K 医 師 と チ ェ ロ
十年ほど前から、私がエキストラとしてよく出でいた関西のあるオーケストラで、時々チェロパートに、自髪で小柄な老紳士
が居られるのが眼にとまった。
ある日紹介された時にお話を伺うと、職業は内科の医師で、そのオーケストラには指揮者のU氏の懇請によって来たもので、
それまでの四十年間は家の中だけで、誰にも習わずに弾いてこられたそうである。アマチュアとは思えないほどの立派な演奏を
されるので、私の主宰するフルート・カルテットやその他の室内楽でもチェロパートはもっぱらその方にお願いしてきた。随分
自分に厳しい方で、家での練習はレコードと合わせて一緒に弾くと言われた。そこまでは誰でもすることであるが、その先が違
う。その状態をマイクを通して録音して、自分の音がレコードの音とどれだけ融和しているかを、あとで客観的にチェックする
のだと伺って、驚き又感心した。
室内楽では、ひとつの曲を長期間かけて徹底的にほり下げ磨きあげて、必ず仕あげ、たとえ演奏会では発表しなくても、録音
して記録に残すという私のやり方に賛同して、練習にも欠かさず参加して下さった。
そんなある日、K氏が照れくさそうにこんなことを言われた。
「こないだロータリー・クラブの会合で大公トリ才を演奏したら、後で私だけ朝比奈さんにつかまって、皆の前にひっぱり出さ
れて、べたぼめされて、恥ずかしいやら何やら、えらい目に会いましたわ」
朝比奈さんとは、大阪フィルハーモニーの常任指揮者で、日本指揮者協会の会長でもある朝比奈隆氏のことである。
それから数ケ月後に、朝比奈氏が大阪府主催の「なにわ塾」の講師として四ケ月、四回にわたって講義した講義録が「音楽と
私」と題する一冊の本となり出版されたので読んでいたら、次のような箇所が見つかった。以下しばらく原文をそのまま引用さ
せて頂く。
『この間、私共のクラブで遊ぶ会をやりました。大勢家族が集まりました。その時お医者様で、私よりちょっと若いぐらいの七
十歳近い方が、チェロを弾かれて、ベートーベンの大公トリオの一楽章のチェロを受け持たれていたのですが、そこでびっくり
して「学生時代に、どなたかにお習いになったのですか」と尋ねると、「いや一切人には習っておりません」とのことです。そ
の方はお医者様だし知能は人並以上ですし、おからだも元気そうな方でした。こういう方が、自分の情熱と愛情があって何十年
もおやりになると、それくらいできるようになる。それだけできりゃいいじゃないですか。ギャラをもらうところまでいかなく
とも、音楽を味わい、自分が享受するものを十分得ておられる』
すぐに同じ本をもう一冊買い求めて、K氏のお宅に伺って差し上げた。K氏が喜ばれたことは言うまでもない。朝比奈氏の言
葉の中に「おからだも元気そうな方でした」とあるが、じつはK氏は若い頃に片方の肺を全部手術で取ってしまい、その後は片
肺だけで生きてこられたのである。にもかかわらず、合奏していて我々の方が疲れても、「私の方はまだ、徹夜でやっても大丈
夫です」と澄ましておられた。それ程元気な方であったが、その後何かの拍子に風邪をこじらせて、肋膜炎を併発したことがあ
った。一時は危なかったようだが、何とか無事に回復され、今では又以前のように元気に活躍されている。
最近はしばらくお会いしていないが、陰ながら御健康と御活躍をお祈りしてやまない。