随筆集「そばの香り

ま  え  が  き

 

 私はそばが好きである。それも並のそば好きではない。われながら少々狂気じみているのである。外では旨いそばが食べられ

ないので、自分で打って、毎晩の夕食のとき、そのそばを食べ、しかも最近はそばの栽培から、石臼による製粉まで自分でやっ

ている。

 ところで私がつとめているテレビ局の番組に、関西の有名落語家ふたりが司会をする番組がある。毎回ゲストをひとり招い

て、ふたりで話を聞くのであるが、ある時その番組で、有名な料理評論家を呼んだことがあった。その中で、話題がフランス料

理、寿司、天ぷらと進んで行き、やっとそばの話となった時、司会者が、

「そばの旨さというのは、どこで決まるのですか」ときいた。するとその評論家は、

「それは香りです」と答えた。話がいきなり核心にふれたので、こちらも緊張してきき耳を立てたが、司会者がそれ以上突っ込

まなかったので、それだけで終わってしまい、拍子抜けした記憶がある。

 そばの味を左右する要素としては、たしかに香りの有無が重要な条件となる。しかし本当に香りのあるそばを食べさせる店な

ど、大阪にはまずないと言ってもよい。そのためほとんどの人が、そばに香りがあることを知らない。ふたりの司会者もそうで

あった。と言っても、茄で上げたそばに、そんなに強い香りがある訳ではない。臼で玄そばを挽いたり、新そばを捏ねる時に

は、芳しい香りが部屋中にたちこめるけれども、一旦茄でてしまうと、香りはほとんど飛んでしまい、最初のひと口を口に含ん

だ時に、ほのかに感じる程度となってしまう。だがこれが大事なのである。

 ところで、この本の中に収録した文章は、そばに関するものばかりではない。家族のこと、音楽のこと、旅のことなどと気分

の赴くままに、勝手なことを書きつらねているが、圧倒的にそばの比重が大きいので、他のことを書いていても、移り香で少し

くらいそばの香りがするのではないかと思って、本の題も「そばの香り」とした。

 又、掲載している文章はすべて、昭和六十年の春から、昭和六十一年の夏までの、ほヾ一年間に書き溜めたもので、文章を書

き始めて間もない、いわば習作ばかりである。いま読みかえすと文章として発表にたえないものや、現状とはおおきく異なるこ

とも多々ある。何故そんなものを敢えて発表するかと言えば、私も不惑を過ぎ、そろそろ著書の一冊位あってもおかしくない齢

であると思い始め、一度挑戦してみたくなったのである。この中に、一篇でも気に入って読んで頂けるものがあれば、著者とし

て望外の喜びである。

 

畑野 峻