木 鉢 の 買 い 出 し 記
私の会社の大先輩で、今は退職されて、そば屋を開業されている方がある。わが家からは遠いので滅多に訪ねる機会はない
が、職人芸に徹した見事なそばを食べさせてくれるので、近くに用がある時には必ず寄ることにしている。
先日伺った帰りがけに、店の横の物置きで主人と立ち話をしていたら、足元に真新しい、大きな木鉢がころがっているのに気
がついた。聞いてみると、現在使用中の木鉢は漆の塗り替えのために、一年間修理に出さなければならないので、その代わりと
して購入したそうで、値段は百万円ということであった。やはりプロの使う道具というものは、桁が違うものである。
私のそばも、最初は金盥を木鉢の代用にして捏ねていたが、それではいろいろと不便な点も多いので、今は小さな木鉢を手に
入れて、それを使用している。小さいと言っても、プロの使うものと比べての話で、わが家の台所道具としては最も大きく、直
径が五十センチ以上もある大きなものである。一本の木をくり抜いて作ったもので、内側は赤、まわりは黒の漆が塗ってある。
この木鉢を手に入れる前に一度、新聞の通信販売で、木鉢の広告が出たことがあったので申し込んでみたら、私の考えていた
ものと全く違い、組み木細工で材質も軽く、漆も塗っていないお粗末なものであったので、すぐに返品した。
この失敗をもとに、安易な考えを排して、東京のそば道具専門店に、正式に発注して、作ってもらうことにした。そのために
は一度その店に行ってみなくては、全く様子がわからない。
そんなことを考えていたところ、たまたま今から一年前のちょうど今頃、私のバイオリンの恩師のご子息で、小さい頃からな
にかと面倒をみていた高瀬真理君が、立派なバイオリニストになってウィーンから帰国し、東京でリサイタルを開くことになっ
たので、渡りに舟とばかり、私も鞄持ちを兼ねて東京まで同行することにした。
三月はじめのまだ肌寒い頃であった。演奏会場は上野駅に近い、ある大学のホールであって、我々はそこに午後三時すぎに着
いた。晩の本番までにはまだ相当時間があるが、彼と伴奏者はそれまで練習をしなければならない。私はその間何もすることが
ないので、抜け出して、地下鉄に乗って浅草に出た。
浅草は初めてである。あらかじめ調べてある番地と地図によれば、この近くにそば道具専門のY漆器店があるはずである。探
すほどのこともなく、その漆器店は見つかったが、予想外に小さな店構えで、しかも外から店内を覗いてみると、一階は荷造り
した箱が所狭しと積み上げられているばかりで、看板がなければ何屋さんか見当もつかない状態であった。
意を決して店内に入ると、中から奥さんらしい女性が出てきたので、木鉢を見せて欲しい旨告げたら、二階へ通された。二階
は仕切りによって、事務所と商品展示室と応接室とに分かれていて、応接室のソファーに腰かけて待っていると、主人らしい五
十代くらいの男性が出てきて、
「木鉢はどの位の大きさがよろしいか」と聞いてきた。
「家庭用ですから、そんなに大きなものは要りません」と答えると、主人はびっくりしたような顔をして、
「ご自分で打たれるのですか」と聞いてきた。
「はい、自分で打って毎日食べています」と答えると、
「そうですか、ではちょっとお待ち下さい」と言って、奥へ入って行ったかと思うと、しばらくして大きな木鉢をふたつ持って
出てきた。ひとつは直径七十センチ以上のもので、塗り上がった完成品であり、もう一方はそれよりひと廻り小さい未完成品で
あった。
「私どもは業務用ばかり扱っておりますので、こんなものになります。これでも業務用としては小さい方です。お値段の点で
も、趣味としては目のとび出る程になりますよ」
どうもこの主人の口ぶりを聞いていると、ここはお前のような素人のくる所ではない、と言っているようにも聞こえる。しか
しここでひるんでは、わざわざ鞄持ちまでして出てきた意味がなくなるので、そしらぬ顔で、小さい方の木鉢を指さして、
「これでいくら程ですか」と聞いてみた。すると主人は、
「そうですね、これで出来上がりますと十六万円程ですね」と答えた。だが私も予備知識として大体の相場は知っていたので、
少しも驚かなかった。むしろ安過ぎると思った位であるが、家庭用としては、これでも少し大き過ぎると思われたので、
「これよりもうひと廻り小さいのを、作ってもらえませんか」と頼んでみた。すると主人は少し考えてから、
「今までそんなものは作ったことはありませんが、やってみましょう。納期は半年かかりますが、よろしいですか」と言った。
良いも悪いも、漆塗りにそれ位の日数がかかるのは当然であろう。
ところがこの木鉢は、意外に早く、その年の梅雨頃にもう出来上がってきた。早速使ってみたら、さすがにどっしりと安定し
ていて、今までの金盥よりはるかに使い易い。手にすくった水をそば粉に満遍なく振りかけるのも、力いっぱい捏ねるのも、と
ても楽になり、当然、出来上がったそばの味も良くなった。
その上、作りも随分しっかりしていて、大事に使えば私が死んだ後も、十分使用に堪えるものと思われるので、いつも私がそ
ばを食べている時、必ず寄ってくる三人の子供達のうち、誰かひとりでも、私の趣味を受けついで、この木鉢を使ってくれない
ものかと、今から案じているのである。