脂 漏 性 角 化 症
ここ二十年以上、医者にかかったことがないことを取り柄にしていたら、最近になってたてつづけに二回、医者のご厄介に
なった。
まず最初が、昨年の年明け早々、冬の寒いさかりに突然おこった尿管結石で、生まれて初めて入院まで体験した。そのとき
は内科と泌尿器科だったが、次は皮膚科である。
そもそもの始めは今から七、八年まえ、ある日突然、右の太ももに大き目のホクロができているのに気がついた。別に痛く
も痒くもないので放っておいたら、数ヶ月で消えてなくなった。ほっとしたのもつかの間、その数ヶ月後に、今度は左足の
同じような場所に同様のホクロができた。
だがこれも右足とおなじようにそのうちなくなるのだろう、と気楽に考えていたら、今度はいつまでもなくならず、それど
ころか何年かたつうちにわずかながら大きくなり、さらに最近では、時々痒くなったり、痛痒くなったりと、すこしずつ自己
主張をし始めたようなのである。
それどころか先日などは、風呂上りに体をふいていて、タオルにうすく血がにじむので調べてみたら、ホクロからの出血だ
った。それ以後は物騒で、入浴してもホクロの周辺はごくかるく腫れ物をさわるようにしか洗えなくなった。
そんなある日、なにげなく見ていたテレビのワイドショーで日焼けと皮膚のトラブルの特集をやっていて、皮膚科の女医が
いろいろな質問に答えていた。ホクロの話になると、やはり気になり聞き耳をたてた。すると、出血するようだったら、よく
ない兆候なので、すぐに皮膚科に行って診てもらうようにと言っていた。
よくない兆候というのは皮膚がんをさしているのだろう。それで慌てて翌日、出勤前に会社のちかくの皮膚科医院にかけこ
んだ。この病院は昔、胸から腹にかけて赤い発疹がでたとき、最初に行った大病院では若い医師が、蕁麻疹だの淡水魚の寄生
虫だのと頓珍漢な診断でらちがあかなかったが、ここの老先生はひと目見ただけで帯状疱疹と診断して適切な治療をしてくれ
たので、すぐによくなった経験がある。
ところがこの度行ってみると、かっての老先生はいなくて、もっと若い、といっても中年の先生にかわっていた。看護婦さ
んも中年の女性で、先生の言葉に遠慮なく口をはさんでくるところを見ると、先生の奥さんかもしれない。
先生はホクロを見てもべつに驚きもせず、
「どうということはありません。どうしても気になるようなら切りますが、目立つところでもないし、ほっておきましょう」
と、いとも平然としている。奥さんも相槌をうちながら、おなじことを言った。こちらはテレビに脅かされて慌てて来てい
るのに、この切羽つまった気持ちがぜんぜん解っていないようだ。やはり大病院でないとだめなのだろうと諦めた。
大病院ならさきの尿管結石のときに厄介になったK病院がある。K病院なら信頼できる先生が多そうだし、行くならK病院
ときめた。しかし大病院というのは待ち時間がながく、出勤前にちょっと立ち寄ってというわけにいかず、半日仕事になる。
そう考えると敷居がたかくなる。
それでまたしばらく、気にしながらも、決断のできない日々がすぎていった。
といっても、いつも心のどこかで気にしているから、いろいろな情報が目や耳にひっかかってくる。インターネットをして
いても、つい「ホクロ」という言葉で検索をかけてみる。驚いたことにそこには、有名な大病院の皮膚科の先生方が競ってホ
ームページをだしている。そして、ほとんどのページがホクロを皮膚癌のメラノーマとむすびつけて、怖い話ばかり書いてい
る。
やれ直径が何ミリ以上だと要注意だとか、つい二十年前までだったら、メラノーマと診断されるとすぐに足を大腿部から
切断しなければならず、そして切断しても、まず助からなかったなどといった憂鬱になるようなことばかり目についた。
ちょうどその頃、三浦綾子氏が死の直前までを綴ったエッセイを読んでいて、ますますそれに輪をかけて滅入ってしまった。
氏の親しい知人の夫君がメラノーマと診断され、すぐに足を切断したけれども、すでに転移していて、そのまま退院するこ
となく亡くなったという話を聞いて、氏が非常に悲しむ場面があったのだが、読んでいる私自身もいたたまれなかった。二十
年前どころか、現在でもやはりメラノーマは死の病なのだ。
六月には姪の結婚式が博多である予定だし、九月には恒例のABOBA四重奏団の第九回箕島演奏会が控えている。一体、
それまで私は生きていられるのだろうか。町にでると、都会は元気な人であふれているように思えるのに、一方では死の瀬戸
際でがんばっている人たちもいるのだ。ただその人たちは病院という別世界に隔離されているから、一般に目につかないだけ
なのだ。私自身もその別世界に仲間入りしかけている、と思いつめた。
最終的にK病院に行く決心をしたきっかけは、Y新聞の特集である。一週間にわたって毎日、皮膚癌特集をしていたので、
毎日おそるおそる目を通した。皮膚癌にもいろいろあって、転移しにくいものから、転移しやすいものまであるが、メラノー
マは特に転移しやすい方に属しているらしい。いろいろな実例や、写真を毎日見せられているうちに、居ても立ってもいられ
なくなり、K病院にかけこんだ。
担当はFという若い先生だった。先生はノギスをだして、ホクロの直径を計り、カルテに十ミリと書いただけで、
「どうということはありません。様子をみましょう。では結構です」
と、まったくつれない。
「これだけ大きいのだから、悪性ということはないのですか」
「七年も八年も変化しない悪性なんかありません」
「でもほっておいたら、今後悪性化するということはありませんか」
「それは確率の問題ですから、あなたの胃が十年後に癌になる可能性はないのかというのと同じことです」
なんとも明快である。ついでに、Y新聞の特集をみて来たという話をすると、
「新聞は毎年どこかでホクロの特集をやりますから、その度にあなたはここに来ることでしょう。それならいっそのこと切っ
てしまいますか。そうすれば原因がなくなるのだから、さっぱりしますよ」
『身体髪膚これを親に受く。あえて毀傷せざるは孝のはじめなり』という言葉を信奉しているてまえ、手術などというもの
は今まで経験したことがないが、今回にかぎりぜひともさっぱりしたいので、お願いすることにした。
先生は手帳をだして手術日程をしらべていたが、ほぼふた月後の六月八日に手術することがきまった。
六月八日といえば、博多での姪の結婚式の二日前である。その席で私は我が家の子供二人とお祝いのピアノトリオを演奏す
ることになっている。出席できない長男のチェロの代わりにビオラを弾くのだが、大丈夫だろうか。先生によれば、手術後は
運転だけはさけた方がいいが、すぐに歩いて帰れるそうだから、多分、大丈夫なのだろう。
手術は午前中の外来診察がおわったあと、午後からである。簡単な手術だから、手術室などという大袈裟な別室ではなく、
いつもの診察台の上でおこなわれるようだ。足をだして、診察台のうえにうつ伏せになって待っている所にF先生がやってき
て、雑談をしながら、ホクロのまわりに局部麻酔の注射を数ヶ所打った。歯医者で歯を抜くとき歯茎に打つのとおなじものら
しい。
二、三分して、ちょっと効き具合を確かめますと言って何かをされたのだが、すでに何も感じなくなっていたので、何をさ
れたのか解らない。
さあこれから手術という時に、ふと思いだしたように先生はカメラをだしてきて、ホクロの写真を撮った。なにかの参考資
料にでもするのだろう。
ホクロの手術は、周囲からナイフを入れてまるくくりぬくのかと思っていたが、そうではなく、ホクロの中心にまっすぐ一
文字にナイフを入れ、その切り口から両側に切り落としていくそうだ。先生は世間話をしながら、慎重にハサミを使ってホク
ロの部分を切り取っているのだが、切られていることは、音でわかるだけで、不思議に何も感じない。
二十分ほどして、先生の手がとまった。
「これできれいに切除できましたから、今から縫っていきます」
今までは何も感じなかったけれども、針で縫うとなるとひょっとして痛いかもしれないと心配したが、これも何も感じずに
すんだ。初めて経験する麻酔薬だが、まったく感心するほど偉大である。
その偉大な威力ももう一時間ほどで切れるらしい。
「切れるとやはり痛みますか」
「鋭利な刃物で切ってますから、それほど痛まないはずです」
先生の言葉通り、その後いつまでたっても痛くならず、病院の帰りに園芸店に寄って、注文していたさつま芋の苗をうけと
り、帰宅するなり、畑にいってそれを植えた。一緒に畑にでていた近所のご隠居さんも、手術のあとにすぐ畑仕事ができると
は、と感心していた。
翌日、傷口の消毒のために病院に寄ったら、簡単に消毒したあとに傷口をおおうシートをはりつけ、F先生は、
「傷口はきれいです。このままシャワーを浴びて大丈夫です。明日からはシートをはがしても大丈夫です。消毒薬をだしてお
きますから、消毒だけは毎日一度してください。それではこんどの十五日に抜糸します」
と言った。それからも痛くなることはなく、翌日は博多に移動して、結婚式でビオラを弾き、ついでに有田、伊万里、唐津
と焼物を見て、二泊して帰ってきた。
抜糸はいたって簡単で、出勤前に寄ったら、朝の外来を受け付ける前に手早くやってくれた。麻酔もなにもなしだが、ほと
んど痛くなかった。終わってから先生が、『脂漏性角化症』と書いたメモ用紙をくれて、
「手術のあと組織を病理にまわして調べてもらったら、病名がわかりました。脂漏性角化症といって、加齢による良性の腫瘍
でした。ご安心ください」
と言った。それはそれで非常にうれしいことだが、加齢という言葉がすこしばかり気になる。そう言えば、前回の尿管結石
のときも先生が、
「尿管結石など、長年生きてきた垢がちょっと剥がれ落ちたようなものだから、病気ともいえないものです」
と言ってはげましてくれた。しかし二度もつづけて歳を指摘されてはちょっと考えざるを得ない。今まではまだまだ若いつ
もりで、退職後はプロのビオラ奏者に転向だなどと豪語してきたが、これからはすこし老人らしく振舞ったほうがいいのかも
しれない。
(2001.2.8)