干 支 年 賀 六 年
小学校で読み書きを教わって以来、四十歳になるころまでのわたしは、まったくの筆無精だった。当然、はがきも手紙もま
ず書かなかったけれど、年賀状だけはそうもいかず、仕方なく書いていた。といっても、学生時代ならつきあいも狭く、一枚
ずつ別な文面で書いてもしれていたが、勤めはじめるとそうはいかない。つきあいが広くなった割りには義理のつきあいが多
いから、とても一枚ずつ別なことなど書けない。出来合いの年賀はがきですませれば楽だが、すこしは個性も出したい。かと
いって、絵を描くセンスなどまったくないので、版画を彫ることもできず、毎年の年賀状は頭痛のたねだった。
そのうち長男が生まれたのをきっかけに、家族写真を撮って、それを年賀状にしようと思いたった。これなら作文に頭を悩
ますこともないし、写真なら独身時代に一時期凝ったことがあるので、ある程度の自信はある。
最初の年は、一歳になったばかりの長男を家内が抱いて、家族三人、ピアノの前に座って撮った。卯年だったので、兎の耳
つきのはちまきを白い紙で折って長男にかぶらせた。翌年には長女が加わり、さらにその二年後には次男もできた。そして子
供が大きくなるにつれて、家の近くの撮影では飽き足りず、すこしずつ遠くへ足をのばすようになった。
大体、年賀状の写真を用意するのは十一月の中頃で、その頃は近辺で紅葉が見ごろになる。それで紅葉が美しく、しかも由
緒あるお寺ばかりを選んで撮影に行くことにした。京都市の南西のはずれにある善峰寺は日帰りだったが、延暦寺や長谷寺、
室生寺などは、一泊の家族旅行を兼ねた。
室生寺の門前の旅館に泊まったとき、夕食後に宿の主人があいさつに来て、室生寺の由来などを説明してくれたのだが、そ
のとき「こうしてご家族でしあわせに旅行ができるのも、仏様の御加護のおかげです」と説教されたのには、子供たちはきょ
とんとしていたが、あらためてそういうものかと認識をあらたにした。
この家族写真の年賀状は、意外に好評で、毎年の分をすべて保存しているという奇特な人があらわれたりした。子供だけの
写真でなく、少々照れくさいけれども、家族全員で写ったことがよかったかもしれない。
家族で旅行ができて、しかも全員で写真が撮れるということで喜々として付いてきた子供たちも、中学生にもなるとクラブ
活動や何やと用事ができてくる上に、家族そろって旅行することもいやがるようになる。一泊の家族旅行ができたのも数年間
だけで、又、手軽な近所ですませるようになった。だがそれさえもいつまでも続かず、長男が二十になった時、とうとういや
だと言い出した。当然のことで、むしろ二十年も続いたほうが不思議なくらいである。それできっぱりとやめることにした。
その頃にはわたしもワープロで文章をぼちぼち書きはじめていて、はがきを書くことなど何の抵抗もなくなっていた。それ
どころか、なるべく小さな字で、できるだけ紙面いっぱい書きたい方だった。
それで、やめた最初の年は、二十年も続けた写真年賀状をやめる言い訳を書いて年賀状としたが、そのつぎからは、その年
の干支にちなんだエッセイを書くことにした。だいたい干支にでてくる動物は、日頃われわれと係わりの深いものもあれば、
あまり縁のないもの、さらには架空の動物まである。係わりが深ければそれだけ文章も書きやすいが、縁のないものは書きに
くい。まず平成五年の酉年であるが、鶏も現在ではとり肉くらいしか縁がない。
謹賀新年
この一月で四十九歳になる。我ながら、よくもったものだと感心するけれども、肉体的には、眼鏡が遠近両用に変わったの
と、毛髪の数が多少減少したくらいで、二十歳代とくらべて、体力、体型ともにそんなに変化していないと、自分では思って
いる。
しかるに、先日の定期検診で、コレステロールが「要経過観察」となっていた。さらに注意書きとして、「肉類の脂身はな
るべく食べないように、又、一日一万歩以上歩きましょう」などと書いてあった。
わたしはもともと肉の脂身など見るのもいやで、意識的に避けている。そのうえ毎朝、駅まで四十分、速足で歩いているの
で、これだけで五千歩になる。それなのに一体どういうことだろう。今年は、脂のすくないトリのササミでも食べろというこ
とかも知れない。
皆様のご健康とご多幸を心からお祈り申しあげます。平成五年元旦
この年賀状を読んで、これが酉年にちなんだエッセイだと気がついた人はほとんどいなかったようである。なにか知らない
が、正月早々、綿々と愚痴をならべていると思った人と、本当に体調をこわしていると勘違いして、お見舞いをくれた人が多
かった。実際は、体調はいたって快調なのに、検査の方が敏感すぎて、的外れの注意ばかり書いているのを皮肉っただけの話
である。
つづいて平成六年は戌年である。犬なら当時わが家にも一匹の駄犬がいた。
謹賀新年
わが家に一匹の駄犬がいる。名前はユリ。いかつい顔とドスのきいた声からはとても想像できないが、一応メスのそれもオ
バン犬である。一日二回の散歩と食事をのぞいて、彼女の楽しみといえば、垣根の下から一日中、通りを監視し、自分より弱
そうな小学生などが通りかかると、ふいに飛びだしてはワンと吠えて脅かすことである。
彼女の毎日を見ていると、全く悩みというものがないように見える。あす何をどうしよう、何を食べよう、何時に起きよう
などという計画性はもちろんなく、お金の心配をするわけでもなく、暴飲暴食はせず、必要なだけ食べたら残っていてもやめ、
体の具合がわるければ、絶食して小屋のなかにこもり、自然に回復するのを待つ。悠々自適とはまさにこのことである。私も
はやくそういう身分になりたいと思う。
皆様のご健康とご多幸を心からお祈り申しあげます。平成六年元旦
このはがきによりわが家の駄犬は一躍有名になった。会う人ごとに、お宅のユリちゃんは元気ですか、などと訊かれるよう
になったのである。しかしこのオバン犬も寄る年波とフィラリアには勝てず、最近、力尽きるように亡くなった。
さてつぎは、十二支最後の亥年である。猪も日常生活でふかい係わりのある方ではなく、やはりぼたん鍋くらいの連想しか
ない。
謹賀新年
猪に関連したことを書こうと思うけれども、あいにく猪にはまったく馴染みがない。猪ときいて連想するものといえば、せ
いぜいぼたん鍋か猪突猛進という言葉くらいのものである。
そのぼたん鍋にしても、独身時代に京都の貴船で一度食べたきりで、どうこう言う資格はないし、またそのときの相手が現
在の家内とはちがう女性だったとなると、あまり書かない方が無難である。
一方、猪突猛進という言葉も、そのエネルギーとスピード感において、私とは無縁である。私など猪どころか鈍牛の方で、
動きだすまでにやたらと時間がかかる上に、一旦動きだすと、死ぬまでとまらないという、厄介千万、慣性の法則を地でいっ
ているようなところがある。だがこれもひょっとすると、猪突猛進の一種なのかもしれない。
皆様のご健康とご多幸を心からお祈り申しあげます。平成七年元旦
猪と聞いてぼたん鍋くらいしか思い浮かばないようでは、イメージが貧困すぎて、この干支年賀エッセイもいつまで続くか
おぼつかない。どんなテーマであろうと、即座に幾通りにも料理して、すらすらと書けるようになりたいものだが、そう簡単
に書けるものでもなく、つぎの子年も苦心惨憺、青息吐息といったところである。
謹賀新年
ネズミのことを考えていたら、ふと「憎まれっ子世にはばかる」という言葉が浮かんできた。たしかにネズミは、伝染病を
媒介したり、農作物を食い荒らしたりと、あまりありがたい存在ではない。悪いイメージばかりが目立つ。わずかな救いは、
義賊・鼠小僧くらいか。
それはそうと、この諺よく考えると、「はばかる」という言葉が、解ったようで解らない。小学館の国語大辞典によると、
『「阻む」と同源で、後に、「はびこる」と混同され、また、幅を活用させたものの意識も生じた』とある。この説明も、解
ったようでもうひとつよく解らないが、どうも、ふさわしくない者が幅をきかせることらしい。
そういわれると、なにやら心当たりがないでもない。憚りながら、憎まれつつ世にはばかることでは、小生もネズミと同類
だろう。
皆様のご健康とご多幸を心からお祈り申しあげます。平成八年元旦
青息吐息、窮鼠猫をかむ状態だったが、それが逆によかったか、この辺でやっとずるくなって、本来の動物のイメージの呪
縛から脱却して、言葉の解釈の領域に逃げ込むすべを覚えたようである。これなら自分の土俵で相撲をとるようなもので、か
なり楽になってきたのも事実である。次回からは当然、この手法を生かすことになる。それでつぎは丑年である。
謹賀新年
下関から山陰へ向かって五十キロほど行った所に「特牛」と書いて「こっとい」と読ませる港町がある。向かいの角島が昔
から牧畜の盛んな所で、その牛を積み出すのに栄えた港である。当て字としても途方もない読ませ方ではあるが、牛に関する
言葉には、よく似た「こって牛」という言葉もあれば、広島県の北部には、雄牛のことを「ことい」と呼ぶ所もあるという。
きっと古代の韓国語かなにかにそういう発音の言葉があったにちがいない。
ちなみにその地方では、雌牛は「おなめ」、子牛は「べこ」と呼ぶそうだ。それは牛と我々との関係がもっと密接だったこ
ろの話であって、現在では牛と我々の係わりといえば、肉か乳製品か皮くらいしかなくなってしまったことは残念といえば残
念だが、牛にとっても気の毒なことである。
いずれにせよ小生は、今年も鈍牛のごとく牛歩の歩みを続けるのみ。
皆様のご健康とご多幸を心からお祈り申しあげます。平成九年元旦
下関はわたしの育った故郷である。丑年ときいてすぐ特牛を思い浮かべ、特牛のことを書こうと思っていた矢先、たまたま
読んだ山本素石の本で広島県北部のなまりの話を見つけ引用させていただいた。
この頃になると、毎年の読者も感づいてきて、意味のない屁理屈に慣れただけでなく、期待して待ってくれる人まで出てき
た。それでさらに気をよくして調子にのったあげく、つぎの寅年は最初から辞書の引用である。
謹賀新年
国語大辞典によれば、虎が三匹の子を生むと、その中には必ず豹が一匹まじるという。そしてその子が他の二匹を食おうと
するので、一家で川を渡るときなどは一考を要することになる。どうするかといえば、親はまず豹を背負って対岸に渡し、次
にもう一匹を背負って渡した帰りに豹を背負って戻り、残りの一匹を渡したあとで、また豹を背負って渡るのである。この故
事にちなんで、詰め将棋並の究極のやりくりを「虎の子渡し」という。
しかしもし、四匹以上子供がいたら、豹を縛りでもしない限り一家は川を渡れない。ひょっとすると、虎の習性として、四
匹以上の子を生む事がないのかも知れないが、いずれにせよ、大事なへそくりを見つかって、渡さざるを得なくなったという
ことではないようだ。転じて、苦しい生計のやりくりのたとえにもなっていて、これなら小生にも他人事ではなくなってくる。
皆様のご健康とご多幸を心からお祈り申しあげます。平成十年元旦
これでやっと六匹の動物をこなすことができたが、このあとにも「竜」などという恐い伏兵がひかえている。しかしまだそ
れまで二年ある。「案ずるより産むは易し」、おのずと道は開けるにちがいない。
今年も、年が明けてからある人に会ったら、おまえの今年の年賀状は何が言いたいのかと尋ねられた。その人は日頃から、
本を読んで文章を楽しむという習慣がなく、本というものは何かを勉強するためにだけ読むものだと思っているきらいがあっ
た。そういう眼でみれば、わたしの年賀状など、まったく意味のない、むだなおしゃべりに見えてもむりはない。もともとた
めになることを書くつもりなど毛頭ないのだから。
かと思うと、毎年、わたしの年賀状を楽しみにしていて、まず読んでから、すこし遅れて感想つきの年賀状をよこしてくれ
る人もいる。だがそういう人はごくわずかで、ほとんどの人には、唐人の念仏のようである。内田百閧フあの珠玉の随筆にた
いしても、「読めるけれども実益がない」と評した幼なじみがいるくらいだから、わたしの書くものなど読む気にもならなく
て当然である。
しかしその一方、鈍牛でもあり、また走りだしたら止まらない猪突猛進型でもあるわたしとしては、いったん始めたものを
今更やめるわけにはいかないのも事実である。これからも干支の動物たちにからむ孤独な苦闘を続けることになるだろう。