ヘ ネ シ ー の ブ ラ ン デ ー

 

 私がまだ独身で、会社では技術開発部員であった頃のある日、私の上司であるK氏が、隣のホテルの喫茶室から電話をかけて

きて、すぐに着替えて出てくるようにと言われた。急いで行ってみると、そこには部長も次長もいて、ひとりの若い女性と談笑

しているところであった。私も紹介されて仲間入りしたが、皆はスキーの仲間同士らしく、スキーの話題が多かったようであ

り、私はスキーをしないので、あまり話がはずまなかったように記憶している。あとで部屋に帰ってからK氏が私に、

「今のは見合いですよ」と言った時は、一瞬驚いたが、すぐに私の方も、冗談と聞き流して、相手にしなかった。第一その女性

の印象さえ、その時すでに思い出せないほど、薄いものであった。

 それでその話は、その場限りで消えてしまった。当時私は、住吉区の墨江という所に下宿していて、その家の奥さんはIさん

という五十歳代の人で、ご主人に先立たれたばかりであった。そのIさんがある日、「今度の日曜お暇?」と聞いてきた。その

時は多分、運よく空いていたらしく、「はい」と答えると、

「だったら私の学校時代の友達が、娘さんのMちゃんと一緒に遊びに来るので、写真でも撮ってやってよ」と頼まれた。私はそ

の頃カメラに凝っていて、休日毎に、奈良のお寺などを撮り歩いていたし、もともとサービス精神は旺盛な方なので、何も考え

ずにひき受けた。

 当日M子さんはなぜか着物を着ていたが、写真を撮られるのを意識したのであろうと簡単に考え、こちらもサービスとしてシ

ャッターを押し続けた。ただモデルとしては容貌の方に少し不満があった。くりくりした大きな目玉といえば聞こえはいいが、

眼球が少し大きすぎるように思われたのである。その時M子さんは、

「どこかに写真を撮りに行かれる時は、一緒に誘って下さい」と言った。私もひとりで行くよりは、話し相手があった方がいい

なと思ったが、実際に誘うまでには至らなかった。

 そのうちにM子さんの方から、映画のお誘いがかかり、私も暇ではあったし、軽い気持ちで、梅田のある映画館にお供した。

「オリバー」という題のミュージカル映画で、画面と音楽の美しさは印象深く記憶しているが、筋そのものは覚えていない。

 そしてその帰り、御堂筋をミナミまで歩いて、映画のお礼として、以前一度行ったことのある、和風ステーキの店に寄って、

ご馳走した。ところがその時飲んだブランデーがとても旨かったので、店を出てからそう言うと、

「何という銘でした?」と彼女が尋ねてきた。私は何も考えずに、

「たしかヘネシーと書いてあったようだよ」と答えた。

 それから一週間もたたないうちに、私の下宿に全く同じヘネシーのブランデーが届いたのである。私はその頃ブランデーが好

きで、下宿でもよく飲んでいたが、当時の私が飲めるのはサントリーのVS0が精一杯で、余程の余裕がないかぎりVSOPな

ど飲めなかった時代であったので、これには驚いた。しかし大好物なのですぐに飲んでしまって、あとはお礼をいうのも忘れて

放っておいた。

 そのうち会社で、当時関西の売れっ子DJであったT嬢に呼びとめられて、

「お暇なときはM子さんに電話してあげて下さい」と頼まれた。M子さんとT嬢とは、大学時代の同級生であるということを、

前にM子さんから聞いていたが、M子さんと私の間は、T嬢からそんなことを頼まれる程の、関係ではないはずである。したが

ってその頼みも、そのまま聞き流した。すると今度は下宿のIさんが、

「M子さんのお父さんが奥さんに、あなたの本当の気持ちを確かめて来るように言っているそうよ」と言いだした。これには全

くびっくりした。こちらは何とも思っていなかったが、M子さんの方は正式に見合いをして、真剣に結婚を意識して、付き合っ

ているつもりでいたようである。あわてて早速お断りしていただいた。

 それまでにM子さんは、ある新興宗教を信心していたそうであるが、そんなことがあって以来、益々その信心の方に、熱をい

れ始めたという噂を聞いた。

 それからもう十五年以上たつが、先日わが家の子供達と一緒に、近所の子供を二人連れて、比良山の方に、ハイキングを兼ね

た渓流釣りに行ったところ、隣の子がびっくりするほど大きなニジマスを一匹釣りあげた。そうして大喜びで家に持って帰っ

た。そのお礼として翌日ブランデーをいただいたが、ラベルを見ると懐かしいヘネシーであった。

 ひとくち舌の上にころがしてみると、その芳醇な香りと共に、十五年以上も前のことを思いだす。こちらに悪気はなくても、

ひょっとしてM子さんに悪いことをしたのではないかと思うと、まろやかなヘネシーのブランデーにも、心なしかほろ苦さがま

じるのである。