今月のトピックス

 

 December ’01

12/23(日) 名古屋古書会館にて

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12/16(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第21回定期演奏会
          ファミリーコンサート

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12/9(日) 豊田楽友協会管弦楽団 第2回ファミリーコンサート
         〜親子のための管弦楽入門〜

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12/5(水) レイヴンス・ピアノ五重奏団 第2回演奏会  


レイヴンス・ピアノ五重奏団
第2回演奏会

2001年12月5日(水)午後7時開演
名古屋市 守山文化小劇場
(名鉄瀬戸線小幡駅前)

シューマン、ブラームスのピアノ五重奏曲

案内をいただきましたので行ってきました。
  
前回はショスタコーヴィチとフランクでしたが、今回は王道、シューマン・ブラームス、  
2人の作風の違いやら、交響曲との対比などに思いを馳せつつ、
興味深く聴かせていただきました。
美しく流麗なシューマンと、緻密で重苦しいブラームスと
それぞれに作品の持つキャラクターが充分に伝わる
素晴らしいコンサートでした。
詳細はまたトピックスにて・・・・

 ・・・といった具合で、約1年半ぶりですが、レイヴンスさんのコンサートに行ってきました。場所は、名古屋市北部の守山区ということで我が家からはかなり不便ではありましたが、高速に乗っていけば1時間程度、それほど距離は感じずには済みました。そもそも、前回、ショスタコーヴィチの五重奏ということで勇んで聴きに行ったわけですが、それ以来、ピアノ五重奏という分野に興味を持ちました。オーケストラで打楽器をやっているので、こういった室内楽というのは最も縁遠いのですが、個人的には、ピアノも長くやってましたし、さらにオーケストラでの活動、弦楽器をやっている妻の存在等々ありまして、室内楽でもシンフォニックな表現の幅の広さに惹かれるものあって、ピアノ五重奏もいろいろ聴ける機会があったら聴こうという感じです。

 今回のコンサート、先に書いた通り、シューマンとブラームスという、並び称される事の多いドイツロマン派の正統をいく2人の同ジャンルの作品と言う事でも面白く、また、ほとんどオーケストラを通じてのみ2人の作品を知っている偏ったアマオケ人間である私にとっては、交響曲との対比、などもいろいろ思うところあって、楽しく鑑賞することができました。

 演奏については、特に、私としてはシューマンの持つ音楽の流麗さに強く惹かれました。まず、ピアノの存在感がとても大きな作品ですが(作品自体がピアノに華を持たせすぎ、のような気もしないではないが)、そのピアノの安定した、ブリランテな雰囲気に、弦がさらにポイントポイントで華を添えてゆく、といった趣が快く、きちっとしたアンサンブルの上に、よどみない流れがあり全く退屈させない素晴らしいものでした。
 第3楽章の目まぐるしいスケルツォなどは圧巻でした。交響曲第1番「春」のそれと同様、2つのトリオを持つスケルツォですが、次々と楽想が新たに涌き上がる様が聴く側をエキサイトさせるものがあります。前後しますが、第2楽章の葬送風なテーマ、ヴィオラの低音域の渋い響きがとても心に響きました。休符が多く途切れ途切れな意味深なテーマが、再現で雄弁に語られる辺りなど感動的です。
 フィナーレの、途中から始まったような転調含みな開始はいかにもシューマンの語り口です。また、最後のコーダで、一時終止した後、第1楽章とフィナーレの主題とが絡み合いながらフーガ風に展開するあたり、変ホ長調ということもあって、交響曲第3番「ライン」のフィナーレなども想起させます。
 ただ、私の大好きなこの部分、もう少し、何かしらのインパクトが欲しかったような気もします。全曲を統合する深い意味を持った部分だと感じていますが、私の個人的な趣味かもしれませんが、もう1段高みに登ったような感じ(抽象的で失礼します)が感じられる箇所じゃなかろうか、とも思うのですがいかがでしょう。
 その精巧なフーガの後がまた好きで、それこそピアノ協奏曲の最後と同様、幸福の絶頂にあって、なかなかこの幸せを手放したくない、と言わんばかりに名残惜しく、美しいパッセージを繰り返し奏で続ける辺り、ああ聴きに来て良かった、とホントに感じてしまいます。

 さて、続くブラームス、恥ずかしながら始めて聴かせていただきました。ヘ短調、ブラームスの交響曲第3番フィナーレと同じ闘争的な調性(熱情ソナタやチャイコフスキーの交響曲第4番なども想起)の作品ということで、次回オケでブラームスの3番を演奏する事もあって、そんな調性の観点からも始めて聴く作品、楽しみにしていました。
 作曲技術的な点からいきますと、シューマンが、ピアノと弦をどうもいろいろ重ね過ぎているように思わせる反面、ブラームスはうまくバランスをとって、不要なパートは削ぎ落とした感じがします。さらに、弦それぞれの響きもとても大切に生かして、奥行きの広い音楽となっいるようにも思います。特に、チェロ、そしてヴィオラの高音域の旋律など、はっとさせるものもあります。この辺りの2人の違いはオーケストラにおいても同様な傾向といえますか。
 ただ、旋律はとても覚えにくい、断片的なものです。ピアノ四重奏曲はとても好みで(お遊びでピアノを担当した事もあります。また、シェーンベルクによる管弦楽版も愛好しています。)、フィナーレのハンガリー風なパッセージなど親しんでいましたので、その辺りの雰囲気を想像したのですが、こちらは、かなり渋く、親しみにくい外見ではあります。そして、フィナーレなどは複雑に様々な楽想が入れ代わり立ち代りで、交響曲のブラームスとは違った、熱血な若き叫びを聴く事もできるようです。さらに、リズムの処理も複雑怪奇、3連と4連が同時進行したり、よほどアンサンブルを緻密に組み立てないとすぐ崩れそうな恐い作品だとも感じました。
 以上が、主に曲に対する感想ですが、演奏については、この緻密に書かれた重苦しくもあるこの作品の姿をまとめあげてゆくのは並大抵なことではないと思いますが、危なげなく余裕すら感じさせ、見事勢いよく弾き切った、という感想を持ちました。特に、交響曲第4番の第3楽章と同様、冒頭に3種の主要テーマを提示してその展開の中に曲を進めるスケルツォは聴き所満載でした。インテルメッツォ的な第3楽章にブラームスらしさ、を感じていた私にとっては、このスケルツォの存在はとても興味深いものがありました。まるで途中で終わるような終止も含め、とてもスリリングで没頭して聴き入ってしまいました。
 あと、音楽的にはやや退屈な緩徐楽章でしたが、パンフレットにあった「長老のようにピアノが優しく語り、弦楽器達はそれをうなづくように聞いているが、次第に若々しく語り合う。・・・・」との解説、言い得て妙、でした。そのように聞こえていました。

 (私的には)ショスタコーヴィチから始まったピアノ五重奏の世界、なかなかに面白いものです。これからも機会あれば是非とも聴かせていただきたいものです。このジャンルに私を勧誘していただいたレイヴンスさんに感謝、です。 

(2001.12.6 Ms)


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