部屋にベッドがひとつ空いていたので、そこが私のベッドとなった。

 パジャマや洗面具などを家内が取りに帰っている間に、担当の看護婦がやってきて、入院の注意事項の説明や、日頃の生活

習慣などを聞き取り調査した。

 そして早速、二度目の点滴がはじまった。一回の点滴に三十分以上かかるが、二回目だからすぐに小用にいきたくなる。そ

のため点滴しながらでもいけるようにと、点滴袋をさげるポールに車がついていて移動できるようになっていた。点滴中にも

ひっきりなしに看護婦がやってきては、やれ検温だ、血圧測定だといそがしい。そのついでに、

「急な入院で、お仕事のことやご家族のことで心配事はありませんか」と聞く。

 こちらはやっとあこがれの入院ができてわくわくしている所で、心配事などあるわけがないので、「なにもありません」と

答える。とはいえ会社を無断欠勤するわけにはいかないので、入院がきまった時点で、電話をいれておいた。

 そうこうしているうちに昼になったようだ。気がつかなかったが、何かの合図があったのだろう。相部屋の紳士が、起きだ

して廊下にでていった。よその部屋からも続々と入院患者がでてきて、手に手にお盆を受け取って帰っていった。私は勝手が

わからないのでベッドでじっとしていたら配膳係の女性がわざわざ持ってきてくれた。そして箸や湯呑がまだ間に合っていな

いことに気づき、これもわざわざ取ってきてくれた。

 昼のメニューはタラの煮つけとインゲン豆の煮物にご飯に牛乳がついていた。味は薄味で素朴だが別にまずくはなく、ご飯

だけすこし残して、あとはすべてきれいに食べた。食後すぐ、もらった薬を飲む。利尿剤のカプセルと、もうひとつは石をと

かす薬だろう、ちいさな透明な丸薬である。そして食べおわった食器類をみんなにならって下げにいった。

 一日ぶんの点滴は昼食までに終っていた。ただ、腹の痛みがおさまったかわりに、頭がすこし痛くなり、微熱もでてきたの

で、午後はベッドでうつらうつらして過ごした。

 午後のひとときは安静時間のようで、病棟全体がひっそりとしている。家族の面会などもこの時間を利用しておこなわれる

ようで、相部屋の紳士にも、奥様らしい女性ともうひとり女性が見舞いに来ていた。この女性は紳士のカメラ同好会でのお仲

間のようで、撮影会の話をしていた。

 あとで紳士から聞いたところでは、すこし前から肺に影が見つかって、以来、年に何回か、一、二ヶ月の単位でこの病院に

入院を続けている。今は悠悠自適の身だが、まだ勤めていた頃に、尿管結石も経験ずみで、通勤電車のなかでよくお腹をかか

えて唸ったという。そのあとに前立腺肥大を併発し、現在も治療をつづけていると言っていた。

 いつもベッドで本を読んでいる物静かで上品な紳士である。

 微熱と頭痛でうつらうつらしているうちに、夕方の六時になり、夕食が運ばれてきた。今度はみんなと同じように起き出し

て受け取りに行ったら、「無理をなさらずに、寝ていてください。お持ちしますから」という。緊急入院したよほど重症の患

者と思っているようだった。

 夕食のメニューは、ミートボール入りの八宝菜、小松菜のおひたし、りんご一切れといったもので、美味しかったのでおか

ずはきれいに食べたが、ご飯だけすこし残した。ちょうど食事をおわったところに家内が洗面器、ハンガー等を持ってきてく

れ、すぐに夕食の準備に帰っていった。

 七時、看護婦が夜の検温と血圧測定にくる。七度三分の微熱があった。頭痛はそのせいだろうという。入れ違いに娘と家内

がふたたび来室。娘の胃痛で診察にきたついでの由。娘は今、就職問題でストレスが多いのだろう。

 ふたりが帰ったあと、今度は廊下で男性の大きな声がして、

「今日から私の担当になった畑野さんというのはどんな患者さんだ」

と、看護婦にきいている。そうして部屋に入ってきたのは、今朝、時間外で診察してくれたS先生だった。S先生も私の顔を

みて、「なんだ、あなたでしたか」と言った。しかしなぜ私がここにこうして入院しているのか不思議そうだった。多分、S

先生はN先生とちがって、この病気では入院など必要ないと考えていたのだろう。

 八時すぎ、やっと静かになって、寝かかったところで、右の腹部がきりきりと痛みはじめた。やれやれこれで今夜は一晩中

苦しむのかと心配したが、なぜかすぐに治まった。九時消灯で病棟内が薄暗くなる。

 朝は六時半の検温と血圧測定で目がさめた。熱は六度七分にさがっていた。朝、最初の尿を検査にだすために一階におりて

いったら、二階の病棟とちがって下は寒かった。患者同士の立ち話によると、今日は午後から雪になるそうだ。

 七時四十分、もやしとベーコンの煮物に味噌汁、ふりかけ、たくあんという献立の朝食がきたが、今朝は一番に、DIP検

査と腹部のCT検査があるので、それが終るまで朝食はおあずけである。DIP検査というのは、血管造影剤を点滴したのち、

一定時間毎に腹部のレントゲン撮影をして、腎臓の機能や状態をしらべるものらしい。

 まず八時十五分にS先生の回診があって、おなかの触診をうける。このあとの検査で診断が確定するそうだ。九時に定例の

検温と血圧測定があり、九時半、やっと検査室に案内される。ベッドに横になり、おなかの上にレントゲン・カメラをセット

した状態で造影剤の点滴がはじまる。

 点滴がおわるまでに十分以上かかり、その後、造影剤のまわり具合をみながら、数分おきに四枚の写真を撮った。ひきつづ

きCTスキャンの部屋に移る。せまいベッドに横になって両手をあげた状態で待っていると、まるいトンネルのようなものが

徐々に近づいてきて、おなかの上をゆっくりと二度ほど行ったり来たりした。その間じゅう息をとめていなければならなかっ

たが、苦しいほどではなかった。

 十時十分、部屋に帰って、やっと遅い朝食を食べた。その後、午前中に一度、点滴をする。そうこうしているうちにすぐに

十二時となり、昼食が運ばれてきた。昼の献立はトリのカツの甘酢漬けにレタスを添えたもの、スパゲティとえんどうと人参

のサラダ、それに牛乳といったメニューだった。

 食後ははじめて本をすこし読み、その後うとうとしていたら、十三時半ころS先生がやってきて、腎臓や尿管がはっきり写

ったレントゲン写真を見せながら、午前中の検査の結果を説明してくれた。

「腎機能は左右とも正常です。ただ右側の腎臓と尿管がともに全域にわたって肥大しているので、尿管の最後のところに石が

止まっていると考えられます」という。

 石そのものは小さすぎるのか、写真には写っていなかった。ただあれだけ苦痛をあたえた石が尿管の最後の所まで来ている。

あとは膀胱に落ちるだけで、膀胱に落ちてしまえば、あとは尿といっしょに排泄するのは、どうということはないらしい。つ

い嬉しくなって、「もうそこまで行きましたか」と声にだしたが、S先生は、

「三ヶ月くらいならこのままでも大丈夫です。それ以上かかると、腎臓がだめになります。この石が膀胱に落ちるまで、あと

一週間かかるかひと月かかるか、それはわかりませんが、それまでにまだ、何度か痛みがやってくるでしょう」と、冷静であ

る。

「しかし今は痛みも治まっているし、このまま入院していても、石がでるのはいつのことかわからない。あとは通院で点滴を

つづけることにして、ひとまず退院しますか」となった。

 S先生は最初から入院には乗り気でなかったのだから、当然だろう。私の方もあこがれの入院生活を一応体験できたので、

もう退院してもかまわない。それで、すぐに退院が決定した。

 今までずっとあこがれていた入院生活だが、実際に入院してみると、そんなにのんびりしたものでもない。検査や検温や回

診とつぎからつぎへと行事があって、落ち着くひまがない。さらに、入院するからにはかなり深刻に体が弱っているはずだか

ら、優雅に読書したり、文章を書いたりすることもまず不可能だろうということがわかった。やはりストレス解消は釣りか旅

行くらいに留めておいた方がよさそうである。

 まる一日ぶりに外界にでたら、外はしきりに粉雪が舞っていた。

(2000.6.20)