今月のトピックス
September ’01
9/7(金) 團伊玖磨氏 星に
9/7朝日新聞朝刊からの引用です。
小惑星に命名 〜 團伊玖磨さん星に
5月に亡くなった作曲家の團伊玖磨さんが星になった。祖父で三井財閥のリーダーだった琢磨氏とともに、その名を冠した小惑星が誕生した。青年時代、天文写真に熱中した伊玖磨さんは、天文学の助教授でもあった祖父とともに夜空を回る。
2つの小惑星はアマチュア天文家の関勉さんが発見。知人の天文学者、冨田弘一郎さんの勧めで7月、国際天文連合(IAU)に命名を申請。このほど、小惑星17508番に「Takumadan」、17509番に「Ikumadan」と命名された。
少年時代、やはり私も望遠鏡など買ってもらって写真をいろいろ撮っていた頃もあった。故に関勉さんの名もまた懐かしさをもって久しぶりに見た。それにしても、さすが大財閥の出だけあって、戦前戦中に天文写真とは、伊玖磨氏もさすがである。こんな小さな記事を見ながら、再度、團氏のことを思い出しつつ、追悼の意を改めてこのHPでも表そうと考えた。とりあえず、死に際しての私の「たぶんだぶん」での記事を以下に転記、その上新たに書きつなぐつもりである。
團伊玖磨氏逝去。中国にて自作演奏会の準備の途中のことであったと言う。冥福を祈ります。 今思えば、岐阜県交響楽団さんの今年1月のDAN YEAR 協賛の、交響詩「長良川」、とても感銘深いものとして思い出される。また、今年1月のTVで偶然、彼のインタビューを見たことも。今年1月のトピックス参照。 冥福を祈ろうにも、手元にはCDがない。一緒に時代を生きた作曲家である。1枚もないのは淋しいか。芥川も黛もあるのだが。個人的には、昔、ラジオで聞いた交響曲第4番の完成度の高さ、が印象的。新古典的な手堅い手法の中に、日本の民謡こそないものの、何がしかの日本人としての共感を得られる何かがあったように思われる秀作とみた。あと、NHK「音楽の広場」にて「3人の会」の同窓会をやった際の「ブルレスケ風交響曲」のユーモラスな、いかにものどかな日本的な雰囲気は、当時中学生の私も親しみをもったものだ。 個人的には、今日は飲み会の帰り。とてもパソコンをいじるムードではなかったが、どうしても一言書きたかった。同時代の大作曲家をないがしろにしていた私の態度の反省も込めてコメントしておきたいと思った。ちょうど1年前は、中田喜直氏の訃報について書いていた。5月。なんだか淋しい季節。 (2001.5.17 Ms) |
先週末は仕事の都合で名古屋へ行き、ついでにCDなど。団伊玖磨の交響曲全集。追悼版。唯一知る第4番を目当てに購入。そしたら、第1、第2番が素晴らしい事。後期ロマン派、正統的なドイツ風な風格をもった大作である。以前、新交響楽団で聞いた、諸井三郎の交響曲からの流れも確かにありそうだ。オケの鳴りっぷりも堂々たる物、そんな雰囲気の中、いかにも日本人的な感性も聴き取れる。第2番の主要テーマは、やや恥かしいほどの通俗性をもった単純明快なもの、アメリカの西部劇などちらっと私は想起する。まだまだ全部聴きとおしてはいないが、団氏の作品、今後開拓したい衝動に目覚めつつあり? (2001.9.4 Ms) |
ちょうど1週間前には、彼の交響曲全集を購入したところ、その結果も踏まえつつ、彼と私との、数少ない接点を思い起こしてゆこう。
(2001.9.9 Ms)
日本の作曲家と言えば、私にとっては当然の如く芥川也寸志氏が最重要であることは間違いない。これは、私の「トリニタ」なるHPでも、少々熱く語っているところである。
一方、團伊玖磨なる作曲家を私が意識したのは、いつかははっきり覚えてはいない。しかし、芥川氏そして黛氏とともに「3人の会」を結成してオーケストラ演奏会を戦後、精力的に行った、ということは、芥川氏の出演していたNHK「音楽の広場」にて初めて認識したと思う。
私が中学生の頃だろうか、「3人の会」のメンバーが集まって、2週にわたって彼らの作品を彼ら自身の指揮で演奏していたと思う。
第1回目は、「3人の会」の第1回演奏会でのプログラムより、團氏の「ブルレスケ風交響曲」よりフィナーレ、芥川氏の「交響曲第1番」よりフィナーレ、そして黛氏の「饗宴」であったと記憶する。主に、その当時、作曲家としての駆け出し時代の思い出など語っていたと思う。
第2回目は、旅とお洒落とワイン・・・・とかいったタイトルで、音楽の話題から離れて趣味などの話題に花が咲き、演奏曲もややくだけて、芥川氏のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」、黛氏の「天地創造」(洋画ですね)、そして團氏の「無法松の一生」といった、TV,映画のテーマ音楽を演奏したと記憶する。
さて、肝心の團作品なのだが、当時の私としてはあまり感ずる事無く終わったという印象ではある。確かに「ブルレスケ風交響曲」は、ボンゴの軽妙なリズムに乗って、日本的な旋律が繰り出すわかりやすい作品ではあったが、新鮮さは感じられなかった。当時私も、小山清茂の「木挽歌」などは知っておりとても面白いと感じてはいたし、名古屋フィルを外山雄三が常任で振っていて、「ラプソディ」始め名古屋フィルをフューチャーした番組で聞く機会はあり、さらに今や忘れられた感が強い交響曲「名古屋」!!(今どれだけのひとが知っている?)など一時期、毎日、中京テレビで朝、一楽章づつ繰り返し放送されていたりで、いわゆるいかにも日本的なオーケストラ作品には慣れ親しみ、また、飽食気味でこそあった。そんな中での「ブルレスケ風交響曲」、個人的には、中学生の私としても、またかぁ、といった程度の印象ではあった。日本民謡こそ使用しているものの妙に清潔にまとめられていて、楽しみに欠ける、ウソっぽい、シラっとした外山作品と比較すれば、断然、團作品の方がコミカルで楽しさを感じたには感じたが、他の2人があまりにも絵に描いたような日本的ではない作品だったので、團氏を外山的に捉えてしまったのだろうか?
また、3人並べて見ると、團氏の劣勢を感じてしまったのも確かである。第1回目など、芥川氏の交響曲に私としてはすっかり虜になってしまい、ショスタコやプロコの音楽に目覚め、貪欲に交響曲など聴き始めていた私としては、その延長にある芥川作品は、これこそ私の求めていた音楽、という具合に受け止めていたのだ。さらに、黛氏の「饗宴」などは、ジャズに傾倒した作品で、中学の私にはかなり難解な印象こそあったが、吹奏楽を始めていた私にとっては、あの前衛的な過激さには「スゲーッ」というしかないくらいのインパクトはあった。どうも、團作品だけが貧弱な感じが多いにしたものだ。番組中、「ブルレスケ風〜田舎風という意味です」と解説する團氏を覚えているのだが、交響曲と田舎という組み合せがダサいなァとも感じた次第。映画音楽も「無法松の一生」では、中学生の私にャ全く興味なし、次元の違うものだったし。(・・・ただ今となっては、交響曲全集にも入れられていない不遇の作品だ・・・・もう1度、しっかり全曲聴く機会は欲しいと思っているが。)
話は違うが、YMOに心酔していた当時、黛は坂本龍一、芥川は高橋幸宏、團が細野晴臣、などとダブって感じ、確かに細野のソロ・アルバムなどは他の2人に比べてダサいわな、などと感じていた時代のお話。
YMOばかり引き合いにだすのも場違いだが、その他、團氏に関わる思い出としては、「音楽の旅はるか」なるTV番組がある。民放、日曜夜10時30分頃の番組だったような記憶がある(「DAN YEAR 2000」の本によれば1980〜84年の放映)。芥川氏の「音楽の広場」、黛氏の「題名のない音楽会」とこれで3人並んだことになるのだが、この番組の企画なども手掛けていたと思われるが、でも私は團氏が出てくるところを全く記憶していない・・・・。決して毎週見ていた番組ではないし・・・・
ただひとつ記憶しているのは、「龍一が来た」といったタイトルで坂本龍一がインドネシアのバリ島を訪ね、ガムランやケチャを見つつ、現地のアーティストと即興的にセッションするといった内容、とてもスリリングでしっかり覚えている。
さらに、テーマ音楽が、シベリウスの「カレリア組曲」から「行進曲風に」。これが自分にとっては強烈な印象があった。小学6年の頃、NHK名曲アルバムで聞いて以来(アルヴェーンのスウェーデン狂詩曲第1番も同時期に名曲アルバムでやっていたのが、それも含めて)、この浮き立つような音楽と異国の知らない風景が重なることに多いに興奮するものがあった。外国への旅への憧れ、がなんとなくこの番組の冒頭だけで私に醸成されていったのかもしれない。よくよく考えれば、世界中を旅して(特に中国を中心としたアジアが重要だろうが)それを自作に投影させ続けた彼ならでは番組ではあったのだろう。「音楽の旅はるか」なる語感も好きだし、今、私もそんな「音楽の旅はるか」もどきを毎年行っているわけだし、・・・さらに、5月、團氏を送ってすぐの夏、今年の私の「音楽の旅はるか」が「カレリア」だったりするのも、こじつけがましくも因縁なのか、とも感じたり。
思い出話はまだ続く(2001.9.11 Ms)
團氏の作品といえば、まず第1に歌劇「夕鶴」ということになるのだろう。ただ、これがなかなか馴染めなかった。高校の音楽の教科書には掲載されていた。しかし耳にしたのは随分後だ。何度か、BSも含めて放映される機会はあったのでビデオに撮ったりするのだが、正直地味過ぎて、また、それ以上に、やはり、日本語のオペラに対する違和感なども感じて、どうも敬遠という感じではあった。
これは、新国立劇場こけら落としの「建・TAKERU」でもそう感じた。ただ、迫力という面では感ずるものは多少あったのだが、いろいろ物議を醸した、終幕の、日本讃美の合唱部分(右傾化などという批判もありましたか)、やはり始めて聴いたときも、素直に聴けない自分はいたと思う。
これらの歌劇作品に対しては、私自身これからどう付き合って行くのか?わからない面はある。ただ、團氏の死を機会に追悼番組があり團氏の人となりなど改めて知り、また、「夕鶴」「タケル」は再度ビデオにも撮り直したわけだし、またじっくりと対峙したいとは思っている。さらに、昨年の「題名のない音楽会」で放映された「3人の会」の特番での團氏の出演を今回ビデオで見なおしたところ、やはり、彼の死、という状況も手伝ってか、彼の指揮する、「夕鶴」の「つうのアリア」には何か感ずるものがあった。日本語が自然に聴き取れる素直な音楽があったことにやっと今頃ながらに気付いた。
さて、もう一本の柱、交響曲。
FMエアチェックで大学の頃だったか第4番を聴いてなかなかに印象深かった。これが唯一の体験。確かに、無調的なゲンダイ的な様相を呈してはいたが、なぜか歌える。耳に残る。不思議なゲンダイ曲だった。無調でも歌心がある。(ちなみに神奈川県に捧げられた作品だそうです)
わかりやすさのもう一つの原因は、オーケストレーションのスマートさ、明瞭さだとも感じる。いわゆるドロドロとした不可解な響き、重箱の隅をつつきっぱなしの細かな細工ばかり、というものではなく、ストレートにオケの様々なパートのやっていることが把握しやすい、といった印象か(イギリス現代、ホルスト・ウォルトンあたりとの類似性を私は感じた)。
さらにダイナミックな表現が心地よい。特に、4番はフィナーレなどかっこいい。
また、フィナーレの第2主題的な旋律について、あとで知ったのだが、全音階の2音の間を行ったり来たりするわらべ歌的なモチーフ、これは意識的な引用らしいのだが、いわゆる外山、小山的な露骨な「さぁ、日本民謡だよ」と言わんばかりのダサさとは異質な洗練さを感じた。民謡のエッセンスのみを取り出して一つの主題を構築しているわけだ。
全体の構成も、スタンダードな4楽章制で30分程度。おまけに、第3楽章などメヌエットなる表記(ただし、自虐的なトーンがなんとも言えず耳につく。精神的な意味ではスケルツォか?面白い音楽です、このメヌエット。)。
総括的には、日本的な、今となってはワザとらしい感もあるようなローカル色を狙わず、かつ、わけわからないほどに複雑怪奇となったゲンダイ音楽にも完全に染まらない、かといって陳腐な過去の模倣でもない、なかなかのベスト・ポジションをキープした作品、と言える。
この作品のみしか生前は私は知り得なかった。そこで、追悼の意味も込めて、再販された交響曲全集を聴いたのだが、特に初期の2曲に感銘を与えられた。「炎のヤマカズ」の指揮による2曲ということもあってか?熱い。ドイツ後期ロマン派を思わせるスケールの大きさ。確かに第1番は20分を越える1楽章制、第2番にしても3楽章あるうち両端楽章は20分。どっしりとした重厚感が日本を越えたスケールの大きさ(大陸的とよく言われてますね)を感じさせる。後期ロマン派的なエッセンスは、師匠、諸井三郎じこみってところか?金管の咆哮がとにかく良い。また、4度や5度の音程が調性感を持たせつつ、無調的とは言え、やはり歌心は十分感じられる。特に第2番のフィナーレは頭から離れない魅力的なもの。ただ、冒頭が、芥川の「トリニタ・シンフォニカ」のフィナーレ冒頭と同じリズムなんですが・・・・。意識的か?それとも無意識のうちのことか?
とにかく、交響曲は、マーラー辺りまで聴きこんだみなさんに是非とも知っていただきたい。20世紀の交響曲がマーラー以来、ショスタコを始めとする例外を除いて、どうも肥大的傾向を捨ててこじんまりとまとまるなかで、團氏の交響曲群は、シンフォニーのシンフォニーたる存在価値を存分に聴かせてくれるスケールの大きさを持っていると思います。
今後は、私としては交響曲を聴きこむとともに、(入手困難ながら)管弦楽曲なども聴く機会を心待ちにしたいところです。・・・ただ、このようなことを彼の死後に気付いたのは、手遅れでした。ご冥福を祈りつつ、彼の残した作品を今後も聴き続けてゆきたいと思います。
PS.余談ながら、彼のことを高校時代、普通に(別段音楽に詳しい人でなく)と話したことも思い出されます。外人さんが出てきて英語で「Do you know me?」と話しかけつつ、キャッシュカードの宣伝するCM、このシリーズで團さんの登場するバージョンがあって、やはり英語で話すものだから、学校のクラスで「なんで日本人なのに、ドゥーユーノーミーなんだよお?」とか言ってたなァ。国際人たる團さんの一面を汲み取らなきゃいけなかったのね、私達、認識不足でした。反省。
(2001.9.29 Ms)