ほ う と う と 放 蕩
山梨県の郷土料理に「ほうとう」というものがある。「はくたく」が訛って「ほうとう」となったようだが、要するにうど
んの料理で、かぼちゃを主体とした数種類の野菜に、生のうどんを入れて、みそ味で煮込んだものという位の知識しか、その
時のわたしは持ちあわせていなかった。
今から四、五年前のことである。
秋の終わり頃、甲府から河口湖へ向けて、ひとりでレンタカーを走らせている途中、あるドライブインの入口に「ほうとう」
という看板を見つけて、誘われるように入ってみた。それが私とほうとうとの初めての出会いである。
ドライブインで、しかも手頃な値段で出している物だから、本物とはすこし違うかも知れないけれども、その時の味は今で
も印象に残っている。かぼちゃ、ごぼう、にんじん、きのこ、ねぎなどの野菜を、とろける程煮込んだ、身だくさんのみそ汁
に、ついでに豚肉とうどんも入れたというような、ボリューム満点の鍋物で、晩秋の甲斐路の凍えた旅人には、何よりのご馳
走であった。
料理としては簡単なもので、これなら家でもできそうである。しかしいくら簡単と言っても、うどんにはスーパーで売って
いるような、ゆでてパックしたあのうどん玉を使いたくない。面倒でもここは、自分で打った本物の手打ちうどんを使いたい。
ただ問題なのは、当時のわたしは、まだ自分で納得するようなうどんを打つことができなかったことである。
その頃はすでにそばを打っていたから、道具は揃っているし、打とうと思えばいつでも打てる。それで時々うどんにも挑戦
していたのだが、うまくできたためしがない。水が多すぎて、切る端からくっついてしまったり、たとえうまく離れても、ゆ
でているうちに、かきまぜる度にちぎれて、クズのようになったりした。弾力がないのである。
この弾力を出すことが一番の難問で、当時の私は、ひょっとするとそばよりうどんの方がむつかしいのではないか、という
劣等感のようなものさえ、うどんに感じていた。
断片的な知識だけで挑戦するのだから、当たり前と言えば当たり前なのである。
そこで一念発起して、うどんを一から勉強し直すことにした。そばの場合は、早稲田の高瀬礼文先生の書かれた『そばの本』
という格好の入門書があったけれども、うどんにも何かないかと探していたら、やはりあった。国学院大学の加藤有次先生の
書かれた『男のうどん学』という本である。
高瀬先生は数学の先生で、加藤先生は文学部の先生である。どちらも専門外でありながら、専門家以上に研究されている。
わたしのうどんに対する疑問点は、この『男のうどん学』によってほとんど氷解してしまったと言ってもいい。
加藤先生によれば、うどんの弾力は小麦粉のグルテンという蛋白質が、網の目のように絡まりあって生じるもので、これが
うどんの腰になる。この腰が強すぎても、弱すぎてもだめで、その点からも国産の中カ粉はうどんに適していると書いてあっ
た。
ちょうどその頃、会社のある先輩が、四国の高松に出張するという話を聞き、讃岐の小麦粉がもし手に入れば、買ってきて
ほしいとお願いした。だがその期待は叶えられなかった。
先輩は高松で、大阪にも支店を出しているある有名なうどん屋に入り、この店では小麦粉はどんなものを使っているかと聞
いたそうである。すると、某大メーカー製の粉を使っているという返事が返ってきたので、高松では本物の地粉を手にいれる
ことは無理だろうと、諦めて帰ってきたというのである。
後日、わたし自身ひとりで四国を旅行した際、阿波池田駅前の小さな食料品店で、正真正銘の地粉を見つけて買って帰った
が、粒が粗くざらざらしていて、とてもうどんとして食べられるものではなかった。
だが本場のうどん屋が、大メーカー製の小麦粉を使っているということは、普通にスーパーに出ている小麦粉でも、正しく
打てば、一応はうどんらしいうどんになるという事だろう。
わたしは最初の頃、スーパーで売っている強力粉と薄力粉を、半々にまぜて打ってみて、どうしてもうまくいかないので、
たぶん粉が悪いせいだろうと思っていたけれども、どうやらそれは間違いのようである。
原因が粉でないとすると、次はこね方を疑ってみなければならない。
うどんはそばと違って、こねる時、塩水を使うということと、塩加減をあらわす言葉として、讃岐地方には「土三寒六」と
いう言葉があることは知っていた。暑い土用は三で、寒い時は六ということであるが、これがどういうことかと聞かれると、
もうひとつよく解らない。今までそのことについてきちんと解説した人や本に出会ったことがないばかりか、加藤先生の本も、
そのことには触れていなかった。
そこで近所の讃岐うどん屋の主人に聞いてみることにした。
その店は讃岐出身の夫婦ふたりだけでやっている小さな店で、昔からの讃岐の手法をかたくなに守った、地味で誠実な営業
姿勢に、以前から注目していた店である。
その主人によると、三とか六というのは、塩一に対する水の割合のことだということだった。予想していたよりはるかに塩
の量が多いが、これで長年の謎はとけた。
一方、うどんに塩をまぜなければならない理由については、加藤先生がくわしく説明されている。
その説明によれば、小麦粉には、澱粉と蛋白質を分解する酵素が含まれていて、水分が供給されると、これらの酵素が活動
を開始する。それは小麦の発芽時に必要な機能で、この働きによって発芽のための養分が作られるのだが、うどんを打つ上で
はこの酵素は邪魔で、放っておくと、すべて分解してしまって、腰の抜けたうどんになる、この酵素の活動を抑えるのが塩で、
気温の高い夏には、酵素の活動がますます活発になるから、それだけ濃い塩水がいるというわけである。
この通りに塩を入れるとすると、かなりの量の塩分になるが、ゆでるときに塩分のほとんどは抜けてしまうから大丈夫であ
る。
濃度の謎さえ解ければ、次はこの塩水を粉にまぜる方法である。
少しずつ振りかけては掻きまぜるのは、そばと同じである。ただ、うどんの場合、最終的に表面がしっとりと、すべすべに
なるまでまとめるには、手だけでは無理で、どうしても全体重をかけて足で踏まなければならない。
もし手できれいにまとまった玉ができたとすれば、それは水を入れすぎで、そんなうどんはくっつき易く、腰のないうどん
になる。
手作りのうどんのことを、日本中どこへ行っても、手打ちうどんと呼んでいるようだが、わたしは足打ちうどんではないか
と思っている。だがそんなことを言うと、神経質な人は多分、うどんを食べなくなるだろう。
ある人がうどんに招待されて、行ってみると、主人が足で踏んでいる所が見えたので、箸をつけなかったという話があるく
らいである。だが、いくら足で踏むといっても、直接、素足で踏むわけではないから、別に不潔なことはないのである。わが
家ではごみ用の大きなポリ袋を敷いて、その上から踏んでいる。敷くものは丈夫で清潔なものなら何でもいいのである。
それでもさすがに高貴な方へ献上するうどんは、足で踏まないという。手だけで打つとすると、腰はどうなるのか。よほど
の力持ちが打つのだろうか。少し気になることではある。
いつか坂本のそば屋に行った時、職人がまるめた大きなそばの玉を、布の袋に入れて足で踏んでいたので、箕面のそばの先
生にそう言ったら、「うどんじゃあるまいし」と一蹴されてしまった。そばはやはり手で打つものらしい。
手でこねただけの玉はまだごつごつしていて、これをしばらく寝かせることによって、粒子のすみずみまで水分が行き渡り、
はじめてしっとりした肌になる。そば粉は粘土のようなもので、いくら寝かせても水分は移動しないけれども、小麦粉では時
間とともに、水分が均等に行き渡るのである。
寝かせる時間は人によって、三十分から八時間以上と、説がまちまちで、どれが正しいのかよく解らないが、多分、三十分
以上寝かせればいいということだろう。わたしは普通、ひと晩寝かせることにしている。又、寝かせる場所は、加藤先生にな
らって、押し入れのふとんのすき間である、ここは温度の変化がすくなく、風も通らないので、うどんを寝かせるのに最も適
しているのである。
ひと晩寝かせたうどんは、翌朝には地肌がしっとりとして、見ちがえる程なめらかになっている。これを足で踏んである程
度広げてから麺棒で延ばすのだが、うどんの弾力はそばに比べてはるかに強いから、これが又ひと苦労である。
麺棒をころがして延ばしたつもりが、麺棒を離したとたんに、縮んで元にもどろうとする。かと言って、強引に延ばすと、
せっかく形成されたグルテンの網の目を引きさいてしまうことにもなりかねない。機械打ちのうどんが手打ちに比べて劣るの
は、無理に延ばしてしまうからだという説もある。
うまく延ばしさえすれば、そのあと畳んで切るのは、そばより易しい。ただ打ち粉をたっぷりしなければ、すぐにくっつい
てしまう恐れがある。打ち粉は普通、強力粉を使うのだが、わが家ではそばの打ち粉を流用している。そばの打ち粉の方が高
いから、少しもったいないのだけれども、手近にあるのでつい使うことになる。ともあれこれで、生うどんができあがる。
この後の調理法はふた通りあって、塩を少し加えたたっぷりの湯で、十五、六分ゆでて、釜上げや冷やしうどんにするか、
又はゆでずに煮込みうどんにするかである。釜上げや冷やしうどんも勿論うまいのだが、今回のテーマはほうとうなので、こ
こで、わが家のほうとうの作り方をざっと紹介しておこう。
まず、なるべく大きな土鍋にだし汁を半分くらい入れる。そこへ厚さ五ミリくらいに切ったかぼちゃをたっぷり入れ、同じ
大きさに切った蕪も放りこむ。煮たってきたらアゲと豚肉を入れる。再び沸騰してきた所に、生うどんをほぐしながら入れる。
但しうどんは長すぎると杓子で掬いにくいので、適当な長さに切っておく。又、うどんを入れる時は、必ず沸騰していること
を確認してから入れないと、団子になってしまうことがあるから要注意である。
この状態で蓋をしてしばらく煮込み、噴きこぼれそうになったら、火はなるべくゆるめずに、蓋をすこしずらす。
十二、三分煮込んだところで、味をみながら味噌をとかしこむ。ついでにネギもどっさり入れて、再び蓋をして煮込み、二、
三分して沸騰してきたら出来上がりである。
わが家では毎年冬になると、数回はほうとうを作る。家族にも評判がよく、特に寒い日など、こちらから言いださなくても、
家族の方から注文が出る。甲斐の郷土料理もいつの間にか、わが家の冬のレパートリー料理として定着したようである。
先日たまたま休日に、ほうとうでも作ろうと、朝から準備をしている所へ、夕方の四時頃、悪友の永田から電話がかかって
きた。
永田とはもう二十年来のつきあいで、お互いに大学を出て就職したばかりの頃、あるアマチュアのオーケストラで知りあっ
たのである。そのオーケストラでわたしはバイオリンを弾き、彼はフルートを吹いていた。お互いに若く、仲もよかったが、
けんかもよくした。
彼のやんちゃで子供っぽいところが女性の心をくすぐるのか、永田には女性団員とのゴタゴタがいつも絶えなかった。
いっしょに演奏活動をしたのは十年たらずだが、その後も月に一度くらいの割りで、どちらからともなく声をかけて、飲み
に行くつきあいが続いている。なにしろ大酒飲みで、飲みだしたらきりがない。そして乱れる。誰にでも絡むのである。あげ
くの果ては、翌日、何も覚えていないという。気がついたら知らない女性と寝ていたという話もある。
そういう男だから、いっしょに飲みに行っても、わたしは最後までつきあえず、先に帰ることが多い。それでも永田は平気
で、他の客とワイワイ言いながら、飲み続けている。
その日の電話も、五時に仕事が終わるから、あと飲みに行こうという誘いであった。今夜はだめだと言うと、なぜだと聞く
から、ほうとうを作ることになっていると答えたら、「そうか」と簡単に諦めた。
それから五時間以上たった夜の九時すぎに、再び永田から電話がかかってきた。口ぶりから察すると、今夜は家に帰り、お
となしくひとりで飲み続けているらしい。すでに十分でき上がっている様子である。
「夕方電話したとき、おまえ何て言うた」
「何てって、今夜はだめやって」
「いや、そのあとや」
「別になにも」
「たしかホウトウとか言うとった」
「ああ、あれか」
「あれは俺へのあてつけやな」
どうやら永田はあの電話のあと、ホウトウという言葉を、自分の放蕩ざんまいの生き方に対するあてつけと解釈して、ひと
り陰々滅々と酒を飲み続け、やっと酔った勢いで、電話をかけてきたということのようである。
長年の経験から、こういう状態の永田には、何をどう説明しても無駄である。益々しつこく絡まれて、いよいよ抜け出しよ
うのない泥沼に引きずりこまれるのがオチである。
逃げ道はひとつしかない。話題をそらすことである。
「ところで永田、今年の正月はどうするつもりや。また家族でホテル暮らしか」
「いや、あれはいっぺんやってみただけや。家におるよ」
「そうか、じゃあテント持ってキャンプにでも行くか」
「ようし、行こう」
ということで機嫌がなおって、電話が切れた。私としては本気でキャンプしてもいいつもりで言ったのだが、永田は明日ま
で覚えていないだろう。
私の作るほうとうを曲解するのは、永田だけではない。近所に私のそばのファンで、毎年、食べに来られる奥さんがいる。
先日、その奥さんにほうとうの話をしたら、
「ホウトウってどう書くんですか」
と真顔で聞かれたのだけれども、目はあきらかに放蕩を連想しているようであった。
「放蕩」という言葉を辞書で調べてみると、「酒や女にふけり、身持ちのおさまらないこと」という意味と、もうひとつ「道
楽」という意味も出ている。永田の放蕩はもちろん前者であるが、後者の意味では、私だってじゅうぶん放蕩有資格者である。
私のことを何も知らない人は、私が女はもちろん、酒、たばこ、マージャン、パチンコ、ゴルフなど何もしないと言うと、
「金が余ってしかたがないでしょう」と言う。だが少し知っている人は反対に、「あなたのようなことをしていたら、いくら
お金があっても足りないでしょう。よく奥さんが黙ってますなあ」と言う。
ホウトウという言葉を聞いて、胸にチクリと痛みを感じるのは、永田だけではないのである。