今月のトピックス

 

このページでは、Msが聴いた演奏会の報告、その他音楽ネタを毎月更新してゆく予定です。

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2007年

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2003年

2002年

2002年の総括

 昨年に引き続き、ニールセンの生体験がぞくぞく続いていることが何と言っても嬉しく、また感激である。その中で特筆すべきは、アマデウス・ソサイエティ管弦楽団による交響曲第4番「不滅」(7月)、これこそ、今年最高の感動を与えてくれた。一生忘れられないだろう。プロでもここまでの精度でまとめきれまい。この演奏に出会えたことは私の生涯の貴重な財産であると断言できる。我がHPにとっては、この団体との出会いが、「アマオケ応援」ページ作成の原動力ともなった。アマチュアの活動、部外者にしてみれば取るに足らないものも確かに存在するだろうが、広く一般にもっと知られていい活動も多々ある。ある意味、プロを超えるような演奏を聴かせてくれる団体も(東京には)多いことにも気がついた。そんな地道ながらも着実な成果を挙げているアマオケ活動の紹介を兼ねて作ったページでもあり、是非参考にしていただければ・・・・横道にそれてしまったがその他、ニールセンの生体験は大豊作、土日出勤も多かったため平日上京も可能で、オーボエのための幻想的小品(2月)、ヴァイオリン・ソナタ第1番(3月)など比較的珍しいものも聴けた。さらには、断然名演を聴かせてくれた木綾子のソロによるフルート協奏曲(4月)。ニールセンが着実にレパートリーとして定着しているのが実感できた一年だ。
 ニールセンの室内楽に触発されつつ、2000年のショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲のライブ以来、密かに続いていた室内楽に対する興味感心が高まりつつあった年でもある。アフィニス音楽祭(8月)も楽しく、今後も夏には避暑がてら通いたいもの。アフィニスでも聴く事ができた、特にブラームスの室内楽には一目置いて今後もライブを楽しみたい。有名な弦楽六重奏曲第1番(11月)との出会いも幸福なひとときであった。
 ただ、ニールセン、及び室内楽の感動故にか、または、そもそも鑑賞体験の減少ゆえか、自分にとってショスタコーヴィチの影が薄かったような気もする。一通り聴きたい物を聴いてしまったという面はあろうが、やや淋しい。そんななかでの、ダスビダーニャ(2月)の、交響曲第2、3番は、素晴らしいものである。いつも元気づけられます。
 その他、外来オケとして特筆しておきたいのは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス&ブロムシュテットのベートーヴェンの7番(3月)。さらにアンコールのエグモント序曲。ドイツの伝統の響きを堪能した。ニールセンの6番がプログラムから外されてしまったのは返す返すも残念だったが、それを忘れさせてくれるほどの演奏で満足。
 自分の演奏活動としては、前半半年間事実上の休業で不振の1年。その中では、愛環音楽祭(9月)のカルメン、はオペラ風な演出と佐藤寿一氏という素晴らしい指揮者との出会い故に楽しい思い出として心に残る。また、岐阜県交響楽団(11月)、豊田楽友協会管弦楽団室内楽発表会(11月)は、アマチュア演奏家としての自分の存在を確かめさせてくれる良い機会でもあった。
 最後に、今年は海外旅行がかなわなかったかわり、広島、倉敷への旅行(10月)が楽しく印象的だった。広響のいきいきとした演奏、ノルディックサウンド広島訪問、そしてトゥビン息子夫妻との出会い、も貴重な体験として忘れられない。

(2002.12.30 Ms)

2001年

2001年の総括

 今年最も印象に残っているのは、何と言ってもニールセンの交響曲第5番に生で触れることのできた三つの演奏会だ。N響、ブロムシュテットによる東京、大阪での演奏(4月)、そして、それに先立つ新日フィル、キンポウイシイ・エトウ(3月)。やはり、初体験となった新日フィルの衝撃は忘れられず、また、ニールセン伝道者ブロムシュテットによる意表をつかれた新版による演奏もとまどいはあったものの意義深く心に刻まれている。ただ、ニールセン没後70年、もっと聴く機会を期待しながらも今年後半につなげなかったのは残念だが。
 さらに、ショスタコーヴィチ生誕95年、これも今年前半に集中する結果とはなったのだが、新日フィル、竹本泰蔵による映像と映画音楽によるコンサート(1月)が最も素晴らしいものであった。「ベルリン陥落」そして「ミチューリン」。前者に笑い、後者に泣いた。ショスタコの映画音楽作曲家としての才能の確かさを目の当たりにして、昨年の「新バビロン」に続き、彼の映画音楽への興味も膨らんだ。そして、ロシア・アニメ映画祭(6月)での「バザール」「おろかな子ネズミ」鑑賞への引金にもなった。
 また、例年レベルの高い演奏を披露しているオーケストラ・ダスビダーニャ(2月)の「ステパン・ラージンの処刑」、決して有名とはいえない当作品の魅力を充分に堪能させる演奏。そして交響曲第12番、作品の質に対して問題を投げかけた演奏。どちらも忘れられない。今回の演奏を期に「ステパン」の合唱譜が出版されたことも含めて日本音楽史上特筆すべき事件であったと私は確信する。その他、悲しいことに「戦争」の年であったことと偶然呼応して、交響曲第8番の演奏が続いた事も興味をひく。東京フィル、井上道義(11月)のみ足を運んだが曲の持つエネルギー、再認識させられた。私の演奏活動としては、豊田楽友協会管弦楽団による交響曲第5番(6月)に参加できて感謝。
 その他、外来オケは、ドイツカンマーフィル、ハーディング(11月)のみだったが若きプレーヤー達の将来を充分期待させるもの。
 外来指揮者としては、日フィル、ネーメ・ヤルヴィのシベリウス(6月)、特に「クオレマ」からの4曲が印象深い。
 アマチュアオーケストラとしては、ブレーメン・フィルハーモニー(11月)のR.シュトラウス「メタモルフォーゼン」、ヒンデミット「白鳥を焼く男」、ルスコアール管弦楽団(11月)のバルトーク「管弦楽のための協奏曲」が素晴らしく、東京ではあるが私もリピーターとなり得ると思う。地元としては、蒲郡フィルハーモニー管弦楽団(5月)によるラベル「ボレロ」が一大トピック。奏者としては、先に挙げた豊田楽友協会管弦楽団(6,12月)の二度のコンサートの意欲的な選曲が今年も続いて楽しませて頂いている。
 さらに、今年は邦人作品にトピック多し。岐阜県交響楽団のDAN YEAR2000、団伊玖磨「長良川」(1月)に始まった本年、団氏の急逝(5月)は哀しい出来事であったが、彼の交響曲全集CDの再販、そしてNAXOSレーベルからの待望の日本人作品リリース開始、そして黛敏郎「古事記」日本初演(10月)は行けなかったもののFMラジオにて鑑賞・・・今後も様々な邦人作品との出会いを楽しみにしたい。
 最後に今年も再びフィンランドへの旅行ができ、それもカレリア地方などヘルシンキ周辺以外にも足を運べて幸運であった。新世紀最初の年、年間通じて大変満足いく音楽体験の連続で私のこのHPも話題に事欠く事無く休む暇もなかった。

(2001.12.27 Ms)
加筆(2001.12.29 Ms)


2000年

2000年の総括

 今年は、ショスタコーヴィチ没後25年にあたり、彼の作品の生演奏に多く接する事が出来たのが印象に残っている。最も意義深かったのは、東京の夏音楽祭における映画「新バビロン」の映画音楽全曲の日本初演(7月)。初期ショスタコーヴィチの才能溢れるスコアが映像とともに楽しめたのは素晴らしい体験であった。ショスタコーヴィチに関しては、通常のコンサートとしても、今や日本の音楽界に揺るぎ無い存在感を示していると言えるオーケストラ・ダスビダーニャの交響曲第4番(2月)を始め、広上淳一指揮、日フィルの交響曲第10番、ヴァイオリン協奏曲第1番(7月)、井上道義指揮、東フィルの交響曲第15番、ヴァイオリン協奏曲第2番(11月)など、好演に恵まれた。それらの中でも最も感銘を受けたのは、新交響楽団の交響詩「10月」(4月)である。メインプロの交響曲第7番も悪くなかったが、断然、「10月」のレベルが高くかつ、曲の持つ感動的な力を存分に引き出した今年最高級の演奏と感じ入った。
 セントラル愛知による「ピアノ協奏曲第1番」(5月)を除き、地元愛知県においてそれらのような体験が少なかったのは、本当に残念しきりではあるが、新進気鋭のレイヴンス・ピアノ五重奏団による「ピアノ五重奏曲」(7月)に出会えたのは嬉しい。これまた将来の活躍を大いに期待したい。
 ショスタコーヴィチ以外では、日本シベリウス協会創立15周年における、セミナー・レクチャー・コンサート(10月)が、大いなる感銘を受けた出来事である。舘野泉さんのピアノとお喋りによって、シベリウスの室内楽作品などに対する興味感心が一気に高まった。その他、大友直人指揮、東京交響楽団の「クレルヴォ交響曲」(9月)における男性合唱の充実振りも心に残る。
 その他、新交響楽団による、ヴィラ・ロボス「ブラジル風バッハ第7番」及び、諸井三郎「交響曲第3番」(1月)、セントラル愛知による、エルガー「エニグマ変奏曲」などイギリス近現代プログラム(1月)が、珍しい作品を素晴らしい演奏で直に触れる機会として良かった。
 私の演奏活動において、今年特筆すべきは、豊田楽友協会管弦楽団との共演。「シンフォニック・ダンス〜ウェストサイド・ストーリー」「ラプソディ・イン・ブルー」(6月)そして、「ピーターと狼」(12月)、近現代作品に精力的に取り組む当団での演奏は私に計り知れない楽しみと充実さ、さらには技術向上意欲を与えてくれた。感謝です。
 最後に、今年もヨーロッパ旅行が可能となり、2度目の北欧、デンマーク・スウェーデン・フィンランドを旅したことが印象深い。ニールセンゆかりのオーデンセ、シベリウス生誕地ハメンリンナなど思い出に残る旅行であった。
 20世紀最後の1年、充実した音楽生活に恵まれたものであった。

 

1999年

1999年の総括

 ラハティ交響楽団のシベリウス交響曲全曲演奏最終日の交響曲第5番(10月)をもって今年のベスト演奏としたい。他にも、ゲバントハウスによるブラームスの交響曲第4番(5月)が印象に残った。さらに、東京のアマチュア・オーケストラの活動の充実ぶりも特記すべきである。特に、ショスタコーヴィチ演奏では、ダスビダーニャの第6番(2月)、オーケストラ1905の11番(8月)が壮絶な感動を生んだ。内容の充実もさることながら、歴史的意義において、新交響楽団の芥川也寸志没後10年記念演奏(7月)も素晴らしかった。北欧中心のプログラムを組むエルムの鐘のニールセン、ベルワルド(7月)も楽しませてくれた。
 一方、我が演奏を振りかえってみると、2回行われた某K管弦楽団の演奏会は精彩を欠いたもので残念。特に、芥川の「トリニタ・シンフォニカ」は、観客の支持は集めたものの演奏レベルは最近にない低さと思われる。豊田センチュリーのハイドン「軍隊」(5月)、蒲郡フィルの「ローマの松」(5月)、ヨハン・シュトラウス特集(12月)、名古屋シンフォニアのショスタコ5番(7月)はオケも善戦し共感の持てる演奏で私も1プレーヤーとして概ね満足ゆくものとなった。変わったところで稲沢の鉄工場での12月のクリスマスコンサートでは、編曲、演奏ともに前例のない挑戦をし、充実した感触が得られたのが嬉しかった(芸術的価値はともかく)。
 地域密着の話題としては、小坂井町でのテルミン演奏、そして足は運べなかったが安城市でのデンマーク音楽祭が、今後のさらなる飛躍を期待したいところ。岐阜県交響楽団の精力的な活動の一端に触れることが出来たのも有意義だった。シベリウスの「春の歌」(12月)演奏が特筆される。
 今年の記念作曲家としては、前述の芥川没後10年、そしてショスタコ5番日本初演50年が私にとって最重要であった(名古屋シンフォニアと岐阜県交響楽団に感謝)。ヨハン・シュトラウス2世没後100年は、私に何度も「こうもり」を演奏させたが、リヒャルト・シュトラウス没後50年に関する演奏に恵まれなかったのは口惜しい。また、ショパン没後150年は全く私と無関係であったが、メキシコのチャベス生誕100年でありながら私自身ほとんど忘却していたのは不覚であった。打楽器奏者のバイブル、打楽器合奏のための「トッカータ」の作曲家なのに。
 私個人の出来事としては、ハンガリー・チェコ・旧東独への旅がとても楽しく興味深かった。
 最後に、この「曲解!?クラシックへの勧誘」HPの立ち上げが、私にとっての最大の音楽的出来事であったことを付記しておこう。まさかこんな巨大なHPになろうとは。そして、皆様からの反響の予想外の多さに大変感謝しております。

(1999.12.26 Ms)


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(仮)桑田歩氏と室内楽の森を歩む

’06 3月ブルーメン・フィルハーモニー特別演奏会 〜桑田歩、チェロ独奏・指揮〜

’06 2月第47回なかよしコンサート アンサンブル・ノーヴァ岡山 (赤磐市にて)

’04 12月桑田 歩 チェロ・リサイタル 〜第9回KEKコンサート〜

’04 10月日本室内楽アカデミー 第13回定期コンサート

’04 8月柏木ミュージアム コンサート

’04 4月ストリング・アンサンブル・ヴェガ 演奏会