ワ ー プ ロ の 効 用

 

 ワープロというものがはやっている。最近は印字の美しさの点でも、従来の邦文タイプライターに負けないくらい進歩してき

たが、その他の点では文句なしに便利になっている。漢字や熟語などは、ワープロ自身が辞書を内蔵しているので、容易に読み

出せるし、打ちこんだ文章はブラウン管上で推敲して、自由に削除したり、挿入したりできる上に、自動的に編集されるので、

そのために行が乱れたりすることもない。更にでき上がった文章は、一枚の磁気ディスクに記憶させておいて、いつでも必要な

時に取り出して印字することができる。私のこれまでのエッセーなどもすべて打ち込んで、一枚の磁気ディスクに収めてある

が、手帳に書きつけたものをワープロで清書する時に、もう一度推敲できるという利点もある。

 欧米などではタイプライターが日常的に使われているようで、手紙を書くのも、作家が原稿を書くのも、すべて直接タイプラ

イターに向かってやっているのをよく見かけるが、それでもラブレターなどをタイプライターで打って出すと、まず読まずに破

られるそうである。やはり愛する人や、大事な人に何か伝えたい時は、手書きでないと本当の気持ちは通じないようである。

 あるパソコンメーカーのキャッチフレーズに「想いつづれるMSX」というのがあったが、これなどは実情を知らない人間が

考え出した、無責任な宣伝文句と言わざるをえない。しかしあまり大事でない人に、事務的に何かを伝達するためには、これほ

ど便利で手頃なものはない。

 私もワープロによって、そういう意味の気持ちの伝達を二回ほどやって、どちらも成功した経験がある。まず最初は大津の坂

本のあるそば屋での出来事である。

 今年の二月、そのそば屋で昼食に鳥なんばんを食べた時、あまりに旨かったのでおみやげに三人前包んでもらい、タ食の時、

家族全員あつめて、昼と同じ鳥なんばんを作るつもりで箱を開けてみると、中のそばはすでに茄でたそばであったということが

あったので、その時の持って行き場のない気持ちを「鳥なんばん」と題する短い日記風エッセーにまとめておいた。そのエッセ

ーをワープロで小さい紙切れに打ち出して、先日そのそば屋へ行った時に、それとなく給仕の女性に手渡した。その女性はレジ

の所で読んでいたが、すぐにそれを持って奥へ入って行った。しばらくして奥から、ふだんあまり見かけない、若くて上品な女

性が顔を出し、私の方に近づいて来て、

「先程エッセーを頂きましたのは、お宅様でしょうか。その節は大変失礼いたしました。御注文をお受けした時に、店の者がど

ちらにするかお聞きしなかったでしょうか。それでしたらまったく私どもの手落ちでございますから、本日お帰りの際に、生そ

ば三人前お持ち帰り下さい」と丁寧に挨拶されたが、その時はそのまま日本海の方に、釣りに出掛ける途中だったので、その申

し出は辞退申し上げた。

 次の二回目の相手は、小学校六年生になる長男の担任の先生である。

 先日長男に俳句の宿題が出て、一所懸命苦吟しているのを見かねて、一緒に考えてやったことがあったが、やっと出来た息子

の俳句が、あまりにお粗末だったので、私の作った方を持って行かせた。子供の作としては少し出来が良すぎるので、先生が必

ず何か言う筈だと期待していたが、数日後にノートを返してくれた時に、先生は何も言わなかったそうであった。

 その時の苦労の過程と、先生の批評に対する期待と失望を「息子の句作」と題するエッセーにまとめ、最後にひとこと「全く

やりがいのない先生である」という言葉で締めくくった。これをワープロで打ち出したものを、息子を通してその先生に手渡し

てもらったところ、数日後やはり息子を通して、手紙が返って来た。但しこれはワーブロではなく手書きであった。

 その中で先生は、つい忙しくてろくに目も通さずに返してしまったが、ひとつの句をめぐって親子でそのようないきさつがあ

ったとは想像もしなかった。やはりきっちり評価してやらないと、子供達にとりはげみにならないと反省いたしましたと書いて

あった。

 このようにワープロというものは、使いようによっては非常に便利なものであって、これがはやるということは結構なことだ

と思うが、余りはやりすぎて世の中に、大事でない人ばかり増えるのは困る。