私 と コ ン ピ ュ ー タ

 

 今から三十五年も前、私の大学時代には、コンピュータはまだ非常に高価で大がかりなものだった。当然、個人で所有する

ことなどむりで、大学の計算機センターだけに鎮座していた。それがあっというまに小型化がすすみ、ミニコンピュータが現

われたと思うと、さらに中央演算装置が集積回路になったマイクロコンピュータも登場して、個人でももつことが可能になっ

てきた。

 そうなると社内でも、先輩や同僚たちのなかに、もともと電気や通信の技術屋集団だから、興味をもって研究しはじめる者

がでてきた。そしてこの傾向は加速こそすれ、減衰することはなかったものだから、そのうち社内全体に、技術職で入社した

ものはコンピュータを研究するのが当たり前のような風潮ができてきた。そんな中で、いつまでもコンピュータにそっぽを向

いている私に業を煮やした上司が、

「畑野くん、コンピュータを勉強しないと時代にとり残されるぞ」

 と、警告したこともあった。しかし私としては、コンピュータに対して、計算速度が速いだけで、そのほかに何ができるも

のか。私がすでに三十年以上、修行を続けているバイオリンひとつとっても、コンピュータに人間なみに弾けるはずがないと

軽蔑していた。

 そんな時、たまたまテレビで、日本語ワードプロセッサというものが開発されたというニュースを見た。今までの大袈裟な

漢字タイプライタとちがい、活字がなくても電気的処理で日本語が印刷できるようになったと聞いたときは、おおいに心が動

いた。すでに文章を書くまねごとを始めていたせいもある。欲しいほしいと思いつめた末、市場にではじめてまだ間もなく、

価格もかなり高価なときに、いち早く買いこんで、家庭争議をおこした話は以前にも書いた。

 それからもワープロはどんどん進化し、画像を挿入することもできれば、モデムをつないで通信までできるようになり、ど

んどんコンピュータに近づいていった。そして私は会社での文書作成などすべてワープロで処理してきた。また、私の初期の

随筆集である「そばの香り」と「続・そばの香り」もすべてワープロで書き、フロッピーの状態で出版社に渡した。

 ただ、当時の出版社は原稿をフロッピーで受けとることにまだ慣れていなくて、渋った末に、八インチのフロッピーなら受

け付けるということになり、三・五インチのフロッピーを八インチに変換するのに、シャープの本社に頼んだりと苦労をした

ものである。

 このようにパソコンには目もくれず、ワープロ一辺倒ですごしてきた私が、三年前の異動で経営企画室に移ったとたん、む

りやりパソコンを持たされる羽目になった。その部屋では社内のあらゆるデータや、経理的な数字などを、表計算ソフトで処

理することが多く、パソコンでなければ埒があかないというのである。

 それで仕方なくノートパソコンを買ったのだが、それならついでに家にも一台ということで、家にはデスクトップ型を買っ

て据えつけた。どちらも日本電気製で、ハードディスクの容量は八百十メガバイトだった。当時はこれが最大容量だったので

ある。

 ワープロ時代はキーボードのたたき方は我流そのもので、一字々々平かなで打っていたけれども、パソコンに乗り換えたつ

いでに、正規のブラインドタッチを覚え、ローマ字入力に切り替えた。その方が能率がいいという先輩の忠告に従ったのであ

る。そうしてみたら、一時的に入力スピードがぐんと落ちて、しばらくいらいらし通しだったが、慣れてくると、同じ文章を

打っても、叩くキーの数は多いはずなのに、両手をほとんど移動させる必要がない分、かなりスピードが上がったようである。

 会社でふだんよく使うソフトはまずアウトルックである。このソフトはメールのやりとりの他に、スケジュール管理、名刺

管理、メモ管理ソフトを統合したもので、非常に便利で、会社にいる間じゅう開きっぱなしにしている。そのほかには、ワー

プロソフトの「ワード」と表計算ソフトの「エクセル」をよく使うが、たまに作画ソフトの「ビジオ」を使ったり、プレゼン

テーションソフトの「パワーポイント」を使うこともあった。

 といっても、パワーポイントを使用したのは一度だけだった。

 社長がある会合でこれからの民放経営について講演をすることになり、その際、いま流行のパワーポイントをつかってスラ

イドを映したいということで、経営企画室がお手伝いすることになったのである。

その研究会にはソフトバンクの孫正義氏も、「デジタル多チャンネルで何を目指すか」という題で特別講演をするとあって前

評判も上々で、出席希望者が三百名を越えたため、会場を急遽ホテルニューオータニに変更するという一幕もあった。

作成したスライドの総数は二十九枚。大半は話の内容をその都度、個条書きに要約したもので、文字は、濃紺から明るいブル

ーに変化するグラデーションをバックに、見やすいように白抜きで黒のエッジつきに統一した。またグラフは棒グラフも円グ

ラフもすべて鮮やかなカラーの立体表示にし、さらに近畿地区の中継局配置図等の図面は、近畿全域にちらばった六十九の中

継局を、ビジオというソフトを使用して丹念に書きこんだ。

この二十九枚のスライドのチェンジは、社長からの合図をうけて、わたしがパソコンを操作したが、我々のあとに講演した孫

正義氏は、パソコンを演壇に上げて自分で操作したばかりでなく、見るからにその道のプロが作成したと思われるプレゼンテ

ーション画面に向かって、彼がマウスをクリックすると、画面のすみに並んでいた三頭の馬がいっせいに走りだし、追いつ追

われつしたあげく、一頭が群をぬいて勝った。自信家の孫氏によれば、その馬がJスカイBだということだが、もちろん効果

音としてひずめの音も入っていた。

その時の研究会では結局六人の講師が演説し、そのうち四人がパソコンを使用し、さらにその中の三人は自分でパソコンを操

作した。われわれの用意したスライドもそれなりにいい勝負をしていたと思うが、孫氏に負けたことはたしかである。そこで、

さっそくその時のプレゼンテーションを総括し、社報に発表する際に、以下の三点を「パワーポイントの三ポイント」と名付

けて、肝に銘じた。

    1.  
    2. 画像が動くこと
  • 二.すきな効果音がだせること

    三.パソコンは講師自身が操作すること

  •  この記事が社報に出てまもなく、エレベータで社長にお会いしたら、

    「パワーポイントの三ポイント、守りましょう」とおっしゃられた。

     会社でのパソコンの使い方はそんな所だが、家ではがらっと変わって、楽譜ソフトで楽譜を書いたり、地図ソフトを調べた

    り、インターネットで遊んだり、メールのやりとりをしたりということが主だった。

     楽譜ソフトは「アンコール」と呼ばれるもので、私が主宰しているABOBA四重奏団用になにかアレンジするとき、スコ

    アを書けばすぐに四重奏で音がでてくるので、今までのように下手なピアノでチェックする必要がなくなり、非常に重宝して

    いる。ただ、この機能を見つけたのは新たに最近パソコンを買い換えてからで、最初のパソコンにはこの機能がついていなか

    ったので気がつかなかった。

     さらにもうひとつこの楽譜ソフトの気にいっているところは、今までならスコアが仕上がると、演奏用に写譜ペンで各パー

    ト譜をあらためて書きなおさなければならなかったのが、スコアさえ書けばあとはワンタッチでパート譜に分解してくれ、し

    かもプリンタで印刷した譜面は市販の楽譜とかわらないほど美しいのである。

     地図ソフトというのは「マップファン」というソフトで、日本中のどこでもかなりの倍率まで拡大して調べることができ、

    旅行や出張に行くまえに事前に地理を頭に詰め込んだり、帰ってきてから、もう一度復習したりと、二重に楽しめるソフトで

    ある。

     会社のパソコンも、家のパソコンも買ったときは最新型だったが、なにしろパソコンの進歩ときたら日進月歩で、一年たつ

    とハードディスクの容量といい、速さといい少々見劣りするようになり、二年も使うともう前世紀の遺物のようになる。

     ソフトも面白い労作が次々に出てくるので、喜んで搭載していると、ハードディスクのあき容量が足りなくなり、しまいに

    動きがとれなくなってくる。それでも我慢してだましだまし使い、三年ねばったけれども、とうとう半年前に家のパソコンを

    まず買い換えた。

     今度はNEC製ではなく、ゲートウエイにした。なぜゲートウエイかという特別な理由はなく、ただ知人に薦められたから

    で、雑誌等で見ても評判がいいようなので決めたのである。OSもウインドウズ九五からウインドウズ九八に変わっていた。

     ところが今度のパソコンは、ほかはすべて快調なのに、なぜかインターネットが繋がらなかった。インターネットに接続す

    るためのこまかい設定については、前のパソコンのときに苦労しているから、まず間違いないはずなのにである。

     会社のノートパソコンを使ってメーカーのサポートセクションにメールを送り、ああでもない、こうでもないとやり取りし

    ているうちに、「それはモデムの不良です。すぐに交換に伺います」ということになり、数日後、交換担当者がわが家にきた。

     手際よくパソコンの横蓋をあけ、モデムを交換して、「さあどうですか」と言う。

     しかし、それでも結果は今までと同様だった。プロバイダにダイアルアップしようとするとエラーメッセージが出るのであ

    る。その担当者はうまくいかなかったという結果だけをゲートウエイに連絡して、「それでは、わたしはこれで」といって、

    そのまま帰ってしまった。

     彼はもちろんコンピュータの専門技術者だから、わたしのパソコンが今どのような状態にあるかはうすうす察しがついてい

    るはずなのに、そこまで面倒をみる契約にはなっていないということだろうけれども、さすがにコンピュータ社会は、義理も

    人情も通用しない世界のようだ。

     それから又、サポートセンターとのやりとりがしばらく続いた。

     そしてとうとう、ウインドウズ九八に欠陥があるかもしれないから、ハードディスクをフォーマットしてインストールしな

    おしてくれと言ってきた。簡単にいうけれども、これは結構、勇気のいる仕事である。ウインドウズ九八を入れなおすだけな

    らまだしも、フォーマットまでしなおすということは、せっかく今までこつこつといろいろなプログラムを覚えこませて賢く

    育てあげてきたのに、最初の赤ん坊の状態にもどせというのと同じである。

     意を決して作業にとりかかる。コンピュータからの指示に従って、言われるままに作業して、なんとか無事に書き換えに成

    功した。しかし今度も結果はおなじであった。それだけでなく、今度はディスプレイの画面が小さくなってしまった。今まで

    の四分の一ほどの大きさの画面がモニターの中央にでているだけで、見にくいこと夥しいのである。

     この問題だけでも、購入時に付属していたCD-ROMからこのシステムに最適なディスプレイアダプタを再インストールし

    なければいけないと解るまで又、二、三日かかった。もちろん本来の懸案はまだ解決していない。

     一向にらちがあかないので、ウインドウズ九八のくわしい参考書を買ってきて、インターネットの設定を一から確認しなが

    らなぞってみることにした。すると、なぜか「ネットワーククライアント」というソフトがどこにも見当たらないことがわか

    った。そういえばデスクトップ画面に、普通なら当然あるはずの「ネットワークコンピュータ」のアイコンもこのコンピュー

    タには最初からでていなかった。

     このコンピュータは買ったときに、ウインドウズ九八は搭載ずみという約束だったので、メーカーだから大丈夫と安心して

    いたが、なぜか「ネットワーククライアント」だけが抜けおちていたのである。ウインドウズ九八のCD-ROMからあらため

    て「ネットワーククライアント」をインストールして、やっと問題が解決した。

     ところでウインドウズ九八には、インターネットのホームページをつくるための簡易ソフト「フロントページ・エクスプレ

    ス」や、できあがったページをプロバイダに送りこむソフトである「ウェブ発行ウイザード」がもともと入っている。

     パソコンを最初に買ったときから、いずれ自分のホームページをもちたいと思っていたが、これだけ環境がととのってくる

    と、いよいよ始めざるをえないという気になってきた。なにを発表するかといえば、今まで自費出版した二冊の随筆集と、そ

    の後に書きためたものをすべてインターネット上に出したいと思っている。

     現在のインターネットは探したい情報を短時間に検索するにはいいが、長時間をかけてゆっくり何かを読むにはまだそれほ

    ど環境が整備されているとは言いがたい。一番のネックはNTTの回線料が高すぎることである。だがこの問題も、これほど

    インターネットが普及してくると徐々に改善されると思われる。そのうちにどこの家でもインターネットに四、六時中つなぎ

    っぱなしでも、たいした料金をとられないようになることであろう。これによって、随筆をインターネットで読む側の障害は

    かなり解消されるはずである。

     逆に発信する方の立場からみると、インターネットで発表するのは、自費出版するよりもはるかに効率的である。まず費用

    の点をくらべても、コンピュータさえあれば、あとはただのようなものである。実際、現在の大手のプロバイダは、加入者が

    あらたにホームページを開設する場合、五メガバイトまでは無料でサーバー上のメモリースペースを提供してくれるのが一般

    的になってきている。五メガバイトといえば、文字ばかりなら、本にして数冊分くらいはかるく収容できる。

     また、費用の点だけでなく、ものを書く者にとって一番大事な、いかに多くの人に読んでもらえるかという点でも、インタ

    ーネットの方が自費出版よりはるかに効率的なことはいうまでもない。日本語の読める人なら、世界中のどこからでも瞬時に

    覗きにこられるのである。これを利用しない手はないだろう。

     といってもどうしたらホームページが開設できるのかは、まったく判らない。ただ画像として凝るのでなく、文字主体のペ

    ージばかりにするつもりだから、それほど厄介にはならないだろうという予感はある。本来ならHTML言語というものを一

    から勉強するのが筋かもしれないが、それさえも省略しようと考えている。ウインドウズ九八には、ワードで書かれた文書を

    HTML言語に変換する機能が最初からついている。

     今まで書きためてきた文章は、シャープの書院フォーマットのフロッピーと、A四の用紙にプリントアウトした状態との両

    方ですべて保存してある。どちらを使ってパソコンに移すかと考えた末、用紙から手持ちのスキャナを使用して文字認識させ

    た方が手っ取りばやそうなのでそうすることにした。

     しかしこの方法は、文字認識の誤りで往生した。各行ごとに一字はどれかが間違っているのである。しかもその間違いが、

    漢字の外観は同じで、よく見ると中に収まっている部分が違っていたりして、見落としやすく、そのくせミスとしては重大な

    ミスになるもので、気が抜けないものだった。なにしろこの文字認識ソフトはスキャナを買ったときに、サービスでついてき

    たものだから、もともとその程度のものだったのだろう。

     スキャナをやめてフロッピーのテキスト変換の方にしようかと、迷いはじめたちょうどその時、この文字認識ソフトの会社

    からダイレクトメールが届いた。そこには、もう一万数千円だせば、現在のソフトの認識率を格段に高めたバージョンのCD-

    ROMを送りますと書いてあった。まったく賢い商売をするものである。当然、すぐに申し込んだのは言うまでもない。

     しかしこのソフトも完璧ではなく、やはり読み取りミスはあったが、今までよりはるかに少なくなったのは事実である。文

    章の取りこみに関してはこれで楽になった。つぎの問題は最初のページのデザインである。

     いくら文字ばかりのホームページとはいえ、最初のページくらいは読者の目をひきつける美しいものにしたいと思い、アル

    バムをひっくりかえした結果、以前、そばを栽培していた頃、畑で撮ったそばの花の写真をみつけた。ホームページのタイト

    ルは随筆集と同じく、「そばの香り」としたのでなにかそばに関連したものにしたかったからである。この写真の上に一行、

    おおきな赤字で「畑野 峻・随筆のページ」と書くとそれらしくなった。

     こうして自分のコンピュータのなかに溜めたホームページをウェブ発行ウイザードを利用してプロバイダに送りこんでみた

    が、所定のアドレスにアクセスしてみても、予定していた最初の画面が出てこなかった。この時点ではじめて参考書を開き、

    読んでいくうちに、最初の画面は、一番上位のフォルダーの中に、index. という名前のファイルでしまっておかなければい

    けないことを知った。あらかじめ勉強もせずに、すぐ取りかかるものだからこんな簡単なことでもつまずいてしまう。

     これでやっと最初に意図したホームページとなった。その後も毎日のように追加していって、現在は、随筆集「そばの香り」

    と「続・そばの香り」のすべての文章だけでなく、その後に書きためてきた文章をすこしずつ発表している。それ以外にも、

    私が主宰しているフルート四重奏団であるABOBA四重奏団の情報を提供するページもあわせて載せている。

     プロバイダに頼んでアクセスカウンタもつけてもらったので、毎日何人の人が覗きにきたか一目瞭然にわかる。今のところ

    一日にひとりかふたり見にくればいい方である。内容が内容なのでそれも仕方ないだろう。まあ、少なくてもいいから、徐々

    に着実にふえてくれればいい。私としては、これからもおそらく生涯、ホームページ上に新しいものを発表していくつもりな

    ので、あわてることはないのである。

     かってコンピュータ・アレルギーだった私が、今やコンピュータなしには夜も日もあけないほどとっぷりと浸かりこんでい

    る。以前、ある先輩が定年で退職するときに、老後の住まいをどこか信州あたりの山の中に移そうとして、あちこち物色して

    いたことがあったが、その先輩は、

    「今の日本なら、インターネットと黒猫ヤマトさえあれば、どんな山奥でも生活できる」

     と豪語していた。情報はテレビやラジオや新聞がなくてもインターネットでなんでも手にはいるし、ほしい物は黒猫ヤマト

    などの宅急便が運んでくれるというわけである。もちろん先輩は自分のホームページを開いているコンピュータの達人だった。

     その先輩の言葉にもたいして驚かないほど、すでにコンピュータに身も心も冒されている私としては、コンピュータと楽器

    だけ持って田舎か山に隠棲する老後にも捨てがたい魅力を感じている。

    (2000.2.11)