家 計 の 攻 防

 

 ある晩、会社の先輩と赤ちょうちんで飲んでいたら、少し酔いのまわった先輩が、嬉しそうに話しだした。

「先月は特別いそがしくて、残業がたくさんあったから、今夜は僕がおごるよ」

よく聞いてみると、今月の給料袋には、いつもの二倍近い給料が入っていたそうである。「ボーナスなみの給料やったよ」

「それで、その給料どうしました」

「どうって、女房に渡したよ」

「そのままですか」

「うん、そうや」

「それじゃ、小遣いはいつもより多く貰いましたか」

「ううん、いつも通りや」

 この鷹揚さがこの先輩の魅力でもあるのだが、いつもながら呆れてしまう。

 二年程前に、会社の社報の一月号で、その年の年男に冬のボーナスの使い方についてアンケートをとった時にも、ちょうど四

十八才であった先輩は、「小遣い少々、以下関与せず」と書いていた。うらやましい程の金銭に対する無欲さである。その夜も

呆れた私が、失礼ながらひと言教示することになった。

「先輩、人間というものは一旦、懐に入ってきたお金は、なかなか出したくないものでしょう。それとも先輩の奥方は、いつで

もいるだけ機嫌よく出してくれますか」

「そうでもないな。やっぱりぶつぶつ言うよ」

「そうでしょう。だから頑張ってたくさん稼いだ月は、最初から収入に比例して、小遣いもたくさん貰うようにしたらいいんで

す。頑張れば小遣いもふえるとなると、やる気も違ってくるでしょう。共産主義はだめです。一所懸命働いても、働かなくても

収入が同じでは、やる気がなくなってしまう。世の奥方達も、亭主を上手に働かせようと思ったら、そこまで考えないといけま

せんね」

 つい口がすべって、余計なことを言ってしまったが、考えてみると、人のことを言っているつもりで、実は自分のことを言っ

ているのである。

 私も家内の財布のひもの固さに悩まされた挙句、とうとう数年前に革命を起こして、家計の主導権をこちらに奪ってしまった

経験がある。

 聞くところによれば、欧米では、表面上はレディー・ファーストなどと格好のいいことを言っていても、その実は主人が財布

のひもを握っていて、主婦は、主人がいくらの収入を得ているかも知らされていないのが普通らしい。

 わが家も、革命によって家計の主導権を奪ったといえば穏やかではないが、やっと欧米なみになったと思えば、大したことで

はない。

 月々の給料は私の銀行口座に一旦振り込まれ、その中から必要なだけの家計費を家内に渡すという手順になった。ガス、水道

などの公共料金は、私の口座から自動的に引き落とされる。家計費以外は絶対に渡さないというのではなく、臨時に入り用がで

きればそのつど渡し、その外にもクレジット・カードを一枚持たせて、それで必要な買い物もできるようになっている。

 給料が銀行振り込みになったために、亭主の権威がなくなったということをよく耳にするが、そうではなくて、奥方と自分の

口座を別々にして、自分の口座に振り込むようにすれば、事態は今までと何ら変わらないのである。

 革命当初は少し気まずい雰囲気もないではなかったが、それも慣れてくればどうということはない。何といっても、自分の稼

いできた金を使うのに、家内の顔色をうかがう必要がないというのが、大きな長所である。今月は少し余裕があると思えば、大

きな顔をしてひとり旅に出ることもできる。気楽といえば、これほど気楽なことはない。

 ここでひとつ気になることがある。何かというと、家内が人一倍のしまり屋なのに、私の方が無類の浪費家だということであ

る。

 何しろ家内ときたら、私が釣ってきた新鮮な魚や、畑から収穫してきた野菜類を、任せておくといつまでも冷蔵庫にしまい込

んで、そろそろ傷み始めた頃に出してくるほどの質素倹約家である。これは言いかえれば、うまい物をわざわざまずくして食べ

るということで、困ったことでもあるのである。

 それに反して私の方は、お金は魚や野菜と同じく、新鮮なうちに使ってこそ値打ちがあるのであって、銀行などにしまい込ん

で腐らせてはいけないと考えている。要するに、江戸っ子のように、あればあるだけ使ってしまう方なのである。

 そういう浪費家が財布のひもを握ったのであるから、握っていないのも同然で、貯金はふえるどころか、今まであった少しの

蓄えまでも、徐々にとり崩されて減る一方である。このままいけば、家計の危機は目に見えている。ひょっとすると、私の天下

もそう長くはなく、やむを得ず財政奉還という屈辱的な事態が、遠からずやって来るかも知れない。