個 性          

 

 わが家の子供達をみていると、学校に行ってからみんなと話を合わせるために、テレビの人気番組を見たがるというところが

あるようである。みんなと話を合わさないと、のけものにされるためで、これは子供社会にだけある現象ではなく、大人社会で

もよく似たもので、あたりさわりのないゴルフ談義や、つり談義をしてさえいれば、無難に世渡りできることを考えると、あま

り変わりはない。

 こういった事情は、個性が尊重されるよりむしろ邪魔もの扱いをされる日本にあっては、当然なことかも知れないが、個性を

重視する欧米では、パーティーの時など、新聞やテレビで得た知識しか話題がないようでは、軽蔑されるのがおちである。

 ところがそのような日本にあっても、あるまとまった情報を他人に伝達しようとする場合、やはり個性が出ていなければ聞い

ていて面白くないし、又誰も聞いてくれない。いくらもっともらしいことを喋っていても、それがいつか誰かが言っていたこと

と同じというのでは、興味も半減してしまい、聞くだけ時間が惜しくなる。

 名人の演じる落語が何度聞いても面白いのは、話芸があるからで、我々としては筋を追うのでなく、話芸を聞いているから、

何度でも面白く聞けるのである。しかし芸を持たない我々の場合は、内容と個性で聞かせるしかなく、しかもひとつの話題は同

一人物に対して、ふつう一回限りしか許されないのである。同じ人に二度も同じ話をしたのでは、老人ぼけを疑われかねない。

 ではその個性とはどうすれば出てくるものであろうか。

 それは自分の頭で考えることである。と言っても苦労して考えるのではなく、ただ外界からの刺激を遮断するだけでいいので

ある。現代社会は身のまわりに情報が氾濫しすぎている。これらの情報に四六時中つきあっていたのでは、情報に溺れて一生を

終わる羽目になる。

 そうならないためには、不必要な情報(特におしゃべりや活字などの言語情報)には目をつぶり、耳をふさぐことも必要であ

る。そうすれば脳が勝手に活動を開始し、自分独自の思考を練り上げてくれるようになる。コンピューターは外部からの情報

(命令やデータ)を入力しないとまったく働かないが、人間の脳は外部からの刺激がなくなった時にはじめて、高度な思考作用

をするようになる。

 ではどういう状態が情報を遮断しやすいかと言うと、昔から座禅や瞑想などがよく知られているが、最も簡単な方法はひとり

で散歩することである。その他にも農耕や職人の手作業などといった単純作業が効果的である。今書いているこの文章も、そば

をこねている時に、ついでに練り上がったものである。

 物理学者で作家でもあった寺田寅彦氏が、多く読んで少なく考えるより、少なく読んで多く考える方が良い、というようなこ

とを書いていたが、これも同じ意味である。又評論家の大宅壮一氏が現代のテレビ文化を評して言った「一億総白痴化」という

言葉も、同様の懸念から出た言葉であろう。

 要するに、頭の中にたくわえられている情報というものは、外界からの刺激が遮断された状態で、はじめて発酵を始め、熟成

されていくもので、この過程を経て出てきた表現こそ、その人の個性を有するもので、さらには人をひきつける魅力ともなるの

である。

 私はそのためでもないが、新聞や週刊誌、テレビなどをほとんど見ない。やりたいことが多くて、その時間が惜しいのであ

る。

 私が現在の会社に入社した時、ある重役が、放送マンとして、主だった新聞と週刊誌にはかならず目を通すようにと訓示され

たが、この言いつけにまったく背いている私は、放送マン失格かも知れない。しかし同じその場で、当時社長であったS氏か

ら、

「技術の人には頑固者が多いので、君はそうならないためにも、バイオリンを弾き続けたまえ」と言われた。

 こちらの言いつけは、今でもよく守って、バイオリンを弾き続けているが、頑固という点に関しては、S氏が期待された方に

向かっているのかどうか、非常に疑わしい。