97年10月4日(土) 「自動2輪教習スタート」
(感激の初走行)
今日から近所の自動車学校で、自動2輪教習のスタートだ。
教習1時間目は、バイクの取り回しであった。スタンド掛けや押し回し、わざわざ倒してからの引き起こしなど、いろいろやらされたが、これはバイクの重さを実感させるためのものであろう。走っているときは軽やかに見えるのに、バイクがこんなに重たいものとは思わなかった。しかしながら、一緒に受けた細身の体型の大学生ともども、一応難なくこなせて、エンジンのかけ方なども習う。
連続教習の2時間目は、いよいよコース走行だ。ギアは2速までしか入れず、トロトロと指導員の後をついて走るだけであるが、この重い鉄の塊を自分の意志で動かしているという感覚がたまらない。グルグルとコースを回りながら、ついに夢を実現したという喜びがこみ上げてきた。
(バイクは危険の大合唱)
思えば、ここまで至る道のりは結構厳しかった。50才を超えてバイクを始めるなどとんでもない、危ないからやめなさいという家族や友人の反対である。私としては、みんなが乗っているバイクに自分も乗りたいという程度の軽い気持ちであったのだが、案に相違して周囲のバイクに対する認識は異なっていた。
バイクに乗りたいと思った直接のきっかけは単純で、近場にあちこち出かけるのに、車での不便を感じていたためである。渋滞や駐車場難がイヤで、その解決として原付のスクーターを買ったのだが、これがなかなか楽しい。しかし、最高速度が制限されているため、車と一緒に走るのが危ない。そこで、もう少し大きなバイクに乗りたいと思ったのである。
高校生時代にトーハツのランペットというギア付きの原付バイクで走り回った経験もあるので、本格的なバイクでも簡単に乗れるという自信があった。
ところが、原付スクーターは巷にあふれて市民権を得ているのに、本格的なバイクはまだまだマイナーな存在らしく、これに乗りたいと言い出したとたん、危ないからヤメロの大合唱にあってしまった。「この年だから無茶しないので大丈夫」と言えば、「運動神経が衰えているから危険」だと言い返される。
(ニフティサーブ・バイクフォーラムのこと)
このような中、やはりバイクに乗ろうという意志を固めたのには、パソコン通信・ニフティサーブのバイクフォーラムの存在が大きい。そこの会議室に見るライダーたちは、バイクを純粋にスポーツないしは趣味として楽しもうという人たちばかりで、非常な活気に満ちており、それでいて、暴走族などとは無縁の極めて健康的かつ良識的な人たちの世界であった。
ひとつの、バイク文化といった世界があることを知って、私はますますバイクへの思いが深まった。
この会議室に、「この年でバイクを始めることの是非」を問うたところ、あっと言う間に多くの方々から励ましのコメントをいただいた。そして、皆さんの意見から、危険の問題については、しっかりしたツーリングギアを身につけるなど、自分で責任を持って対処するしかないことを自覚した。
(理解のきっかけ)
最終的に、私が最も弱い妻の理解が得られたきっかけとなったのは、妻が思いあまって九州・福岡に住む私の姉に電話で相談してからであった。もと小学校の教員をしていた私の姉は、妻の予想に反して、「自分が知っている校長先生は、定年退職後、オートバイに乗って、日本列島を春は桜前線を追って北上し、秋は紅葉前線を追って南下する旅をしている。そのような趣味があってもよいのではないか」と言ったのである。私の母も、妻の電話に対して、「気をつけて乗らせなさい」と言ったのである。さすが、九州の女性は腹が据わっていると言うべきであろうか。
これをきっかけとして、積極的に賛成とは言わないまでも、妻は私が免許を取ってバイクに乗ることを反対しなくなった。