化 学 バ イ オ リ ン

 

 バイオリンの値段は高い。その高さときたら、常識をはるかに越えている。

 最近では、われわれアマチュアにとっても、ちょっと使える楽器を手に入れようとすると、百万円以下ではまず適当なもの

は見つからない。ましてプロが使う楽器となると、数百万から数千万は当たり前で、世界的なソリストなどになれば、億単位

の楽器をもたなければやっていけない状況である。

 なぜそんなに高いのかと言えば、ストラディバリやガルネリといった、三百年ちかくも前に活躍したクレモナの名工たちの

技術が、なぜか後世に引き継がれることなく消滅し、それ以後現在まで、彼らを凌ぐ製作者が現れなかったために、演奏家の

数にくらべて、よく鳴る楽器の数があまりにも少ないからである。

 バイオリンという楽器は、できたての新しいものはあまりいい音がしない。百年くらい弾きこんで初めて鳴りはじめ、三百

年くらいでピークを迎え、以後材料の弾性疲労のために、徐々に下降線をたどると言われている。

 したがって、何十年も弾きこまなければ使いものにならない上に、将来どうなるかわからない新しい楽器より、よく鳴るこ

とが実証されたオールド楽器の方が、はるかにいい値がするようになっている。しかも、「弘法筆をえらばず」という言葉が

通用せず、コンクールなどで、同じ力量なら、いい楽器をもっている方が確実に有利なこの世界では、演奏家は全財産を投げ

だしても、古くてよく鳴る楽器をもとめようとする。絶対数がすくなければ、値段が上がるのも無理はないのである。

 弦楽器奏者というのは、ちいさい頃からレッスンを受けつづけ、やっと演奏家になったらなったで、べらぼうに高い楽器を

手にいれなければ仕事ができず、その割に収入はすくなく、それまでの投資にくらべて、割にあわない職業だとよく言われる。

 ところが、弦楽器界のこの常識をくつがえすような出来事が最近おこったのである。

 最近といっても、きっかけは数年前であるが、ある新聞の正月元日版に、京都府立大学の若い先生が、特殊な化学処理によ

って、安物のバイオリンを名器なみの音に変えることに成功したという記事が載っていた。

 興味をおぼえたわたしは、すぐにその記事を切り抜き、関心を示しそうな何人かの友人にも見せた。そのなかには、西宮に

住むバイオリン製作者の松下さんも含まれている。松下さんはそのときはあまり大した反応を示さなかったのだが、最近にな

って急に、もっとくわしいことを知りたいと言いだしたのである。

 わたし自身、新聞の記事以外なにも目新しい情報をもっていなかったので、それなら大学にでかけて行って、直接話を伺い

ましょうということになり、わたしがその段取りをすることになった。

 まず京都府立大学農学部木質材料学研究室の矢野先生に電話をいれてみた。自己紹介するときに、わたしの勤め先である朝

日放送の名を出すと、マスコミの取材と勘違いされかねない。と言って出さないわけにもいかないので、とくに個人的な興味

だということを断ったのだが、矢野先生はそんなことは気にしていない風で、こちらが拍子抜けするほどあっさりと、

「どうぞいらしてください」とおっしゃった。

 それから数日後に、松下さんとその研究室を訪ねた。梅雨のあい間の蒸し暑い午後であった。研究室には冷房がないらしく、

どの部屋も窓をあけはなっている。われわれは約束の二時きっかりに、三階にある研究室のドアをノックした。

 矢野先生は三十代なかばといった感じの若い先生なのだが、年令のわりには、話し方は非常に落ちついていて、すでに思慮

深い研究者の風貌を呈していた。

「なにからお話ししましょうか」

 と言って、話はすぐに本論にとび込んだ。そのお話を要約してみるとこうである。

「木材の繊維というものは新しいものほど、振動するときにばらばらに振動するものである。そのために繊維どうしの摩擦に

より熱が発生する。ということは与えたエネルギーのうち、一部がこの熱損失となって逃げるということで、せっかくの響き

がはやく死んでしまうことになる。この点に目をつけて、従来、木材の繊維を固定して防水や防虫効果をあげるために使って

いた、フォルマール化工という化学処理の技術を、バイオリンに応用してみたのです。そうすることによって木材の繊維は相

互にしばられた状態になり、ロスがなくなり、よく鳴るようになるのです。実際、現存している数百年前の世界的な名器とい

うのは、長年のエイジングによって、これに近い状態になっていると思われます。そのなかでもストラディバリやガルネリの

作品が、特にずば抜けているというのは、彼らがニスを塗るまえに、なにか秘密の処理をほどこしてエイジングを速めたとい

うことが考えられます。その技術が現在に伝えられていないだけのことですから、現在のバイオリン製作者がいくら生木で彼

らに対抗しようとしても、むりなのではないでしょうか」

 わたしは矢野先生にお会いするまでは、新聞記事には半信半疑であった。会社でも、バイオリンに関心をもつ同僚に、矢野

先生に直接お会いしてくるという話をしたら、

「それはおもしろいことになりそうだ。でも喧嘩だけはしないようになあ」

 と釘をさされた。だが、喧嘩どころか、ここまでの話を聞いただけで、わたしはもう完全に矢野先生のぺースに巻きこまれ

てしまっていた。

 矢野先生は、すでにあるバイオリン製作者の協力をえて、この技術を使用したバイオリンの試作を完成しており、その楽器

をバイオリニストの千住真理子や関西楽壇の何人かのバイオリニストたちにも弾いてもらい、一定の評価も得ているという控

えめな表現をされたが、わたしは内心、それはかなりすごいバイオリンにちがいないという確信のようなものを感じはじめて

いた。

 バイオリンの材料というのは、表板が松の系統で、こまかい木目のそろった柾目板を使用し、横と裏はあらい木目のかえで

を使用している。音の伝達特性からいえば、表板は音の伝達損失が非常にすくなく、かえではむしろ逆の性質を示すという。

言い換えれば、伝達特性のあい反する材料を対立させて初めて、楽器がよく鳴るのだということが言えるようなのである。

 昔の製作者にとっては、そういうことは理論はともかく、経験上あたりまえのことであったはずだから、こんなことで感心

していては笑われるかもしれない。

 ともかくそういうことで、この処理をするのは、表板側だけでいいのだそうである。つまり表板自身と、その上に立つ駒と、

裏に貼りつけられているバスバーと呼ばれる木片、それに表板と裏板のあいだに柱のように立っている魂柱と呼ばれる棒、こ

の四つの材料さえ処理すればいいのである。

 感心することばかりで、いよいよ腰をすえてしまったわれわれに、先生は、

「これがその処理をした見本です」

 と言って、数枚の駒を見せてくれた。

 松下さんはフランスから大量に駒を輸入しては、工房の天井に何年も吊りさげておいて、古いものから順に使っている。そ

のとき、駒を作業机にポロリと落としては、その音で乾燥度や材質のよしあしを判断するのである。古く枯れたものほどよく、

いいものはカラリとした軽い音がするという。

 ここでも当然その品定めが行われたのだが、いままで聞きなれていた音とはまったく違う音で、木というよりむしろプラス

ティックの音であった。わたしの素人判断では、これはとてつもなくいいものか、さもなければとんでもないお粗末な駒のど

ちらかであろうと思ったが、松下さんはおもむろに、

「とてもいいものです」と断定した。

 この駒は、この実験室のガラスのつぼの中で処理されたもので、その処理方法というのは、つぼの中に処理したい材料とフ

ォルマリンと触媒をつめて密封し、一昼夜、オーブンで加熱することによって、フォルマリンと木材の繊維に化学反応をおこ

させるというものであった。最初のころはなかなかいい触媒が見つからず、反応は起こっても、触媒によって木がおかされ、

ボロボロになって、とても楽器に使用できるものにはならなかったそうで、触媒として二酸化硫黄をつかうようになってはじ

めて、使用にたえるものになったということである。

 矢野先生はまた一方で、ある程度脆くなるのはちゃんと反応が起こった証拠であって、木材というのは熱を加えただけでは、

乾燥するだけで、性質そのものが変化することはないとも言われた。この言葉はわたしにとって重要で、これによって意を強

くしたわたしは、家に帰るなり、現在使用中の駒を電子レンジに入れて、乾燥させてみたのである。これはかなり効果的で、

駒が軽くなった分だけ、音も軽くなったようであった。

 余談はさておき、気になるのが目の前の駒である。この駒をなんとか試してみたい、というわれわれの内心を察したのか、

矢野先生はその中の数枚を、「どうぞ使ってみてください」と言って、呉れたのである。そしてこのことが、この話の以後の

展開のきっかけとなったのである。

 駒というものは大体の形に削ったものが製品として売られていて、そのまま使用したのでは、楽器は鳴らず、かならず個々

の楽器にあわせて削りなおし、高さや厚さや足の密着度などを微調整しなければならない。が、その日わたしは楽器を持参し

ていなかったので、三日後に松下さんの所で削ってもらうことになった。

 ナイフを研いでおもむろに第一刀をいれた松下さんが、あれっという顔をした。

「これは木とちがう。まるでプラスチックだ」

 ふつうの駒なら、ナイフで飾り穴をひろげる時、木目の向きをよく見て、木目に逆らわない方向にナイフを回転させるのだ

が、この駒はどちらの方向でも関係なく削れるうえに、削りかすはボロボロとくずのようになって、決してかんなくずのよう

にひらひらとはならないのである。それだけならまだしも、削りおわって、最後に表面にやすりをかけたところが、一部が欠

けおちてしまった。改良されたといっても、まだかなり脆いようだ。

 結局、二枚だめにして、三枚目にやっとできあがった。

 とりあえず音をだしてみると、今までとはまったくちがう、からりと乾燥した良質の音がする。音量もたしかにふえている。

これはおおいに希望をもっていい。家にもって帰り、ゆっくり時間をかけて、駒の位置ぎめをすることにした。

 そうして二、三日すると、見違えるようないい音になったのである。松下さんも、「これがあのバイオリンですか」と、目

をみはった。

 駒をかえただけでこれだけの差がでてくるのなら、表板まですべてこの処理をした、完全なフォルマール化工バイオリンを

試作してみたくなるのは自然のなりゆきである。そして松下さんもわたしも、一度思いたったら一途な方である。早速、矢野

先生に電話をして、削りたての白木の表板を持参するから、処理してもらえないかとお願いした。

 ところが矢野先生のところでは、反応槽が小さくてバイオリンの表板は処理できないということで、共同研究をしている京

大の湊先生のところにお願いしてくださることになった。

 湊先生は京大農学部林産工学科の先生で、研究室の学生のなかに、京大オーケストラでバイオリンを弾いている女性がいて、

学会などで発表するときは、彼女にバイオリンを弾かせるそうであった。

 削ったばかりのバイオリンの表板をもって、わたしたちが京大の研究室を訪れたとき、そこにも矢野先生は同席され、その

女性も加わって、しばらくバイオリン談義に花が咲いた。そして一時間ばかりしたところで湊先生が、「では、そろそろ始め

ますか」と言って立ちあがり、みんなを実験室に案内してくれた。

 オーブンはすでに予熱され、百二十度の一定温度になっているようである。湊先生はテトラオキサンと呼ばれる白い粉末の

薬剤と表板を、円筒形のガラス容器に入れ、密封してから、真空ポンプで中の空気を抜いた。そうしておいて今度は、ボンベ

から風船のようなものに取りこんだ二酸化硫黄ガスを、逆にガラス容器に注入した。というより、容器内はすでに真空になっ

ているので、勝手に吸いこませたという方が正しいだろう。それから、そのガラス容器を横倒しにして、慎重にオーブンの中

に入れ、ふたを閉めた。

 これであと二十四時間すれば、この表板の処理は終わるのだが、そのとき同時に何枚かの駒と、魂柱材などの小物も持参し

ていたので、ついでに処理をお願いしたところ、それらについては後日、矢野先生の実験室で処理してくれることになり、結

局、それらすべてが出来上がったことを確認したうえで、矢野先生のところに受け取りに行ったのは、それから半月後の、九

月なかばであった。

 処理前はまっ白だった表板が、処理後は樹脂が浮きだして、すこしまだらになってはいたが、矢野先生は、今までで一番い

い出来ですと、太鼓判を押した。われわれにはどこがどういいのか解らなかったけれども、たしかに処理前は、叩けばボコボ

コいっていたものが、処理をおわったとたんに、余韻をともなって、太鼓のように響きはじめていた。

 その日は、古いバイオリンと新しいバイオリンの音の違いという話になり、矢野先生があらためて、その違いはどこにある

かという質問をされた。

「それは、はっきり違います。古いものは音のきめが細かいというか、とにかくSNがいいんです」

 相手が科学者だという気があるから、つい専門用語が出てしまったけれども、SNといったのは、正しくはSN比というべ

きで、ふつうは略してSNということが多い。Sはシグナル(信号)、Nはノイズ(雑音)のことで、信号成分に対してノイ

ズ成分がどれくらい含まれているかという比率がSN比なのである。つまりざらざらした耳障りなノイズがすくないというこ

とが、SN比がいいということになるのである。

 SNという言葉を聞いたとたん、矢野先生はわが意を得たりという顔をされて、あるパンフレットを出してこられた。そこ

には実験によって得られた曲線のグラフが書かれていて、先生の説明によれば、普通の木材は、すべての周波数の音に対して、

一定の伝達損失特性をもっているが、フォルマール化工処理をした木材は、低い周波数で損失値がさがり、高い周波数になる

ほど逆にあがるという特性があるそうで、それは言い換えれば、低い音ほどよく響き、高い音になるほど響かなくなるという

ことであり、不必要な高域の響きがおさえられる分だけ、SN比があがることになるのだそうである。

 わたしが日頃感じていたことが、このグラフによって、理論的に証明されたのである。

 松下さんは、これからすぐにこの表板でバイオリンを組みあげ、ニスを塗れば、ひと月ちょっとで音が出せるでしょうと言

ったけれども、昨年は異常気象で、九月には台風がつぎつぎと襲来し、十月は雨ばかり降りつづいたために、ニスの乾きがわ

るく、結局、生乾きながらもなんとか音が出せるようになったのが、十一月の二十一日であった。

 最初に松下さんがざっと調整して音をだしたときは、ガーガーと粗い音がして、これは失敗だったかと一瞬落胆したそうだ

が、わたしが駒をさわっているうちに、徐々に上品なオールドバイオリンらしい音がしだした。あとはわが家で、納得のいく

ように駒の位置ぎめをするとして、その際ついでに、音の比較参考用にということで並行して作っていた、なにも処理のして

いない兄弟バイオリンも、一緒に借りて帰ることにした。

 何日かするうちに、最高のポイントが見つかった。鳴り具合もよく、音色も落ちついてきて、とても新しいバイオリンの音

とは思われないほどすばらしいものであった。響き方はまるで太鼓のうえに弦をはっている感じと表現したらいいのだろうか、

とにかくもう未処理の兄弟バイオリンとは比べものにならないほどの大きな差ができていた。もともとは同じ工程でつくられ

た、安物の機械製のバイオリンなのだが、まったく氏素性の異なるバイオリンのようになっていた。

 先年亡くなった小林秀雄氏が、「そばはツラを見ればわかる」と言ったそうだが、確かにそばは見ただけで、どういう粉を

使用したか、どういう打ち方をしたか、麺の腰は生きているかどうかということまで解ってしまう。これと同様にバイオリン

も、顔を見ればどの程度鳴る楽器がということが解ると言われている。

 輸入専門の弦楽器商などは、ヨーロッパのがらくた市で、こわれて使いものにならないバイオリンの中から、目ぼしいもの

を見つけて、安く買いつけ、日本にもって帰り、修理して高く売ることで商売をしている。その際、見るところはバイオリン

の顔だけなのだから、見る人が見れば、顔は雄弁に自らの性能を物語っていることになる。

 ところがこういう化学処理法が普及してくると、同じ顔をしていながら、片や粗雑な音を出し、片や似ても似つかない上品

な音がするということになり、顔で判別ができなくなって、これからの楽器商は困るのではなかろうか、と余計な心配をして

しまった。

 それはそうとして、両先生に、ここまでの結果を報告しなければならない。

 まずバイオリニストの高瀬真理(まこと)君に頼んで、彼のガダニーニを含めて、三台を弾きくらべてもらうことにした。

その演奏をわが家でデジタル録音し、比較しやすいように編集し直したテープは、結果報告をかねて、両先生にとっても何か

の参考になるのではないかと思う。

 録音をしてみて解ったことは、名器ガダニーニの前に出ると、さすがのフォルマールバイオリンもまったく形無しというこ

とであった。

 無処理のバイオリンが、駒からのみ音が出ているようで、耳元でうるさいのに対して、フォルマールバイオリンの方は、胴

全体から出ているように感じられる。それだけうるさくないということなのだが、ガダニーニは胴体からも響きが感じられず、

まったく静かなのである。高瀬君に言わせると、

「響きが楽器の近くでうろうろしているようではまだまだで、はるかに離れたところで響くようにならないとだめです」

 ということであった。

 やはり長年月かけて磨かれた伝統の技術のうえに、さらに数百年の熟成まで加わっている名器を、一朝一夕に真似しようと

いうのは並大抵のことではないようである。

 伝統の壁は厚い。研究はこれからである。