今月のトピックス
February ’01
2/18(日) オーケストラ・ダスビダーニャ 第8回定期演奏会
さて、今年もダスビ、やってくれました。ショスタコーヴィチの知られざる、生で聴かれざる名曲の数々を一挙、大放出!!
「主題と変奏」作品3、「ステパンラージンの処刑」作品119、そして、今年、完成初演40周年を迎えた、交響曲第12番「1917年」作品112。
やはり最大の収穫は、反響の大きさからも伺えるとおり、「処刑」の衝撃的な演奏につきるでしょう。公募による、今回のための合唱団、コールダスビダーニャ、そして、もうロシアものを歌わせたら日本で最高峰であろう、岸本力先生のバス独唱、彼らの合流によって、ますますパワーアップの、長田先生のタクト、そしてダスビ・サウンド大全開!!もう感動の嵐でした。
特に私の心を揺り動かしたのは、全編に見られた生き生きとした表現。前半の、祝祭的な場面、合唱が歓声を上げてグリッサンドで絶叫を続ける辺りの雰囲気に完全に飲まれてしまいました。私は、単なる合唱曲を超え、オペラの一場面を見ているかのような錯覚にさえ陥りました。・・・確かにショスタコにとって、オペラは最も興味を持ち、力を注いだ分野であったはずです。しかし、例の「プラウダ批判」でオペラ「マクベス夫人」が不幸な形で抹殺、それ以来、ロシアの女性3部作として温めていたオペラ構想を撤回。第二次大戦のどさくさまぎれに、オペラ「賭博師」を手掛けるも未完で破棄。よっぽど、オペラへのトラウマができてしまったのか、オペラには後年、手を染めなかったのですが(ムソルグスキーのオペラの編曲で我慢?)、その代わり、晩年は、多くの声楽作品を残したのです。その中でも、オーケストラと混声合唱、バス独唱によるこの「処刑」、最もオペラに近づいた作品、と私は感じたのです。オペラを書きたくても書けなかったショスタコの無念さをふと思い起こしたりもして、とても感動的なステージでした。
第2の収穫は、交響曲第12番のフィナーレ、コーダの意味するところ、これに対する、問題提起が今回なされたような感想を持ち、一度よく考えてみたい、と思うに至った事です。
とにかく、いつまでたってもおわらない、超重量級な、重く、堂々たるコーダの表現は、演奏する側も辛いでしょうが(ブラスの方々、ホントにばてたでしょうねェ)、聴かされる方も辛い。「いいかげんにしてくれ」って感じなのです。この感覚は、本気でショスタコの体制批判として受け取れるような気がしてしまいます。ここまで、やってくれた演奏は果たして今まであったのでしょうか?少なくとも、私は始めてであり、これが始めての生演奏体験であったにせよ、コーダの「押しつけがましさ」「胡散臭さ」をこんなに感じる事になろうとは、想像すらしていませんでした。とてもショッキングな体験でした。
とにかく、打ちのめされたようなコンサートだったことは確かです。詳細は、もう少し、頭を冷やしてから、徐々に書いていこうと思います(今年も去年並に1ヶ月を要する大連載になるのかしらん?)。
<0> 私的前書き
例年、上京の旅日記など交えてのダスビ体験記となっておりますが、今回はちょっと先を急ぎましょう。実は前日から東京入りしたのですが、東京交響楽団定演に客演予定の、ミッコ・フランク氏の突然の来日中止など、ややこしい事件もあったりして、前書きがやたら長くなりそうな気配なので、いわゆる前書きは、ダスビ体験記の後に、余力が残っていたら書くつもり。
<1> 祝! 主題と変奏、日本初演
ロジェストベンスキーの、ショスタコーヴィチ未出版作品集なるCDを10年以上も前、今は亡きソ連のメロディア・レーベルから購入して以来、彼の作品番号一桁台の三つのオーケストラ作品の大ファンです。
つまり、スケルツォ作品1及び作品7、そして今回の「主題と変奏」。
ショスタコらしさ、が完全に発揮される作品は、当然にして、公的なデビュー作である、交響曲第一番作品10からであることは誰も認めるところでしょうが、この三つの作品も、なかなかどうして、後年のショスタコを充分思わせる、天才の若書きであり、愛すべき作品たちなのです。
この作品群のひとつ、「主題と変奏」の日本初演が大変嬉しい私、とにかく書きたいことだらけ、少々お時間を下さいな。
若干13歳で書き上げた作品1のスケルツォ、とても青く、子供っぽい表現もありますが、作品番号を付した最初の記念すべき作品からしてオーケストラ作品、そして、スケルツォ、というところが彼の嗜好をすでにうかがわせます。愉快で、おどけていて、また時には自虐的、時には暴力的ですらあるショスタコの数々のスケルツォの原点として、この作品1は充分鑑賞に耐えうるものです。まだまだ、チャイコフスキーの亜流めいた感じもしないではありませんが。ショスタコらしからぬ叙情性が感じられるのも微笑ましいもの・・・。
スケルツォのもう一つは作品7。もう、これは、前世紀のロマン性は完全に破棄された、20世紀の音楽へと変貌しています。乾いた笑い、ドタバタ喜劇の無声映画のピアノ伴奏を彷彿とさせるようでもあります。変則的で、でも生き生きとしたリズム感、そしてスピード感、この辺りから、交響曲第一番への予告は見え始め、後年のショスタコらしさが刻印されています。
ショスタコのスケルツォのお道化は、圧政に対する自らの態度としても、後年、磨かれに磨かれる訳ですが、圧政開始前から彼の嗜好としてスケルツォが存在していたのは確認しておいてよいでしょう。
その2つのスケルツォにはさまれた、主題と変奏。作品1の叙情性から、作品7の現代性へとショスタコが移行するその過程がそのまま、変奏曲の進行に見えてくるようでもあります。また、チャイコフスキーよりは、ロシア5人組の泥臭い表現も登場し、また、師であるグラズノフの洗練されたオーケストーレーションを彷彿とさせる場面あり、また、複雑な変拍子は、ボロディン、ムソルグスキーの影響のみならず、当時最先端のストラビンスキーまで視野に入れているかのようで、ショスタコが、「変奏曲」という正統派ドイツ的な、オーソドックスな作曲形式の中にも、ロシアの伝統に沿った表現をゴッタ煮の如く、この作品に注ぎ込んだかのようでもあります。
さて、そんな外見上のロシア的な風貌は、まだ16歳の勉強の途中である学生ショスタコーヴィチの学習過程を思わせるものですが、私がここで、ショスタコらしい、と最も感じるのは、「変奏曲」というスタイルを取っているという点なのです。
ショスタコと変奏曲・・・・。実は切っても切れない関係ではないでしょうか?
誰々の主題による変奏曲、といった、モロなタイトルの作品こそないものの、変奏曲の一種である「パッサカリア」を思い起こせば、なるほど、と思われるのではないでしょうか?
交響曲なら、第8番第4楽章、第15番第4楽章中間部。協奏曲なら、名曲の誉れ高いバイオリン協奏曲第一番第3楽章。弦楽四重奏なら、1,2,6,10番等。その他、ピアノ三重奏曲第2番第3楽章。さらには、歌劇「マクベス夫人」の間奏曲・・・。
これらの変奏曲に端的に現われている、「変奏」のテクニックこそ、彼の作品の根幹を為すものではないでしょうか?
彼の作風として生涯一貫しているのは、限られた主題を駆使して、その少ない素材を多彩な変奏の技法により一つの曲として構成してゆく、という作曲方法だと思うのです。次から次へと、新たな主題を提示し、自由に思いのままに作品を書いてゆく、というよりは、極めて禁欲的に、ある主題を設定したなら、徹底してその主題にこだわって作曲するという、ベートーヴェン、ブラームス風な作風です(ただし、ショスタコも実験的な前衛的な作風の頃は、あえてそれを無視してはいます。その方向での代表作は、交響曲第3番「メーデー」あたりかな。)。
例えば、有名な、交響曲第5番第1楽章。冒頭の弦の応答による序奏の後の第1主題、バイオリンがか細く歌う、A−G−F−Es−F−D。このテーマは、何度もこの楽章で登場しますが、特に速度を上げ始める展開部冒頭では、ホルンの異常に低い音域で不気味さを表現。ヒステリックな木管の叫びになったかと思いきや、小太鼓のマーチにのってトランペットが勇壮に鳴り響く。そして、コーダでは、主題をひっくり返して下降を上昇に転じて、低音フルート、そしてピッコロに歌わせて、疑問形な表現としたり・・・。一つの主題に様々なキャラクターを与えているのです。
まだ、学生時代のショスタコ、自由に書きたいように作品を仕上げるのではなく、主題と変奏、という制限を持った、自分の技術を磨くという課題となるべき作品に果敢にも取り組み、その中に、さまざまなロシアを中心とする先人達のテクニックを盗みつつ、この作品を仕上げたのでしょう。
彼の作品を貫く、変奏、という技術の最初の現われが、この作品3にある、と私は考えますがいかがでしょう。
そこで、余談。現在、連載中の「前奏曲とフーガ」の解説でも触れていますが、作曲の制約に対してかなり強い作曲家である、ということが彼に言えると思うのです。
当然、体制側からの、「社会主義リアリズム」なる制限に対しても、素直に従ったり、ギリギリの線でうろうろしたり、確信犯的に違反してわざとらしい自己批判をしてみたり。
作曲技法の点からも、フーガや変奏といった、制約を伴う形式を難なく次々書いていたり。
とにかく、社会的制約であろうと、純粋な芸術的な制約であろうと、しっかりと課題をこなしてゆく、腕が確かな職人、という側面はあると思います。
余談ついでに、先ほどの交響曲第5番の第1楽章の第1主題の話。コーダで下降が上昇に転じて・・・というくだり、実は、この作品3も、B−C−D−Es−C−F、という上昇するテーマが下降音形となって、F−Es−D−C−Es−B、と何度も出てくるのですが、この下降音形が、交響曲第5番の前記の主題と酷似してますね。裏返せば、交響曲第5番第1楽章コーダのフルート主題が、作品3の主題と酷似している、とも言えますが。
これは、単なる類似、といった程度の話なのでしょうが、学生時代のショスタコが、主題をひっくり返して変奏を作った、その全く逆の事を、後年大作曲家となった彼が何気にやってたりするのが微笑ましかったりするのです。
いやまて、これは引用なのか?
学生時代、自分の技術向上のために自ら課した課題であろう「主題と変奏」、職業作曲家となって、体制側に気に入られるべく自ら課した課題であろう「交響曲第5番」。そのそれぞれ最初の主題がまるで鏡に映ったかのように、姿が似通っている(おまけに逆行させてそれぞれが似ている事を再確認しているようにも思えたり)・・・・何か私には臭うような・・・・いつもの曲解ぐせですかね?
詳細な(?)ダスビ体験記、次回更新からということで・・・(2001.2.22 Ms)
若干加筆。(2001.2.25 Ms)
「主題と変奏」のダスビによる演奏を聴いて。
ソ連から出版された、ショスタコ全集の楽譜、第10巻、管弦楽作品。これは、唯一、全集の中で私が購入した大事な宝物でもあるのだが、それをぺらぺらめくりつつ、演奏を振り返ってみましょう。あまり馴染みのない曲でしょうし、ちょっと細かな解説も兼ねて、長々書いてしまいます・・。
まず主題。コントラバスを除く弦4部による、アンダンティーノ、変ロ長調の、なんて素直な素朴な主題!! 四声で書いてある辺りが、和声学の練習課題みたいでもある。それは、さておき、第5回定演からのダスビとのおつきあいだが、なんだかダスビのコンサートらしからぬ開始ではある。弦楽による穏やかな主題の提示、彼の後年のひねくれぶり、暴力沙汰を予感させる事は不可能だ。このコンサートのその後についても、この主題のムードからは想像はできまい。
そんな、愛らしい主題を、弦が丁寧に「優しく」情感込めて演奏。心穏やかにさせてくれます。ダスビの新機軸、といったところでしょうか?微笑ましくなってしまう・・・・でも今後のコンサートの展開を予想すれば、これは仮面、なわけですよね。
第1変奏。主題の旋律はそのまま温存しつつ、対位法的なからみ、そしてオーケストレーションの変更で、まずはとてもわかりやすい変奏の方法だ。ブラームスだと、第1変奏からかなりキャラクターの違う変奏を出してくる(ハイドン変奏曲など)。ベートーヴェン以降の「性格的変奏」ではなく、バロック、古典時代の「装飾的変奏」っぽい。同じ旋律をオーケストレーションの変更でしのぐ、という傾向は、リムスキー・コルサコフ仕込みでもあるのかな。
クラリネットの歌心が心地よく届きます。ふくよかな、豊かな表現。
第2変奏。これまた「装飾的変奏」。ビオラに旋律が回り、伴奏の木管が結構大変である。速吹きは、ショスタコにありがちなパターンではあるが、絶叫型の、ヒステリックなものではない。どちらかと言えば、スケルツァンドな感じ。健全なスケルツォ的気分が作品1の延長上か。
しかししかし、その辺り、なかなかアンサンブルが大変でした・・・。伴奏形のまとめ役、オーボエが善戦してました。が少々綱渡りかな・・・。
第3変奏。速度がゆっくりになり、かつ、ト短調に転調。低弦に旋律。ロシア的な、暗く重苦しいムード。
第4変奏。変ロ長調に回帰。アレグレットの可愛らしいワルツ。初期バレエにおけるショスタコらしい雰囲気が、随分と素朴な形で登場。
第5変奏。変ロ短調、アンダンテ。この辺りまで来ると、主題冒頭のモチーフを自由に展開した変奏というスタイルになってくる。フルート、ピッコロの淋しい歌に、バイオリン・ソロが応答。高音のピアノとチェレスタの囁きも、効果満点。とてもキレイな曲です。グラズノフのバレエのきらびやかなある部分を連想させます。ただし、ピアノはまだ、グラズノフ的な使用法、控えめで、また、爽やかな雰囲気。作品7のスケルツォ、そして交響曲第1番での積極的、またユーモラスな感じとは別もの。まだ、師匠の真似の段階に留まってます。
特筆すべきバイオリン・ソロ。前回と同じ女性の方ですね。とても美しい、可憐な歌でした。うっとり聞きほれてました。前回の定演でのソロに比較しても随分グレードアップしていると感じられました。最後の1st Vn.の細かなDivisi.も美しいハーモニーでした。
第6変奏。再び、変ロ長調。アレグロ。作品1のスケルツォにかなり近い表現。木管の楽しいかけあい。
ショスタコ・オケの木管セクションたるもの、さすが、かる〜く凌いでました。
第7変奏。モデラート。シンバルのリズムに乗って、ファゴットがユーモラスに登場。前変奏のムードも引きづって、木管の楽しいやりとりは続く。
冒頭ファゴットのキャラクターが、アクセントやら、強弱の対比が素晴らしくて、良かったですね。
第8変奏。ラルゴ。変ロ短調。第3変奏のムードをもっと苦しみに満ちたものにしています。ファゴットや低弦のうめくような旋律、あぁぁロシアの響き。サスペンデット・シンバルの一撃から、低音の金管の聖歌的な旋律が生まれ出る。懐の深い、大きな表現である。また、このあたりの発想、後年の交響曲第9番の第4楽章をふと思ったりもして。
この変奏から、ロシア的なるものは徐々に濃厚に支配し始め、また、ドイツ古典の範疇を逸脱しつつ、ロシア5人組以降の、当時としての新しい手法(和声、リズムなど)が登場してくるように思います。
いわゆるダスビ・サウンドも次の変奏から本格始動です。
第9変奏。アレグロ。変ホ短調。6/8拍子のマーチ風なもの。金管が始めて主導権を握り、ぐいぐいオケを引っ張ります。調性的にも、複雑さを増し現代的な表現が聞こえてきます。また、先に述べた、主題が反転して下降音形に転じたモチーフも多用されているのが特徴です。
待ってました、とダスビも活気づいてきます。いつものダスビのコンサートっぽい熱っぽさがやっと現われてきました。
さて、気になった点ひとつ。ロジェストベンスキーのCDもそうですが、7小節目の低弦に、スコアにはないトロンボーンが付加されています(「吹かされています」と変換しても良かったね)。何か事情があるのかな?関係者の方教えてくださいまし。
その、突然の低弦のポコ・フォルテを補強すると思われるトロンボーンが良かったです。ロジェベン版は、唐突に聞こえ過ぎ。スコアにない音ですしどうも違和感を感じていたのです。しかし、ダスビでは、絶妙のバランス・コントロール!! 細部の細かい点にまで注意がいろいろ払われているなァ、と感激しました。重箱の隅をつついたようなコメントでスミマセン。でも、心地よかったのです。是非今回書こうと思ったポイントの一つでした。
途中ですがちょっと時間切れ、第10変奏以降はまた。(2001.2.25 Ms)
第10変奏。アレグロ・モルト。変ニ長調。超難の変拍子連続。5/16,10/16が主体で、10/16に5/8が同時進行。見慣れない拍子ばっかり。管楽器による5/16+7/16のカウントによる、12/16拍子の主題変奏は、コーダでも再現され、この作品の中でも重要な要素となっている。ムソルグスキー、ボロディンらの変拍子と言うよりは、ぺトルーシカ辺りのストラビンスキーじこみの変拍子という感じ(ただ、ハルサイには遠く及びませんが)。ロシアの伝統は踏まえつつ、当時の最先端の音楽まで見据えてのリズム変奏、ショスタコの腕の確かさ、さらには実験精神も伺える。
アンサンブルも難しそうではありましたが、予想以上に善戦していました。聴きようによっては、安定度は第2変奏より上。このロシア的変拍子の方がノリが良かったりして、ダスビのキャラに少々微笑んでしまった私。
第11変奏。変ロ長調に回帰。速度記号が欠落しているが。ゆったりとした3拍子。主題をひっくり返して、下降音形に変奏。美しい歌に溢れた佳曲です。私は、この変奏が最も好きです・・・以前、吹奏楽用にこの変奏をアレンジした事もありました・・・ショスタコも言ってます、尊敬する作曲家の作品を編曲するのは楽しくもあり勉強にもなる・・・といった類の言葉が、彼がムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドノフ」のオーケストレーションをした際に発せられているはず。
そんな私事はともかく、ラフマニノフすら脳裏をかすめるロマンティシズム。そう言えば、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」も、主題と変奏とスタイルをとっているが、最も有名な、美しいメロディーの変奏部分、主題がラドシラミ、という動きに対してこれまたひっくり返して、ラファソラレ、で始まります。独立したかなり長めな緩徐楽章的な変奏でありつつ、主題の変奏の仕方の類似という点でも、この第11変奏は、私としては、ラフマニノフとの共通点がまず気になる。・・・のだが、このショスタコの習作「主題と変奏」の10数年後に書かれた、ラフマニノフの「狂詩曲」、どう考えても接点はないだろう。単なる偶然ということでしかないだろうな。
夢見心地にさせていただきました。遥か彼方を遠く見つめる眼差しを感じさせる4/4拍子に移ったメロディーは特に美しかった。
カデンツァ的な、少々場違いな感もある、フルートのフラッターも良かったですね。
フィナーレ。軽やかなファゴットによる主題冒頭のモティーフが繰り返され、第10変奏に由来する変拍子も交え、クライマックスを築きます。
そして、マエストーソ。低音金管群と大太鼓が、主題を力強く再現。いかにもロシア的なサウンドです。それこそ、恰幅の良いロシア貴族達がふんぞり返って堂々と行進するような、ロシア宮廷の1ページを見るようなムードです。ダスビも心得たり。存在感ある金管群。
ソナタ形式ならば、再現部冒頭にでも当たるような、重要なこのマエストーソ、しっかり決まった事で、この「主題と変奏」、ややとりとめのない変奏の連続となりそうな危機を、演奏が救っていた、と言えるのかもしれません。また、最初の主題の全貌を改めてロシア的重厚さで再現させる、この部分に、ロシアの伝統を重んじていたショスタコの一側面が彷彿とされるようでもあります。
この重厚なマエストーソ、しっかり記憶しておいたなら、約半世紀後、収容所たるソ連国家でロシアのいにしえに思いを馳せるショスタコが「ステパンラージンの処刑」の冒頭をほとんど同じオーケストレーションで開始させたことが即座に理解されるでしょう。ソ連ならぬロシア、というこだわり、と言いましょうか、キーワード、ショスタコの人生を貫くものかもしれないし、また、このコンサートのコンセプトの一つなのかもしれない。(その辺、詳しく書きたくもなったが、とりあえずは先を急ぎましょか)
マエストーソは、第9変奏のモティーフを回想しつつ尻つぼみ状態となり、アダージョの心に染みるバイオリン・ソロのアンサンブルを経て、再度、アレグロとなり、ファゴットの活躍する軽妙な部分から盛り上がり、最後のコーダを導きます。
コーダ。第10変奏の変拍子が堂々と回帰、全オーケストラにそれが広がって、リムスキー・コルサコフの華麗かつ整然としたオーケストレーションを想起させつつ、変拍子が複雑に絡み合って、最後はいかにも、ロシアン管弦楽曲、と言えそうな強力な終結部でこの曲は閉じられます。
先人達の手法の消化に努めて来た学生ショスタコの勉強の過程を追いつつ、最後は、やはり俺はロシア人だ、という絶叫で閉じられるようなこの作品、多少の危うさはありながらダスビは、着実にショスタコの歩んだ道をしっかり踏みしめたうえでの共感に満ちた演奏をしていたのではなかろうか?この、ロシア人だぁ、という絶叫たるコーダが、やや必要以上に鳴らし過ぎた勇み足が感じられなかったわけでもないけれど、その絶叫は、確実に、次の「ステパン」の冒頭を予告するものとして、素晴らしいプログラミングの妙を発揮していた、と私は個人的には思いました。
支離滅裂な感想と最後はあいなってしまいました。スミマセン。
ただ、今回のコンサート、圧倒的に「ステパンラージンの処刑」が印象的、そしてメインの12番も当然素晴らしくかつ強烈な問題提起をしていた、のに比較して、結果として「主題と変奏」の影が薄く感じられたような気もしましたが、ハイティーン・ショスタコの愛すべき佳曲たるこの作品、やはり捨て固い魅力があることを再認識させていただいたダスビに感謝したく、かつ皆さんにも広く知っていただけたらと思いつつ、今回、やや詳細に書いてみた次第。
(2001.3.1 Ms)
<2> ステパンラージンの処刑、について語ろう
とにかく、今回のコンサートの大収穫は、隠れた名曲が公にされたことに尽きるでしょう。こんな感動的な作品が、ショスタコ・ファンにとってもそれほど顧みられる事無く、その作品の真価を認識する機会がほとんどなかったのだ。大変うれしかった。私も、認識不足でそれほど注目していた作品ではなく、今回の演奏会のためにCDを購入し、バス歌手の岸本さん監修のヴォーカル・スコアも入手して予習をしたのが、大好きになったわけではなかった。それが、今回の演奏は「壮絶」というのが相応しいほどの熱演、とてもスリリングで圧倒され、私にとって一気にショスタコの作品でも上位に位置するものとなったのだ。新発見。ホントに長田先生、岸本先生&ダスビの皆様には感謝感謝。
ということで、作品についていくつかの視点からコメントしてゆきます。
(1)下痢について語ろう
上述のスコアの、森田稔氏の解説より抜粋。
「ところで、創作上の下痢は継続中だ。」(グリークマンあてのショスタコの手紙より)・・・(中略)つまりこの作品は1964年9月14日に完成されたことがわかる。この夏に、彼は弦楽四重奏曲第9番作品117(5月22日)、そして同じく同第10番作品118(7月20日)と、立て続けに大きな作品を完成しており、「創作上の下痢」という彼独特の自虐的な表現に相応しい創作欲を発揮していた。
ガムシャラに作曲を続ける様子を「下痢」と表現するのは確かに自虐的である。とにかく書きたくて書きたくてしょうがなかったのだろう。充分、消化吸収がされる前に外に飛び出てくるわけか。また、とるにたらないもの、という作品に対する卑下もあるのだろう。
そんな下痢に至る過程を、作品目録をたどって見てみると・・・
弦楽四重奏曲の第9、10番へ至る流れとしては、前作第8番作品110(1960年)が、戦争とファシズムの犠牲者に捧げられた大傑作。ただし、自らのイニシャル動機、DSCHを中心的な存在とし、かつ、自作の露骨な引用だらけで、自分史の総括という側面が強く感じられる。この作品を最後に自殺するつもりだった、との説も伝え聞くぐらいの重苦しいもの。そのまた前の第7番作品108(1960年)が、長年連れ添った最初の妻ニーナの思い出に捧げられたもの。そのまた前の第6番作品101(1956年)が、穏やかな表情を持っていることと比較するなら(また、それに続く次の作品102が息子マキシムのための可愛らしいピアノ協奏曲第2番)、弦楽四重奏曲第7,8番は、死が全面に出た悲愴な作品群であることが特徴として挙げられよう。
他の主要作品も絡めて見ていくなら、比較的明るかった作品101,102に続くのが、作品103、交響曲第11番「1905年」(作曲は1957年)。ロシア革命を描く体制側に沿った形の社会主義リアリズム路線にのっとった大作。非情な絶対的権力の悪を暴くと共に、人民の勇気ある蜂起を描いたもの。とにかく暗い。ただ、描くテーマには、彼も共感して筆を進めているようにも聞こえる・・・(この作品の主題は現代のもの、と「証言」で語ったこともそう思わせる一因ではあるが)。この、ロシア革命交響曲シリーズの続編が、交響曲第12番「1917年」作品112(1961年作曲)。体制側の意向を少なくとも表面的には全面的に受け入れた、ショスタコにとっては体制側への妥協であり、敗北を喫した作品ではなかろうか?第11番と比較するなら、こちらは素直な体制万歳、としか思えない外見をしている。
ロシア共産党への入党もこの時期だったはず。ショスタコが泣いた、と娘が言っていましたっけ。そんなその頃の彼の精神状態を示すのが前述の作品110、弦楽四重奏曲第8番でしょう。私は、体制に抑圧され続ける彼の心境を強烈に聴き取ってしまうのです。
(なお、参考までに作品111、映画音楽「五日五夜」を中心とした話も参考にどうぞ。)
しかし、体制に打ちのめされたと思われたショスタコの反撃が、次作、作品113、交響曲第13番「バビ・ヤール」(1962年)。ユダヤ問題を端緒に体制批判をチクチク歌う問題作。彼の反骨は失われていない。彼の勇気ある行動には脱帽だ。体制側からの批判、妨害も当然起こる。
しかししかし、次作、作品114は歌劇「カテリーナ・イズマイロヴァ」(1963年)。プラウダ批判を引き起こした若かりし頃の大傑作を、不本意ながら体制側の圧力により改訂させられたもの。再び、彼は体制側の言いなりか。
続く作品115は、「ロシアとキルギスの民謡による序曲」(1963年)。機会作品。やっつけ仕事程度かな。
続く作品116は、映画音楽「ハムレット」(1964年)。依頼作品ではあるものの、彼にとっては格好の題材か?ドラマティックで力のみなぎる音楽が付されており、私は彼の作品への没頭ぶりを感じるのだが。
これらの作品を受けて、前述の弦楽四重奏曲第9番、第10番が登場する。「バビ・ヤール」以来、自分の書きたいものが書ける時が来た。
第9,10番は、「死」を感じさせる第7,8番のシリーズとは全く違うスタンスではなかろうか?とにかく弱気な7,8番に比較して、9,10番はそこまでの弱気さから一歩踏み出した強気な作品群と感じる。単純な図式化を敢えてするなら、「生」のシリーズか?第9番は最後の妻となるイリーナに捧げられ、第10番は、友人の作曲家ワインベルクに捧げられた。献呈の相手が7,8とは全く対照的である。
特に、第9番において、彼が前向きな姿勢をとっていると感じさせるのは、新たな妻への自己紹介、といった趣をこの作品から私は感じ取るからなのだが、またこれは機会を改めて。(映画「ハムレット」で、道化役の思い出話が語られる部分に流れる音楽が第9番で引用されており、道化役者たるショスタコ、という側面も表現されている、といった話もあります。今年の初めに書くのを約束したネタですが・・・・)
交響曲では公を意識せざるを得ない彼が、弦楽四重奏の分野では、公を意識する事無く私を感じさせる、という指摘はよくされるが、作品112「1917年」,114「カテリーナ」,115「キルギス」で公に媚びた彼が、作品113「バビ・ヤール」では公に反抗し、その延長として、作品117,118と続く弦楽四重奏曲で公を無視、私の世界に立ち帰っている。そして、来るべき作品119「ステパン」では、「バビ・ヤール」と同様に公への挑戦を挑んだ、と私は解釈する。
つまり、交響曲第12番での雪辱を交響曲第13番ではらすものの、一方で、「カテリーナ」「キルギス」を持ち出して反抗を一歩後退させたところで(反抗を継続させず、うまく立ち回っているなぁ)、1964年夏の、彼の「創作上の下痢」が到来する。とにかく、体制万歳たる作品や、体制に媚びた作品はもうこりごり、私の書きたいものを書く、といった信念のもとに、ガムシャラに書き飛ばす彼の様子、確かに「下痢」なのかも。また、体制にとっては好ましからざる、つまらない作品という意味での「下痢」でもあるかもしれない。・・・ただ、社会主義リアリズムにのっとった優等生的作品にしたって「大便」でしかない・・・といった毒気もこの言葉には含まれているのかどうか・・・?
下品な話で大変申し訳ありませんが、この「大便」ならざる「下痢」という勢いの良さ(?)が、この「ステパンラージンの処刑」なる作品の特徴としてまず挙げたい、と思うのは私だけだろうか(私だけだろう)。
さて、随分遠回りをしてしまった。
とにかく、書きたいという意欲が勝って、一気呵成に書き飛ばしたに違いないこの「ステパン」、その「書きたさ」の理由のキーワードとして、やはりボーカル・スコアの解説からの引用だが、前述のショスタコの手紙にある次の言葉が重要だろう。
「この詩曲を、僕はスティレ・リュッス[ロシア様式]で書いた。」
ロシア様式なるものの詳細は私は確実な定義をすることができないので、抽象的な話でしかないけれど、この作品が、ソビエトならざる、ロシアの伝統に深くよりかかった作品、というコンセプトは感じ取られるだろう。
交響曲第11,12番は露骨にソビエト史の教科書的、13番にしても現代史的なテーマであるが、「ステパン」は、タイトルが示すとおり純然たるロシア史がテーマだ。確かに、その他、ソビエトの音楽作品もロシア史にテーマを求めた作品も多々あるだろう。しかし、例えばプロコフィエフの「アレクサンドル・ネフスキー」などもそうだが、ロシア史をテーマとしつつ、ソビエトとナチス・ドイツの戦いにオーバーラップされてしまうような、愛国的内容にすりかえられる可能性のある作品も多かろう。しかし、「ステパン」は、ロシアからすりかえられたソビエトに対する愛国を訴えるような内容ではないように思う。
そんな、ロシア史による作品として、ショスタコが念頭に置いているのが、当然、ムソルグスキーだろう。「ボリス・ゴドノフ」「ホバンシチーナ」といった歌劇。ショスタコは、ムソルグスキーを尊敬し、この両作品ともオーケストレーションの改訂を行っている。情熱をもってこの仕事に取り組んだことは彼の言葉として残っている。
彼が、若い頃、オペラ作曲家としての名声を勝ち得たものの、プラウダ批判によって挫折、オペラに対する恐怖心を抱いたのか、結局その後、完成された歌劇作品が存在しないのだが、矢野暢氏も書いているように、オペラを書きたかったはず、と想像される。「マクベス夫人」を書いた頃には、ロシアの様々な時代における女性を描いたロシア女性3部作たるオペラについて構想を語っていたこともある。
結局、歌劇は書けなかったものの、特に晩年は声楽作品が多い。歌劇への秘めた情熱の裏返しでもあるかもしれない。
そんな晩年の彼が、「ステパンラージン」を題材に声楽作品を書いた時、当然彼の胸の中には、敬愛するムソルグスキーのロシア史ものの歌劇が大きな存在としてあったことだろう。
ロシア語の持つ抑揚を自然な形で音楽化する、といったテーマに取り組んだ声楽作品。
ロシアの歴史に題材を持つロシア固有の作品。
さらに、ロシアの伝統的なテーマ、支配者と人民との関係に深く関わる作品。
・・・といった内容がショスタコの言うロシア様式の内容だろうか?これ即ち、ムソルグスキーの歌劇作品の後継者たるスタンスを強烈に感じさせるのだ。彼も事情が許せば、ムソルグスキーばりの、ロシア史による大河ドラマ的オペラを書きたかったのだろうか?と演奏を聴きながら強烈に思いました。
一方で、オーケストレーションも、ロシア的な匂いがプンプンします。特に冒頭の低音金管群の威圧的なパッセージ。前に演奏された「主題と変奏」のフィナーレのマエストーソをもっと乱暴に粗雑にした雰囲気。これをやや上品にすると、次に演奏された交響曲第12番の第1楽章の最後の金管のコラール的な主題の雰囲気ともなります。金管のみによるパッセージながらも、ホルンを加えず、ブラス特有の音の雰囲気を生々しく伝えるオーケストレーションが、今回のプログラムに統一的に現われ、そのロシア的なサウンド、今回堪能させていただきました。
決して悪意はありません、と前置きしての発言ですが、この作品と下痢について考えていた私の耳には、この生々しさ、もまた、下痢を思わせるものと感じました。あの、決して、ブラスがぶりぶりいってて下痢みたいだ、という意味ではありません。
この作品の特徴の一つとして、金管や打楽器の優位、は確かにありますが、結構、ブラスはブラス、打は打、という感じで生の形でそれらの荒々しいサウンドが耳に届く、といったことが感じられます。弦を主体としたオーケストラの中にうまく包み込まれた、消化吸収された、というのではない金管打の生さ加減、これまた下痢的といったらくどいですか?
冗談はさて置き、冒頭の威圧的な雰囲気からして凄く良かった。プロだったらもう少し上品にやるのだろうか?でもそれでは違うような気がする。首がちょん切られて、生首が笑って曲が終わるような作品なのだ、この作品の凄み、はやはり金管打の表現に負っていること大でしょう。最初から圧倒的迫力で作品にぐっと引き込まれ、その凄みが終始曲を支配しており、とにかく一気呵成に鑑賞できました。
ロシア的、ということでなら、ティンパニの使い方も一つ指摘できるでしょう。とにかくティンパニが大活躍なのですが、レの音を中心に4度下のラ、4度上のソを中心に調律された場面が多く、その4度のソロが、まさしく、ロシア国民オペラの先駆、グリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲にウリ2つなのです。もう、ほとんど目立つパッセージはこのパターン。これは絶対、ショスタコは意識していると確信します。この作品の全体的な特徴の一つとして4度の音程の多用があります。これまたロシア的な素材ということでしょう。そのロシア的なる4度音程がティンパニによって要所要所で強調されてこそ、ショスタコのロシアの伝統に根ざした曲作りが明瞭となるわけです。
ダスビの金管打による容赦ない勢いづいた演奏、曲の持つ下痢的感覚を思わせるだけでは当然なく、まさしくショスタコの言う「スティレ・リュッス(ロシア様式)」を感じさせるものでした。スパシーヴァ!!
下痢はまだまだ続く?(2001.3.20 Ms)
ショスタコの手紙を引き合いに出して、ひたすら「下痢」にかこつけた話題ばかりで恐縮です。気分を害された方もみえるでしょう。この場を借りてお詫びいたします。しかし、まだ、続きます。次の部分は、読み飛ばして頂いてかまいません。
そもそも、今回「下痢」にこだわった鑑賞となってしまった背後に私が実際にそういう状態だったという事実がある。こんなことは始めてである。コンサートの最中にもよおして冷や汗タラタラ・・・「ステパン」のコンサートで下痢した私、よっぽどショスタコと何か通じたものが存在しているようにも思う。「創作上の下痢」ならぬ「鑑賞上の下痢」、それはそれで後から思えば名誉なことだが、鑑賞中の辛さといったらない。
コンサート直前に、パスタを食べました。ホワイトソースのとトマトソースのと、半分づつ食べたのですが、食当たりという訳でなく単に体調不良だっただけのことだが、今思えば、私の胃袋の中では、一足お先に「1917年」よろしく、ホワイトソースとトマトソースが白軍、赤軍に分かれて壮絶な「革命のペトログラード」状態と化したようだ。
「主題と変奏」の第11変奏あたりで様子がおかしくなり、こりゃ我慢ならん、と「お客様、休憩ではありません」と言う係員の制止を振り切って、「トイレです!!」と言い訳しつつ「主題と変奏」の演奏終了後トイレに駆け込み、なんとか合唱の方々の入場に手間取る間に席に帰還。「ステパン」、最初は安心して鑑賞できたが、しかし、やっぱり調子は曲の半ばで崩れたものの、最後は持ち返し、でもやっぱり不安で休憩中はずっとトイレでした。おかげと「1917年」は万全の体制で望むことが可能とはなりましたが。「ステパン」の演奏の前後の下痢、一生忘れないだろう。しかし、ダスビの演奏、1音も漏らす事無く聴け、また、もちろん私ももらす事無く済んだのは不幸中の幸い・・・しかし情なや。・・・バカな話にお付き合い頂きスミマセンでした。
(2) ハレについて語ろう
やはり、私にとって、この作品で最も印象に残るのは冒頭の祝祭的部分である。ダスビのプログラムの資料では、この曲を4部に分け、第1部「連行されるステンカ」、第2部「ステンカの独白」、第3部「処刑の場面」、第4部「生首のエピローグ」という形で整理されているので、それに従えば、第1部にあたるのだが、反乱軍のドン、ステンカ・ラージンが捉えられてモスクワまで引かれてくる、その場面で、それを迎え入れるお祭り気分の民衆たち。その生き生きとした場面が、例の絶叫マシンの合唱全員によるほとんどオクターブに渡る上昇グリッサンドを交えつつ、ダイナミックに描かれている。
日本においても前近代までは、被支配者層にとって「祭り」が重要なガス抜きの役割を果たしていたはずだ。いわゆる「ハレ」と「ケ」の話である。
1年のほとんどは重労働に耐えて、もくもくと働き続ける。日常としての「ケ」。しかし、例えば年に一度のお祭りは、「晴れ」の舞台であって、無礼講、思う存分楽しんでしまう。そんなエネルギーの爆発が「祭り」であったことだろう。
この引かれてくるステンカを見守る民衆たちも、定例的な祭り、という訳ではないが、珍しいイベントにかこつけてワイワイ騒ぎ立てる、という意味では「ハレ」の場面と言える。そんな様子が聴いていてとても楽しいものだ。そこに、今から殺される人間がいて、周りもテンションが高く、みんな舞い上がっている・・・私個人にとっては、なかなか自分の気持ちとしてはそういう体験があるわけでもないが想像は出来る。ヨーロッパ人って、歴史的に見て狩猟民族ということもあってか日本と比較すれば残忍な性格を持ち合わせている、という想像は、例えば、同じような例として、ベルリオーズの幻想交響曲第4楽章「断頭台への行進」の性格(特に第2主題)をみても可能だろう。
そんな晴れがましい「ハレ」の場面はバス独唱と合唱を交互に出しつつ続いてゆく。その頂点の上述のグリッサンドは期待していたが、もちろん期待を裏切らず迫力あるものだった。が、演奏を聴いての感想として、そのグリッサンドの次の場面が、私にはおおいに心に残った。
オケの音量は金管群の離脱と共にややおとなしくなり、合唱の歌の部分が全面にぱぁーっと出てきてその存在感を耳で捉えたときの心地よさがあり、またそれ以上に、弦がみんなピチカートの音形に様変わりした時の視覚的効果が私にはぐっと来るものがあった。合唱のグリッサンドが終わって、ややテンションが下がるはずだったところ、弦の皆さんの大きなピチカートの腕の運動がオケ全体として見えてきた時、なんだか、まるでオケ全体が踊っているような幻影を私は見て、その映像はほどなくして、ロシア民衆たちの屈託のない笑顔、はしゃぎぶり、といった想像へと移り、民衆のたくましさ、生の謳歌、を感じてジーンと来るとともに、私の頭の中のそんな民衆たちの幻のシーンによって、オペラを書きたかったであろうショスタコの無念さにも思いが巡って感極まること甚だしい・・・そうこうしているうちに、オケによるステンカの主題の大々的な回帰(ここのドラ始め打楽器群も良かった)、感動に次々打ちのめされる私であった。この第1部の流れ、テンションの持続(ただ、うるさいだけではない、要所要所で様々な役割のパートが全面に出つつリレーして一つの場面を構成してゆく)が私にとって最も心に残った部分と言える。
曲全体を通じて、金管打ももちろん最高でしたが、ここのオペラ的ですらあったピチカートの運動の視覚的な効果と、それに触発された幻想の上に流れる張りのある合唱、思い出に残る名場面と私は感じた次第。
そんなことを思い出しつつ、今書きながら、ソビエトにあって、ショスタコの音楽の演奏会もまた、「ハレ」の場であったのかなぁ?と想像します。
待てよ?ダスビのコンサートも、現代日本にあって、私にとっても大事な大事な「ハレ」の場だ。・・・つまりは、処刑されるステンカに対して奇声を発する民衆たちも、ソビエト社会にあって沈黙を破る真実の音楽が聴けるショスタコのコンサートに集う人々も、そして、珍しいショスタコの作品を聴きに全国からダスビを聴きに来る人々も、みんな同じってことだなぁ・・・。
(2001.3.23 Ms)
ここで、ちょっと一休み。「ハレ」の話からは遠ざかります。
今回の、私の特殊な体調故に、鑑賞の仕方がどうも注意力散漫、なかなか本調子でなかったため、感想もいまいち詳細に語りにくい。申し訳ありません。
第1部は、圧倒的な祝祭的な雰囲気に飲まれて、随分のめりこんでいたため興奮してる間に体調不良も意識からすっ飛んで行ったのだが、第2部あたりからは再度調子悪し。しかし、第3部処刑の場面、「斧を振り下ろせ」というバスの緊張感ある一言ともに打楽器群の壮絶なトレモロ、そして、狂ったようなオケの伴奏に乗っての「無駄ではない、無駄ではない」という合唱の叫び、そして道化の強制的な乱舞、この迫力で押しきる音楽の流れには、私の体も余分なことを考えている暇もなくなったか、体調不良は再びすっ飛んだ。
この流れ、ショスタコも随分ノリにのって書いたのだろう。特に「無駄ではない」・・・実感こもってる。とにかく叫ばずにはいられないという感情のほとばしりには心を打たれた。ちなみに、最初の「無駄ではない」の旋律が、ショスタコの交響曲第5番のフィナーレのテーマと同じ動きなのは、きっと偶然の産物かとは思うのだが、ちょっと気になる箇所。皇帝に対して謀反を起こし、結局処刑されるステンカ、それを受けた民衆の叫び、「無駄じゃない」・・・それとショスタコの5番のフィナーレとが同じ主題で重なり合う・・・十分考えられての引用か?問題提起として皆さんに投げかけておきましょう。
あと、先日スコアを見て思ったこと。この「無駄じゃない」は、弦、木管ともに嵐のようなパッセージが続き、これの次の場面が、さらに木管群だけによる、道化の強制的な踊り。道化のヒステリックな笛の音も、一気に一糸乱れぬまま吹き切った、という感じでおぉーっ、て感じで聞きほれていたのです。しかし、スコア見ると、木管の方々は壮絶なパート譜をしていそうだ、この場所。「無駄じゃない」の後の強暴な金管群に対抗する鋭い細かいパッセージを吹いたあとで、ちょっと休みをおいただけで、また、例の道化の笛、な訳ですから。でもどちらも手を抜かずに体当たり、といった雰囲気で良かったです。引き込まれました。
さて、再び静まり返って、第4部の生首が出てくるわけですが、この部分の鐘の音、も注目しておきたいところ。「証言」で詳しく語られている鐘の音の作り方、これを生で聴く事ができたのも、今回の収穫であるわけですが、これは項を別にして書きましょう。
(3) 鐘について語ろう
ロシアの音楽にとって重要な音素材の一つとして、鐘の音がある。チャイコフスキーの「1812年」やラフマニノフのピアノ曲など、様々な作品で教会の鐘の音そのものや、模した響きが聴き取れる。
さて、ロシア様式にのっとった、この我がショスタコーヴィチの「ステパンラージン」においても然り。歌詞の中にも鐘が響き渡る、という部分はあり、特に曲の最後第4部においては、かなり重要な響きとしてくどいほどに聞かれる。
歌詞で追っていくなら、ステンカの処刑の後、「広場は何かを理解した。広場は帽子を脱いだ。そして、3度興奮して、鐘を鳴らした。」とあり、Cisの音で3度鐘が鳴る。
さらに、歌詞は、「そして、血と前髪で重そうな頭は、転がりながらも生きていた。湿った断頭台から、貧民たちのいるところへ、頭は投げ文のように視線を投げかけた。大慌てで、震え上がった牧師が走り寄った。彼はステンカのまぶたを閉じようとした。しかし、緊張した、野獣のように恐ろしい瞳が、彼の手を払いのけた・・・」。これを受けて最後、生首が笑う、というクライマックス、そしてオケのみのコーダがくる。
極度に緊張感をもった歌詞であり、かつ音楽でもある。その緊張感を支えるのが、常に鳴り響く鐘の音である。この鐘については間接的ではあるが、「証言」で、彼がムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドノフ」のオーケストレーションを手掛けた時のコメントが参考になるものと思われるので、ここで引用させていただこう。
このオーケストレーションの仕事を通じて、機械的に行ったことはひとつとしてなかった。楽器編成の場合だってそうだった。わたしにとって、音響のなかには、「意味のない」細部、「本質的ではない」エピソード、どっちつかずの現象などなにも存在していない。例えば、僧房の場面における修道院の大きな鐘。ムソルグスキイ(そしてリムスキイ=コルサコフも)の場合、銅鑼が用いられていた。いくぶん初歩的な処理の仕方で、あまりに単純、あまりに平板である。ところが、この鐘の音はひじょうに重要であるようにわたしには思えた。俗世間を忘れさせる修道院の雰囲気を示し、老修道僧ピーメンを現実の世界から隔離する必要があった。鐘が鳴り響くとき、それは人間よりもはるかに強大な力が存在すること、歴史の審判を免れられないことを思い出させる。わたしの観点からすると、鐘の音はこんな考え方を暗示している。それでわたしは、バス・クラリネット、コントラ・ファゴット、フレンチ・ホルン、銅鑼、ハープ、ピアノ、コントラバスといった七種類の楽器をオクターブ音程で重ねることで鐘を表現したのだった。
補足しますと、これは「証言」第7章冒頭でかなり長く語られるムソルグスキイに関する部分からの引用で、「ボリス・ゴドノフ」のオーケストレーションが、原典版では技術的に問題点があり、また、リムスキーの改訂版も、本人の意図に反した部分があって、ショスタコが自分がどういう考えでオーケストレーションしたか、といったことがかなり細かく語られている。
さらに、この「僧房の場面」とは、第1幕だと思われるが、プロローグにおいて、摂政ボリスが自ら皇帝につく戴冠式の場面が豪華絢爛に描かれた後、歴史書を書くピーメンが修道院にて、彼は陰謀を用いて帝位についた、彼は歴史によって裁かれるだろう、と歌う場面であろう。この部分では、リムスキーの改訂版スコアを確認したところ、銅鑼1台の弱奏が鐘の音を表現しており、またムソルグスキーの原典版の音源を確認したところ、やはりこの部分については同じであった。それに対してショスタコは、銅鑼1台という単純なオーケストレーションをしなかった、というのである。(ショスタコ版の音源、そしてスコアはわたしは未確認ではあるが。)
さて、ショスタコの抱く鐘のイメージ、「鐘が鳴り響くとき、それは人間よりもはるかに強大な力が存在すること、歴史の審判を免れられないことを思い出させる。」といった文言を思い出す時、この「ステパンラージン」でも、そんな彼の思いが反映されているような気が私はするのだが。
ステンカが皇帝によって裁かれ、処刑された今、また、その裁き自体を歴史は裁くであろう。裁いた皇帝、独裁者も裁かれるのだ・・・そんな思いが何度も打ち鳴らされる鐘の音に込められてはいないか・・・。歌詞では3度、だが、現実に曲の中では10回以上鳴らされ、ショスタコがこの鐘に執着していることは理解できよう。
ちなみに、この鐘のオーケストレーションは、前述の7種類とはやや違う。ホルンの代わりにティンパニのロールが加わり、かつ、鐘(チューブラーベル)も加わっている。が、その他の6種類は全く同じ。ほとんど同じと言ってよいのではなかろうか。
この「ボリス」の僧院の場と共通する鐘の音、ショスタコの思いの詰まった重要な音響であろう。そんな、歴史の審判に思いを馳せる彼の姿を想像するとまた、この部分も感動ひとしおである。
「ボリス」のショスタコ版もなかなか聞く機会なく、今回、ショスタコの「証言」でも熱く語っている大変重要なる鐘の音が実際に聴けたのも私にとっては思い出ぶかい体験であった。
以上、ダスビ演奏会を契機に、素晴らしい演奏で隠れた名曲を発見でき、私もいろいろ勉強させて頂き、とても感謝の気持ちで一杯です。ただ、一点口惜しかったのは、返す返すも自分の体調・・・・。
(追記)
今回の記事を書くため、3/17、名古屋フィル定演の前に、名古屋の芸術文化センター、アートライブラリーにて、ムソルグスキーのCD視聴、スコア閲覧等、長時間にわたり大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます(関係者の方が読まれているかは?だけど)。ショスタコ版の「ボリス」は是非聴きたいですね。ゲルギエフのCDで、有名な戴冠式の場はショスタコ版、聴けるのですが、これが断然いい。凄く派手。合唱の使い方もカッコイイ。全編聴きたくなりますって。
こじつけるわけではありませんが、今年はムソルグスキー没後120年。ショスタコが編曲した彼のオペラ、今年中に1度しっかり聴いておこうか。ショスタコを知る上でも、やはりムソルグスキーのオペラは有益だろうなぁ。「展覧会の絵」と「はげ山」だけじゃ、ちょっと淋しいか。
ちなみに来る3/28がムソルグスキーの命日だとか。冥福を祈りましょう。(2001.3.25 Ms)
<3> 感動できなかったことに感動?〜1917のインパクト〜
冒頭にも書きましたが、今回の交響曲第12番の演奏、フィナーレのコーダの異常さ、に尽きます。とにかく、苦しかった。辛かった。演奏が、ではなく、作品そのものが、であり、また、解釈も、そんな「苦しさ」「辛さ」を最大限に強調した、とても嫌らしい(!)ものだと感じた。これでは、鑑賞しても閉口するばかり、体感的には、感動できない・・・・でもよくよく考えると、そんな音楽であることの理由を探るうちに、何か違う感動が自分を襲うのだ。こんな体験は初めてであり、とにかく異常。
それでは、先を急がず、順番に感想を思い出そう・・・(演奏会から早、1ヶ月半経過。まだ、ダスビの蒔いたタネを頭の中ではゆっくりと育てている。どうまとめるか、なかなか難しいので。)。
(1)かっこよすぎ!!「革命のペトログラード」
とにかく、第1楽章は、本来の意味での感動の嵐。興奮の渦がいやがおうでも自分を巻き込んで自分のテンションが多いに高まる。
第10番の論争の際の、ショスタコの自己批判、「必ず、交響的アレグロとしての第1楽章を書きたい」といった表明、これは嘘八百だったと思うのだけれど(ショスタコの第1楽章は、5,6,8,10,11,13番などなど、緩やかなテンポのものが特徴的であり、伝統的なアレグロではない書き方が彼の独自性だと思う)、とうとう体制側の圧力もあってか、詳しくはショスタコの共産党強制入党記念の意味もあってか、文字通りのロシア革命讃美の交響曲作曲にあたり、体制側の望む音楽の創造に手をつけたわけだ。
しかし、(前奏曲とフーガの項でも書いたのだが)ショスタコという人間、作曲に対する制約、条件があっても、見事にその課題をクリアしてしまうのが凄い。「革命のペトログラード」なる題材を選んで、本人が書きたい書きたくないは別として、書きたくないにしたってとてつもなく凄い音楽を書いたのだ。体制がひっくり返ってしまうという暴力革命、民衆の怒り、そしてエネルギー、そのテンションの高さはこの楽章の隅々にまで行き渡り、まったく気を許す事のない音楽の展開、まるで自分もその暴力革命の当事者であるかのような興奮を充分堪能させる音楽である。
さて、演奏に関しては、もうブラボー。一糸乱れぬ統率、暴力的なエネルギーの発散、もう、ロックのライブで卒倒といったノリ。脳髄に直接きます。一歩間違えば、握りこぶしを天に向かって叩き続けるか、意味不明な発声(ウォーー、とか、グワァーーとか)をしかねない。ホント。ナマでこの音楽を全身に浴びると自分が狂ってしまいそう。
なんだか、いま書いていても錯乱状態になりそうなので、ちょっと間を置いて・・・・・しきりなおして・・・・・
冒頭の低弦からしてかっこいいではないですか。重量感ある存在。雄弁でかつ含蓄のある。毎度思うのだが、ダスビ、低弦いいですね。私もいろいろアマオケ聴いていますが、低弦がこれだけ存在感もってオケ全体を支えている、というオケはあまりないように思います。低弦がしっかりしているからこそ、管打の炸裂も充分可能となるのでしょうし、また、ショスタコ自体、低弦だけに重要なパッセージをまかせることも多々あり、その重要な局面で確実にその役割を果たせる、というのはダスビの魅力、そして演奏の安心感の基礎、と言えるのではなかろうか。
とにかく、冒頭の低弦の語りだし、から私は「1917年」の世界にいきなり引き込まれた、という感じだ。
主部、アレグロ。金管もアシスト沢山つけて万全の体制。打楽器も、小太鼓もアシスト付き・・・この発想好きだなァ。
といおうか、このダスビのコンサートの後の私んとこのオケの演奏会(3月にありましたが)、「スターウォーズ」の「メインタイトル」、小太鼓部分的に3台重ねてしまいました・・・・・。
私のことはさて置き、決して隙をみせることのない演奏です。やっぱり、こういうテンションの曲ですし、金管が果ててしまってたりだと、曲の凄さが全く聞き手に伝わらない恐れがあります。そんな心配ご無用なあたりが、私を曲に没頭させてくれたのです。
(余談ながら、昨年、慶応ワグネルとかいうオケの11番をききましたが、その辺りまったくダメでした。金管、アシストつければいいのになしで結局金管の疲労感が全面に伝わる演奏で残念ながら興ざめ。当HPとしてもトビックスに採用しがたく触れませんでしたが・・・)
まぁ、この楽章に関しては、理性的にどこがどうだった、と語りにくい側面もあり(自分の興奮常態もあって・・・1回目で「状態」と変換できなかったが興奮「常態」だっただからこのままにした)、詳細を語るのはやめましょう。
ただ、最後のクライマックス、打楽器だけが残って、8分音符でダダダダダダダダタ・・・・と連打するところ、この部分は私の今まで聴いたどんなCDよりも良い。とにかく、ひたすら騒々しい第1楽章にあって、ここが駄目押し、終着点、ここからエネルギーは沈静化するわけで重要な局面であり、第1楽章の最大の山場であるはず。その部分において大太鼓が鍵である。比較的打楽器過多なオーケストレーションで来ている(有名な5番など打楽器の出番ほとんどないもの。12番に比べて)が、そのなかで大太鼓はやや抑制して使っている(ティンパニ始め、小太鼓、シンバル、さらには銅鑼まで異様に出番が多い。)。単発ドン、が多くて連打はない。その温存されていた大太鼓が最終局面で前面にでてきて、ドドドドドドドドド・・・・と第1楽章のエネルギーを全身で受けとめつつブレーキをかけ(速度が遅くなるのではなく、エネルギーにブレーキをかけている)、曲を違う方向へ持っていく、そんな役割を心憎いまでも冷静かつ的確、そして大胆に果たしていたのがいい。ここの大太鼓、どんなプロの演奏よりも少なくとも私にとっては最高な演奏ぶりでした。
あと、その収束して行く過程での金管のコラール、「主題と変奏」のフィナーレ、マエストーソの部分。「ステパン」の冒頭。とならんで本演奏会の音色としての指導動機(うーん、ワグナーですな)の役割を私は感じたのたが、前プロにおけるものよりは丁寧、格調高い表現でありこれもまた良かった。・・・といおうか、「ステパン」冒頭における荒々しさが意識的な意図をもってああいうキャラクターの演奏をされていたのだなぁ、と「1917」のこの部分を聞く事で改めて認識させられた、ということか。
(2001.4.7 Ms)
(2)なぜか、太宰治の「火の鳥」を思い出してしまった「ラズリフ」
(また、ダザイだなぁ。ショスタコの9番のフィナーレのクライマックスが「人間失格」にでてくる「インデヤンの踊り」に聞こえる私。ならではの特殊な感覚なのだろうけど。)
さて、第1楽章がスペクタクルな魅力満載だったのに対し、第2楽章はパッとしない楽章ではある。私もほとんどCD聞く時も飛ばしてしまう。ようは、つまらない。なにか変だ。ショスタコの緩徐楽章もしくは緩徐的部分、どの作品も鋭く私の感性に斬りこんでくるのだが、この曲だけはどうも他人のフリ、と言おうか、そっけない。私に向き合ってくれない。
確かに、主要なメロディー、さまざまなハーモニー、ショスタコらしい筆致で、その他の作品と比較しても異なる性格ではないと思うのだが。結局は、構成の問題か?なんだか各主題が並列しているだけで、精神状態の経過、思想の発展が感じられない・・・うーん、そんな難しい言葉でなくとも、とにかく自分を巻き込んでどこかへ連れてってくれるような推進力がない。
正直いえば、曲自体が欠陥がある、とは言いきれないにせよ、私に響くものが乏しい。いくら、生でそこにショスタコの音楽が流れていてもそうだったことが確認できた。
決してダスビの演奏の問題ではない。演奏は私に響いてきた。弦の美しい、かつ暗い表情のハーモニー(練習番号62より)など感動的だったし、管楽器の各ソロも情感たっぷりでいい演奏を聴かせてもらった。主要主題のホルンによる提示、そして再現部の朗々たるトロンボーン。最も私に印象を残してくれたのは、中間部のアウローラの主題(第3楽章で大規模に出てくる旋律)。フルート、クラリネットのアンサンブル、そしてファゴットの独白、そしてクラのやや長めなソロは特に、私の心に飛び込んできた。山への持って行き方が絶妙でした。その背後に響く弦のハーモニーのグリッサンドの効果的使用も各管楽器ソロの歌を際立たせる役割を充分果たしていた・・・・とてもいい雰囲気だった・・・でも、曲自体は私の心に飛び込んで来ない。やはり、各パーツ、パーツはいいのだろうが、その構成を誤っているのだろうか?
しかし、よくよく考えると、この楽章は一体何を表現しているのだろう?
手元の全音スコアの解説によれば、
レーニンは1917年、ペトログラード郊外のラズリフ湖の辺りにひそんで、革命のプランを練ったと言われており・・・・
ここで、レーニンは何を考えていたのだろうか?レーニンの著作などをここで披露できれば良いのだろうが、ちょっとそこまで私は手が回らない。スミマセン。
ただ、私の今までのイメージとしては、冒頭の雰囲気などからして、社会主義国家をどう建設するのか、ロシア帝政を打破して農民、労働者のための国作りを如何に行うか、といった思索にふけっているレーニンの姿などを想像していたのが、よくよく聴いてみるとそうでもなかろう。第3楽章の戦艦アウローラの号砲のテーマが中間部で全容を明らかにしているあたり、社会主義の考察、などという学者的な思考ではなしに、暴力革命の段取り、といった謀略家の策略を描いているようにすら感じられてきた。
確かに、この交響曲は何重にも主題循環を張り巡らせているものの、第2楽章の主題自体は、中間部に出るアウローラの主題が後続楽章で大々的に登場するほか、冒頭の低弦の動きがフィナーレのコーダの手前で再現する、といった扱いで、肝心の第2楽章の主要主題は忘れ去られたまま曲は終わってしまう。
この主題の取り扱いから想像するに(くれぐれも私の曲解だが)、本来は、国民のための社会主義国家建設に対する思索を巡らせるはずのレーニンではあったが(冒頭低弦の動き、そしてホルンによる主要主題)、学者的スタンスだけでは革命は成就しない。よって革命家として、暴力革命たる蜂起を促す策略が必要(中間部のアウローラ主題)。その策略に対する思索に重点は移り、その諜報的活動と暴力革命の実行が続く第3楽章で描かれる。結局のところ、諜報、謀略のみが讃美されるフィナーレが「人類の夜明け」として結論付けられる・・・・。
ショスタコの緩徐楽章は、どれもすごく奥が深く感じられる。深く深く悩みぬいた末の自らの姿、心中の吐露があるように思う。そんな音楽に私はひかれているのだろう。しかし、この「ラズリフ」は違う。レーニンの思索を標題とした音楽だ。そこで、レーニンの姿とショスタコの姿がだぶったのなら、ショスタコはいつものような素晴らしい緩徐楽章が書けたに違いない。しかし、書けなかった。ショスタコはレーニンと同一化できなかったのか。・・・・ここで、ダザイは登場する。カンの良い人なら、この文脈からまず、太宰の「御伽草子」の「舌切雀」の冒頭が思い浮かぶだろう。
戦争中にあって太宰は、「日本の国難打開のために敢闘している人々の寸暇における慰労のささやかな玩具」として日本の民話に基づく「御伽草子」を書き進み、「桃太郎」を次に書こうと計画した。が、「・・・とにかく、完璧の絶対の強者は、どうも物語には向かない。それに私は、自身が非力のせいか、弱者の心理にはいささか通じているつもりだが、どうも、強者の心理は、あまりつまびらかに知っていない。」などと、ぐじゅぐじゅ言い訳を長々と述べた末、「日本一はおろか日本ニも三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男児を描写できる筈がない。」といって計画放棄の舞台裏を開陳した上で、「舌切雀」の物語を始め、「この舌切雀の主人公は、日本一どころか、逆に、日本で一ばん駄目な男と言ってよいかも知れぬ。」などと自由奔放にいつもの太宰ワールドが開始されるのだ。
太宰の「桃太郎」は書かれずにすんだが、この手の過ちを既に犯していたからこそ、とも言えるわけで、決して日本一の人間、英雄の物語ではないものの太宰が未完として残した中期の長編小説「火の鳥」こそ、ショスタコの「ラズリフ」との対応関係を私は思うのだ。
井伏鱒二の媒酌で過去を清算し結婚。有名な「富岳百景」で描かれた頃、彼は長編小説「火の鳥」を書き進めていた。しかし、未完で中絶。彼の野心は頓挫した。その辺りの考察は、奥野健男の「太宰治論」(新潮文庫)の「太宰治再説」に詳しい。
ようは、太宰文学の特徴として、文体が潜在的二人称を想定しており、つまりは読者が「私のためだけにダザイが語ってくれている」と思わせる文体をとっていることを挙げている。そして、また彼は結局、他者を理解できぬまま、小説の作中人物を基本的に自分の分身として描くことで小説を成立させている。しかし、そんな狭い世界からの脱却を目指し、潜在的ニ人称を想定しない客観的な長編ロマン「火の鳥」を書きすすむが、やはり、駄目だった。
奥野氏は言う。「・・・・ひどく真面目なのだ。そっけないのだ。作者はぼくたちの方を見てくれない。直接語りかけてくれない。この小説は読者に話しかけ、読者を参加させる説話体ではないのだ。作中人物の会話や行動に説明がないのだ。しかも作中人物の会話や心理に、読者の魂の底まで刺し揺り動かすような鋭さ、身近さがない。」(そっくり、私は「ラズリフ」に対してそんな感想を持つ。)
しかし、そんな太宰も「新・ハムレット」、「右大臣実朝」など、過去の名作の主人公、歴史上の人物などを取り上げつつも自分に同一化できる面があれば長編であろうと難なく素晴らしいものを書けたのだ。
一連の太宰の話と、ショスタコの「ラズリフ」は、どうも自分には軸を一にしたものとして考えてしまうのだ。作者が題材に共感できるかどうか、それによって出来が違ってくるのは当然と言えば当然だが、ショスタコが「ラズリフ」においてレーニンになり切れなかったのならば、この楽章は失敗作として判断されても仕方ない事かもしれない。
以上、「曲解」ですので、「ラズリフ」傑作説の方々がおみえでしたら申し訳ありませんでした。不適当な表現がありましたら改訂いたします。ご意見あればお願いします。
(2001.4.14 Ms)
(3)間奏曲 「アウローラ号の祝砲と青春の1ページ」
(なんだか疲れる話が多いでしょうから自分の思い出なども含めて・・・)
コンサートに足を運ぶまで、この第3楽章こそ、この交響曲の大クライマックスであり、なにはともあれ(理性的判断はともかく、本能的体感的に)感動するのだろう、と期待をしていたのだが、どうもイザ聴いてみるとそうでもない。
いえ、演奏としては大迫力、打楽器群の一糸乱れぬ結束。良かった。特に銅鑼の炸裂は視覚的にも壮絶。第4楽章へ突入した駄目押しの一発には「心」を感じたなァ。これが革命の到達点だ、と言うような気合を感じました。
金管群もパワー全開。アウローラ主題と、第1楽章の第2主題(曲の統一的テーマでもあり、レーニンを象徴すると言われているもの)が低音部に出て交錯する辺りなど、うおおっ、と思いました。
が、以外と自分は冷静。ややテンションの低い第2楽章を抜けて、クライマックスが築かれるものの、新鮮さがない。言われてみれば、この楽章、いままでの主題を再び大編成オケで焼き直しただけで能がない。おまけに、迫力を作り出す打楽器群も第1楽章と同じ布陣で、第1楽章を超える、耳に届く音響上の新しさはない。第3楽章の号砲の炸裂を目の当たりにしつつも、第1楽章の「革命のペトログラード」のカッコ良さが脳裏に鮮烈に焼き付けられていて、新たな感動が生まれてこない・・・・・。
何故だ?いろいろ思い出せば、第7番「レニングラード」も第11番「1905年」も、フィナーレにそういった傾向は無い訳ではない。でも、第12番はそれらに比べて、やはり太宰の「火の鳥」的な「そっけなさ」を感じてしまうのか。
結局、暗闇の中から、戦艦がやって来て、霧が晴れて戦艦の全貌は明らかとなり、号砲をひたすら打ち鳴らす・・・・この程度の標題では心に来るものがないってことなのか?でもよりによって、なんでこんな軽率な部分を選んだのだろう。彼が事前に表明していた標題はまだましな題材を選んでいたはずだ。おまけに、ダスビのプログラムにも、
「この楽章の終わりで繰り広げられる打楽器の強打はこのアウローラ号の艦砲射撃の様を表しているかのようであるが、興味深いことに実際のアウローラ号の艦砲射撃はほんの数発で終わっている。この音楽と現実の差は何を表しているのだろうか。」
とあり、実に謎めいた楽章だ。ロシア革命の詳細は共産党幹部でなくとも当然知るところであったろうに、まさかこんな歴史的な記念碑的作品において史実と異なる誰もがわかる描写をして・・・・この程度で、社会主義リアリズムなんだってさ!といったショスタコの陰の笑いすら聞こえてきそうな気もするな。
例によってまだまだ長くなりそうなダスビ連載。「アウローラ」も間奏曲的存在だし、我が連載も、緊張を解いたインテルメッツォと致しましょう。
もう10年も前かコンドラシンのショスタコ交響曲全集がCD化され購入して後、「ドライビング・ショスタコーヴィチ」なるテープを編集、愛車に常備しておりました。A面最初に、10番2楽章。続いて11番2,4楽章。そして12番1,3楽章(第4楽章のアレグレット前でFO)。続いて1番の2楽章。ひっくり返って、B面は、6〜9番のいいとこ取り。
その頃、ある女性をドライブに誘いました。もう数回友達としてドライブはしてました。一日楽しい思い出を胸に帰り道、私はひそかな決意を。出掛ける前から今日は帰りにアタックしよう、と考えていたわけです。そういうとき、どうもBGMは邪魔なわけです・・・サザンとかユーミンとか皆さんあらかじめ流しておくんでしょうか?テープなしで車をひたすら走らせていたところ、彼女が「何かかけよう」といって入れたのは午前中流してけっこう評判だった「ドライビング・ショスタコーヴィチ」!あちゃー!!アタックなんか出来るかよ、こんな音楽で!!と思いましたが、断る理由もなし。やむなくガンガン、ショスタコは鳴り続けます。とうとう彼女の自宅の数キロ手前、予め考えていた場所を通過。こちらから申し込みをするわけだ。ふいをつかれた彼女、えぇーっ、そんなぁー・・・・・とあたふたします。しかし、こちらは後へは引けない。是非是非・・・とやってるあいだに音楽は「アウローラ」。ドカーン、ドカーン、バシャーン、ゴオーーン、結局即OKではないものの、即却下の決断はないままに、「人類の夜明け」が到来。彼女の家の前。その日は結論持ち越しでしたが結果、「アウローラ」は祝砲の役割となりました。
しかし、「アウローラ」の爆音炸裂をバックに女性をくどいたのは、世の中広しといえども私ぐらいじゃないか?
そんな青春の思い出もある「アウローラ」。私にとって大切な曲ではありますね。
閑話休題。お粗末さまでした。
(2001.4.15 Ms)
(4) 40年目の真実、「人類の夜明け」とは?