今月のトピックス

 

November ’02 

 11/27(水) 豊田西加茂 教友会文化厚生部研修会 
          −豊田楽友協会管弦楽団室内アンサンブル演奏会−

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 11/26(火) アルカダッシュ室内楽コンサート −さら弦楽四重奏団とともに−

 晩秋、室内楽の楽しみ。第2弾である。
 今年、私の趣味も大きく変貌いや、拡大しつつあるということか。ショスタコとニールセンが室内楽の楽しみを教えてくれて、とりあえず、最大の室内楽作家、ブラームスは機会をとらえて抑えてゆきたい、との魂胆で、いろいろ手を伸ばしている次第。ただ、10枚組の廉価版、ブラームス室内楽全集CDなど買って、義務的に順次聞くよりは、コンサートで生で、集中して、のんびり1曲づつ、その作品を確かめてゆこうと考えている。・・・いつまで続くかは不明だが。移り気な私のこと、来年はまた違うテーマに支配されているかも。

 今回のプログラム。まず、ヴォルフの「イタリアン・セレナーデ」。若い女性カルテット、さら弦楽四重奏団による。そして、N響コンマスの山口氏、ヴィオラ首席、川崎氏を中心としたメンバーによる、ブラームスのピアノ四重奏曲第3番。休憩を挟んで、合同して、同じくブラームスの弦楽六重奏曲第1番。・・・・という超シブめなもの。
 場所は、名古屋市名東区。地下鉄上社駅ビルの名東文化小劇場にて。

 後期ロマン派ドイツ・リートの大家、ヴォルフは私にとって最も縁遠い作家。6/8拍子系の軽めなタッチな曲想ながら、ワーグナーの無限旋律的な不安な和声、そして、細かなリズムの絡みなど、見た目ほど軽い内容ということでもなさそう。息もぴったり、さらりと聞こえたのはアンサンブルの冴えの現われだろう。

 続く、ピアノ四重奏曲第3番。ハ短調、作品60。シューマン自殺未遂の頃から20年をかけて完成した大作。ただ、個人的には感銘不足か。ジプシー風ロンドをフィナーレに持つ、第1番(シェーンベルクによるオケ編曲もあり)ほどは感銘伝わらず。魅力的な旋律に乏しく、形式の見晴らしもよくなく、いまいち、わかりにくいもの、との第一印象を持つ(ただ、こういう作品こそ、長い付き合いになる可能性もある。その辺は今後どうだろう)。
 第1楽章は、マーラーの交響曲第9番の冒頭の溜め息のようなモチーフを短調にした感じのテーマで、作品のもつ悲劇性を象徴している。このテーマ、及び二度の音程が曲の構成の中心をなしていると思われる。第2楽章は、ブラームス得意の6/8拍子、スケルツォ風。アクセントの位置が不安定なもの。ピアノ五重奏曲の第3楽章と似たムードもあるような、でも五重奏の方がいいかな。第3楽章が最も良い。ホ長調という遠隔調の選択が交響曲第1番を想起させる。メロディアスなチェロの旋律。ただし、シャープの調性ながらも常にフラット、ナチュラルに収斂する、短調ふうな旋律の動きが、随所にある。ブラームスにしては度を越しているようにも思う。プロコフィエフの旋律線に特徴的な断層的な半音ずれすら思い出す・・・・それは考え過ぎか・・・・でもこの半音のズレ、長調短調の極度の混在ぶりはニールセン風でもある(作曲技法の観点から言えばの話にすぎないけど)。第4楽章、ベートーヴェンの運命の動機も用いつつ、ブラームスの第3交響曲フィナーレと同様な闘争的フィナーレ、なのだが、いまいち、持続性がない。第2主題は、穏やかなコラール風なものだが、フレーズの最後にオマケの合いの手が入って、5小節フレーズとなっているのは興味深い。再現部において、そのコラールがピアノで重厚に出る辺りは、ハ長調という調性のせいか、サンサーンスの「オルガン付き」フィナーレ部分のオルガンの和音の強奏の部分を思わせた。いろいろ興味深い部分はあるので今後、また機会があれば再会を期待したい曲ではある。

 弦楽六重奏。これは名曲だ。第2楽章の変奏曲は確か映画音楽にもなったのでしたっけ。この第2楽章はブラームスの緩徐楽章全ての中で最高の部類に入るだろう。悲しくもあり、ただ、力強い何らかの意志を秘めた、心にずんずん響く音楽。少なくとも交響曲の緩徐楽章よりは私は好きなもの。ほとんどバロックを思わせる端正な、きっちりとした変奏曲ながらもなんと美しくロマン的な香り漂うもの。リズムがどんどん細分化される過程で興奮の度合いも高まり、そこに長調で柔らかな落ちついた変奏が続くところなど、ブラームスの変奏曲の大家としての面目躍如。変奏曲でここまで飽きさせないのはブラームスならでは、か。ベートーヴェンのある種の変奏曲など陳腐なものに思えてくるほど。これに対抗し得る変奏曲は、ショスタコのヴァイオリン協奏曲第1番第3楽章くらいなものだろう。
 第1楽章もよい。ブラームスの第2交響曲の冒頭にも似た牧歌的、田園的なムード。弦楽四重奏の鋭角的な研ぎ澄まされた世界とは違う、低音が増強された(ビオラ、チェロが2本づつ)サウンドが懐の深い、奥行きのある世界を醸し出す。
 後半ニ楽章は随分と気楽なもの。ハイドンの交響曲の作りに似ている。第1、2楽章に重心をおき、後半は舞曲風、そして、ユーモアを交えつつ軽めにリラックス。・・・・交響曲のブラームスに比較して物足りないとの向きもあろうが、この六重奏という媒体とこの楽曲構成はよくマッチしているかもしれない。
 演奏も素晴らしい。ベテラン、若手が交互に陣取り、さかんに目を合わせながら、一体となったアンサンブルを作り上げていた。オクターブやユニゾンや、ハーモニーを作る相手が場所場所によっていろいろ違うのだが、それをしっかり把握しての演奏が視覚的もよくわかる。六人のアンサンブルともなると、誰が旋律しているのか一瞬わからなくなったりもするが、それを追ってゆくのも楽しい。そんな時、奏者の視線の動きも曲の理解を助けてくれる。
 あと、やはりこの作品はビオラが主役。第1ヴァイオリンと双璧をなし、舞台上手よりバシバシ豊かな音色で、主張を伴ったビオラが聞えて来る。N響のビオラといえば、新顔の店村氏などが結構目をひくことも多いが、どうして、川崎氏もかなりな存在感で。その辺り、再認識できて楽しかったりもする。

 アンコールは、ピアノも含めて出演者全員で、マスカーニの、「カバレリア・ルスティカーナ」間奏曲。
 今後も、充実した活動を、アルカダッシュ・デュオ(Vn&Piano)及び、さら弦楽四重奏団はじめ今回のメンバーの方々には期待したい。
 なんやかんや言って、ブラームスの室内楽、知らない曲でも楽しめるのが良いです。まだまだ傑作の森、全貌は明らかならず。

(2002.11.30 Ms)

 11/24(日) キーロフ歌劇場管弦楽団/NHK交響楽団 合同公演

 現代のカリスマ指揮者、ゲルギエフの指揮のもと、チャイコフスキーの弦楽セレナーデと、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。
 場所は、有楽町、東京国際フォーラム。とにかく広い、どでかい。大迫力のオーケストラ・サウンドを期待するも、音が拡散して、対岸の火事といったところか。やはり、名古屋の芸術文化センターにての、東京フィル、バルシャイによる、洪水の如き、ホールから音が溢れでんばかりの、音のうねり、なだれ現象、台風直後の海水浴のような圧倒的力に対する人の無力さの自覚・・・・あの感激を超えるものはなさそうだ。
 N響アワーで12月に「レニングラード」第1楽章の中間部のみサラリと放送していたが、また来年、改めてBSで放送されるので、その機会をとらえて冷静に再び聞いてみようと思うところです。(2002.12.19 Ms)

 と、かなりさらりと流してしまってやや後悔。誤解を招いちゃいけない、決して演奏に不満であったわけではない。意外性をもった箇所もあるが。一番印象的だったのは、とにかく、重く、ずしりとした、質量感。テンポの遅さ、だけではない。不思議なのは、ムラヴィンスキーのような疾走感とは対極にありそうなのに、多分に、ロシア的な雰囲気を感じる曲作り、と感じられたこと。ショスタコに、ソ連ではなく、ロシア、を感じとったのが面白いと個人的に思う。詳細は、また、書いてみようか。

 今回の上京は、コンサート前日、東海道本線鈍行の旅。これがやみつきだ。私の家からだと、朝早過ぎず適当な時間に出発すると、静岡を過ぎたところで昼。清水にて、ぜいを尽くしたお魚を頂くのが楽しみ。今回は、駅近くのすし屋にてトロづくしで舌鼓。
 夜は、広島にてお世話になった「アンデルセン本店」を懐かしみつつ、青山のアンデルセンにて。広島と比べれば狭い狭い。食材の種類も少ない。やはり、広島に行かなきゃダメってことです。ただ、青山にても、デンマーク風なオープンサンドもありますが、・・・やや北欧っぽくない。普通のサンド。もっと豊富にお魚が欲しいところです。広島になかなか行けない分、また来てみたい。夜で品不足だったかもしれないし。
 CD探しも相変わらず。新譜として、ヒラリー・ハーンのソロで、ショスタコのVn協奏曲No.1。これがいける。この曲の新たなる定番CDだろう。とにかくテクニックが凄いよ。スケルツォの中間部のドライブ感は決して他では味わえない。その他、興味本意で、諸井三郎の交響曲第2番。ドイツの手堅い構成感を勉強して、第2次大戦中に書いた大曲。ただ、一聴するとフランク風なブラス・サウンドだったりして、あれれ。ただ、かなり抽象的。しかし、古典的な和声感はある、けれど通俗性はない。新響のコンサートで生体験した、オルガン付きの、ブルックナー的大伽藍の第3番のほうが正直面白いかな。でも、2番の焦燥感もそんなに悪くない。伊福部昭とは対極的な同時代人。聴き比べるのも乙な物。
 その他、中古物はかなり買い込んだ。なんとまぁ、ハイドンの後期交響曲をいろいろ。実は、ハイドンが今、私にとっての新たなるフロンティア!!その辺り、また項を改めて。ショスタコ、ニールセンのアンチ・ロマン主義、そしてユーモア感覚・・・・これを突き詰めて行くと、ハイドンなんだね。ホントか。
 それに付随して、シューベルトの2,3番・・これまた軽妙洒脱。あと、ニールセンの師匠、ゲーデの交響曲は、メンデルスゾーン的に過ぎて、まだ゛いまいち楽しめていないが、さて今後の展開はいかに。
 コンサート前は、銀座にて、OL人気の末広食堂(名前とのギャップも楽しい)。そして、最新のスポット。丸ビル。ホントにオノボリサンで情なや。マーラーなる鞄屋、はやってますね。丸ビル内のCDショップ、期待もしていなかったが、輸入版も多々あり、意外と見ごたえあり。BISのトゥービンの交響曲全集まであるんだから、名古屋の全てのCD屋よりレベル高いよ。相変わらず音楽ネタも豊富な今回の旅。やはり、東京は魅力ありますって。

(2002.12.21 Ms)

 11/15(金) 上里はな子 ヴァイオリン・リサイタル

 晩秋、室内楽の楽しみ。
・・・・などと、我がHPらしからぬ話題だったりするのだが、たまには正統派っぽくいってみよう。今年の2,3月も、オーボエや同じくヴァイオリンのリサイタルなど聞いているが、どちらも、ニールセンの珍しい作品がらみ。今回は、そんな珍品めあてではなく、あえて普通の(?)室内楽のコンサートに足を運ぶ。
 地元、豊橋市出身のソリストで、今年から、勉学を終えて、コンサート活動を始めたばかりなのだそうだ。そして、来る11/20(水)には、東京はサントリー・ホール小ホールにてリサイタルを。そのプログラムをもって、地元でのお披露目ということだ。

曲 目

バッハ        無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 BMV1001
ヴィエニアフスキ  華麗なるポロネーズ 第1番 作品4
チャイコフスキー  なつかしい土地の思い出 作品42
ヴィエニアフスキ  創作主題による変奏曲 作品15

サラサーテ     ツィゴイネルワイゼン
R・シュトラウス   ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 作品18

ピアノ伴奏 : ナディア・ヴェチェバ・ホーバルス

 うーん、それにしても、通好み的な、と言おうか、豊橋にしては、野心的な、とにかく妥協していない。東京でのリサイタルとほぼ同じ演目という心意気をかって、また、東京で聞ける音楽、演奏のレベルにあるものを聞きたい、との私の欲求のもと、豊橋の勤労福祉会館講堂へと向かったわけだ。最近、とみに、いいものを、本物を、聴きたい、と思う。
 さすがに腕も確か。ヴィエニアフスキなどは、私としては最も縁遠い作曲家なのだが、技巧誇示の作品故に、見てて、聞いてて楽しい。それだけの余裕をもって弾きこなしていたのはさすがということだ。ほとんど知らない作品ばかりなのだが、意外と楽しめる内容だ。ということで、1曲づつ思い出していこう。・・・・ただ、プログラム・パンフレットに曲の解説はおろか、基本的情報すら(楽章数、各楽章の速さとか、チャイコフスキー作品のような組曲ならば、各曲のタイトルまでも)掲載なし。ほんとに、上記の曲目しか情報はなし。さすがに、よく知らない作品なだけに、私の無知ぶりが明かになってしまうのだが、あえていろいろ調べないままに印象のみいろいろ書いてみましょうか。

(2002.11.16 Ms)

 バッハ。無伴奏チェロは知っているが、こちらは恥ずかしながら初めて。G,D線の開放弦を鳴らしつつ、悲しげな旋律が綿々と歌われる第1楽章。柔らかい音色。そして丁寧な歌い方。
 そして、第2楽章は、フーガ風な展開。一つの楽器から、2本の旋律線が見事浮かび上がる。テーマが、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第3楽章の第1主題部分提示の最後に出るモチーフと同じ(再現部で木琴が奏するもの)なので、すぐ頭に入る。まさか、ショスタコのその部分、バッハの引用として解釈できるんだろうか?曲解のネタか?まぁ、社会主義リアリズムからの要請で、古典を意識しながらの作曲の中で、いかにも古典的な節回しが自然に出てしまったというところか?
 それはさておき、スリリングなフーガ。さすがバッハだ。いい曲書いてるよなァ、と感心しつつ、結構好きになりそうだ(やはりショスタコがらみだと愛着もヒトシオ)。
 第3楽章は、変ロ長調に転じて、安らかに、落ちついたシチリアーナ風。
 そして、第4楽章は、ト短調に戻って、6/8拍子系の無窮動的な快速なもの。旋律の動きは、同じくバッハの管弦楽組曲第2番終曲バディネリに似ているか。8分音符がずっと続くものと思われるが、3つの塊で推移すると思いきや、たまに4つで固まっていて、拍子感が狂わされるのが面白い。ブラームスのヘミオラを超えて、バルトーク変拍子風と感じたのは私だけか。
 それにしても、広いステージにたった独り。そして、決して華やかな、ガツガツ弾ける曲想のものでなく、かなりの緊張感を客席にも強いるものだ。ちなみに会場は1500ほどのキャパシティー。私は、前の方に当然陣取っていたが、ときおり、季節柄、咳が出るのはしょうがないにせよ、シーンとしずまりかえってみんな聞いていたのは素晴らしい。それも、結構、未就学児童も多かったのだ。お祝いの花かごのたぐいも、ナントカ幼稚園、と書かれたものも複数あり、ソリストと所縁の幼稚園なのだろうか?それと関係あるかどうかは知らないが、とにかく子供たちは多かった。それ以上に、オバさまたちも多かったが。多少の客席のざわつき、マナーの悪さは覚悟の上ではあったが(何しろ、客に決して媚びた演目でないだけに不安はあった。)、見事裏切られて、いい意味、緊張感溢れるステージで良かった。特に、バッハの楽章間の静けさ、といったら本当の静寂で、これまた感激。これで終わりなのか、まだ続くのか、といった緊張でもあったのかもしれないが、ほぼ、アタッカに近い形で全楽章進めていたのも勝因か。それにしても、普通、咳をゲホゲホやるのに、静まり返った楽章間、とても新鮮だし、客層の不慣れさ、それがいい形で表現されたと言う事か。

 続く、華麗なポロネーズ。これは聞き覚えのあるもの。単純に、超絶技巧を堪能させていただき、目と耳を楽しませてくれる。個人的な感想としては、民俗的な舞曲のしっかりとしたリズムの中に、いろいろな技巧を織り交ぜるというやり方、そして、その技巧のさまそのもの、からして、シベリウスの協奏曲のフィナーレとの関連性を感じた。跳躍する音程、頻繁な移弦、ハーモニクス、重音、・・・・確かに楽しませてくれた。余裕が感じられたのもいい。バッハとは、見事、雰囲気は替えて、華やかな雰囲気に。

 チャイコフスキー。これは3曲から構成されていると思われるが、この辺はパンフに載せていただきたかった。それにしても、静かで穏やかな第3曲が終わって、素直に拍手が出てきたが、みんな馴染みの曲と言う事か?私は未知、これまた恥かしい。さておき、チャイコのVn協奏曲の第2楽章を思わせるような悲しげな第1曲。そして、タランテラ風な第2曲。イタリア奇想曲とかも思い出したり。第3曲は、これは有名だ。とても美しいメロディー。技巧的な選曲から一転、あまり技巧誇示しない、単純な、歌で攻める曲想となり、うっとりと聞かせていただく。やはり、チャイコは良いですな。こんな小品ひとつとっても、素晴らしい旋律だ。

 前半最後に再びヴィエニアフスキ。重音でイ短調の痛々しいほどに切々と訴えるテーマがで、変奏が続く。しかし、そうそうに長調に転じて、また、技巧のデパート風な流れ。空虚五度のピアノ伴奏の部分は、民俗的。イ短調ということで、グリーグのピアノ協奏曲なども想起させる。ただ、ピアノのみの部分で、左手でリズミカルな伴奏、右手でオクターブ旋律、なんて場面は、下手すれば、ラジオ体操みたいな音楽。やや単調に過ぎる。途中、短調でテーマが回帰するものの、これも長続きせず。ちょいと曲に対する興味が薄。曲の構成に難ありか。作曲する立場として、変奏曲でこれをうまく組みたてるのはやっぱり難しいですね。奏者に原因はなし。
 前半のみで1時間を経過。なかなかに盛り沢山。ソリストの意欲の現われであろう。私自身、1時間を、意外と集中して、楽しく聞けたのが嬉しい。難曲続きながらも、ハラハラさせる部分が皆無というのもその要因か。やはり、ハラハラ感が頻繁だと、集中もできないし、楽しさも半減ってことなのか?アマにせよ、プロにせよ、作曲家の書いた音楽そのものと真剣に対峙できる幸せ、これこそ、生演奏の楽しみ。

(2002.11.17 Ms)

 休憩後は、地元豊橋の皆さんへのサービスということか、チゴイネルワイゼン。東京公演にはない演目か。近くに座っていたオバさまも、これを今日は聞きに来た、なんて話をしているのが耳に入る。
 改めて、この超通俗名曲を聞くこととなったが、意外とあっさり、さらりとした演奏で、イメージが違った。もっと、ハンガリーの民俗音楽のような、たっぷりとした、ねっとりとした、濃いものを想像していたが、スマートで軽い感じで、現代的なチゴイネル、ってところだろうか。お洒落な肌触り、といいましょうか。決して、物足りないとか、歌い方が足りないとかというわけでもないのに。何だろう。確かに楽譜を見ると凄い技巧的な複雑なことが書いてあるが、それを、ガシャガシャ汗だくになって苦労して、ではなしに、また、見せ付けるようにオーバーアクションに、というわけでもなく、難なく、あっというまに調理してしまったという感じ。新発見、こんな演奏もありか。ブロムシュテットの指揮との共通性など感じたり。

 最後は、リヒャルト・シュトラウス。リスト、ワーグナーの影響のもと、交響詩、楽劇へとつき進む前の若い頃の作品。まだ、ブラームス辺りを意識していた頃。という先入観で鑑賞に臨む。確かに、そういった面はある・・・何しろ、ヴァイオリン・ソナタ、という形態を選択しているわけだ。しかし、ここには、後年の彼を思わせる要素がたっぷり、ふんだんに感じられた。変ホ長調。いかにも彼らしい。ホルン協奏曲、管楽セレナーデ、と若い頃にもこの調性はよく見られ、それ以上に「英雄の生涯」をも思わせる、スケールの大きさ、もったいぶり、尊大さすら感じられる冒頭。そういえば、この作品、全部通して聞くと、確かに、「裏・英雄の生涯」といった感覚さえ覚える。彼の生涯を予見させるのだ。また、自作の引用が、「英雄の生涯」には見られるが、このソナタには、それと逆に、将来生まれ出る作品の萌芽が見られるのだ。
 第1楽章冒頭は、「英雄の生涯」のテーマとの親近性があり、第2主題?がハ長調で大らかに出た辺り、アルプス交響曲の頂上みたい。第2楽章は、前期ロマン派を思わせる麗らかな主部を持つが、途中で、ワーグナーのジークフリートの葬送行進曲の如き不気味な低音の半音階が繰り返され、その半音階は、増殖して、いかにもリヒャルトらしい、飾りだらけな華やかなオーケストレーションを思わせるピアノ伴奏を作り(その半音階がいかにも彼らしい語り口)、官能の世界へと誘う。第3楽章は、一転、暗い楽想が重く出るが、全く無関係に明るく主部は始まり、スケルツォ的な雰囲気で、やや構成に難がありつつも、勝手気ままに、妙なリズム感も交えつつ、ティルオイレンシュピーゲル風なからかいのパッセージすら見え隠れ。
 リヒャルト・ファンなら是非知っておいて頂きたいほどの佳作だ。「英雄の生涯」の鼻持ちならぬゴーマンさより、随分可愛く、リヒャルトの本当の生涯が投影されているかのような作品と感じた。フィナーレの構成が散漫なのだけが難点か。
 さて、サラサーテや、ヴィエニアフスキほど技巧が耳につかないので、凄さ、を演奏からも感じることはなかなかできなかったものの、でも、サラサーテ同様に、スマートに、軽々とライトな感覚で快く耳に届くので、聞きやすく、音楽そのものを自分の中で感じ取ることが出来て、満足である。

 アンコールは、クライスラー。「愛の喜び」と「美しきロスマリン」。リラックスして演奏会をあとにすることができた。
 今後のご活躍期待します。また、地元豊橋にて、妥協なきプログラムで、リサイタルを是非是非。応援してゆきたいと思います。
 個人的には、ニールセンのソナタや、ショスタコの前奏曲とか・・・・。お願いしたいところですが、さてはて。

(2002.12.4 Ms)

 11/3(日) 花フェスタ 秋の岐響コンサート

 久しぶりに盟友・清流氏の依頼を受けて岐阜まで遠征。岐阜県交響楽団さんと合流しての、珍しい野外でのコンサート。場所は、岐阜県東部、可児市(かにし)、花フェスタ記念公園にて。数年前に開かれた花の万博の会場跡地が公園として整備されている。「日本一のバラ園」・・・株数、品種数ともに日本一を誇るバラ園が売りのようである。皇太子殿下のご成婚を祝しての、新品種「ハイネス雅」、さらには愛子さまご生誕にちなんだ「ハイネス愛」といった品種も見所である。そして、今回の演奏会場は、公園内の、プリンセスホール雅。これも当然、雅子妃殿下にちなんでのホール。ホールとはいえ、屋根だけ付いた吹きさらし。客席の後方は、なだらかな斜面となった芝生で、それこそ、ベルリン・フィルのピクニック・コンサート、みたいにくつろぎながらのコンサート、といった趣に。
 いきなり余談ではあるが、可児市、聴き慣れない地名ではあろうが、2002年を生きた日本人ならきっとどこかで耳にした地名であるはず。今をときめく(?)和泉元彌氏のダブルブッキング事件、ヘリコプター、飛行機を乗り継いでの岐阜から東京への大移動。その基点となったのが、最近落成した可児市の文化ホールということだ。その可児市の郊外、山の中が今回の演奏会場。

曲 目

ワーグナー     「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 第1幕への前奏曲
ムソルグスキー  禿山の一夜
チャイコフスキー  花のワルツ
ビゼー        「アルルの女」から メヌエット・ファランドール
アンダーソン    トランペット吹きの休日・舞踏会の美女
久石 譲      となりのトトロ
三岳 章      川の流れのように
エルガー      威風堂々第一番

(アンコール)
ビゼー        「カルメン」 第1幕への前奏曲

 それにしても、この手の依頼演奏、にしては重厚な、妥協していない、思いきった選曲ではある。これを休憩なしで一気に一時間強、ぶっとうしなわけで、とくに管楽器の皆さんはお疲れさま、です。
 私の出番は、禿山のドラ、そして、ファランドール以降の曲での大太鼓。ということで、久しぶりに、常時リズムをキープしてオーケストラの土台を作るような役割をもった大太鼓のパートということで、楽しくやらせていただいた。ここのところ、古典的な「交響曲」的な、ところどころちょろりと出番があるような役が続いていて、この手のパート譜を手掛けることもめっきり少なくなり、結構自分的にははりきってしまう。大学時代の小中学校での音楽教室、さらには、中学高校時代の吹奏楽部における打楽器の使用法、なども思い出しつつも、こういったパートを無難にこなせてこそ、本来の打楽器奏者の能力も問われるというわけで、心して臨んだつもり。

 さて、前日の夜の練習のみで本番当日を迎えるということで、前日、岐阜市内の岐響さんの専用練習場にお邪魔。
 二年前にご一緒させていただいた時(これまた、今をときめくマラソンの高橋尚子さんの母校跡地にてのコンサート)は、練習場での練習ではなく、今回が始めてのことだが、行ってみてびっくり。これだけ立派な練習場があるというのはうらやましい限り。と同時に、社会的責任も大きい、ということだ。それに恥じない演奏活動を質・量ともにこなさねばならない。少なくとも、今回のコンサート、その期待に恥じないものであったことは確か。確実にその責任を果たしている団体です。
 また、打楽器的には、打楽器の運搬なしに練習が開始できるのは素晴らしい事で。オケが安定した活動を続行する上での存立にかかわる大きな要因の一つだと思うし、最近、そういう団体も多くなってきている(私の知る団体では結構多くなっている)。これだけの設備あってこそマーラーなども手掛けられるわけだなぁ・・・・確かに「流浪の民」的なアマオケ(大学オケじゃなく)でマーラーを手掛けた時は随分苦労したっけ。楽器全部揃えての練習時間も限られて。

 打楽器は最後列、最上段に陣取って練習開始・・・・ただ・・・・、最近そういえば、この位置での練習にこ無沙汰していた。カンがイマイチ戻せない。聞えて来る音よりは随分速いタイミングで、というのが自分にとってあまりしっくり来ない。ずっと2nd Vn.のすぐ後で、それも小編成な団体でやり慣れているので、練習での自分の演奏にちょっと納得いかない。「トトロ」や「美空ひばり」のエイト・ビート・パターンをやりつつ昔のカンを取り戻すよう努力。結果として本番は、最後列ではないので気は楽なのだが、「舞踏会の美女」のような曲になると、アンサンブルのズレも随分顕在化してくるし、改めて、やり慣れてない団体での演奏の難しさは感じた。それをスマートにこなしてこその、さすらいのPercussionistな訳であるから、限られた練習を集中して、と。

 練習後は、トラックへの楽器積み込みを済ませて、夕飯。中華風パスタなるものに挑戦。なかなかいけますよ。岐阜市芥見に寄られた際は是非。
 そして、清流氏の新居訪問。午前3時すぎまで、くだらん話から結構マジな話から、学生の頃を懐かしみつつも、やっぱり夜更かししちまった。一応、ビゼーの「アルルの女」、オリジナルの劇音楽全曲版の「ファランドール」など聞いて、本番の参考に、と。ピッコロのソロに、プロバンス太鼓のリズムが重なるだけのシンプルな原曲。故に、日本名「長太鼓」とも呼ばれる、タンブーランことプロバンス太鼓(原曲は決して、いわゆるタンバリンではない。出版譜の誤りが正されていない演奏もカラヤン始め多々あるからタチが悪いな。)の音色のニュアンスがわかるのでイメージ作りの参考にと一緒に聞いた訳だ。本番は、バチの選択や、太鼓の叩く位置やらいろいろ実験して、タンブーランに近いニュアンスをしっかり出していたと思う。お役に立てたかねぇ。

 さてさて、本番当日。昨日から急に冷え込み、めっきり冬型も強まって、とてもピクニック・コンサートという雰囲気ともいかなさそう。朝は晴れていたものの、会場入りした頃はほとんどどんよりした曇り。たまに晴れ間がのぞく程度。とてつもなく寒い寒い。手袋、長いコートまで用意していたのは正解だ。公園を散策するお客さんも散見される程度、か。「秋のバラ・フェスタぎふ」というイベント中とは言え、バラも時期を過ぎているみたいだしなぁ。客入りはおおいに不安だったりして。こんな天候で。(寒さのせいかしらないがゲネプロ中にハープの弦が切れるという事件も)
 ところが、昼くらいから、ホールの傍らで抽選など始まったせいか、人が行列をなしていたり、また、ベンチとかで食事も始めてなんとなく人出も増えたような。午後2時の開演時には、なんとホール内の椅子はほとんど埋まって、なお、立ち寄って足を止める人もいて、500人はいただろうか。岐響コンサートを楽しみに、それを目的に集まったんだろうか?なんだか身が引き締まる思いだ。こんな寒い中、わざわざこの野外でのコンサートを待つ人たちの存在に、正直、感激した。自分ならこんなコンディションで音楽聞こうなんて思いはしまい。この人たちの心意気に答えるためにも精一杯の演奏をしよう。と。
 これだけ寒い中で、集中力を持って演奏をこなしたオケの皆さんも凄いが(指がまわらなくなりそうな寒さなのに)、お客さんにも拍手を送りたい。比較的この手のコンサートにしては、10分超の長く、重ための曲が2曲も続いたが、集中して聴いていただいたようだ。前半から後半に向けて、段々、柔らかな内容になっていくのだが、そこでそれに拍車がかかるようなアクシデントが一つ。
 「アルル」のメヌエット。今までの大音響の派手なオーケストラ・サウンドではなく、ハープの寡黙な伴奏に乗って、フルートが(くどいようだがあの寒さでよくあれだけの演奏が。)ひとり歌い始め、そんなガラリと変わった雰囲気に呼応してか、みるみる雲は消え、晴れ間が差し込んで、おぉーっと感激しそうになったその瞬間、遠くから飛行機の爆音がどんどん近づき、あっと言う間に、フルートとハープの華奢なデュオを消し去るまでに近づく羽目に。さすがに指揮者も耐えかねて、演奏中断。マイク片手に、「さすがに耐えられなくなって・・・・」と。客席も笑いの渦。飛行機が去ってから改めて演奏再会。なんだか、この事件で場の雰囲気も随分とさらに和やかなものにもなり、ノリのいい快速なファランドール、そして、アンダーソン、そして、お馴染みの曲へと進み、寒さも一時忘れるような楽しいムードとなっていったような気もします。
 「トトロ」と「ひばり」は、団員の歌のお姉さんがマイク片手に歌いながら、公園のマスコットキャラクターの着ぐるみも二匹(?)登場、マスコットガールのお姉さんも加わって、場を盛り上げてくれていました。「トトロ」はお客さんから飛び入りで指揮もしてもらい、岐響さん御得意な指揮者コーナーも兼ねつつ大サービスな趣向です。
 そして最後は元気よく、威風堂々。プリンセスホールに相応しいノーブルな雰囲気、さらには、イギリスのプロムスみたいだなぁと個人的にも満足しつつ、コンサートは無事終了、ということです。・・・ちょいと心配なのは、やや太鼓系の低音が強調されて聞こえるようだったので、音をシャープに切り、ミュートも多様しながらバランスのも配慮しつつ演奏したつもりですが、果たしてどうだったのだろう?本番のホールの特質を生かし、把握しての演奏、というのも重要なこと。いろいろな経験をさせていただけるのはありがたいことです。

 お客さんのなかに飛び込んでの、今回のコンサート。こんな出会いの積み重ねが、音楽を愛する人々を増やすことでしょう。また、オーケストラが単なる趣味人の嗜み程度の活動を超越して、社会に立脚した活動として認知されていると言う点で、団員の皆さんへの負担は大きいでしょうが、有意義なものとして、この場を借りつつ、紹介させていただきたく思った次第です。

(2002.11.4 Ms)


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