発 心 の 道 場(徳島県)
第一番 霊山寺〜第二十三番 薬王寺 平成17年3月27日〜4月7日
3月27日(日) いよいよ出発 JRと高速バスを乗り継いで、午前中に第一番の霊山寺に着く。ここで白衣、菅笠、金剛杖、ずた袋 等のお遍路用品を購入して”お遍路さん”に変身する。気候がよくなったせいか団体さんを乗せたバス が次々にやってくる。行く先々で本堂と大師堂の2ヶ所にお参りするのも、単独の歩き遍路は肩身がせ まい。第5番の地蔵寺そばの民宿に泊まるつもりにしていたが、今日は満室ということで断られる。仕 方なく6番近くまで歩いて、食堂兼民宿に泊まる。途中で雨が降り出すが、本降りになる前に宿に入る。 歩いた総距離は13キロ。すこし疲れる。
|
3月28日(月) 6番安楽寺〜10番切幡寺 1日中雨が降ったりやんだりの鬱陶しい天気で、ポンチョを着たり脱いだりする。今日は2回接待をうけ た。最初は7番十楽寺の境内でご詠歌を歌っていた十人ほどの人たちから手作りのお守り袋をいただき、 2度目は、9番法輪寺門前の売店で昼食のうどんを食べている時に、神戸から車で来たというご夫婦にお にぎりを頂いた。8番熊谷寺(写真は熊谷寺山門)と10番切幡寺で2回山に登る。そのあと10キロほど歩 いて11番藤井寺まで行くつもりだったが、今までどこにでもあった”へんろ道”の標識を見失い、いつのま にかとんでもない方向に行っていたため、吉野川を本来渡る予定の橋よりひとつ下流の橋で渡る。結果、 藤井寺は明朝にして、鴨島駅前のビジネスホテルに泊まることになった。足のマメが痛み始める。
|
3月29日(火) 11番藤井寺〜12番焼山寺 藤井寺をでてしまうと今日は焼山寺まで1日がかりの山越えがひかえているので、宿で昼食用のおにぎ りを接待してくれた。今日の山越えは延々13キロの山道を何回か上がったり降りたりする難所で、別名 ”遍路ころがし”とも呼ばれている。その名のとおり急な上りおりで足をすべらし2回ほど転んでしまった。 そのせいか山道で会う人たちはすべて若者で、しかも女性が圧倒的に多かった。偶然、ふたりの女性と 道連れになり(写真)最後までいっしょできたのは幸せだった。ハイキング気分でしゃべっているうちに、 焼山寺に着いてしまった。予定の3時より15分早い到着だった。今夜は標高700メートルの宿坊泊まりだ。
|
3月30日(水) 休養日 宿坊の朝は早く6時に起床、6時半朝食をとる。(写真は標高700メートルの夜明け)。出発前に頂上 (934メートル)にある奥の院を参拝。あとは13番にむかってひたすら山を下る。1時間半ほどでふもとの 部落につく。そこで2人の女性からクロレラドリンクと缶コーヒーとチョコパイの接待を受ける。そのまま歩 いて今日中に13番大日寺まで行けないことはないが、昨日の強行軍の骨休めに途中の神山温泉で1泊 することにして、午後早めに宿にはいる。やはり疲れている。
|
3月31日(木) 13番大日寺 昨日の骨休めでコースをはずれたので今日はへんろ道ではなく、車の通る道ばかりをいくつも山を越え て、13番大日寺までの14キロの道程を歩く。途中3回、飲み物やお菓子の接待をいただく。ただ標識の 不備のため2回ほど道に迷い山の中に入り込むところを、そのつど地元の人に聞いて事前に難をのがれ た。写真は途中の山里で見た気の早いこいのぼり。昼食抜きで歩きつづけ2時には大日寺に着く。宿は お寺の隣なので、荷物をあずけて次の14番常楽寺も先に済ませるという手があるが、足のマメが痛いの であきらめて今日も早めに宿にはいって休養する。
|
4月1日(金) 14番常楽寺〜17番井戸寺 遍路を開始したころに比べ、朝の冷え込みは変わらないが昼間の気温がかなり高くなってきた。今日は 午前中に14番から17番までの参拝をすませ、午後は徳島駅までの6.5キロを歩いて、3時すぎに駅前の ホテルにはいる。徳島駅から出発して6日目にしてまだ徳島駅あたりをうろうろしているようでは、振り出し にもどったようでなにか割り切れない。写真は14番井戸寺で出会ったアメリカの青年エリック君。
|
4月2日(土) 18番恩山寺〜19番立江寺 しばらく晴天が続いたが、今日は午後おそくから雨の予報がでている。予定は18番、19番と2ヶ所まわ って全行程15キロ強歩くことになっているので、濡れたくなければ早く出発しなければならないのだが、も たもたしていつもより1時間以上も遅れてしまった。その分を取り戻すためタクシーにのり、徳島市と小松 島市の境界まで行ってもらった。わずか15分の乗車だったが効果抜群で、18番恩山寺までの11キロを わずか1時間半で着いてしまった。そして今日の目的地である19番立江寺には正午に着く。参拝後、1時 には今夜の宿である宿坊にはいり、部屋で持ってきた弁当を食べた。(写真は立江寺の多宝塔と咲きはじ めた桜)
|
4月3日(日) 20番鶴林寺 四国八十八ヶ所のうち3大難所として「1に焼山、2にお鶴、3に太龍」といわれている。12番焼山寺、20 番鶴林寺、21番太龍寺のことだが、これらすべてが徳島県に集まっていて、12番はすでに制覇ずみ。今 日は20、21番と一気に踏破する予定だったが、天気予報で昼間に雷雨となるということなので、挑戦は明 日にのばして20番の登山口に宿をとった。午前の10時半にやどに着き、さて今日1日をどうしようと思案 していると、宿のおばあちゃんが雨はまだ大丈夫だから、荷物だけ置いて、今から20番まで登ってこいと いう。1時間半かけて標高500メートルの鶴林寺まで登ったのはいいが、予報通り雷雨となり、雨具は宿に 置いてきたし、すでに下着までびしょ濡れになって寒い。これ以上濡れながらの下山は危険なので、携帯で タクシーを呼んで下りてきた。(写真は途中で見たしだれ桜と女性のお遍路さん)
|
4月4日(月) 21番太龍寺〜22番平等寺 難所のひとつ20番を昨日のうちに済ませてあるので、今日は500メートルの頂上までは登らず、中腹 (274メートル)から次の21番太龍寺に抜ける道をとる。一旦平地に下り、再度520メートル登って、10時 半に21番に着く(写真)。これで3大難所をすべてクリアしたことになる。時間があるのでもう11キロ歩いて 22番平等寺も参拝する。途中、「大根いやしの道保存会」と書いたテントがあり、女性4人ほどがそばを通 るお遍路さんに桜もちと赤飯のおにぎりの接待をしていた。遍路にでるまではお接待に対して半信半疑だっ たが、実際にきてみるとごくふつうにどこでも行われているので驚く。しかし遍路も10日目くらいになると、ご く自然に感謝して受けることができるようになった。
|
4月5日(火) 23番薬王寺 今日はいよいよ徳島県最後の札所、23番薬王寺だ。22番門前の宿を早朝に出発し、すこし遠くなるが、 海辺の道を通って午後3時に日和佐の町に着く。距離は20キロほどだが、足のマメをがまんして歩くのは かなり辛かった。今日は快晴で、海もおだやか、まさに「ひねもすのたりのたり」の春の海だった。日和佐の 町では1匹の黒い犬がそばにくっついて離れず、薬王寺や買い物のスーパーや宿をすべて案内してくれた。 (写真)。ここで徳島県の札所はおわりだが、つぎの高知県にひきつぐことを考えると、もう2,3日歩いて、 県境あたりまで行っておきたい。夜はとりあえず締めくくりとして、しばらく行動をともにした同宿の2人と、宿 の近くの寿司屋でお別れ兼打ち上げの食事をした。
|
4月6日(水) 日和佐町〜牟岐町 朝、日和佐の宿をたち、足のマメをだましだまし牟岐までの17キロを歩いて、午後の2時前に宿に入る。 道はJR牟岐線にぴったり寄り添った国道55号線ばかりを歩くことになり、車の騒音と傷んだ足の裏に対す るアスファルトの衝撃で疲れる。弁当がないので、今日の昼食の心配をしていたら、前に止まっていた車か らひとりの男性がおりてきて、「ここから2時間ほど行った牟岐警察署の前で、テントをはってお遍路さんに お接待をしていますから、ぜひお寄りください」と言って帰っていった。それならとどこにも寄らずにテントに直 行すると、数人の女性がふかし芋(写真)とコーヒーとお菓子とポンカンを用意して待ってくれていた。四国で は食事のことであまり気をもまなくても何とかなるようである。
|
4月7日(木) 牟岐町〜宍喰町 昨夜からの雨が、小雨ながらぽつぽつと降ってるので、ポンチョを着て宿を出発する。いよいよ徳島遍路 の最終日で、ゆっくり歩いて県境の宍喰町まで行けば、とりあえず今回は終了で明日、JRとバスで帰る予 定である。宿をでてすぐに番外札所の鯖大師(写真)を参拝。正規の札所並みににぎわっていた。ここは、 ひとりの馬子が積荷を塩鯖をさしだして大師に馬の病気平癒を願ったところ、大師がその鯖を海に放つと、 生きかえったというゆかりの地で、この故事をもとに、鯖を3年間絶って祈願すると願いがかなうと言われて いる。納経所で缶ジュースを接待される。国道55号線をのんびり歩いて、午後2時前に宿に着いた。 |