御 神 火 カ ラ オ ケ 紀 行

 

  • 磯の鵜の鳥ゃ日暮れにゃかえる

    波浮の港にゃ夕やけ小やけ

    あすの日和はヤレホンニサなぎるやら

  •  これはその昔、一世を風靡した野口雨情作詞、中山晋平作曲の「波浮の港」という歌の一節であるが、私は中学の頃からこの

    歌が好きで、修学旅行のバスの中でも歌った覚えがある。そんな頃からこの歌が好きであったということは、よほどひねた中学

    生であったかも知れない。それから三十年近くたった今でも、やはりこの歌は好きである。

     ところで私は三年ほど前から、会社の中の有志を集めて、カラオケ・アンサンブルというものをやっている。こういうものを

    結成した趣旨というのは、最近カラオケが大はやりで、どこのスナックに飲みにいっても歌えるようになっているが、自分が歌

    いたいと思う曲のテープが必ずあるとは限らないのであって、特に昔の歌はない場合が多い。そういう時のために、歌いたいと

    思う曲のカラオケテープを、自分の編曲で、しかも演奏と録音などもすべて自分たちの手作りで作製しておいて、スナックなど

    で歌う時は、そのテープで歌おうというものである。

     一昨年の八月頃のこと、すでに数曲でき上がっていて、次は「波浮の港」をやろうということになった。たまたま知りあいの

    若いバイオリニストが、ウィーン留学の途中、休暇で帰ってきていたので、バイオリンのパートは彼に弾いてもらうことにし

    て、編曲もそのつもりで書いた。そうして二、三回練習しているうちに、急に波浮港に行ってみたくなってきた。

     実際に行ってみたところで、演奏がどうなる訳でもないのだが、どうしても行きたくなったのである。そこでメンバーに提案

    してみたが、誰もそんな突飛な思いつきに乗ってくるもの好きはいない。仕方なくバイオリニストの彼を連れて、二人だけで、

    九月早々に出発したのである。

     最初の日は熱海に泊まり、翌朝の便で伊豆大島に渡り、昼ごろ元町港に着く。すぐに港近くの食堂で昼食をすませ、午後はバ

    イクを借りて三原山に登ったりしたので、目指す波浮港についた時はすでにうす暗くなっていた。波浮港の見物は明朝というこ

    とにして、すぐ宿にチェック・インした。

     宿は簡易保険の保養センターで、中に入ってみると、周囲のひなびた漁村風景からは想像もできないほど一流ホテル並の設備

    が整っている。ちょうど夏休みが終わったところで、島はオフ・シーズンに入り、宿もがらあきであった。宿のパンフレットに

    よれば、一階の奥に大広間があって、カラオケも設備されているそうであるが、その晩はもちろん使われていないであろうか

    ら、タ食後、探索に出てみることにした。

     行ってみると、その部屋はなぜか襖が全部しまっていた。せっかく来たのだから、ちょっと中を覗いてみようと思い、少し襖

    を開いてみると、誰もいないと思っていた部屋の中に、二、三十人の人が集まって宴会をやっていた。びっくりしてすぐに閉め

    ようと思ったが、それより先に、中にいた長老格の老人から、やあお客さんどうぞどうぞ、などと調子よく誘われて、つい帰る

    に帰れなくなり、しぶしぶ中に入る羽目となった。

     その老人はこの保養センターの所長だそうで、年に一度、今までの従業員を家族ごと招待して、懇親会をやっているところだ

    ったのである。そのせいか集まっている人は、小さい子供を連れた比較的若い女性がほとんどであった。そのうちにカラオケが

    始まって、お客さんも是非やれということになり、こうなれば成り行きまかせで、今練習中の「波浮の港」を、前回の練習のと

    き録音しておいた未完成テーブで歌ってみた。しかし相手は小さい子供と若い女性ばかりなので、いくら地元の歌とはいえ、ま

    ったく受けず、一体何の歌だろうという顔をしているばかりで、こちらも張り合いがなかった。

     翌朝、港まで降りる山道を散歩していたら、偶然にも昨夜の所長さんにばったり出会ったので、一緒に話しながら港まで降り

    た。その時に、「波浮の港」の中で野口雨情が書いている「島の娘たちゃ出船のときにゃ船のとも綱ヤレホンニサ泣いてとく」

    というようなことが実際にあったのかと尋ねてみたところ、それは野口雨情が勝手に想像して書いたことで、そんなことはない

    とそっけなく言われて、少しがっかりしてしまった。

     帰りは元町港まで送迎用のマイクロバスが出るというので頼んでおいたら、我々二人だけだったらしく、普通乗用者に変更に

    なり、思いがけなく快適なドライブが楽しめた。

     その日の昼食は、送ってくれた従業員の勧めで、「駒の里」という古い民家をそのまま利用した風流な店に入って、天ぷら定

    食を食べた。店には落書き帖が沢山あって、いろいろな人がいろいろなことを書いていた。私もつられて、

     

  • 駒の里御神火仰いで蝉時雨
  •  

     という月並みな句を一句書いておいた。

     そうしてふと壁に目をやると、写真つきの色紙のようなものが一枚貼ってあって、よく見るとそれは、今朝見てきたばかりの

    波浮港の全景写真であった。地元の郷土史家か誰かが書いたと思われる小さな字の説明文には、波浮港は昔から遠洋漁業の避難

    港として栄え、遊郭などもあって、野口雨情の書いた「島の娘たち」というのは、その遊女達のことであると書いてあった。こ

    れでやっとひとつの謎がとけた。

     この下見旅行は最初の予想通り、カラオケ・アンサンブルの演奏には何の役にも立たなかったが、この謎がひとつ解けただけ

    でも、私にとっては十分意義のあるものだったのである。