巻頭言

1.「トリニタ」とは?

 芥川也寸志作曲、「トリニタ・シンフォニカ」のページを開設するにあたり、まずは命名の由来から始めましょう。

 「交響三章」と呼ばれるこの作品ですが、スコアにはイタリア語で「Trinita Sinfonica」とあります。当然、日本語で言う「三章」がすなわち、「トリニタ」なのですが、気になって辞典を引いてみました。すると、「トリニタ」は、カトリックの用語で「三位一体」という意味だそうです。そこから、広義の意味として、「3つで一組のもの」となるようです。当然芥川さんは、後者の意味で曲名を名付けているはずですが、そこでふと、私は考えました。
 本来、キリスト教で言う三位一体は、当初別々に考えられていた「神」「キリスト」「聖霊」が一体だとする考えのようですが、私たちオーケストラに携わる人間にも共通の要素がありそうです。
 つまり、私たちが活動の中心としている「演奏会」とは、すなわち「作曲家」「演奏家(指揮者も含めて)」「聴衆」が一体となって始めて完成されるという訳です。
 そこで、芥川さんの人生を思い起こせば、作曲家として(これは当然。あと、著作権の確立という大きな仕事もありました)、そして指揮者として(特にアマチュア団体に対する特別な情熱は特筆されるでしょう)、そして聴衆として(テレビなどでの、聴衆と同じ視点に立った優しい司会ぶりを思い出します)、それぞれ3つの立場をバランスよく一つに統合した姿であったように思われるのです(接点を持ち得なかった私が考えるのも僭越だとは思いますが)。

 そこで、私にとって芥川さんを象徴する言葉でもある「トリニタ」を愛称的な気軽さも込めて、採用させていただきました。
 (折からの「だんご3兄弟」ブームにあやかった訳ではありませんので念のため。) 

(1999.5.6 Ms)

. 芥川さんの思い出

 今から20年も前の話である。
 男子がピアノを習っているというだけで、女子呼ばわりされていたほどの山奥に育った私ではあるが、小学校5年生のとき、妹がビアノを習い始めるのに付き従う形で、意を決して、友達にはバレないように、私もピアノを習い始めた。そして、音符が読め、自分で書けるようになり、作曲の真似事をするようにさえなった。
 きっかけは覚えてもいないのだが、音楽を聴くのは小さい頃から好きだったようだ。その頃、楽しみにしていたテレビ番組、それがNHKの「音楽の広場」であった。子供にとっては、親しみやすい曲が並び、そして芥川さんの優しく温和そうな人柄に惹かれ、クラシック音楽、中でも、オーケストラへの愛着がどんどん高まっていったのだ。

 番組が回を重ねるのに比例するように、様々な曲を覚えていったのだが、今でも覚えているシーンがある。芥川さんの作品が演奏されたときのことだ。確か、「成人の日」の特集番組だったと思う。通常はプロオケの演奏のところ、その回は、どこかの大学オケによる演奏で番組は進行していた。その回の最後の曲紹介で、芥川さんが、
 「私は恥ずかしいんだけど・・・・彼ら(大学オケ)がどうしてもって言うんで・・・」
と、はにかみながら指揮台に立ち、演奏したその曲こそ、「トリニタ・シンフォニカ」のフィナーレであった。
 「芥川さんの20歳の頃の作品で番組を締めたかったんです」
と、コンマスの男性が言ったかどうかは、もう記憶はあやふやだが、照れていた芥川さんの後ろのコンマスの男性の笑顔が、一瞬アップになったのは覚えている。
 ベートーベンもチャイコフスキーも、限られた小品以外知らなかった小学生の私にとっても、「トリニタ」は、わかりやすく、楽しく、魅力に満ちたものだった。(当時、何かのCMで流れていた気もするのだが、どうだろう?)
 その時、私は思った。「芥川さんはいろいろな人から愛されているんだな。僕も芥川さんのような、作曲家になりたいな。」

 私は、早速、書きためた作品を整理、お気に入りを清書した。そして、番組の冒頭は、いつも、司会の芥川さん、そして、黒柳徹子さんのピアノ連弾で始まっていたため、新たに「れんだんメヌエット」という曲を書き上げ、それも含めて番組あて、楽譜を送ったのだった。
 「芥川さんに作曲を教えてもらいたい。せめて、ボクの曲の感想を聞かせてほしい。気に入ってもらえたら、ボクの連弾の曲を弾いてほしい。」
そんなことを書き綴って、送ったのだ。(今思えば、恥知らずな、すごい手紙だと恥ずかしくなる)
 しばらくして、番組から返事が来た。
 「ピアノを習い始めて1年ほどでこれだけの曲を作曲できることにスタッフ一同驚いています。しかし、日本中にあなたのような人はたくさんいます。芥川さんはとても忙しいから、あなたの夢を叶えたいのなら、まずは身近な先生に相談された方がいいですよ。」
 ざっとそんな内容だった。
 芥川さんの目に楽譜が届かなかったのが残念だった。人生最初の挫折感をその時、味わったのではなかろうか、と今さらながら思う。

 さて、その後も懲りず、曲を書きためてはいったが、所詮独学。ピアノ・ソナタを書こうとして挫折、中学に入って、吹奏楽曲を書こうとして挫折、ハードルが高くなる分、だんだん作曲も困難となる。高校の頃には、受験戦争に引きずられ、作曲家の夢もちりぢりに砕けていた。
 また、一方、中学の頃から、FMをさかんに聴くようになり、「音楽の広場」も次第に初心者向けっぽく感じられ、だんだん芥川さんの顔も見なくなりつつあった。
 ただ、黛、団両氏を迎えての「3人の会」の同窓会は、とてもスリリングだった。中学で吹奏楽の打楽器を選んだ私は、次第にショスタコーヴィチ、プロコフィエフのファンとなり、芥川さんの交響曲第1番のフィナーレを「音楽の広場」で始めて聴いたときの興奮は忘れられない。大戦後の冷戦真っ只中、ソ連に不法入国をした芥川さんのエピソードも、中学生の私にはカッコよく思われたりもした。芥川さんの著作に目を通したりもしたっけ。
 また、ラジオで聴いた「チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナータ」の、ショスタコに似た救いの無い暗さに魅了されたのも、その頃だったと思う。
 しかし、そのうち「音楽の広場」も終了、続く「N響アワー」も、たまには見たが、やはり、芥川さんとは疎遠になっていった。

 大学に入学し、私も晴れてオーケストラに入団、本格的に、演奏者としてクラシック音楽と対峙するようになった。
 その頃、FM東京の委嘱作品、交響組曲「東京」を聴く機会があった。東京出身の作曲家4人の小品を合わせた組曲のフィナーレが芥川さんの、「アレグロ・オスティナータ」だった。しかし、私は幻滅した。彼も老いたり。創作力の枯渇を感じ、残念であった。
 ほどなく、「N響アワー」を入院のため降板、そして、復帰。しかし、その時既に芥川さんの頬は痩せこけ、とても痛々しい姿で、見るに耐えられなかった。

 そして、私が大学オケでの始めての定演メインプログラムでのティンパニ・デビューに向けて練習していた最中、ある先輩から芥川さんの訃報を耳にした。
 「ブラームスの1番を聴かせてくれないか・・・・・」
 これが、臨終の言葉だったと聞いた。
 まさに、私が練習していたのが、ブラームスの1番であった。1989年の1月に帰らぬ人となった芥川さんのために、私は同年5月、天国の芥川さんへの感謝の気持ちを込めて、生みの苦しみを思わせる創作者の苦悩に満ちたその作品を演奏することとなったのだ。
 思えば、私に「作曲家」を意識させた芥川さんが、その夢破れた私をここまで導いてくれたようにも感じられた。小学校時代の「トリニタ」体験が、私に「作曲家」を意識させたと同時に、アマオケへの伏線を引いてくれたのだろうか。

 〜作曲家であり、かつ、アマチュア・オーケストラの良き理解者、指導者でもあった、芥川さん。一度も、私のことを認識していただけなかったでしょうけど、私は、あなたに音楽を学び、音楽の楽しさを教わりました。「作曲家」としてあなたの跡を継ぐことは出来ませんでしたが、「アマオケの良き理解者」として、私はあなたの跡をささやかながら継いでいきたいと思います。〜

 ラジオの追悼番組で耳にした「弦楽のためのトリプティーク」の「子守唄」に涙が溢れたのを私は忘れない。その2年後、私の大学時代最後の定演に出番は無かったが、「トリプティーク」を演奏する後輩たちを見ながら、永遠の眠りについた芥川さんを思い出し、感動もひとしおであった。

 芥川さんの死後、当然、現代日本を代表する作曲家として、追悼企画など期待したのだが、全く期待はずれであった。東京新聞から本は出版されたものの、肝心の音楽作品の方は、新たなCDも出ず、かろうじて、死後5年後、大江健三郎氏のノーペル賞受賞の記念で、大江氏の台本によるテレビ・オペラ「ヒロシマのオルフェ」が放送されたぐらいだろうか。

 しかし、没後10年の今年、私が現在所属する市民オケで、メインがブラームスの1番。そして、サブがなんと「トリニタ・シンフォニカ」と相成った。もっと注目されていい芥川さんの作品を忘れ去られることなく、次世代へ受け継がれるためにも、大変嬉しいことだ。
 選曲の際、死の際のエピソードが考慮に入れられたのかどうかは定かではないが、さぞかし、天国の芥川さんも期待して見守ってくださるに違いない。いい加減な、甘えた演奏だけはしたくない。(名古屋から車で1時間、東京から遠く離れた人口10万の小都市で、現代日本作品「トリニタ」が演奏されるという事実だけでも、日本のアマオケは決して衰退してない、と言えるのかもしれないが、充実した中味にしたいものだ)

 さらに欲を言えば、初めて「トリニタ」を聴いた少年少女たちが、音楽の道を志してくれるような、そんな機会になってくれたのなら私は、とても幸せに思う。

(1999.5.17 Ms)

注  随分昔の、記憶の定かでない思い出話です。事実誤認などあるかもしれませんが、その点はご了承下さい。


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