修 行 の 道 場(高知県)

第二十四番 最御崎寺〜第三十九番 延光寺  平成17年5月16日〜6月1日

 

  5月16日(月) 24番最御崎寺に向けて移動

  前回、宍喰で泊まった翌日、高知県まで一歩踏み入れて甲浦から列車で帰ったので、今回は甲浦から出発である。

 前日から泊まっておいて、朝の7時半に甲浦の宿をでる。室戸岬にある24番最御崎寺(ほつみさきじ)まではむりをす

 れば今日中に行けないこともないが、のんびり遍路がモットーなので、甲浦から24キロほどの尾崎という所の民宿で1

 泊することにしている。途中は番外霊場の東洋大師と佛海庵がある程度で、あとは店も自動販売機もない海と道路と

 山だけの道(写真)がほとんどである。幸い今夜同じ宿に泊まるという広島のお医者さんと途中で一緒になって、道中

 体にためになる話を聞きながら、2時に宿に着いた。友人には今回、四国病院に再入院だと言って出てきたが、まさ

 に入院した気分になってきた。

 

  5月17日(火) 24番最御崎寺〜25番津照寺                                            

  今日はいよいよ室戸岬を通過する日である。7時15分に宿をでて、10時45分に室戸岬手前に立つ青年大師像(写

 真)の前に到着する。立ち寄って参拝したあと、すぐ近くの大師が修行したという洞窟『御厨人窟(みくろど)』も参拝。

 以前車で来たことがあるが、いつ来ても不気味な洞窟である。ここから標高で165メートルほど山道を一気に登ると

 24番最御崎寺(ほつみさきじ)がある。帰りは自動車道を高知側に下れば室戸岬を通過したことになる。今日はここ

 から6.5キロ先にある25番津照寺(しんしょうじ)もお参りし、さらに3キロほど歩いて26番金剛頂寺への登山口にあ

 る宿に泊まる。今日1日で24キロほど歩き4時に宿に入る。今日も1日行動をともにした広島のお医者さんが、宿に

 着くとすぐに足の”三里”に鍼を打ってくれた。

 

  5月18日(水) 26番金剛頂寺                                                    

  しばらく晴天が続いたが今日は朝から曇っている。予報では午後から雨らしい。朝7時に宿をでて26番金剛頂寺め

 ざして山を登る。金剛頂寺は標高165メートルの山頂にある。この寺は今まで2度の火災に遭っているが、国の重要

 文化財をたくさん収蔵した霊宝殿もある立派な寺で、最御崎寺が東寺と呼ばれるのに対して、西寺とも呼ばれている。

 なぜか山門には仁王様のかわりに大きな草履がふたつ立てかけてある(写真)。今日はこのあと山を下り、国道沿い

 に27番神峰寺(こうのみねじ)の麓まで21キロほど歩く。途中、トマトの無人販売所でひとりの女性から、一袋お接待

 される。11時過ぎから雨になり、雨の中をほぼ5時間ほど歩き続けポンチョの中までびっしょりになって、4時すぎに宿

 に着いた。

 

  5月19日(木) 27番神峰寺                                                      

  雨はあがる。山の上はまだ曇っているが、宿に荷物を預けて、6:45神峰寺めざして遍路道を登り始める。神峰寺は

 距離にして4キロほど、高度で430メートルある。登山道は雨上がりで非常に蒸し暑い。湧き水を飲みながら登る。

 途中でホトトギスと春ゼミの初音を聞く。8:05山門に着く。境内は整然としていて、特に造園の手入れが行き届いてい

 る(写真)。広大な敷地内の造園、手入れを一切まかされているというおじさんに会って、これからさらに上の神峰神社

 と空海の展望塔(標高570メートル)まで登るつもりだと言ったら、道の手入れができていないと気にして、神社まで車

 で先回りして待っていてくれたり、下山している時はまた車で追いかけてきて、冷たい壜ジュースを接待してくれた。11

 時、宿で荷物を受け取り、国道をひたすら安芸市に向かって歩く。4時間歩いて午後3時すぎ安芸市のビジネスホテル

 にチェックインする。午後からは晴れ、とても暑い一日だった。

 

  5月20日(金) 28番大日寺                                                      

  今日も一日晴れて暑い一日だった。今日は朝7時に宿を出発し、土佐湾に沿って25キロほどひたすら歩き、夕方に

 28番大日寺に着き、門前の民宿に泊まることにしている。そのうち前半の10キロはサイクリングロードとして整備され

 た道で、車は一切通らず松並木による木陰もあり非常に快適だった。海はおだやかで、めずらしく砂浜が10キロも続

 いていて、時たま釣り人が竿を出している程度でひっそりとしていた。ところが琴ヶ浜(写真)に来ると急に大勢の人が

 浜に集まっていて、地引網でもしているのかと思ったら、近づいてみると映画のロケだった。どんな映画かは解らなか

 ったが、夕方のテレビニュースでこの秋に封切りされる「MAZE 南風」のロケということが解った。高知遍路を始めて5

 日目になるが、広島のドクターIのおかげでめずらしく足にマメもつくらず快調に歩いている。

 

  5月21日(土) 29番国分寺〜30番善楽寺                                             

  今日は初日から6日間にわたって行動を共にしたドクターIとお別れの日である。宿を7時に出て、29番国分寺と30

 番善楽寺をまわって午後3時ころに高知駅に着き、4時の高速バスで広島に帰られる予定である。”遍路の医学”と

 題して、脳の活性化、日焼け予防法、リュックの担ぎ方、杖の効用、足の疲れとマメ予防のためのツボマッサージと

 鍼治療法など連日講義を受けた直弟子としては、先生と別れるのが非常に名残りおしい。1日の行程としては余裕が

 あるのでなるべく師弟の時間を大切にしながら歩く。予定のコースからははずれるが、善楽寺の隣にある土佐神社(

 写真)に寄ってみて、歴史の重さと荘厳さに圧倒された。予定通りの時間に高知駅に着き、今夜予約しているビジネス

 ホテルのロビーで最後のコーヒーを飲み、バスまでの見送りは意識的に避けて、高知駅前で3:45にお別れした。

 

  5月22日(日) 30番奥の院・安楽寺                                                 

  今日は朝から雨が降る。先へ進むことをあきらめて、高知駅前のホテルに滞在をきめる。10時、傘を借りて町にで

 る。駅からそれほど遠くない安楽寺をまず訪ねる。ここは最近まで善楽寺とともに30番を名乗り、善楽寺が『開創霊

 場』、安楽寺が『本尊安置の寺』として共存していたが、平成6年より、善楽寺が第30番札所、安楽寺がその奥の院

 となったそうである。雨が降っていなければ、31番竹林寺に行くのに遠回りになるので省略するつもりだった所である。

 参拝の後、国宝高知城(写真)にまわったら、追手筋に朝市の露天が並んでいた。高知遍路初日の宿に、携帯の充

 電用ACアダプタを忘れてきたので、賑やかな都会にいる間に携帯ショップに行って機種変更をした。

 

  5月23日(月) 31番竹林寺〜32番禅師峰寺〜33番雪蹊寺                                    

  昨日の雨もあがりだんだん晴れてくる。6:20にホテルをでて、6:30高知駅の喫茶店で朝食。6:50出発。本来の遍路コ

 ースにもどるまでは地図も曖昧なので、土佐電鉄後免線に沿って電停”文殊通”まで出る。ここで遍路コースにのれば、

 あとは遍路地図を頼りに歩ける。今日は31番竹林寺から32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)を経て、33番雪蹊寺まで足を

 のばす。途中、種崎から長浜まで5分間の県営の渡しもあり変化に富んでいる。1日の総距離で20キロほどなので、

 2時前に宿に着き、荷物を置いて雪蹊寺にお参りした。今日の3つのお寺の内で印象に残ったのは竹林寺である。五

 台山の牧野(富太郎)植物園に隣接していて、奈良の女人高野・室生寺を思わせるひっそりとした佇まいと、五重塔(

 写真)が趣き深かった。

 

  5月24日(火) 34番種間寺〜35番清滝寺〜36番青龍寺                                      

  今日は高知での1日停滞のロス分を取り戻すため、もともと2日間かけて歩くつもりだったコースをがんばって1日で歩

 く。総距離は30キロを越えるので、朝も早く6:50に宿をでた。平地を7キロ歩いて8:20に種間寺に着く。造園屋が境内の

 樹木に殺虫剤を撒いていて気分は良くないが、納経所で飴の接待をしてくれたので相殺される。次の清滝寺までは10

 キロあり、途中で四万十川を越えて日本最後の清流といわれている仁淀川を渡る。しかしかなり下流にもかかわらず水

 量は少なかった。清滝寺で山の中腹まで登り、下りてきてからコンビニで助六寿司を買って昼食にする。あとは最終目

 的地の青龍寺までの11キロは平地ばかりだと思っていたら、県道39号線の塚地坂トンネルの前で遍路道は山に登り

 始めた。空海の時代にはトンネルがもちろんないので、空海のあとをたどるなら仕方がないことである。結局、高さ190

 メートルの山を越えた。青龍寺はほぼ平地にあるが、そのかわり本堂までの石段(写真)は170段あった。

 

  5月25日(水) 37番岩本寺に向けて移動                                               

  昨夜泊まった宿は青龍寺からドライブウェイを登った高台にある国民宿舎で、露天風呂からも海が見渡せる素晴ら

 しい所だった。すぐそばには青龍寺の奥の院もあり、朝はそちらにお参りしてから出発した。つぎの37番岩本寺まで

 はほぼ60キロあるので、今日はその中間にある安和(あわ)まで行って泊まることになる。青龍寺は須崎市から東に

 15キロにわたって突き出した半島の先にあり、今日の午前中はその半島の付け根に向かって歩く。しかし海岸線が

 すべて切り立っているので、県道は山の稜線を縫うようにつながっている。眺めはいいが、たえず登ったり下りたりす

 るので体はきつい。よく晴れて海はおだやかで、遠く足摺岬が見えた(写真)。到着するにはもう5日ほどかかるが、や

 っと射程距離に入ってきたようでほっとする。

 

  5月26日(木) 37番岩本寺                                                       

  高知県はほとんどの宿でインターネットの電波が繋がっていたが、昨日は珍しく繋がらず、今日は2日分まとめてアッ

 プすることになる。36番青龍寺から2日がかりで今日の夕方やっと37番岩本寺(写真)に着いた。今日もほぼ30キロ

 程歩いたが、昨日できた足のマメを昨夜のうちに切開して水を出し、消毒してバンドエイドを貼っておいたら、今日は何

 の苦痛もなく歩くことができた。これもドクターIのお陰である。本日のコースでは2度の山越えがあった。最初は安和(あ

 わ)の宿をでてすぐに焼坂トンネルを迂回するための焼坂峠越えで、標高228メートルの山を越えた。一旦標高20メー

 トルの土佐久礼(とさくれ)まで下り、つぎは”そえみみず遍路道”と呼ばれる標高409メートルの山越えがあるのだが、

 幸か不幸か現在、高速道路建設用に樹木を伐採中とのことで通行禁止になっていたので、平坦な大坂遍路道を行く。

 こちらは5キロにわたってゆっくり登るのだが最後の1キロだけ一気に200メートル登るようになっていて、これはこれで

 結構きついものだった。

 

  5月27日(金) 足摺岬に向けて移動第1日目〜土佐白浜泊

  岩本寺が終わると次は38番金剛福寺だが、これが足摺岬の先にあって、距離にすると80キロ以上ある。頑張れば

 3日で行けないことはないが、のんびり遍路としては4日かけることにしている。今日はその初日である。ほぼ国道56

 号線に沿って1日歩けばいいわけだが、国道のトンネルなどの危険な場所はなるべく避けて山に登るように遍路道は

 設定されている。いやなら国道を歩いてもかまわないのだが、遍路道を行く方がたいてい近道になり、風景に変化もあ

 り、なにより静かなのが一番である。今日も2つほど遍路道があり山の登り下りをしたが、途中で農家の前を通ったら

 外に昔懐かしいかまどがあり、そこで今が旬の破竹をゆでていた。又、土佐佐賀の手前では、明治時代にれんがで作

 られた前長90メートルの熊井トンネル(写真)があり、車はもちろん人っ子ひとりいなかった。ひょっとしたらお遍路さん

 と通学児童だけが利用しているのかもしれない。

 

  5月28日(土) 足摺岬に向けて移動第2日目〜中村泊                                      

  足摺岬に向けてのんびり4日かけて移動する今日は2日目である。1日に歩く距離は23キロほどだから、まったく急

 がない。先週の日曜日の高知での雨以来、6日間ずっと晴天が続いている。歩く身には幸運だが、家の畑がちょっと

 気になる。昨日泊まった所は土佐白浜という名前がついている。高知県の海岸線は桂浜は別として、ほとんどが黒い

 ごつごつの岩ばかりである。宿の前もそうで、どこが白浜かと思っていたら、今朝歩いているうちにやっと見つかった

 (写真)。南紀白浜とつい比較してしまいそうである。今日歩く道は国道がほとんどで、土佐入野あたりだけ遍路道が海

 側の広大な砂丘と松原の中を行くようになっていたが、松原の中で道に迷い、通りがかった人に聞いてやっと国道に戻

 ることができた。砂丘地帯はちょうど今、ラッキョの収穫期のようで、町中にラッキョの匂いが充満していた。宿は中村

 にあるホテルだが、四万十川はちょっと離れていてまだ見ていない。

 

  5月29日(日) 足摺岬に向けて移動第3日目〜久百々(くもも)泊                                

  足摺岬へ向けての移動も今日で3日目、いよいよ目の前に足摺が見えてきた。明日の午後には到達できるだろう。

 朝の出掛けにホテルのフロント氏が、「今日はどうも雨になりそうです」というので、とりあえず菅笠とリュックにカバーを

 して出発したが、曇って蒸し暑いだけで雨にはならなかった。出発してしばらく後川の左岸堤防を下っていると、自然に

 四万十川と合流(写真)し四万十川左岸堤防となる。四万十川はさすがに水量は豊富だったが、水の透明度は下流の

 せいか、期待していたほどではなかった。日曜日でもあり、川原ではヘリコプターも動員して住民参加の大規模な防災

 訓練が行われていた。四万十川をすぎると国道は単調な山越えばかりとなるが、1ヶ所だけ長さ1,620メートルという長

 大な新伊豆田トンネルがある。ここにはバイパスする遍路道がないのでいやでも通らなければならない。幸い段差の

 ある歩道がついているので安全なのだが、うるさいのといくら歩いても出口の明かりが近づいて来ないのにはうんざり

 した。

 

  5月30日(月) 足摺岬に到着、38番金剛福寺                                           

  真夏のような日差しの1日となる。朝、宿を立って5時間歩きつづけ、昼前に念願の足摺岬に着く。東海岸線の最短

 ルートを取ったので、道路は最初は国道321号線で、途中から県道27号線に変わる。そして岬に近づくにつれ海岸線

 は断崖絶壁ばかりとなり、県道は海岸から離れて高台を行くことになる。岬全体がジャングルのような木々に覆われて

 いる。そのため室戸岬とちがって、人も車も海には近づけない。車で来た人は、海の見えない駐車場に車をとめて、灯

 台(写真)に行くにも、展望台に行くにもジャングルの中を歩かなければならない。38番金剛福寺の多宝塔も離れて見

 ると東南アジアの密林の中にある寺院のように見えた。しかし山門を入ってみると、嵯峨天皇以来歴代の天皇家の勅

 願所になったという寺で、自然に心がやすらぐいい寺だった。納経所では住職が冷たい緑茶のパックをお接待してくれ

 た。

 

  5月31日(火) 足摺岬から久百々にもどる                                              

  早朝に宿をでて足摺ジャングル(写真)をあとにする。そしていよいよ次の39番延光寺で高知県も終わりである。しか

 し足摺岬から宿毛市の39番までは又2日かかる。コースは何通りかあるが、最短距離となると来た道を市野瀬分岐ま

 で28キロもどり、そこから三原峠に向かうのが一番である。28キロ戻る途中の20キロあたりに一昨日泊まった民宿が

 あるので今日はそこでもう1泊する。明日は帰りの都合もあり、39番からさらに7キロ先の宿毛駅まで歩いておきたい。

 すると宿からの総距離が42キロとなる。今日が20キロで明日が42キロではあまりに差がありすぎる。そこで考えたの

 が、今日は早朝に足摺をでたので昼前には宿に帰り着く。そのまま午後をぼやっとしていたのでは勿体ないので、昼食

 後に8キロほど明日の分を歩いて市野瀬分岐まで行く。そこで宿に電話をして車で迎えに来てもらう。明朝も車でそこま

 で送ってもらえば、明日の距離が34キロに減る。これならなんとか1日で歩けそうだ。まったく自分勝手な計算だが、宿

 の奥さんは快く引き受けてくれた。というわけで、歩いて1時間40分かかった道を、先ほど10分で帰ってきた。

 

  6月1日(水) 39番延光寺                                                        

  いよいよ今日で高知遍路も最終日である。昨日すでに今日の分8キロを歩いているとはいえ、残り34キロもあるので、

 朝早く 6:05には市野瀬分岐まで送ってもらった。今日歩く道はコースとしては最短距離なのだが、あまり人気がないよ

 うである。というのは登り下りが多くてしんどいのと、殆ど人の住んでいない所ばかりなので、店はおろか自動販売機もな

 く、もちろん人にも会わないという寂しい道だからである。人に会わない代わりに今日は珍しい動物に2回出会った。1回

 目は峠道を登っている時にイタチが目の前に跳びだしてきたと思うと、こちらの姿を見てあわてて又引っ込んだ。次は、

 真念遍路道という一昨年に復元開通したばかりの山道を通っている時に、足元に蛇かと思ったら、化け物ほど大きな紫

 色のミミズ(写真)が這っていた。誰もいないはずの山道でばったりとひとりの老人と出会ったら、この遍路道を開いた張

 本人だった。「よく歩いてくれました」と喜ばれて、お接待として500円玉と弁当に持ってきていたきなこおにぎり2個とみ

 しょう柑という大きなみかんまで頂いた。早く出たかいがあって、午後1時半には高知最後の札所、39番延光寺に着い

 た。そして最終目的地の宿毛駅に行ってみると、事故の後遺症がまだ残っていて、駅は閉鎖状態で、客扱いはとなりの

 東宿毛駅からだということだった。しかし次回の愛媛遍路はこの宿毛駅からスタートすることに変わりはない。