私   と   徒   歩

 

 最近、人としゃべっていると、「齢のせいか足腰が弱くなって」ということを時々耳にするようになった。私自身も以前、そ

のように感じていた時期が一時期あった。

 確かに齢をとれば、足腰が弱ってくるのは事実であろうが、私のまわりでそんなことを言っている人達は、まだそれ程の齢で

はない。鍛えないから弱っただけのことである、と考えるようになった。

 三年前の秋に、家族で奈良の室生寺に行った時、奥の院までの五百段ばかりの石段を往復しただけで、私は疲れきってしま

い、帰りの車を運転する元気もなくなった。それなのに家族は皆、平気であった。その時はじめて私は自分の齢を意識したので

あるが、今思うと、それは齢のせいではなかったようである。

 その年の冬は近年にない異常寒波の年で、わが家の近くでもよく雪が積もった。ある朝起きてみると、あたり一面の銀世界

で、とても車を動かせそうにはなかった。たとえ団地の下の国道まで歩いて降りたとしても、バスは道路凍結のため動いていな

いと言うし、まったく雪にとじ込められて、通勤手段がなくなった。

 休んでしまえば簡単であるが、そうはしたくない。そこで仕方なく登山靴を履いて、最寄りの国鉄の駅まで、小一時間かけて

山道を歩いた。それでその日は、何とか会社を休まずに済んだのであるが、そんなことが数日も続くと、逆に習慣になってしま

い、雪がなくなってからも、歩かないと何かもの足りない気がしてきた。それでその習慣は、それ以後も続けることにした。

 駅までの道は、距離にすると四キロを少し越える位で、最初は小一時間かかったのが、今は四十分程で歩いている。その殆ど

が緩やかな下り坂で、途中で一箇所、峠があるだけである。四十分のうち最初の十五分ほどは舗装された農道で、今どき大阪府

下にこんな所があるかと思われる程の、のどかな田園風景を楽しむことができる。次の十五分でいくつかの団地のそばを通過す

ると、最後の十分間はきれいに整備された遊歩道である。

 全行程中で車に出会うことはまずないが、人間には、毎朝決まった顔ぶれの数人に出会う。その人達とは、会う度に会釈を交

わす人もいれば、交わさない人もいる。

 これまでにもう二年以上歩き続けたことになるが、歩いていると季節の変化が敏感に肌に感じられて、結構楽しいもので、特

にコースの終わり一キロばかりの遊歩道は、通る人も殆どなく、自然観察には絶好の環境である。

 遊歩道の春は、うぐいすの初音で始まる。冬の間、舌打ちをするような調子で、小刻みにさえずっていたのが、まともに鳴き

始めると、いよいよ春の始まりである。その後ひと月もすると、今度は、道に沿ってきちんと整列した、熊蜂の出迎えを受ける

ことになる。期間としては、ほんの一週間程の間であるが、空中に、一列縦隊に整列した熊蜂の群れに、胸から体当たりしてい

くのは、かなり勇気がいる。

 夏は、強い陽射しを遮る木蔭がなく、汗をかきかき、むんむんする草いきれの中をつき進むが、秋にはあたり一面真っ赤に紅

葉して、身も心も美しい紅に包まれる。又冬は、餌のなくなったうぐいすや百舌、ひよどり、つぐみ、ほおじろといった野鳥た

ちが、遊歩道沿いの薮の中を飛びまわって、目を楽しませてくれる。毎日歩いていても、全く退屈する暇がない程であるが、あ

まりよそ見ばかりしていると、ウインナー・ソーセージほどもある大きななめくじを踏みつけることもある。

 ところで肝心なことは、二年間歩き続けて、私の肉体にどんな変化が起こったかということである。私はもともと痩せ型なの

で、歩いたために腹がひっ込んだなどということは勿論ない。ただ確かなことは、病気をしなくなったことである。とは言って

も、私は根がいやしいので、食べなくてもいいものを食べて、おなかをこわしたりすることはたまにあるが、風邪をひくことは

なくなった。又、足腰が格段に強くなって、少々の山登りでも、以前のようにへこたれなくなった。

 歩き始めて半年程たった頃に、会社の同僚の何人かが、私の体力を試そうという魂胆に違いないが、京都から琵琶湖まで、歩

いて比叡山を越える計画を立てた。それだけでは私が来ないかも知れないと思ったのか、下山の時、延暦寺から大津の坂本に下

りて、坂本のそばを食べるということで、私を誘い出そうとした。私も、そばまでおまけについては断ることができず、まんま

と敵の手に乗ることにした。

 登りは修学院離宮横から、通称「きらら坂」と呼ばれる、割りあい急な道を登ることにした。この道はその昔、剣豪宮本武蔵

が一気にかけ登った、と言われて有名であるが、私は剣豪ではないので、かけ登ることは勿論できない。しかし日頃の鍛練があ

るので、人よりはやく登ることはできる。それでつい先頭に立って登ったら、後で、「先頭がはや過ぎる」と、苦情が出た。

 そのせいかどうか知らないが、下りで膝が笑いだした者や、翌日、足の筋肉が痛くて歩けなかった者もいたようだが、私はさ

いわい何の故障も起こらず、日頃の鍛練の成果を十分に実証することができた。

 坂本のそばが人一倍うまかったのは、言うまでもない。