今月のトピックス

 

June ’02 

 6/21(金)第4回さくら弦楽四重奏団

曲目

植田 彰       弦楽四重奏曲第1番 「Passing through」
ショスタコーヴィチ  ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67

ベートーヴェン   弦楽四重奏曲第16番 へ長調 作品135
ブラームス      ピアノ五重奏曲 へ短調 作品34

 さくら弦楽四重奏団は、N響コンサートマスター、山口裕之氏を中心に同じくN響のチェロ、銅銀氏らで結成されたクァルテット。今回はピアノに山崎晴代氏を迎えての、「名古屋国際室内楽フェスティバル」としての演奏会である。第17回名古屋文化振興賞入選作品も含めての、かなり長くそして充実したコンサートとなった。

(2002.7.21 Ms)

 ただこのコンサート、2時間以上の長丁場で最後のブラームスはかなり疲れて辛かった。全体に弦楽はまとまり、またチェロを筆頭に、1st Vn.ももちろん主張がダイレクトに伝わって熱い気持ちにさせたのだが、ピアノがどうにもいただけない。ショスタコは速弾き部分が指が回ってないような。フィナーレ冒頭は妙にロマンティックによたったような表現に終始し、全く曲想とアンマッチな雰囲気が異様だ。逆にブラームスの第3楽章はメカニックな難しそうな部分がまったく音が抜けていて愕然。ピアノに対する不満はところどころ感じざるを得なかったものの、それ以外はとても楽しませて頂いた。

 植田作品は、音色の百貨店のような按配。全体的に速弾きを中心に、可能な限りの音色を、駆け抜けてゆく(「Passing through」)間にどんどんぶつけてゆく。ひっかいたり叩いたり。不健康な閉じこもり型のゲンダイオンガクではなく、発散型。音楽としてはやっぱりわかりにくいけれど、発想としては拒否するものではない。
 ただ、音色の百貨店の後では、ショスタコの冒頭のチェロのか細く不健康なハーモニクスの旋律がインパクトを持ち得なくなってしまって拍子抜け。ベートーヴェンと曲順が変わっていればまた印象も違ったか。第2楽章スケルツォはやや速過ぎて、3拍目に向けてのイヤらしいクレシェンドの部分が目立たず。しかし勢いはよくノリノリだ。続く、風変わりなピアノの和声の続く変奏曲、そしてユダヤのテーマを含む自虐的な感すらある踊り風なフィナーレ。第1楽章の夢幻の如き再現、そして変奏曲主題の回帰と一気に音楽は進む。ピアノの不祥事はあったものの、惹き込まれたまま最後まで。緊張感をはらんだ展開で飽きさせず、やっぱ名曲だ。
 休憩をはさんで、ベートーヴェンの最後の四重奏曲。しかしまぁ、軽いタッチだ。深刻さもなくふっきれている。死の直前のベートーヴェンの心境やいかに。といったところか。お気楽な第1楽章。リズムのお遊び第2楽章。シューマンの2番の3楽章を通ってマーラーの緩徐楽章へたどり着くような感さえある第3楽章。深刻な謎かけと楽しさに溢れたフィナーレ。
 最後のブラームス、さすがにこれだけの内容の後では聞き手がもたれてしまって、疲れ果て、残念。ただ、第2楽章の歌の在るような無いような雰囲気で、2nd Vn.とVla.がかなりな自己主張をしていてその印象がかなり強く残った。以前、若手奏者たち(レイヴンスピアノ五重奏団さん)の演奏では感じ得なかったところで、面白かった。第3楽章のメカニックさは、ピアノが断然レイヴンスのほうがいい感じ。弦楽五重奏曲としてのバージョンで物足りなかったのは俄然このスケルツォだと思う。この部分のスリリングさがピアノによって減じられていたのが痛い。
 しかし、ブラームスの室内楽も、若い頃の作品ゆえか激しくてけっこういい感じ。今後も発掘していきたいと思う。
 (まだ、しっかりと確認してはいないが、今放映中の「恋愛偏差値」というTVドラマにて、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番が会話の中に出、そしてCD鑑賞シーンもあり、ちょっと注目。常盤貴子の好きな曲という設定。)

(2002.8.19 Ms)

 6/18(火)山本直純氏の訃報に思う

 先月から訃報づいてしまうのだが、彼の訃報に接し、どうしても私自身のこれまでの人生、振りかえらずにはいられない。やはり、今、自分が今の自分で、こんなHPなども作っていること自体、彼の存在あってのこと、と強く思う。小中学生の頃の様々な体験あってこそ、音楽に囲まれた今の生活があり、また、その体験の2つの大きな柱が、芥川也寸志氏によるNHK「音楽の広場」、そして、山本直純氏によるTBS系「オーケストラがやってきた」であった。

<1> さぁ太陽を呼んでこい

 ネット上の訃報の中で彼のプロフィールなども紹介され、また、掲示板などでも様々な個人の思い出など寄せられており、一通りそれらを見て私の思い出なども整理しているところだが、作曲家としての彼の仕事というとどうも映画音楽、TV関係などに偏ってしまうようだ。まずは「男はつらいよ」であり、大河ドラマ「武田信玄」などがきて、その他、子供にとっては「マグマ大使」「新・オバケのQ太郎」、さらに、TVから離れてみると、「一年生になったら」「歌えバンバン」「さぁ太陽を呼んでこい」といったところが並ぶ。また、「大きいことはいいことだ」の流行語を生んだチョコのCMについては私はまだ生まれていない時代のこと。彼を取り上げた番組で回想的に流される映像は見たことはあるが自分の思い出とは結びつかない。笹川会長や高見山と街を練り歩く船舶振興会のCM、「戸締り用心火の用心」、こちらの方が馴染みだ。
 それらの中では個人的には、「新オバQ」の小気味よさ、バックの男性コーラスとの掛け合いとのおかし味など耳から離れない。
 さらに、小学校6年生の時の「学級歌」として選ばれた「さぁ太陽を呼んでこい」の音楽としてのカッコよさはとても印象的だ。あの暗さを帯びた力強さ、そして途中の下属調への転調の良さといったらもう・・・・。さらには間奏で長調に転じて口笛を吹くところ。1箇所でてくる半音階的な進行もいい。自然な流れは感じられるものの、細かな作曲上のテクニックもいろいろちりばめられていて、子供向けのわりには随分精巧に書かれたものだ。前奏が5小節というのも小学生の私にとっては衝撃的だった。バイエルとかでも基本的にフレーズは偶数小節と決まっているのに・・・。最大の特徴はやはり、古典的とは言え「転調」を含んだ音楽のもつ感情の揺れ、高揚感(短調から長調という動きへの体感的な快感)。これらの音楽的エッセンスのつまったレベルの高い作品を1年間毎日歌っていたことは私の音感に対してもきっと影響を与えているのだろうと今、気がついたところだ。
 「新・オバQ」の楽天性、笑い、そして「太陽」の転調への感性などを下地に、ショスタコーヴィチ・ファンへの道の地ならしの最初の部分が作られたのでは、とすら思うなァ。特に「太陽」の長調と短調の鋭い対比、これは私の音楽への感動を誘発する大きな要素となっているようだ。
ちなみに、「太陽」はニ長調とニ短調の対比。中間部の口笛部分のニ長調の開放感、この快感こそ、私に「歓喜」をもたらすわけか。
 さらに余談ながら、この「太陽」を改めて眺めてみたら、作詞がなんと「石原慎太郎」氏であった。「太陽の季節」そして「太陽族」の彼のこと、さらに子供相手にまで「さぁ太陽を呼んでこい」・・・・この勇ましさ、なるほどねぇ、と感心してしまった。
 「夜明けだ夜が明けてゆく
  どこかで誰か口笛を
  気持ち良さそうに吹いている・・・・」
考えてみれば、子供相手に、何となく不健全な。それも、当時としては口笛だなんて、不良っぽいなぁ。でも、カッコイイなァ。

<2> オーケストラがやってきた

 クラシック音楽の啓蒙活動、が彼にとっての最も重要な仕事であろう。その最たるものが1973年から10年間続いた「オーケストラがやってきた」というTV番組であろう。私の目の前にはオーケストラはやってこなかったが、毎週日曜日にTVでオーケストラの演奏が見られるわけで、クラシックに興味を持ち始めた私にとっては、これが最大の情報源となった。私の年齢から言って、見ることとなったのは後半くらいだけで、また、日曜はいろいろ小学生は小学生でいろいろ行事もあってなかなか見られなかったのだが、家にいれば必ず見た番組だ。
 「音楽の広場」については、作曲家、芥川也寸志への想いが募り、作曲家という仕事への憧れから自作を氏あてに送ったりと子供なりに熱狂して見ていたのだが、「やってきた」の方は、個人的思い入れはなく(直純氏には自作は送らなかったなぁ・・・・子供心に作曲家としては見ていなかったわけだ)幾分楽に見ていたように記憶する。バラエティ色豊かで、様々な趣向もこらされ、また、かなり幅広く選曲されていたと思われる。「広場」はやや、教科書的といえば口悪いが、聴き慣れた作品を主にやっていたように思うが、「やってきた」に関する私の記憶はかなり多岐にわたっていて、私の今の貪欲な作品鑑賞癖の前提を作ってくれたような気もする。
 面白かったと感じた一つが、バーンスタインの「ディベルティメント」の日本初演。小澤征爾がバーンスタインから最近こんな曲書いたからやってくれ、と言われて日本でやったわけだが、特に「ターキー・トロット」の7拍子のジャズ的小品は子供心にリズムの面白さを感じた。
 現代作品ということであれば、日本の現役の作曲家たち12人にそれぞれの誕生月にちなんで、同じモティーフを使った連作を依頼し2回に分けて放映。これは難解な作品も当然含まれていたが、とても楽しかった。それぞれに作風があり個性がある。同時代の音楽もそれほど抵抗なく受け入れることができたのは私のその後にも影響しているだろう(詳細は、中田喜直氏の訃報の記述を参照。)。直純氏は6月を担当、雨だれにインスパイアされた、ロマン的な作品を書いていた(ただし、前奏と後奏は随分派手派手に書いていて、お目付け役で司会進行していた大御所たる黛敏郎氏から、「えらく盛大に降る雨だねえ」なんて言われてモジモジしていたのは彼らしくなくておかしかった)。
 趣向で面白かったのは「歌っちゃえ、運命」と題して、斎藤晴彦氏がベートーヴェンの「運命」全曲、歌詞をつけて歌った回。詳しくはもう覚えていないが、第2楽章で、ハイリゲンシュタットで遺書を書いてから立ち直るまでの経過を歌ったのがとても感動的であったと記憶する。今も、その楽章中盤、カノン的にテーマが再現する部分を聴くと何かしら背筋が寒くなるほどに感動する。「生きなくちゃいけない」といった歌詞のメッセージがその部分と重なるのだ。第3楽章のトリオは早口言葉のお遊び的。第4楽章はほとんど記憶にないものの、再現部の最後、和音打撃が続き終わりを思わせた後、ファゴットがとぼけたかのようなフレーズを出すところで、「まぁだ終わぁらないー」と歌ったのが、今尚、頭にこびりついて離れない。
 その他、ラベルの「左手のためのピアノ協奏曲」の特集で、左手だけという制約を克服すべく、右足のペダル(音を響かせっぱなしにする)も大活躍、という解説、映像などとても興味深かった。ちなみに、田舎育ちの私、父から、裏山へ山芋を掘りに行くぞ、と命令されながらも、こんな珍しい曲めったに見られないから・・・・となんとか見せてもらえたためとても覚えている。ボレロの感動からラベル作品をとにかくかたっぱしから聴いていた中学時代、あの時の「左手」を映像で見た時の感動は忘れられない。「右足のためのピアノ協奏曲」として我が記憶に残っているわけ。
 また、若かりし井上道義氏、バレエからの転向ということで、サーベルを片手に、プロコフィエフのバレエ「ロメオとジュリエット」、「タイボルトの死」の部分を、決闘シーンさながらにバレエを踊りながら指揮しながらの大活躍、なんてのも良かった。
 ・・・・・などなど、思い出したらきりがない。小学生から中学生にかけて、クラシックをもっと知りたい、もっと知りたいと思い続けた時に、常に新たな情報を与えてくれた番組として、とても感謝である。この番組がなかったら、私の音楽の守備範囲、もっと狭かっただろう・・・・。

(2002.6.23 Ms)


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