考 え 抜 い ち ょ る

 

 方言というものは味があって、面白いものである。画一的な共通語よりずっと生き生きとした表現力が、方言にはあるように

思う。

 先日、出勤のとき、大阪環状線が京橋駅で運転整理をしたので、大阪駅到着が三分遅れたことがあった。私が大阪駅の改札口

を出ようとした瞬間、隣の改札口を出ていた乗客のひとりが、突然大声で係員に怒鳴り始めた。

「お前なあ、運転整理や言うて三分も遅らせやがって、ボケがほんまに・・・アホかっ」果たしてこの人物が三分という時間さ

えも大切に毎日生活している人かどうか、という問題は別問題として、ここではこの「アホ」という大阪弁について少し考えて

みたい。

 ふつう大阪の人が「アホ」と言う場合、何の悪意も含んでおらず、そのため言われた方も腹がたたないものらしい。しかし大

阪育ちではない私の場合、そうはいかない。

 学生時代に私は、クラブ活動でオーケストラをやっていたが、ある日寝すごして練習に遅刻したことがあった。そのとき先輩

の指揮者からひと言「アホっ」と言われて、ひどくショックを受けた記憶があるが、これが「アホ」ではなく「バカ」なら、ニ

ヤッとして「すみません」で済んだことであろう。

 この「アホ」と「バカ」のすれ違いによるトラブルは、わが家の夫婦間にも存在する。

 私は四歳の頃から、高校を卒業するまでのほぼ十五年間を、山口県の下関で過ごし、その後関西に出てきてから、又二十五年

近くが過ぎたが、そのわりに私は、下関弁も大阪弁もどちらも満足に使えず、どちらかと言えば共通語に近い、国籍不明語をし

ゃべっている。又、私の家内は大阪育ちで、大阪弁をしゃべる。

 先日私が長男のチェロレッスンにつき添って茨木まで行ったとき、何やかやと手間どって、いつもより帰りが一時間くらい遅

くなったことがあった。ところが帰ってみると、タ食の準備ができてなくて、家内は子供と一緒に風呂に入っていた。そこで上

がってきた時に、ひと言文句を言うと、

「すんまへん、どこかで済ましてきてるもんや思うて」大阪弁で言った。これが私にはひどく軽々しく聞こえ、思わず「バカ

っ」と怒鳴ってしまった。相手は大阪人である。それからしばらく気まずい雰囲気が続いたのは言うまでもない。

 この経験をもとに、これから結婚しようとしている若い人達に、ひと言忠告するとすれば、結婚相手はぜひ同郷の人にしなさ

い、ということになる。ちょっとした方言の違いだけでも、これだけのトラブルのもとになるのであるから、まして言語のまっ

たく異なる外国人との国際結婚などは、暴挙と言わねばならない。

 話が余計な方向にそれてしまったが、今度は下関弁の方に話題を移そう。

 私が中学生のとき、国語の先生が冗談半分に、下関弁の活用形は「そ、ほ、ね、かね、ちょら、ちょり、ちょる」であると教

えてくれたことがある。そんなに簡単なものではないが、しかし下関弁の特徴をよくとらえたものだと感心した。

 この中で「そ、ほ、ね、かね」の四つはいずれも、言葉の語尾につける終助詞であって、例えば「・・・するそ?」、

「・・・するほ?」、「・・・するんね?」、「・・・するんかね?」という風に使われる。又「・・・しちょる」というのは

「・・・している」ということである。

 私も下関を離れて久しくなるが、たまに帰省して人ごみの中などで、下関弁に埋もれていると、緊張がとれて、何ともいえな

い安心感を味わうことがある。啄木の「ふるさとのなまりなつかし」の心境がよくわかる年齢になってきたのかも知れない。

 その下関に、私の高校時代からの親友がひとりいて、夏のある日、その友人とふたりで、蓋井(ふたおい)島という下関の離

島に遊びに行ったことがあった。島では一軒の漁師の家に泊まり、昼間潜ったり、釣ったりして獲った海の幸で、夜ビールを飲

んだ。しかし飲んだといっても、我々ふたりはそれほどの酒豪でもないので、量は知れている。

 ところでその家の奥さんは、海女として夏の間、毎日のように、海に潜っている人であるが、その奥さんが、我々ふたりが揃

いも揃って、あまり飲まないのを不思議がった。それに対して友人は、酔ったいきおいもあって、口から出まかせに、尤もらし

い理屈を滔滔と並べたてた。そしてそれを聞いていた奥さんは、ほとほと感心した顔で、

「あんたたちゃあ、考え抜いちょるねえ」と言ったのである。そう言われて悪い気はしないけれども、やはり我々ふたりには

「考え抜いちょる」という言葉より、むしろ「抜けちょる」という言葉の方が、ふさわしいのではないかと思うが、それにして

も不思議な味のある表現に、こちらもほとほと感心したのであった。