バイク道楽日誌 No.36

2001年6月24日(日)   「大型自動2輪教習 卒業検定」

(人事を尽くして天命を待つ)

 昨日、教習全部終了の見極めをもらい、今日の卒業検定の申し込みをして帰宅後、昼間から缶ビールを1本飲んで1人で乾杯。そのあとホームページの更新をしてからは、寝転がってバイク雑誌をぱらぱらめくるという、満ち足りた時間を過ごしていたが、やはりだんだんと検定のことが気になってくる。受かる確率は五分五分で一か八かで臨むと言っても、落ちたら補習を受け、また検定を受けなくてはならず、それが何度続くか分からない。時間も金(補習1時間と検定料で約1万円)も誠にもったいない。

 運を天に任せて何もやらないでいるよりは、少しでも努力をして臨むべきだという気持ちが沸いてきて、夕食後、教則本をもう一度読了(といっても、写真が多いので大したことはない)したり、拡大コピーした検定コース図の要所要所に、これまで指導員から注意されたことを赤で書き込んでいったりする。これらが、少しでも頭に残っていて、検定中、自然と動作に出てくれればよいと考えたのである。また、自分は本番に強い男だと暗示をかける。普通2輪の時も一発で受かったし、試験に限らず、この歳まで、いろんなプレッシャーのかかる事態を何とかしのいできたではないかとも考えた。

 それでも、いつまでもそのような努力も続かず、酒の酔いも手伝って、早めに就寝。

(本番)

 今日の検定受検者は普通2輪8名、大型2輪7名の計15名。朝8時50分までに集合し、本日のコースの発表や諸注意があってから、9時半頃に検定開始。普通2輪と大型2輪の受検生が1人ずつ交互にスタートする。問題はスタートの順番だが、くじ引きとかで決めるのではなく、教習所側が予め決めていた順番を検定員から通告される。私は大型の5番。よく見てみると、若い人から年齢順に続いて、(これが絶妙なところだが)私の後にまた若い人を2名続けたという感じ。3番の人は30代後半、4番の人は40代前半、そして50代の私というわけである。我々の前後2名ずつはどう見ても20代。

 3,4,5番のおじさん組3人であれこれ話をしながら順番を待つ。3番の人は先週検定を受けて、スラロームでパイロンを倒して不合格となり、今日が再受検とのこと。スラロームはコースの最後にあるのだが、そこまでノーミスで来て、最後に引っかけたという。3人で話ながらも他の受検生の走りをチラチラ見ていると、みんなうまい。発進や右左折等の度に頭を左右、前後に振って「確認」のアピールをするのだが、その動作があまりにも大げさ過ぎる人がいて、3人で思わず笑ってしまう。そのくせ、頭振りの青年は、ゴール後に、後方確認をしないままギアをニュートラルにするための足の踏み替えをしてしまった。3番さんも4番さんも無事完走した。特に、先週失敗したという3番さんは教習の休憩時間であったため、対向車等が一切なく、誠に今回は運が良い。

 いよいよ私の番。発進のための諸動作は落ち着いてできた。最初の外周の加速もばっちり。坂道発進からグルッと回ってS字に進入するまでの走行も問題ない。ただ、S字を出るとき、やや膨らんだ。クランクに入るところでは、普通2輪の教習車が先に入っていたため、手前で待つように指示がある。一旦停止してからクランクに進入するのはあまり好きでなく、ややついていない気がする。信号や踏切等はそつなくこなし、いよいよ最終段階、4つの課題が連続するところ。まず、波状路は少し腰が引けていたかなと思う程度で問題なく通過。急制動は40キロそこそこのスピードで入り、停止線に2メートルくらい余裕を持って停止。おまけにクラッチもしっかり切っている。ただ、最後の瞬間、「キュッ」と、後輪がロックしたような音がしたのが気になった。一本橋は、明らかに速すぎ。全然ぐらつかない代わりに、リアブレーキも軽くしか踏まない。最後にスラロームは、いつもだとコーナーとコーナーの間でグッグッとアクセルを吹かせるのだが、それが今日は最後のコーナーあたりでは出ず、おとなしく通過した感じ。3番さんの前回パイロンを引っかけた話が気になっていたのだろう。しか し、とにかくゴールまで完走し、ホットして降車動作を完了して検定員に頭を下げた。

(結果発表までの悪夢の時間)

 終わってホットしたのが早過ぎたことが、その直後に分かる。降車した直後に、めいめいの受検者に検定員から3個のストップウオッチを示されながら、時間を測定する課題の結果だけを教えてもらうのだが、なんと、私の一本橋は8秒台、スラロームも8秒台と言われる。波状路こそ6秒台だが、これでは一本橋で10点、スラロームで10点、計20点の減点だ。私のことだから、減点がこれだけということは決してないはず。S字の出口の膨らみや、クランクの途中のウインカーの左右出し間違い(すぐ直したが)もあった。一番気になったのは急制動の後輪ロック。4番さんに聞いたら、「ロックしたら減点10点だけど、検定員は気が付いていないかもしれませんよ」と慰めてくれる。しかし、こういう場合は悪いほう悪いほうにばかり考えるもので、早くも私は諦めモード。3番さんに、落ちた場合の補習の申し込み方法などを真剣に聞いている。今日は完全に「守りの走り」であった。たとえ試験でも、もっと積極的な走りをすべきであったと後悔する。

 1時間ほど待って、大型2輪の受検生だけ集められて合格発表。合格した者だけ教習生番号を読み上げられ、返事をしなければならない。受検した番号順に読み上げられ、4人目まで続いた後、「6947番」と確か私の番号と思われる番号を呼ばれるが、落ちていると確信しているものだから、誰か他人の番号じゃないかと、とっさに返事が出ない。検定員がジロッと見渡したが誰も声が出なかったところで、ようやく自分だと確信し、小さな声で「ハイ」と返事する。とたんに、言いようのないうれしさがこみ上げてくる。結局、大型2輪は最後の受検生だけが不合格で、あとの6人は合格。

 その後、1人1人に講評がある。最初は不合格となった若い人で、講評の声が小さいのでよく分からないが、どうやら一本橋で足を着いたらしい。3番さんは、「特に言うことはないです。なかなか良かったですよ」と言われている。私には、「一本橋とスラロームの時間が少し問題でしたが、実際にはこんなところ走りませんからね。それと、左折の時に少し膨らんでいますが、全体に走りは良かったですよ」とのこと。普通2輪は、8名中、5名が合格していた。

(最低点の合格)

 皆に講評が続いているとき、4番さんが「点数は聞きました?」と聞くので、「いや、教えてくれなかったですよ」と言うと、「聞けば教えてくれますよ。私は85点でした」とのこと。ここでノコノコと、検定員に点数を聞きに行ったのが間違いであった。「すみません。私は何点だったのでしょう」と聞いたら、気の毒そうに、「70点です」とのこと。一緒について来た4番さんにもしっかり聞かれてしまった。自信がなかったのを裏付ける、本当に最低ラインでの合格であったのだ。不合格とは紙一重である。点数を聞かないで、80点くらいで受かったつもりでいた方が幸せであったかもしれないが後の祭り。(ちなみに、帰宅後調べたら、急制動での車輪ロックは、タイヤをロックさせたまま1メートル以上滑走させたときは減点だが、私の場合は多分一瞬のロックだから減点になっていない。と言うことは、左折時の膨らみ等での減点があったということか)

 合格発表はお昼前に終わったが、卒業証明書の交付は2時過ぎとのため、仲良くなった3番さん、4番さんと教習所の近くのラーメン屋で昼食を取りながら、にぎやかに話す。3番さんはトラックの整備士で、友人にもらった15年前のCB(?)900をレストア中。4番さんは自動車会社員で、すでにヤマハのV-MAXを購入済みとのこと。これは1200CCで乾燥重量264キロという代物だ。ひとしきり、乗りたいバイクや、行きたいところ、家族の理解の話などをする。昼食後教習所に戻ったら、ちょうど昼休みで2輪の指導員が5,6人外に出てだべっていたので、挨拶に行く。私が近づいていくと、1人の指導員が笑いながら指でOKサインを出している。皆さんに丁重にお礼を言う。本当に、この教習所では一度もイヤな思いもさせられず、楽しく教習を終わることができた。 

 考えてみると、最低点の合格というのは、私にとって誠に心憎いばかりの天の配慮だ。もっと高い点での一発合格では有頂天になったであろうし、今後とも自分の実力をわきまえて用心しながら乗っていくには、最低の点数が一番良い。

 教習・検定総括
    所要期間 15日間(2001年6月9日〜6月24日)    費用総計 9万8,820円