ボ ー ト 免 許
「四五一番、乙種合格」
試験官の声が試験場内に響きわたった。四五一番は私の受験番号である。と言っても昔の徴兵検査の話ではない。現在の話
である。
試験というのは四級小型船舶操縦士の免許試験で、学科試験の前に行なわれた簡単な身体検査の結果が乙種合格なのである。
私は今のところ至って健康である。それどころか毎日四キロ以上歩き、腕立て伏せなどもして少しは鍛えている。手足や指
の関節を、号令に合わせて数回曲げ伸ばししただけの身体検査で、人並み以下に評価される覚えはないのである。
原因は眼鏡にあった。確かに、遭難して海に落ちた時、眼鏡は邪魔にこそなれ、何の役にも立たないことは想像できる。
身体検査は乙種合格でも、合格には変わりなく、ただこの後の学科試験に何度も落第した場合に、身体検査免除の有効期間
が、甲種合格よりいくらか短くなるだけであって、学科試験に一度で合格しさえすれば、甲も乙も関係なくなるのだから、た
いした問題ではない。
私がボート免許を取りたいと思うようになったのは、自分専用の小さいボートを持ち、それに船外機を付けて、自由に好き
な所で魚釣りをしたいと思い始めたからである。今までは、船に乗っても船頭まかせで、自分の勝手にはならなかった。それ
にひきかえ今度は自分の船だから、釣れる釣れないは別問題として、全く自由である。この違いは大きいのである。
受験を思いたった六月の中頃、知人で既に免許を持っているA君に相談してみた。A君は先輩として親切に忠告してくれた。
「ボートの試験をしているのはみな、旧海軍の流れをくむ人達ばかりです。実技のときの口頭試問でも、主に見るのは人物で
す。挨拶をちゃんとして、問いにはハキハキと答え、わからない時はわかりませんと答えずに、忘れましたと答えるんです。
わかりませんと答えたら勉強してないということになるし、忘れましたなら勉強したけど忘れたということで、人間だからそ
ういうこともあると大目に見てくれます。今からだったら、夏までには取れますよ」
海軍流なら乙種合格も納得できる。
早速、電話帳で手近な教習所を探して、申し込みをした。大阪の繁華街のど真ん中で、川に浮かべた桟橋の上に事務所を構
えて、六十過ぎの教官がひとりで経営する教習所である。
教官はとてもそんな年とは思えないほど若々しいおじさんで、昔は大企業の経営するボート教室の先生をしたり、国家試験
の試験官をしたりしたそうだが、もともとサラリーマンが向いていない上に、試験官をやればたちまち受験生に情が移り、ほ
ぼ四千人の受験生を試験して、四千人全員、一度も落とさずに合格させてしまったという程、いい加減というか、情にもろい
人である。こんなことでは試験官は勤まらないと、自ら見切りをつけて現在の教習所を始められたそうで、経験豊富という点
では、これ以上の人はまずいないだろう。
学科試験の日程が七月二十六日と決まり、そのための講習が七月十七日に、一日かけて行なわれることになった。受講者は
十人ばかり、若い人がほとんどで、中年は私ともうひとり、頭をつるつるに剃った男性がいるだけである。
たった一日で、一般常識、船舶概要、航海、運用、機関、法規の六科目を講義するのだから、教官ものんびりしてはいられ
ない。テキストはあっても内容のこまかい説明は一切抜きで、試験に出そうな所にアンダーラインを引かせるだけである。
次々に出てくる用語がすべて初めて耳にするものばかりで、とても一度聞いただけでは覚えられそうにない。そのために試
験の十日も前に講習をし、あとはゆっくり自分で復習をするようにということらしいのだが、それにも拘わらず教官は、教え
る端から我々中年ふたりに、集中的に質問を浴びせかけてくる。年寄りはもの覚えが悪いからということらしい。
海図に出てくる記号で、錨の片方が欠けたようなマークを示して、これは何の記号だと私に聞く。さきほど教わったばかり
で、小型船が錨をおろす場所という意味は覚えているのだが、『小型船錨地』という言葉が出てこなくてウーンとうなってい
ると、
「そら、そんなことでは口述試検はだめや」とニヤニヤしている。もうひとりに向かっては、回転計は何の回転数を見るもの
かと尋ねる。
「エンジンの回転数です」とつるつる頭が胸をはって答えると、
「違う。エンジンのクランクシャフトの一分間の回転数ですと答えんとだめや。エンジンが回転したんでは、そんなボートに
は安心して乗ってられんやないか」
教官は見かけによらず面白いことを言う。それに話しも好きなようで、時間がないのにいつの間にか話が逸れては、よそに
行ってしまう。
「私は今までたくさん生徒を教えてきた。やっさんなんかも教え子や。あれなんか海は俺のもんや言わんばかりの大きな顔し
とるが、私の前じゃおとなしいもんや。あれは台本がないとよう喋らんが、私なんかこんな調子で口から出まかせにいつも喋
っとるんやから、口では誰にも負けん」
やっさんとはコメディアンの横山やすしのことらしい。
こうして大事な講習は、教官の独演会となって終わった。あとは自分で勉強するしかない。勉強の資料としては、テキスト
と問題集があるだけである。だが学科試験の問題の九割はこの問題集から出るそうだから、テキストを復習したあと、ひと通
り問題集に当たっておけば大丈夫だろうと高をくくった。
実際、学科試験は予想通りで、それほどの難問もなく、七月の末、合格が決定した。と同時に実技試験の日程が、八月十七
日の午前と発表された。
日程が決まれば、それに合わせて実技の講習日も決まる。ちょうど盆の最中の八月十四日に、若者ばかり三人の中に私がま
じって、四人で受講することになった。
実技にはボートの操縦ばかりでなく、船体やエンジンルームの点検、海図上での距離の測定、ハンドコンパスによる方位の
測定、ロープワークなどが含まれている。その内、ハンドコンパスは学科講習の時に見せてくれたので、今回は省略して、デ
バイダーを使って指定された海図上の二点間の距離を求める実習から始まった。
南北方向に緯度一分が距離にして一海里、一度が六十海里と決まっているから、海図上の二点にデバイダーの足を合わせ、
その開きを海図横の緯度尺の上に移し、海里に換算すればいいのである。
それが済めば、外に出てロープワークを教わる。短いロープを与えられ、それを係留用ロープの端の部分と仮定して、ハン
ドルやマストなど適当な目標を選び、それに結びつけるのである。
覚えなければならないのは五通りの結び方で、それぞれにクリート結び、ひとえ結び、もやい結び、まき結び、アンカー結
びという名がついている。これも家に帰ってゆっくり復習しなければ、一度では覚えられない。
次は点検である。やはり海軍式の名残か、点検する時は大きな声を出さなければいけないという。ふだん大声を出すことの
ない私には、声を出すことに非常な抵抗があるが、試験だから仕方がないと観念した。
「船体外部の点検を行ないます。係留よし。船首よし。甲板よし。左舷よし。推進機取り付けよし。船尾よし。乗船します、
船体安定よし。右舷よし。船体外部の点検終わり、異常なし」
これだけのことを順序をまちがえずに、しかも適切に行動しながら言わなければならない。すべて「よし」ばかりで、もし
良くなければどうするのだ、という心配が起こるけれども、誰もそこまで質問しないし、教官も説明しないから、素直に「よ
し」でいいようである、
もうひとつよく出る点検問題に、エンジンルームの点検があり、二人の受験者にどちらかひとつが当たるようになっている。
特に二人のうち、どちらかひとりが女性の場合は、必ずと言っていいほど、エンジンルームの点検が女性に当たるそうである。
そしていよいよ操縦である。小さなボートに教官と受講生四人が乗りこんだ。操縦席には若い順に座ることになり、私の番
は当然最後になった。
まず最初は、ゆっくりと前進する練習である。自動車のようにハンドルにあそびがなく、なかなか思うようにまっすぐ進ま
ない。風や波でも簡単に船首が振られてしまう。後進は舵ききが悪いために、もっとむずかしい。
直進がなんとか出来るようになれば、次は四十五度と九十度の変針である。教官が「左四十五度変針」と言えば、「左四十
五度変針します」と答えて、素早く左四十五度前方の目標を見定め、ゆっくり船首をそちらに向けるのである。九十度も同じ
である。
ここまではすべて微速でよかったけれども、次の百八十度変針は、高速の滑走状態で行なわなければならないらしい。これ
は少し怖い。川の上には、学生の練習している細長い手漕ぎのボートや、大阪市が走らせている水上バスが、ひっきりなしに
行ったり来たりしている。潜水艦のように背の低い水上バスが、目の前に現れるたびにへっぴり腰になる我々に、教官が、
「遠慮せんでもええ。向こうは最近走り始めたばっかりやが、こっちは何十年も前からここでやっとるんや」と言って大きな
顔をした。
目の前に障害物が多い上に、川幅も狭い。それだけでもヒヤヒヤなのに、高速の滑走状態でUターンなどして、ボートが転
覆しないだろうか。考えれば考えるほど怖くなる。操縦席に座っている若者も怖いらしく、ここという時に思い切って舵が切
れなかった。もたもたしていると、川幅が狭いから岸壁に激突する。教官が、慌ててレバーを中立にして、船を止めた。
「私だって船が惜しいから、壊れるようなことはさせん。もっと思いきり切らなあかん。あんたA型と違うか。そやろう。A
型が一番あかん」
とたんに後から誰かが、「ボクもA型や」と悲観したような声を出した。
「こういうことはB型が一番うまい。B型やったら平気で切りよる」
私はB型である。しかしこの際、それは黙っておいた。うっかり喋ってうまくいかなかった時、私自身だけでなく、教官も
立つ瀬がなかろうと思ったからである。
百八十度変針が済んで、そのまま高速で走っている時に、突然教官が、「右舷落水」と叫んだ。これは右舷側に誰かが落ち
たということで、試験の時は旗のついたブイを右舷側に放りこんで、落水者と仮定するのである。
その声を聞いたらただちに、「右舷落水」と復唱し、同時にエンジンを中立にして、ハンドルを右一杯に切る。これは船尾
を左に振って、落水者から少しでもスクリューを遠ざけるためである。そして右横を見て旗が見えたら、
「落水者確認。浮環投下。風下から救助に向かいます」と言う。言うだけで実際には浮環を投下しない。投下すれば、それを
取りに行く手間がよけいにかかるからだろう。
風下という言葉も、試験場では暗黙のうちに、川下と考えていいことになっている。したがって、その時の位置が旗の川下
なら、そのまま旗に向かい、川上なら一旦川下まで廻りこみ、それから徐々に接近する。旗が目の前に来たら、後にいるもう
ひとりの受験者に、「救助願います」と言う。後が旗を取り入れたら、「救助しました」と返事し、それを聞いて操縦者は「救
助完了」を言う。これが人命救助の手順で、後の受験者との連係プレーで試験されることになる。
人命救助がひと通り終わると、教官は川のまん中に、川筋に沿って一直線に、ほぼ五十メートル間隔で、三個の黄色いボー
ルのようなブイを打った。このブイの間を高速で蛇行しながら通り抜けるらしい。しかもただ通り抜けるだけでなく、三個の
ブイの並んだ延長線上からスタートして、延長線上に抜けなければならないと言う。そのためには蛇行に入る前に、延長線上
にある向こうの目標を素早く見定めておかないと、蛇行し終わったあと、どちらに向かって走っていいか解らなくなるのであ
る。
これにも一連の発声がともなっていて、教官の「蛇行しなさい」に対して、「蛇行します」に始まり、「右から入ります」
と「蛇行完了」を言わなければならない。
すべての動作に「完了」はつきものだが、特に蛇行の場合は、傍で見ていてもはらはらすることをやるのだから、本人の緊
張は極限に達し、通り抜けたあとは放心状態で、声を出すことなど思いも寄らないのである。教官は「完了」の言葉を待って、
じっとこちらの顔を見つめるのだが、それも気づかないほど頭の中が空っぽになってしまう。
私など免許を貰っても、こんな荒っぽい操縦をするつもりはなく、小さな船外機をつけたボートでボショボショと走るだけ
なのだから、そういう事情を話して、何とかこの荒っぽい百八十度変針や蛇行を免除してもらえないものかと、本気で考えた。
そして最後に残ったのが離岸と着岸で、これは当然微速で行なうのが原則だから、蛇行などに比べるとずっと気が楽であっ
た。
四人の受講者が交替で操縦席に座り、ひと項目につき二、三回ずつ練習して、その日の講習は終わった。余り緊張しすぎた
せいかぐったりと疲れ、帰りの電車で、毎日見なれているはずの景色が、一瞬どこだか見当がつかなくなった程だった。
三日後はもう試験である。自信がない上に、その日一日で、ボートに対してすっかり怖じ気づいてしまった私は、実技試験
の圧迫感に押しつぶされそうになった。
だがその圧迫感も三晩寝るうちには徐々に薄らいで、本番の日には、「又、乗ってみるか」という気になっていた。天気も
いいし、風もない。当たった試験官も若くて感じのいい人のようだ。物の言い方も丁寧だし、いつもニコニコしている。
点検やロープワーク、コンパスによる方位測定などの実技が済んで、口述試検となった。
この若い試験官は、私が何か答えるたびに、ニコニコしながら私の答を復唱する。どんな答を出しても一切変な顔をしない
から、ひょっとすると私の答はすべて合っているのかも知れないという気がして、何となくいい気分になる。
少し気を許しかけた所で、ドキリとするような問題が出た。
「エンジンには海水による腐食を避けるために、犠牲金属という物がついていますね。これがどうなったら交換しなければな
りませんか」
この犠牲金属については教習所でも習わなかったし、テキストもそこまでは触れていなかった。ただ二、三日前に、メーカ
ーの手違いで検査も受けずに早々にわが家に届いた船外機の説明書に、そんなことが書いてあったような気がする。その程度
だから当然、答の見当もつかない。こういう場合は例の知人の忠告通り、「解りません」ではなく、「忘れました」と答えた
方がいいのかも知れないが、私にそんな器用な嘘はつけない。それまで順調にきているつもりだから、ここで一問くらい捨て
てもどうということはない、という余裕もあった。
ところが意外にもこの感じのいい試験官は、私の答に対して益々感じよく、
「解りませんか。そう言わず、そこを何とか」と、助け舟まで出してくれたのである。そこまで言ってくれるならと、私も感
激して、
「それなら当てずっぽうで、五ミリまでちびたら」と答えた。
船外機に装着する金属なら、せいぜい厚さ一センチくらいの物だろう。それが半分にちびたら交換するとして、五ミリと答
えたのである。この答は、あとからもう一度、船外機の説明書を読み直した結果、間違いであった。
説明書は日本語と、それ以外にも四ヵ国語で書かれていて、日本文の所には、腐食したら交換しなさいとしか書いてなかっ
たが、英文の方には、はっきりと、金属部分の三分の二が腐食したら交換するように、と書いてあった。
こんな調子で口述試検を終わり、いよいよ実地の操縦となった。まず型通りに前進と後進があり、次に増速して、滑走状態
になったと思うと、左四十五度変針をして、すかさず右九十度変針をしろと言う。これは語が少し違う。練習では四十五度と
九十度の変針は、微速状態で行なっていたのである。高速で走っている時に、矢継ぎ早に、やれ四十五度、やれ九十度と言わ
れては、教わった手順を思い出すことはおろか、目標を確認する余裕もない。無我夢中で、いい加減な変針をしてしまった。
その点、百八十度変針の方は、最初から高速で練習していたので、覚悟ができている。そのくせ高速で練習していても覚悟
ができていないのが、蛇行である。案の定、本番で緊張しすぎて、事前の目標確認も忘れ、何が何だか解らないうちに、終わ
ってしまった。
こうしてひと通り私の実技が終わった所で、もうひとりの相棒と交替して、私は後の席で見学の立場となった。と言っても
後向きに座らされていて前は見えないから、後を見ながら、試験が終わったばかりの解放感を満喫した。あとは人命救助の時、
旗を投げたり拾ったりすれば、私のつとめは終わりである。
その人命救助も無事に終わり、最後の山場である蛇行に入るために、ブイに向かって船を移動しはじめた時である。試験官
の「ちょっと待ってください。何だあれは」という声にはじめて振りかえると、目の前の川面が何だか雑然としている。もと
もと今日は夏休み中で、朝から学生達のボートがたくさん練習していたのだが、そのうちの一艘が真中から真ふたつに折れて、
乗っていた十人ばかりの学生が、川面に首だけ出して浮かんでいるのであった。放心状態で、泳ぐ気力もないようである。
早速、試験を中断して、本当の人命救助をすることになった。試験官はわれわれふたりに指示を与えながら、甲板上を走り
まわっている。そして私に向かって、「浮環用意」と言った。
試験の人命救助では、私も格好よく、「浮環投下、救助に向かいます」などと言うけれども、それは口だけで、実際には投
下しないから、いざとなると浮環がどこにあるかさえわからない。又、見つかっても、狭いスペースに無理につめ込んである
から、あわてているとなかなか取り出せない。ガタガタ言わせていたら、
「あわてなくても、死にはせんから大丈夫です」と、試験官の声がとんできた。それでやっとこちらも落ちついて、取り出す
ことができた。
ほかの二隻の試験船も手わけして、落水した学生をひとり残らず救助し、壊れたボートとともに岸まで送り届けた。だがこ
のとき不思議なことに、救助された学生からも、岸で作業を見まもっていた学生からも、ありがとうの声がひと言も聞かれな
かった。どちらでもいいことだが、ひょっとしてあとから菓子折でもさげてお礼に来るのだろうかと、余計なことまで気にな
った。
それはともかく試験の方は、得がたいハプニングの付録がついたものの、ひとまず終了したのである。
すんだ当初は、まあまあの出来だろうと気楽に構えていたが、あとから一問一問思い出しては、テキストを調べ直していく
うちに、段々不安になってきた。日を追うごとに、間ちがい箇所がふえてくるのである。
海図上に示された灯台には、灯光の光り方や色や周期だけでなく、灯台の高さから光の到達距離まで、すべて記号で明示さ
れている。それを読むのは、少しなれれば何でもない。当日も、この灯台の問題がひとつ出た。
試験官が海図上のある灯台をさして、この灯台の色は何色がときく。そんなことは至って簡単で、白ならw、赤ならr、緑
ならgと、どこかに書いてあるはずである。ところがその灯台に限って、いくら目を凝らしても、そういう文字は見当たらな
かった。
内心の動揺をおさえながら、ひょっとして港の入口にある右舷浮標と左舷浮標なら赤と緑に決まっているから、それで省略
してあるのかも知れないと思いついた。示された灯台の位置から言って、右舷浮標と考えられないこともないので、苦しまぎ
れに「赤」と答えると、試験官は例によって感じのいい笑顔で、「はい、赤」と言った。
あとでテキストをもう一度、丹念に読みかえしてみると、灯光についての説明のところに小さく、「但し白だけの場合はw
を省略する」と書いてあった。やはりあの笑顔は曲者だったのである。
こうなると、結果は予断をゆるさない情勢となってきた。試験官がよほど甘ければ別だが、あの笑顔はそんなに期待できな
い。そして八月二十七日の発表日、電話の向こうの声は、極めて冷たく不合格を告げた。
覚悟の上とはいえすこし落胆する。しかし落胆ばかりもしていられない。なにしろわが家には、すでに早々と注文していた
ボートと船外機がもう届いているのだから、何としてでも合格しなければならないのである。
その日のうちに再受験の申請をした。今朝電話にでた女事務員は、受験料を受けとりながら、「つぎはぜひ合格してもらわ
ないと困ります」と冷やかに言った。一回で合格した人も、五回落ちた人も、教習所としては教習料は同じだから、落ちるた
びに補習でボートに乗せていては、商売にならないということなのであろう。
これを聞いて私は、今度は是が非でも合格するよう、背水の陣で臨む決心をした。
再受験を申し込んでから半月以上たった九月十六日、やっと次の試験日が発表された。 十月七日である。これで夏の間に
免許を手にすることは、完全に不可能となった。だがそれはもういい。合格することが先決である。
それからは毎晩、テキストを隅から隅まで何度も読みかえし、どんなに細かいことも見落とさないよう注意した。これをひ
と月続けているうちに、海上衝突予防法であれ、海上交通安全法であれ、どこを突つかれても大丈夫だという自信ができてき
た。又、操縦の方も、試験の前々日に、補習で二時間ほど乗ったことにより、相当に余裕ができてきた。
試験当日は台風二十四号の接近が心配されていたのだが、夜のうちにどこかにそれたのか、起きてみると風がすこしある程
度で、空はよく晴れていた。これならひと安心である。荒天のもとでの受験だと、操船も思うようにならず、何より気分的に
鬱陶しい。
背水の陣で臨むためには、前回の失敗を繰り返してはならない。蛇行の際の三つのブイの延長線上の目標など、何もその瞬
間でなくても、試験前に確認しておくこともできるのである。
試験の行なわれる日には、早朝から川面に三つのブイが並んでいるのを、毎朝、通勤のとき、電車で試験場の川の上を渡る
際に、見て知っている。
それで当日はすこし早めに家を出て、桜宮公園でブイを一直線に見通せる場所をさがし、延長線上にある目標を確認した。
それは形を見ても何かわからない建造物だったが、わからなくても形さえ覚えておけば、用は足せるから構わない。
準備万端ととのって、試験がはじまった。今回の試験官は、前回とは反対に、いかにも気むずかしそうな試験官である。
船体外部の点検のとき、うっかりして右舷と甲板の順序を逆に言ってしまったが、それは問題にならなかったようである。
そして次のロープワークは、クリート結びだった。
クリートというのは、両端に突端の出た小さな金具で、甲板などに固定されており、これにロープをS字型に巻きつけて係
留する道具である。
簡単だと思って結びはじめたが、最後のしめくくりの所でハタとわからなくなった。確かこうだったと思い出しながら結ん
でみると、結び上がりがどうも違うような気がする。もっと自然な、模様のように仕あがるはずなのだ。首をひねっていると、
試験官が、
「はいもうだめです。時間です。ごまかしてもだめです。こうでしょう」と言って、反対にひねった。すると、とたんにきれ
いな結び目ができた。
これで一度に意気消沈してしまったが、その後の方位測定や口述試検が割にうまくいったために、再び気をとりなおした。
どうも今回は、試験官の気むずかしさが逆に幸いしているような気がする。こちらが少しいい加減なことを答えかけると、
この試験官はすぐに、「ええっ、そうですか」などと大声で聞きなおす。それでこちらもすかさず軌道修正して、すぐに言い
なおすと、「そうでしょう」となるからである。しかし一問だけこの手が通用しなかった。
海上衝突予防法で、避航船が、やむを得ない場合を除いてしてはならないのは何か、という問題の時である。
二隻の動力船の針路が交差していて、そのまま行げば衝突の可能性がある場合、進行方向の右手に相手の船舶を見る船を避
航船と呼び、もう一方の船を保持船という。海上衝突予防法では避航船は保持船の針路を避けて航行しなければならず、保持
船はその針路と速力を保持しなければならないとなっていて、避航船に関して、別に何々してはならないという規定はない。
それに対して保持船の方には、避航船が適切な動作をとっていないと判断した時には、衝突を回避するための動作をとること
ができる。その際、やむを得ない場合を除いて左転してはならないとなっている。
この罠にまんまとかかって、ひと言、「左転してはならない」とつぶやいたのが失敗だった。
「そんなことはないでしょう。前を突っきってはいけないんでしょう」と、さきに答を言われてしまった。聞いてしまえば当
たり前の答だが、さきに言われては万事休するのである。
それにしてもこの試験官は、すべて白黒をはっきりさせてくれるので、自己採点には好都合である。その採点によれば、口
述試検の問題の、十問近い問題の中で、失敗はそれだけで、外はすべてうまくできたようである。
その中には、今日の日没は何時かという問題があった。日没や満潮、干潮の時間については毎回きかれるようで、教習所の
教官からも、前日の新聞をかならず見て覚えておくように、と言われていた。もし覚えられなかったら、手のひらに書いてお
けばいい、と悪知恵も授けてくれた。それを真に受けて、本当に書いてきた受験生は、今朝、受付で受験票を提出するときに
見つかって、
「君、その手の青いの消しときたまえ」と注意された。
操縦の方も、二回目ともなると度胸もつき、あらかじめ目標を確認しておくなどの余裕もできたせいか、たいした問題もな
くコースを終了した。ただ、高速の滑走状態で前進する時に、「このままよしと言うまで勝手に走り続けてください」と言わ
れ、喜んで走らせていたら、いつまでたってもよしと言ってくれず、そのうちに今まで来たこともない上流まで来てしまい、
すこし不安になりかけた頃、
「あなた、それは違反ですよ。三千回転と言ったら三千回転で走ってください」と叱られた。すこしオーバーしていたらしい。
今朝の説明では、「前後百回転やそこらの誤差はかまいません」と言っていたけれども、説明する人と試験官がちがうのだか
ら、そういうこともあるだろう。
それにしてもこの試験官は、すべてきっちりしないと気がすまない性分らしい。私もきっちりするのは嫌いではないから、
そういうことならと、以後はたえず回転計を見ながら、正確な三千を維持した。
操縦に関して注意されたのはそれだけで、変針や蛇行も今回はうまくいった。あとは、上陸して桟橋に船を係留したら終わ
りである。
係留するときのロープの結び方は、船をつける場所によってちがい、前回は係留する相手が金属のリングだったから、もや
い結びでよかったけれども、今回はよりによって、又クリートに当たってしまった。今朝の失敗は、右にひねってロープの端
をとめるところを、左にひねったせいである。今度はまちがえずに右にひねるつもりでいたのだが、なぜかこの時もうまくい
かなかった。ぐずぐずしているうちにせっかちな試験官が又、「もうだめです。時間です」と言って、試験を打ちきってしま
った。
簡単だと思っていたクリート結びが、二回もできなかったという屈辱感で、私の気持ちは急速に悲観的になっていった。今
回も落ちるかも知れない。
だがその後、毎日のように、試験の模様を思いだしては反省してみても、前回のように「しまった」と思うところが出てこ
ない。それどころか、車で海岸線などを走っていて、海上に黄色いブイが浮いていたりすると、無性に蛇行したくなった。以
前のように蛇行が怖いというのではないから、これは私がボートに慣れた証拠にちがいない。
八日後の十月十五日が結果の発表日で、十一時頃に教習所に問い合わせればいいことになっていた。
当日はたまたま会社も休みで、天気もよかったので、朝から畑に出てみた。この時期は冬支度で、畑もなにかと忙しいはず
である。やはりご隠居さんがさきに来ていて、そばの収穫をしていたので、それを手伝って、発表前の落ちつかない気持ちを
まぎらした。
十一時前に家に帰り、おずおずと耳に当てた受話器の向こうの声は、前回と同じく事務的で冷たかった。ただ違うのは、今
回は合格だということである。
その日の午後、ご隠居さんと連れだって、武庫川河口沖の一文字波止に、太刀魚釣りに出かけた。目的の太刀魚が釣れだす
のは日没前後で、それまでは小鰺のサビキ釣りでもと思ってきたのだが、まわりを見ると、釣れているのは小鯖ばかりである。
小鯖では釣る意欲もわかないし、ぼんやり海でも眺めることにした。
と言うのは、今日はここに上がった瞬間から、海や船に対する見方がいつもと少し違っていた。ふだん何気なく見すごして
いたものが、すべて意味をもって見えてくるのである。あの灯台はなぜ赤なのか、あの船はなぜあのコースを走るのか、あの
音響信号はどういう意味なのか、とすべて勉強したことばかりで、何度もきている所なのに、初めてきた所のように新鮮で、
興味が尽きないのである。淡路島に向けて快走するモーターボートがあれば、自分がそのボートを操縦しているつもりで、水
平線のかなたに見えなくなるまで、しばし夢想をもて遊ぶという具合であった。
やがて日が沈み、あたりがうす暗くなって、あちこちで太刀魚が上がり始めても、まだ私は夢から覚めなかった。それどこ
ろか益々深く、夢想の世界に溺れていった。目の前を行きかう船に、明かりがついたからである。
私の目の前を右から左に横ぎる船は、左舷灯の赤だけが見え、逆に左から右に横ぎる船は、右舷灯の緑だけが見える。しか
しそれも、私の目の前から二十二度三十分ほど行きすぎると見えなくなって、船尾灯やマスト灯の白だけになる。又こちらに
向かってくる船は、赤と緑の両方の舷灯が同時に見える。
学科の講習で習った通りに、まっ暗な海で相手の船体は見えなくても、明かりの見え方で、その船が自分に対してどういう
向きにあるかが解るのである。
私が夢想に耽っている間に、ご隠居さんは続けざまに三匹釣りあげたようだった。だがその時の私には、もうそんなことは
どうでもよかった。私の心は、この広い海を手中におさめたという幻想で、有頂天になっていたのである。リールを巻く手に
も意識はなく、ただ朦朧とかすんだ視野の中を、赤や緑の灯が交差しながら行きすぎるばかりであった。