ペ ッ ト の 死

 

 今朝出勤の途中、道の上にセキセイインコが一羽、羽根を食いちぎられて死んでいるのを見た。どこかの家から逃げてきたと

ころを、運悪くそこらのいたちか猫にやられたのであろう。一度人間に飼われたペットが、自然界に復帰することは簡単ではな

いようである。

 もう十年も前になるが、晩秋のある朝、高架になった駅のホームで電車を待ちながら、目の前の、刈り入れが終わったばかり

の田んぼを見おろしていたら、その中から雀の群れが飛び立った。見るともなくぼんやりと眺めていると、青や黄の色がちらち

らしてなにか変である。良く見ると、その群れの中に一羽のセキセイインコが交じって、野性の雀達と行動を共にしていたので

ある。その時は何かほほえましいような可笑しさがあったが、今朝のような場合は痛ましい。

 わが家でも現在、雑種の駄犬を一匹と、釣ってきた鮒を数匹飼っているが、先日ペットショップに、ドッグフードと水槽用の

エアポンプを買いに行ったところ、ドッグフードを車のトランクまで運んでくれた主人が、トランクの中に納まっている私の釣

り道具を見て、

「釣りをやられるのですか。一度海水魚を飼ってみて下さい。面白いですよ。人工海水も置いてますから」と言った。

 しかしペットを飼うということは、必ずその死に目に立ち会う覚悟がなければならないので、そう簡単に飼えるものではな

い。

 数年前の春、わが家の居間の天井裏からピーピーとばかに騒がしい音がするので、上がってみたら、生まれたばかりの雀の子

が迷い込んでいた。全身うぶ毛に被われていて、いかにもか弱い感じであった。掌につつんでみると、心臓が破れるほど鼓動し

ているのが、はっきり感じられた。飛ぶことはおろか、跳ねることもまだ出来ないようである。放っておけば死んでしまうの

で、籠に入れて飼うことにし、名前もチュンと名付けた。

 餌は食パンを牛乳に浸したものを、箸の先に少しずつ付けて、口の中に押し込んでやるとよく食べる。そうして毎日続けてい

ると、積極的に餌をねだるようになった。数時間留守をした後などは大騒ぎである。また、飛べるようになってからは、たまに

外に放してやっても、ちゃんと帰ってきた。こうなるとわが家のアイドルで、「チュンちやん、チュンちゃん」と呼ばれて、み

んなに可愛がられた。

 餌の方は、いつまでも食パンと牛乳ではどうかと思われたので、ある日突然、小鳥用の粟に切りかえてみた。すると心なしか

元気がなくなったように感じられたが、餌のせいと決まったわけでもないので、しばらく様子を見ることにした。

 その翌朝である。私がまだ寝ている枕元に長男がやって来て、

「お父さん、チュンが死んだで」と低い声で言った。

 それを聞いた時、私の心臓は一瞬止まるかと思われた。慌てて下の部屋へかけ降りて、籠のそばに行ってみると、チュンは両

足をピンと伸ばしたまま、固く冷たくなっていた。

 そんなことがあってしばらくは、外で雀達を見ると、何となくチュンを思い出して、親しみを感じていたが、昨年頃から、私

の栽培しているそばを雀が食い荒らすようになり、そうなるとやはり雀は憎らしい。

 ペットが死んで悲しい思いをしたのは、このチュンの場合の他に、それまで飼っていた犬が急死した時も、家中が同様の、い

やそれ以上の大きな悲しみに襲われた。

 その犬は今から三年前に、わが家の長男に連れられて、初めてこの家に来て、そのまま住みつくことになった。最初、長男の

級友が、学校の近くの神社の境内で、こっそり飼っていたのが、ひとりでは段々手におえなくなり、クラスの仲間で交替で面倒

をみることになったのである。長男は初めから可能性がないものと諦めていて、飼ってくれとは言わなかったが、私の方が先に

情が移って、飼ってやろうと言ってしまった。

 色はうす茶の交じった白で、柴犬の雑種のメスであった。名前はと聞いてみると、シーザーだと言う。ジュリアス・シーザ

ー、これではメス犬として勇まし過ぎる。頭の部分のジュリだけ取れば、メス犬にもおかしくないであろうと思い、ジュリと改

名した。

 ある日散歩に連れて出た時、野池で鮒を釣っている子供達のそばを通ったら、練り餌のかたまりを見つけて、アッという間に

食べてしまった。このことからヒントを得て、いつもそばを打った時に残る、生そばの切れ端をやってみたら、喜んで食べる。

そば粉の澱粉は生でも消化が良いので、腹をこわす心配はない。

 それ以来、毎回そばを打つ度にやっていたら、条件反射が形成されたのか、私がそばを切り終わって片付けを始めると同時

に、その気配を察して、ガラガラと鎖の音をさせて、小屋から出てくるようになった。

 そばにはそばアレルギーというものがあって、人間でも体に合わない人は、頭痛や下痢を起こすことがあるらしいが、ジュリ

の場合はその心配もないようであった。

 ところがそのうちに、本当の心配事がもち上がった。

 まだ子供だからと安心していたのに、突然五匹の子を産んだのである。十一月も末の頃であった。オスニ匹にメス三匹で、オ

スにもメスにも一匹ずつ、真っ黒の犬が交じっていた。オス犬二匹はすぐに貰われていったが、メス犬の方はなかなか引き取り

手がない。しかし子供の教育のためにも、捨てたり、保健所に連れて行ったりはしたくない。

 いろいろ考えたあげ句、正月の休みに、子犬を段ボール箱に入れて、子供達と一緒に、にぎやかな駅前に出掛けて行った。そ

うして私はものかげに隠れて、子供達が大声で、

「かわいい犬の子、貰って下さい」と、交互に叫ぶ声を聞いていた。面白がってたくさんの人が集まっているようであった。一

時間もたたないうちに末の子が、

「お父さん、一匹売れたで」と、大喜びで報告に来た。

 まず売れたのは黒い犬であった。いや正確には、売れたのではない。缶詰のドッグフードのおまけ付きで、貰って頂いたので

ある。その日はそれだけで切り上げて、翌日も朝から、同じ所で店を出したら、昼までに残りの二匹も片づいてしまった。

 子犬達がいなくなってからのジュリは、又元のおっちょこちょいの犬に戻った。生まれつきなのか、小さい時のしつけが悪か

ったのか、少し嬉しいことがあると、手がつけられない程はしゃぎまわる。

 又、ふだんの気立てはとてもやさしいのであるが、小学校の上級生と、毎日来る酒屋の主人にだけは、気が狂ったように吠え

かかった。余程うらみでもあるのかも知れない。しかしこれも御主人様が在宅の時だけで、自分に留守番をまかされている時は

まったくおとなしい、と酒屋の主人が教えてくれた。

 子犬がいなくなってから、ほぼ一年程たったある冬の朝、休日だったので、近くの山へ散歩に連れて出た。鎖もはなして自由

に遊ばせてやったら、元気にそこら中を走りまわった。

 ところがその日の午後、私は近所のご隠居さんと山歩きの約束をしていたので、昼食のあと出掛けようとしたら、ジュリの様

子がどうも変であった。

 いつもなら私が会社に行く所か、散歩に出かける所かをちゃんと判別して、散歩に出かける所だと解ると、一緒に連れて行け

と大騒ぎするのであるが、その日はいつものように裏木戸に眺びついてはいても、尻尾を振る元気もない。それどころか顔は、

行かないでくれと哀願するような悲しい表情をしている。

 散歩の時、何か悪いものでも食べたのかも知れない、とふと心配になったが、今までにもこんなことがなかった訳ではない。

腹をこわしたり、風邪をひいたりして元気がなくなることはあった。そばに居てやりたいが、もう約束してしまっているので、

心を鬼にして出掛けた。

 そして数時間後に帰ってみたら、すでに死んでいたのである。子供達から責められたが、どうしようもない。抱きかかえて、

タ闇のせまった近くの山へ行き、家族全員で葬ってやった。

 こんなに早く死んでしまうのなら、五匹の子犬のうち一匹でも残しておけば良かったと後悔したが、もう遅い。今思い出して

みても、何ともあっけない別れであった。