釣    耕    記

 

 近所に気のいいご隠居さんがいる。魚釣りが好きで、よく一緒に釣行しているうちに親しくなった。このご隠居さんは数年前

に、ある電器メーカーを定年退職して、現在は知人から山を預かって、自由に開墾して、筍やその他種々の野菜類を栽培しなが

ら、悠々自適の日々を送っている。私のそばもお願いして、その畑で栽培してもらっているが、運動のために毎日、畑仕事や魚

釣りで汗を流し、その結果食べ物の方は、新鮮な野菜や魚がいくらでも自給できるのであるから、全く理想的な健康生活である

と言うことができる。

 事実、非常に元気で、健康そのもののように見える。ところが実際は、心臓の弁に異常があり、少しでも油断をして熱でも出

したりすれば、病原菌がすぐに体中に廻って、大変なことになるそうで、自らも健康には大変注意を払っている。いわゆる一病

息災といった状態なのである。

 畑仕事が終わって空いた時間には、近所をパトロールして歩き、近所の奥さん達のよろず相談役にもなれば、子供達の良い遊

び相手にもなるという、やさしい人でもある。しかし理屈に合わないことには黙っておれない性分で、運悪くからまれると、こ

れはもう厄介千万である。そうなると逃げ道は、誠意をもって道理を説くしかなく、いい加減にあしらおうなどと思うと、ひど

い目に合うことになる。

 しかしそういうこともたまにはあるという程度で、概してご隠居さんの毎日は優雅に、しかも平穏無事に過ぎているようであ

る。私も退職後は、そうありたいと思ったりすることもあるが、現在は現在として、ご隠居さんのこれまでの生い立ちは、それ

ほど生易しいものではないのである。

 ざっとその生い立ちを書いてみると、まず大正七年、山口県の須佐という小さな漁村に生まれ、十五の年までをそこで過ご

し、その後大阪に出てきて、現在のM電器産業に就職する。しかし二十一歳で徴兵にとられて、中支で野戦に明け碁れることに

なる。これも六年程で任期を終え、復員してくる訳であるが、帰るなり会社の満州工場建設にともない、満州に派遣されること

になる。この満州滞在中に、日本から現在の奥様を迎えて、結婚したのである。

 満州では新工場建設のために、若い情熱を燃やし、文字通り心血を注いだのであるが、日本の敗戦と同時に情況は悪化し、と

うとう工場を放棄せざるを得なくなる。

 その後は食べるために、仲間と一緒に豆腐屋をやったり、ポンポン菓子屋をやったりと、いろいろなことをして食いつなぐの

であるが、酷寒の満州のこと、豆腐を売り歩いていても、しばらくすると凍りついて、商売にならないことが度々であったとい

う。

 そのうちに弱みにつけ込んだ満州人が、毎夜のように襲ってきたりして、それに対抗するために、銃で武装して戦ったことも

あるという。しかし満州人がすべてそういう悪党という訳でもないので、着の身着のまま日本へ引き揚げて来るための、旅費や

小遣いまで出してくれたのも、同じ満州人であったのである。

 こうして何とか日本に帰り着いたのが昭和二十二年のことで、それから又三十年ばかりM電器に動め、やっと数年前に、めで

たく定年を迎えることが出来たのであって、このような過程があってこそ、現在の平穏無事が意味を持つのである。

 これだけの苦労を経てきた上に、会社における創業者M翁の影響も、大いに働いていると思われるが、このご隠居さんは、ど

んな苦境にあっても絶えず工夫をして、その情況をうまく切り抜ける名人でもある。一緒に釣りをしていて、まわりの誰もが一

匹も釣れない時でも、何とか違う釣法を工夫して、いつも一人だけ、必ず何か釣りあげるのである。これはもう一種の特技とい

ってもよい。又、物を大切にするということも非常に徹底している。

 先日、日本海の筏に、チヌ釣りに一緒に出掛けた時のことである。泊まりがけで二日に分けて釣る予定で、エサのアケミ貝

も、一キロずつビニール袋に入れたものを、ひとり二袋ずつ用意して行った。一日目の夕方納竿する時に、私は残ったアケミ貝

を、明日のためのまき餌として海にほうり込んだが、ご隠居さんは残りもきっちり持って帰った。

 その翌日は、日の出前から釣り始めたのであるが、昼前には私のアケミ貝が数少なくなってきた。そこでチラッとご隠居さん

の方を見ると、昨日の残りの方をまだ使っていた。勿論、当日分のアケミ貝は、封も切らずに残っていたのである。この時ばか

りは、日頃からのちょっとした心がけの違いが、これほど明らかな差となって現れるものかと、目を瞠る思いがした。

 この違いは単に魚釣りの場合だけに限らず、あらゆる場合についても言えることであろう。たとえばお金の問題に当てはめて

考えてみると、ご隠居さんの場合は、上手に使ってしっかり残していくタイプで、私の方は浪費型であると言うことができそう

である。

 ということは、ご隠居さんは既にこれまでに、ひと財産残しているはずで、そう考えると、現在の悠々自適の生活も、なるほ

どと納得がいくのであるが、だが待てよ、本当にご隠居さんは金持ちなのであろうかと考えてみると、それほどでもないという

気もしないではない。しかしそれは余計な詮索なので、これ以上は深入りしないことにする。

 第一そんなことは、私にはどちらでも良いことで、大事なことは、ご隠居さんが現在の健康をいつまでも維持して長生きし、

いずれ私が定年退職した暁にも、今まで通り一緒に釣行できるかどうかということであり、是非そうなるよう切に願っているの

である。