今月のトピックス
September ’02
9/29(日)第4回愛環音楽祭 「カルメン」
改めて振りかえると、今年初めて、この「今月のトピックス」で、自分の出演したコンサートの紹介をすることとなる。今年前半、事実上演奏活動を停止していたとはいえ、個人的には淋しい限りだ。取り上げるだけの私的なテンションの高さもなければ、わざわざこのトピックスで紹介することもなくなってしまうのだけれど、それはともかく、今年前半は、特にニールセン演奏で素晴らしいものも多々あり、鑑賞者としてのテンションがとても高かった、ということもあろう。
さて、今回取り上げる、「愛環」音楽祭、なのだが、ほとんどの人が始めて聴く名かも知れない。私とて、その存在は知っていたものの、演奏を鑑賞するのも参加するのもこれが始めてである。「愛」の「環」だなんて、なかなか恥かしい気がしないでもないが、何のことはない。「愛知環状鉄道」の略である。名古屋の東部、ベットタウン化しつつある丘陵部をほぼ南北に走る第三セクターによる鉄道である。「環状」と言いつつも、それは将来的な話、現状としては東京大阪のような「環状」ではない。「春日井市」の高蔵寺ニュータウンから、瀬戸ものと呼ばれる陶器で有名な「瀬戸市」、そして、世界のトヨタを冠する「豊田市」を経て、徳川家康の生誕地「岡崎市」へ至る鉄道である。
(余談だが、この愛環沿線を舞台として、2005年に、「愛・地球博」つまり、愛知国際博が行われるので、付記しておきます。個人的には、21世紀型の環境万博、ということであり、会場の一つ、瀬戸市、海上(かいしょ)の森、が里山として保護されるに至った経緯などもふまえつつ、ショスタコーヴィチの「森の歌」がテーマ曲として、愛知県中に響き渡ることを祈念申し上げております。せめて、日本が世界に誇る!アマチュアオーケストラである、オーケストラ・ダスビダーニャによる「森の歌」愛知公演でも招聘できるのなら・・・・と。やや妄想が混入してスミマセン。)
これら4都市の音楽団体が集まって毎年、音楽祭を行っているとのことである。基本的に、「第九」を歌うための合唱団が加盟している手前、原則、「第九」を演奏することを中心に据えた音楽祭として行われてきたようだが、今年は、「第九」から離れて新機軸を打ち出し、オペラ「カルメン」の抜粋を上演することとなった。
個人的には、コンサート全編を「カルメン」に費やすくらいだったのなら、いろいろ打楽器的にも面白い曲が演奏できたのかな、などと思いつつも、多々の音楽団体を擁する音楽祭という性格上、なかなか難しいようで、第1部が、豊田楽友協会吹奏楽団によるステージ。第2部が、春日井市交響楽団を中心とした、愛環音楽連盟オーケストラによるオペラ序曲集(「魔笛」「魔弾の射手」「天国と地獄」)。そして、第3部が、豊田楽友協会管弦楽団を中心とした愛環音楽連盟オーケストラと、4都市の合唱団、豊田市少年少女合唱団とソリストによる「カルメン」という構成である。
私の出演した「カルメン」についての詳細を紹介しましょう。まず、演奏曲目。
第1幕への前奏曲 第1幕より第3番「兵隊さんと一緒に(子供たちの合唱)」 第4番「立ちのぼる煙(タバコ女工たちの合唱)」 第5番「ハバネラ・恋は気ままなものよ、野原の小鳥(カルメンのアリア)」 第2幕より第14番「闘牛士の歌」 第17番「花の歌(ホセのアリア)」 間奏曲(第3幕への前奏曲) 第3幕より第22番「何が何でも恐くはないわ(ミカエラのアリア)」 第4幕より第26番「行進と合唱」 第27番「二重唱と終幕の合唱」 |
出演者等は(敬称略で失礼します)、
指揮:佐藤寿一、
カルメン:牧野真由美(メゾ・ソプラノ)、ミカエラ:赤星啓子(ソプラノ)、ドン・ホセ:平尾憲嗣(テノール)、エスカミリョ:立花敏弘(バス)、
そして、ナレーター:古木淑恵(フラスキータ役)・・・カルメンの仲間のジプシー女が、カルメンの物語を回想する、という進行をとる。
衣装:下斗米雪子
オペラそのもの、と言うわけではないが、かなり、本格的な公演で、私としては、この公演に参加できたことがとても嬉しい。そして、それ以上に、プロの凄さ(歌手の皆さん、そして指揮者)に圧倒され、また感動しっぱなし。衣装も、オペラでそのまま使用できるもので(オペラ衣装の専門家によるもの)、演奏会形式というスタイルからややはみだし、演劇的要素もいろいろ織り交ぜられ、見て楽しいもの、でもあった。合唱団の方々の頑張りもまた頼もしかった。日本語による歌唱で、やや歌がぎこちなくきこえるところもあるのだが、予想以上に、日本語が聞き取れてこれもまた驚き。声量も随分あった。
8月初旬のオーケストラへの指揮者来団、そして、本番一週前の合唱団との合わせ、そして前日のソリストとの合わせ、と練習に参加させていただいた。最後の2回の合わせ、はホントに楽しかった。音楽的なアンサンブル、擦り合わせ、も詰めつつ、演劇的な味付けも、指揮者、ソリストと一緒に作り上げてゆく過程、これが面白い。どこでソリストがどんな動きをするか。それにしたがって、場合によっては合唱団にも演技が付け加わり、音楽的には厳しく仕上げつつも、演劇的要素に関しては楽しそうに、みんなでこの「カルメン」というオペラを作ってゆく、という一体感が感じられて充実した経験であった。この感覚、久しく味わってなかった。
舞台の配置。合唱団はもちろん舞台後方に。オケはその前に陣取り(オケピットは使用せず)、しかし、ソリストや児童合唱の動きのために舞台前方はかなり広めにスペースを取っているため、オケ自体はピットの中の配置に近く、かなり奥行きの狭い形となった。原則的に、舞台下手に弦、上手に管打。打楽器は最も上手の隅に陣取り。私の役どころは、シンバル、そして「ハバネラ」のみで使われるタンバリン。及び、タバコ女工たちの昼の休憩を告げる鐘の音。
(2002.10.5 Ms)
まずは「前奏曲」。
この冒頭の有名な闘牛の場面の旋律は、第4幕の第26番でも再現、合唱がオケの伴奏にのって歌を歌うのだが、オケのみによるこの前奏曲は、第26番に比較してかなり早いテンポでの演奏。合唱との合わせの部分においては、テンポのこと、いや、それ以上に音量の点で抑制された(不自由な)演奏を余儀なくされるだけに、合唱合わせでは最後にいつも練習していたオケのみの前奏曲に対するテンションはイヤがおうでも高まるのだ。その開放感ゆえか、とにかく、本番でも客の耳を惹きつける派手で華麗な音楽が躍動的に現われ、快感である。オケ全体が呪縛から逃れた生き生きとした演奏を一体となって奏でていた。確か本番前日には、いい気になっていきなり冒頭から凄い勢いで走り出してしまって、(笑)。アマらしい、正直な。逆にそれが返って本番は速くとも冷静なテンポ感の堅持に至ったのだが。さて、シンバルもここは気がねなく鳴らす。個人的にはフレンチタイプの楽器で正解。フランスのオケ風に聞こえたかしらん。
中間部の闘牛士の歌、この弦の歌い方は、直前までみっちり練習していた。突然、華やかな合奏から一転、金管のみの伴奏にのって、弦が歌うこの場面、観客の耳を「はっ」とさせるニュアンス、これを出すのは意外と難しい。でもそれが出せれば、シメタもの。得てして、フレーズの最後ばかりが妙にクレシェンドかかった、カッコ悪い歌になりがちだったが、最初からいかに、いいムードを出せるか。その努力は報われていたと思う。この辺りの細かいこだわり、この積み重ねが、本物らしい音楽の構築、である。
また、旋律と伴奏が明確に判別できる、単純明快な作りをしているだけに、そのバランスにも細心の注意を払い、また、強弱の細やかな違いも見落とさず、かなり細かく練習していたのは印象的だ。
無造作な音の羅列ばかりで(楽譜にある強弱、テンポ感を無視したまま)、自己満足に終始する指揮者と楽団もややお見受けすることもかつてあったが(楽団に対する糾弾はもとより、指揮者に対する怒りこそより大きい。自覚症状のないアマ団体に、芸術的な覚醒をさせるのが指揮者じゃないか。楽譜に書いてないテンポの揺れ、さらには強弱の無視ばかりを団に押しつけ、作曲家本人の書いたメッセージを楽譜から感じとって再現しようとする気がさらさらない、井の中の蛙、これはおおいに困る。具体的な話は省略しますが、かんちがいなお山の大将には退場頂きたいものだ。)、こういう極めて当たり前の練習の蓄積こそ、技術や表現力の劣る我等アマチュアには必要だ。とにかく、楽譜を出発点に本物に近づく努力は常に惜しんではなるまい。今回の合奏経験は、本物指向、という点を改めて感じさせた。指揮者により、こうも音楽作りに差が出ようとは。普段は「たかが、カルメン前奏曲」と思いがちなだけに、今回、練習本番含めてとても素晴らしい時間を私に与えてくれた。とても感謝だ。
どうも結論めいたものを先走ってしまったような気もしないではないが、半年振りの今年初めての本格的なオケの合奏練習に参加しての、超個人的な感想ということで失礼しました。
前奏曲後半の運命のテーマ。とにかく弦の刻みの勢いこそ命か。通常は一度弱くしてからクレシェンドしたり、と小細工もすることが多いような気もするが、今回は、そのまま勢いを落とさずクレシェンド。やはり、その楽譜どおりの解釈のテンションの高さは並のものじゃないな。こうあるべきなんだろう。「楽譜どおり」これは何と言っても大事。
続いて「子供たちの合唱」。
歌の入る手前から、児童合唱団が舞台下手から行進入場。思い思いにホウキやハタキなど兵隊さんのまねしてやって来るというわけだ。途中で一区切りするところ(二度目のファンファーレ)ではみんな敬礼。そこで拍手喝采。ただ、少年少なく、少女ばかりだったなぁ。男子の音楽離れ、吹奏楽部とかでも最近思うのだが、気になる。
オケはとてつもなく弱く演奏。バランスを考えればのこととは言え、ここまで弱くするんか。あとで録音を聴いたところ、日本語もしっかり聴き取れ、オケとのバランスもすこぶる良い。ステージでの練習で指揮者は何度も舞台まで走ってバランスを確認しつつ、まだ大きい、まだ大きいと何度も言ってみえたが、見事なバランスと感じた。やはり体の小さい子供たちの声量に合わせるとそういう演奏にならざるを得ない。まして、オケピットではなく、舞台の上なわけだし。結果を聞いておおいに納得だ。(常々思うが、客席で自分の耳で確認せずに、特に打楽器のバランスをとやかく言う人も多いがまったく説得力がないですよね。奏者を納得させる説明責任。この能力は指揮者のみならず組織を束ねる以上、絶対必要なのに、前近代的な官僚風指揮者も依然いたりすると・・・・)。
「タバコ女工の合唱」そして「ハバネラ」。ここはオペラさながらに、レシタチーボも挟み、歌手の演技も含めつつ面白く脚色されていた。
まず、合唱を先導するオケの前奏。工場の昼休みを告げる鐘の音。スコアには、ファクトリー・ベルと書かれているだけで音符はなし。学校で使う、マラソン、あと一周、とかそんな感じの鐘。年末の福引とか。どうも、そんなイメージがあって、カランカラーン・・・カランカラーン・・・。と隙間をあけてずっとやっていたが、ある時、団員の方から、「躊躇しているように聞こえて・・・・」と指摘。自分の中では、ひたすら腕を振り続けるよりも、ちょっと休みを開けた方が自然と感じたのだが。とりあえず、その意見も入れつつ、隙間は短めに、と。指揮者の指示は何もなかったが、まぁそれほどたいした話でもないか。
男声合唱が、女工を待ちわびる一節。そして、随分遠隔な調性で女工の合唱が始まる。どうも不自然な感じもしたが、いろいろ本を読んでみると、それこそビゼーの確信的な革新のようで。調性の鋭い対比こそビゼーの狙い目。これを、初演後、ビゼーの死後友人が、いろいろな場所にレシタチーボを作って、滑らかな転調をして、調性の対比が薄らいでしまったとか。つなぎ目が改竄されていない、この女工の部分を改めて聞くと、転調のない突然の遠隔調が雰囲気の転換に大きな役割を担っていることがよくわかる。
ふわぁっと浮遊感のあるオーケストレーション、そして女声。6/8拍子。フランスの作曲家らしい雰囲気はある。
それが終わって、男声が「まだ来ないぞ、カルメン」などと歌い、レシタチーボ。カルメン登場(舞台上手から)。「ハバネラ」という展開。
1番は普通に独りで勝手気ままに歌い、2番は、子供たちの合唱の途中で舞台に現われたホセがずっと舞台下手で座って銃の手入れなどしているので、そのホセを誘惑するように歌う。最後は、アカシアの花を彼に投げて去ってゆく。
「ハバネラ」のタンバリンは何度かやっているが、オペラの中では始めて。やはり強弱記号も弱めに設定してある。組曲の時よりは、後半部分の連続する出番のところ、軽くやらなければ。組曲は主役のつもりでオケを引っ張ってやるのだが、今回は声楽を立てて控えめにと。さらに、民俗楽器に近い、渋い音色のタンバリンを選び、エスニックなムードを狙ってみたがさてさて。ただ、カルメンが余裕たっぷりに動きをつけて歌っているものだから、ついついそちらにも気が行きつつ、また、すぐとなりにもう男声合唱の方々がいるもので、その歌も気にしつつ演奏せねばならず、適度にまわりを伺いつつという感じ。それはそれで何だか楽しかった。フェルマータ部分の合唱の迫力、良かったな。
そう言えば、日本語訳の歌詞、例の、「ハバネラ」の合いの手、ショスタコの5番のフィナーレのコーダでも出てくる四つの音。フランス語では、「気をつけな」といった意味のはずが、今回「好きだよ」なんて歌っているのは何だかなぁ。ただ、カルメンが「私はあんたが好き。でも気をつけな。」と歌う合いの手で、日本語だと「私はあんたが好き」程度しか音符に乗らないから、合いの手もそれを受けて「好きだよ」ってことになるのだろうが、どうも気になるな。でも「ご用心」なんて合唱で合いの手するのも不自然だし、苦肉の策か。タコ5・ハバネラ説論者としてはおおいに気になったが、ただそれだけのこと。
(2002.10.19 Ms)
続いて、アリアが三者三様に続く。エスカミーリョの「闘牛士の歌」。ホセの「花の歌」。そして、ミカエラのアリア。私は降り番で、ゆったりと聞かせていただいた。
それぞれに、余裕たっぷりの迫力ある、そして、聞き手に訴えかける、本物の歌、である。日本語による歌唱で、こういったものはとても聞き取りにくい、というイメージが先行していたのだが、全くそんなことはない。歌手の裏側にいながらもそう感じたのだから、客席にも存分に声量は届き、言葉もはっきりと伝わっていたのではなかろうか。
「闘牛士の歌」は男声合唱も加わっての男気ぷんぷんなものだが、金ピカの衣装に身を包んだ彼が現われるや、男声合唱も、腕を振り上げるは帽子投げるは、といった演出もあいまって、なかなかビジュアル的にも面白く見られたのでは。
うって変わって、「花の歌」。まだまだ若い歌手で経験はさほど豊かではないだろうが、それでも、切々と訴えかけるものがあり、クライマックスの高音の部分など、引き込まれる思いだ。練習の際はずっと裏声でセーブしていたようで、本番、うまくいくのか?などと内心思ったものの心配無用だ。それにしても、この歌は、とても美しいハーモニー、転調、そしてメロディーを持ったもので、改めてビゼーの才能には恐れ入る。オケ用の組曲にはないし、シチェドリンの編曲にはあったが、いまいち、有名なわりに私としては意識したことがなかったので、今回の再発見、とても嬉しい。ちなみに、変ニ長調からイ長調への転調だと思うが、まさしく、ショスタコの「馬あぶ」のロマンスの冒頭と同じで、これまた、ロマン漂う名曲。カルメンから投げつけられたアカシアの花、それがしなびてもなお、ホセは肌身離さず持ち続け、カルメンを思う・・・・しなびたアカシアの小道具もなかなか味がありました・・・・客席にはみえなかったかな?
続いて、ミカエラのアリア。アリアの前のレシタチーボから。不安げな感じが、うまく出ている。楽曲自体は、旧作からの転用で、当時のオペラ観客の趣味にあった、流麗な美しいもので、歌劇「カルメン」の中では違和感があるとか、様式の統一が出来てないとか、そんな批判もあろうが、それだけに、この清純なミカエラのアリアは、異彩を放ち、カルメンとの対比が鮮やかに感じられ、私はとても好きな1曲。断然、バイオリン・ソロによる組曲編曲より、歌の方がいい。今回の配役も、ミカエラのイメージに合っていたと思います(あんまり体格のいいかたでは、どうも。華奢な感じな方があっている気がする。)なかなか、テンポの細かな変動も激しいもので、オケもかなり苦労していたようだ。しかし、イヤな顔せずオケの練習に細かくつきあっていただいて、その辺りも共感を持った。ただ、オケの方に向いて歌って合わせの練習をした時はすごかった。声量が。こりゃぁ、イヤがおうでもオケも合わせられますって。容赦なく歌っていただいたのを目の当たりにすると、なかなか凄いもの。私の経験では、本当にピッコロの上手い奏者の隣で演奏した時と並んで、音の迫力をステージ上で体感した。本物、には圧倒されます。
(2002.11.12 Ms)
さて、オペラも佳境に入って、闘牛場の場面。「行進と合唱」。お馴染みの、第1幕への前奏曲のテーマに合唱が加わり、また、ロンド風に次々と華やかな合唱が入れ代わり立ち代り現われ、闘牛前の興奮をオケと合唱が伝えます。花道に児童合唱も陣取って。客席に熱っぽい興奮が幾重にも伝わりましたか。歌が入る時と入らない時で、前奏曲のテーマの音量、雰囲気もオケの側で随分と変化をつけ、その違いをシンバルを通じてみんなに伝えたい、との一心で演奏したつもり。祭りの雰囲気、ハレの舞台、それを演出するのがこのソロ的なシンバルだと、このオペラの場面を体験することで、素直に体感できたような気がする・・・・・やはり、組曲で演奏する前奏曲のみならず、オペラでのシンバルの使い方、これを知ってもらえば、もっとこのシンバルの持つ存在感の凄さが理解できるのではないかな?
そして、だめ押しで、闘牛士の歌が、へ長調ではなくイ長調で高らかに歌われる時、一種、陶酔状態に陥りそうなほど。ここでの一発のシンバルが、もうこたえられませんなァ。ちょうど花道から闘牛士がカルメンを引き連れて、金ピカな派手派手しい衣装で現われて、私のシンバルの一発の前を通りすぎる。私のシンバルもまた、闘牛士を称えるムードの一環として、高らかに宙に舞う・・・・かのように、という雰囲気で。指揮者のはじけるようなこの一発のアクションもまた良い。
さて華やかな闘牛士の登場、行進、そして、カルメン独りになったところへホセが現われて、ここからは、セリフでのやりとり。ヨリを戻そうとするホセ、拒むカルメン。緊張の一瞬。確か、オペラでも、ビゼーの原曲はふんだんにセリフのみの場面が交じっていて、結構生々しいドラマ、演劇的な要素もあるはず。優雅な(?)レシタチーボは、友人のギローが後年付け加えたもの。歌手も、ただ歌ってりゃいいというわけでもなく、大変だ。でも迫真の演技、見とれてしまう(もう自分の出番はないし)。
そして、途中から歌に入る。終幕のニ重唱と合唱。しかし、なんと劇的な音楽だろう。絶え間ない転調。不安な半音階。このカルメンの死に向かう音楽の作りは、尋常じゃない。この終幕の二人のやりとりは音楽として、劇として、凄い迫力を持っている。そして、合間合間に、合唱が、闘牛の場面で喝采をしているかのように闘牛士の歌を歌う。最後に、カルメンはホセからもらった指輪を投げつける(今の今まではめていた、というのはやや不自然か?なんてつっこまないで)・・・練習の時、その指輪がオケのビオラ奏者に当たって、「ごめんなさぁい」と平謝りするカルメンには微笑・・・それはさて置き。そこで、闘牛士の歌は、嬰へ長調というなんとも不安でくすんだ調性となり、弦のオブリガートも暗く、長調ながらも落ちつかない。そこでホセの嘆きとともに幕。ブラーヴォ。
すっかり、オペラ「カルメン」の虜になってしまう。歌手、合唱の皆さんと、オケ、さらには指揮者が一丸となっての熱演。出番がそうあったわけでもないのに、とてつもない充実感が、手応えがあった。オケのみならず、多くのプレーヤーとの一体感もよし、さらにアマ、プロとが手を携えて、いいものを作ろうと、奮闘している経緯も立ち会いつつ、やはり、音楽っていいなぁとしみじみ思わせてくれたコンサート。当然、ビゼーの音楽の力によるところも大きい。さらに、最後に是非付け加えておきたいのは、指揮者、佐藤寿一氏。氏の卓越した手腕あって、このオペラの成功もあったと確信する。今後の活躍も期待しています。また、氏のタクトのもとで演奏できる機会が、もしくは、鑑賞できる機会があるのなら是非にとも。
(2002.12.2 Ms)