そ ば 無 情
そばは茄でたてが身上である。上質のさらしなそばの場合、水きりさえよければ、東京から札幌まで飛行機で出前しても大丈
夫であるということを、本で読んだことがあるが、あまり本気では信じていない。ふつう、そばは茄であがると同時に、分刻み
で腰がなくなっていくものである。
数年前のある日、仕事が忙しくて、退社時間がきても誰も帰れないという日があった。そこで誰かが、ざるそばをまとめて注
文してくれたようであった。しかしその時私は、別の小さな部屋にとじこもって仕事をしていたので、出前が届いたのも知らな
かった。一時間ほどして、一段落したところで部屋に帰ってみると、
「畑野さん、そばが来ていますからどうぞ」と同僚が教えてくれたが、その時ばかりはさすがに食べる気になれなかった。
もっとひどい話もある。
一年ほど前、大津の坂本にある一軒のそば屋に行って、昼食に鳥なんばんを食べた。その時あまり旨かったので、家族にも同
じものを食べさせようと思い、おみやげ用に包んでもらって、タ食の時、さて茄でようと思い包みをあけてみると、中味はすで
に茄でたそばであった。
これはさすがに黙っておく訳にはいかないので、次回にその店に行った時にメモを渡して、それとなく店主に注意した。それ
以来店員も、客からおみやげの注文を受けた時には、茄でたそばにするか生そばにするか、注意して確かめているようである。
以上は茄でた後の問題であったが、茄で方自体でも、そばは生きたり死んだりするものである。
一般に家庭でそばを茄でる場合、鍋が小さいことと、強力な火力が得られないということが、最大の問題である。この解決策
としては普通、一回にごく少量ずつ茄でるしかないが、大きめの圧力鍋を使うのもひとつの方法ではないかと思っている。
私の打つそばをいつも贔屓にしてくれる私の友人に、ある時そばを手渡しながら、
「圧力鍋で茄でると、又ちがった味になって面白いよ」と教えてやった。それと同時に、その場合の注意点や手順なども、よく
説明してやったのだが、その友人はろくに聞かずに帰った。そして家に帰るや圧力鍋を出してきて、そばを水から茄でてしまっ
たのである。
この話を聞いて以来、この友人にはそばを上げる気がしなくなった。
もうひとつ、そばに関して困った経験がある。
大阪には、本物の手打ちのそば屋といえる店は、数えるほどしかない。しかもその中で、私が納得する店となると、益々少な
くなる。そんなこともあって、私は自分でそばを打ち始めたのだから、私の打つそばは、どんなそば屋のそばよりも旨くなけれ
ばならないし、又事実旨いと自負している。まあこれは、一般に自分でそばを打つものがだれでも持っている自己過大評価のよ
うなものだと思ってもらえればいい。
ところでわが家の近所にも、私がそばを打つたびに差し上げている人がひとりいるが、その人がある時、旅行のみやげとし
て、「手打ち風本格包丁切りざるそば」というものを買ってきてくれたことがある。私がそば好きなので、単純に、純粋な好意
でそうしてくれたのであるから、その気持ちには素直に感謝しなければならない。しかし私はそういうそばを食べたくないから
こそ、自分で打ち始めたのである。その人には私の打つそばを、いつも食べていただいているので、そばの味の真髄も、とっく
に理解されているものと思っていたが、私のそばと観光みやげのそばを同等に見なしているようでは、まだそばを上げたりない
のかも知れない。