燗 ビ ー ル
去年の秋に朝日放送が、巨匠カラヤンの率いるベルリン・フィルを招いて、ザ・シンフォニーホールで演奏会を開いた。
その本番の前日か、前々日のことである。たまたま弁当を持参していない日だったので、昼休みに会社の仲間と近くのレスト
ランに入った。
われわれが食事をしている時に、四、五人の外国人が入って来て、われわれのそばを通って、一番奥の席についた。料理の前
に各々で注文したビールやコーラを飲んで、わいわい言っている。言葉は習った通りの聞き取りやすいドイツ語であった。とは
いえ早口なので、しゃべっていることの半分も理解できない。
この近くでホテルといえばホテルプラザしかないが、この時期にホテルプラザに団体で泊まっているドイツ人といえば、ベル
リン・フィルのメンバーに違いないと、すぐに想像はついた。
そのうちその中のひとりがビール瓶を持って、厨房のカウンターの前に来て、中のシェフに何か言いだした。そのシェフは言
葉がまったく解らないようだし、給仕の女性もちんぷんかんぷんで埒があがない様子であった。そこで、あまり自信はないが何
とかなるだろうとたかを括って、手助けをすることにした。
そのドイツ人の側へ行き、どうしたのだと尋ねると、一瞬びっくりしたような顔をして、「お前はドイツ語がわかるか」と聞
いてきたので、
「少しならわかる」と答えたら、ほっとしたのか、がっかりしたのか一瞬躊躇してから、
「俺は温かいビールが欲しいのだ」と言ったので、今度はこっちがびっくりした。いまだかって、ドイツではビールを燗して飲
むという話は聞いたことがない。ここで、この人はこのビールを温めて欲しいそうです、と通訳したのでは、たぶん誤訳になり
そうなので、もう少ししゃべらせてみることにした。
こちらが、わかったようなわからないような曖昧な顔をしているので、先方は益々、身振り手振りをまじえて雄弁にしゃべり
だした。棚に並んだボトルを指さして、
「あの状態のが欲しい」と言っているので、やっと感づいて、
「冷た過ぎるのか」と聞いてみたら、「そうだ」と答えたので、やっと一件落着した。冷蔵庫に人れる前の、外に出したままの
瓶を受け取って、満足そうにうなずいて持って行った。
それ以来私も、夏に冷蔵庫に入れずに、外に出したままのビールを一度試してみようと思っているが、まだ実行する勇気がな
い。