更新履歴 '01
12.29 今月のトピックス ’01 2001年の総括 加筆。
12.27 今月のトピックス ’01 2001年の総括 掲載。
12.24 今月のトピックス ’01 12月 名古屋古書会館にて 掲載。
12.22 今月のトピックス ’01 12月 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第21回定期演奏会 ファミリーコンサート その3 掲載。
12.21 今月のトピックス ’01 12月 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第21回定期演奏会 ファミリーコンサート その2 掲載。
12.18 今月のトピックス ’01 12月 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第21回定期演奏会 ファミリーコンサート その1 掲載。
12.15 今月のトピックス ’01 12月 豊田楽友協会管弦楽団 第2回ファミリーコンサート その2 掲載。
12.12 今月のトピックス ’01 12月 豊田楽友協会管弦楽団 第2回ファミリーコンサート その1 掲載。
12. 9 クラシック音楽「曲解」シリーズ 刈谷市民管弦楽団「曲解」履歴その2 第13回定期演奏会 掲載。
12. 8 今月のトピックス ’01 11月 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン 名古屋公演 掲載。
12. 6 今月のトピックス ’01 12月 レイヴンス・ピアノ五重奏団 第2回演奏会 掲載。
11.25 今月のトピックス ’01 11月 ブルーメン・フィルハーモニー 特別演奏会 <3>〜<5>掲載。
11.24 今月のトピックス ’01 11月 ブルーメン・フィルハーモニー 特別演奏会 <1><2>掲載。
11.19 今月のトピックス ’01 11月 名古屋マンドリン合奏団 第43回定期演奏会 <1><2>掲載。
11.18 今月のトピックス ’01 10月 音楽技能検定 掲載。
11.13 今月のトピックス ’01 11月 名古屋マンドリン合奏団 第43回定期演奏会 前書き、たぶんだぶん より移動、加筆。
11.11 今月のトピックス ’01 11月 個人的上京メモ(ル・スコアール管弦楽団 第11回演奏会 の続きとして) を掲載。
11. 5 今月のトピックス ’01 11月 ル・スコアール管弦楽団 第11回演奏会 を掲載。
10.27 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<7>その4 を掲載。
10.21 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<7>その3 を掲載。
10.20 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<7>その2 を掲載。
10.16 アマ・オケ レパートリー 交響曲編成一覧表 (Msからのお知らせ) 更新。
10.13 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<7>その1 を掲載。
10. 9 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<6>その3 を掲載。
10. 3 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<6>その2 を掲載。
9.29 今月のトピックス ’01 9月 団伊玖磨氏 星に その2 を掲載。
9.24 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<6>その1 を掲載。
9.15 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<3><5>に画像追加。
9.11 今月のトピックス ’01 9月 団伊玖磨氏 星に その1 を掲載。
9.10 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<5>その3 を掲載。
9. 9 今月のトピックス ’01 9月 団伊玖磨氏 星に 導入 を掲載。たぶん だぶん より過去の関連記事移動。
9. 8 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<5>その2 を掲載。
9. 2 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<5>その1 を掲載。
9. 1 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<4> を掲載。
8.28 今月のトピックス ’01 8月 第13回アフィニス夏の音楽祭 たぶんだぶん より移動 及び加筆。
8.25 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<3>その3 を掲載。
8.22 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<2><3>に画像追加。
8.20 今月のトピックス ’01 8月 3枚のレコード+α (コンドラシンのバビ・ヤール ニ題) たぶんだぶん より移動 及び記事追加。
8.18 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<3>その2 を掲載。
8.16 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<3>その1 を掲載。
8.13 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<2>後半 を掲載。
8. 6 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<2>前半 を掲載。
8. 4 今月のトピックス ’01 7月 フィンランド紀行<1> を掲載。
7. 9 ESPANSIVA!NIELSEN 軽めにコラム。第1話 序文 掲載。
7. 8 今月のトピックス ’01 6月 日本フィルハーモニー交響楽団 第531回定期演奏会 を掲載。
7. 5 今月のトピックス ’01 6月 ロシア・アニメ映画祭 <3> (6)(7) を掲載。
7. 3 今月のトピックス ’01 6月 ロシア・アニメ映画祭 <3> (5) を掲載。
6.28 今月のトピックス ’01 6月 豊田楽友協会管弦楽団 第12回定期演奏会 詳細 を掲載。
6.27 今月のトピックス ’01 6月 豊田楽友協会管弦楽団 第12回定期演奏会 詳細 ショスタコ、第1楽章 を掲載。
6.25 今月のトピックス ’01 6月 豊田楽友協会管弦楽団 第12回定期演奏会 を掲載。
6.20 今月のトピックス ’01 6月 ロシア・アニメ映画祭 <3>前半を掲載。
6.18 今月のトピックス ’01 6月 ロシア・アニメ映画祭 <2>を掲載。
6.16 今月のトピックス ’01 5月 New Artist Classic Stage たぶんだぶん より移動、掲載。
今月のトピックス ’01 6月 ロシア・アニメ映画祭 たぶんだぶん より移動、及び<1>を掲載。
6. 9 ESPANSIVA!NIELSEN 正式公開。Msからの一言、加筆。
6. 4 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS150台・・・FSリスト一応の完結、ただし今後加筆予定)。
5.29 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS140台)。
5.28 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS130台)。
5.27 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS120台)。
5.26 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS110台)。
5.24 ニールセンに関するページ 更新 (オススメ曲紹介 交響曲)。
5.22 リンク一覧の整理。
5.21 今月のトピックス ’01 5月 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第20回定期演奏会 デジカメ映像 掲載。
5.19 今月のトピックス ’01 5月 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第20回定期演奏会 掲載。
5.14 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS100台)。
5.13 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS90台)。
5.12 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS80台)。
5.11 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS70台)。
5.10 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS60台)。
5. 7 ニールセンに関するページ 更新 (作品リストFS50台、リンク集)。
5. 6 今月のトピックス ’01 4月 NHK交響楽団第1431回定期演奏会 <3> 補足。
ニールセンに関するページを仮公開 (正式公開は後日)。
5. 1 今月のトピックス ’01 4月 NHK交響楽団第1431回定期演奏会 <3> 掲載。
4.30 今月のトピックス ’01 4月 四日市交響楽団第23回定期演奏会 (1) 補足。
4.29 今月のトピックス ’01 4月 NHK交響楽団第1431回定期演奏会 <1><2> 掲載。
今月のトピックス ’01 4月 NHK交響楽団BS放送(第1430回定期演奏会) たぶんだぶん より移動、 掲載。
4.28 今月のトピックス ’01 4月 四日市交響楽団第23回定期演奏会 (3)(4) 掲載。
4.26 今月のトピックス ’01 4月 四日市交響楽団第23回定期演奏会 (2) 掲載。
4.25 今月のトピックス ’01 4月 四日市交響楽団第23回定期演奏会 (1) 掲載。
今月のトピックス ’01 4月 NHK交響楽団第1431回定期演奏会 第43回大阪国際フェスティバル たぶんだぶん より移動、 掲載。
4.15 今月のトピックス ’01 2月 オーケストラ・ダスビダーニャ第8回定期演奏会 <3>(3) 掲載。
4.14 今月のトピックス ’01 2月 オーケストラ・ダスビダーニャ第8回定期演奏会 <3>(2) 掲載。
4. 7 今月のトピックス ’01 2月 オーケストラ・ダスビダーニャ第8回定期演奏会 <3>(1) 掲載。
ゲテモノ・クラシック へリンク。
3.25 今月のトピックス ’01 2月 オーケストラ・ダスビダーニャ第8回定期演奏会 <2>(2)補足 (3) 掲載。
3.23 今月のトピックス ’01 2月 オーケストラ・ダスビダーニャ第8回定期演奏会 <2>(1)後半 (2) 掲載。
3.22 今月のトピックス ’01 3月 名古屋フィル第268回定期演奏会 たぶんだぶん より移動、掲載。
今月のトピックス ’01 3月 安倍圭子&スカル・サクラ マリンバコンサート 掲載。
3.20 今月のトピックス ’01 2月 オーケストラ・ダスビダーニャ第8回定期演奏会 <2>(1)前半 掲載。
3.17 ショスタコBeachへようこそ イベント・ステージ 情報更新。
3.14 ショスタコBeachへようこそ イベント・ステージ 情報更新。
3.10 今月のトピックス ’01 3月 新日本フィル第316回定期演奏会 掲載。
3. 1 今月のトピックス ’01 2月 オーケストラ・ダスビダーニャ第8回定期演奏会 <1>後半 掲載。
2.25 今月のトピックス ’01 2月 オーケストラ・ダスビダーニャ第8回定期演奏会 <1>前半 掲載。
2.22 今月のトピックス ’01 2月 オーケストラ・ダスビダーニャ第8回定期演奏会 <0>,<1>導入 掲載。
2.13 ショスタコBeachへようこそ フリーマーケット ’01.2月 <1>(訂正or補足) 掲載。
2. 9 ショスタコBeachへようこそ フリーマーケット ’01.2月 <1>前半 掲載。
2. 8 ショスタコBeachへようこそ フリーマーケット ’01.2月 <0> 掲載。
2. 4 ショスタコBeachへようこそ フリーマーケット ’01.2月 前書き 掲載。
今月のトピックス ’99 東欧音楽紀行 <ドイツ・ポツダム編> 掲載。
2. 1 indexページ模様替え。
1.27 ショスタコBeachへようこそ フリーマーケット ’99.9月 <4> 掲載。
1.24 今月のトピックス ’01 1月 新日本フィル 巨匠の映画音楽 <5の補足>(4)掲載。
1.22 今月のトピックス ’01 1月 2001岐響NewYearファミリーコンサート 掲載。
1.18 今月のトピックス ’01 1月 新日本フィル 巨匠の映画音楽 <5の補足>(3)掲載。
1.16 今月のトピックス ’01 1月 新日本フィル 巨匠の映画音楽 <5の補足>(1)(2)掲載。
1.14 ショスタコBeachへようこそ イベント・ステージ 情報更新。
今月のトピックス ’01 1月 新日本フィル 巨匠の映画音楽 <4〜5>掲載。
1.13 (仮)アマ・オケの舞台裏、アマ・オケ レパートリー 交響曲編成一覧表を Msからのお知らせ へ移動。
今月のトピックス ’01 1月 新日本フィル 巨匠の映画音楽 <1〜3>掲載。
1.11 刈谷市民管弦楽団「曲解」履歴 を クラシック音楽「曲解」シリーズの「曲解アーカイブ」へ移動。
刈谷市民管弦楽団次回演奏会の内容を Msからのお知らせ へ移動。
1.10 たぶん、だぶん 2000年分を、今月のトピックス ’00へ移動。Msからのお知らせ 内容修正。
1. 8 今月のトピックス ’01 1月 新春クラシック番組福袋 <3>後半 <4> 掲載。(仮)アマオケの舞台裏 打楽器パート担当 変更。
1. 7 今月のトピックス ’01 1月 新春クラシック番組福袋 <2><3>前半 掲載。
1. 6 ショスタコBeachへようこそ イベント・ステージ 情報更新。
1. 5 今月のトピックス ’01 1月 新春クラシック番組福袋 <1><1の補足> 掲載。
1. 3 今月のトピックス ’00 12月 ある結婚式<1> 掲載。
1. 2 刈谷市民管弦楽団 次回演奏会 予習を兼ねた曲目解説 に 10周年記念コンサート情報 掲載。
’01 倉庫
今月のトピックス
December ’01
12/23(日) 名古屋古書会館にて
本来はだぶん系なのだろうが、感激したのでこちらにて。
名古屋市中区千代田五丁目1番、丸田町交差点のすぐ南のあたり、一本狭い路地をはいったところに、標記の名古屋古書会館がある。初めて知ったのだが、当日、偶然新聞にてセールをやっている事を知った。確かにあの辺り、JR鶴舞駅からそれほど遠くなく、鶴舞といえば古書街でもあるのだが、最近はなかなかふるわない、という記事ではあったが、各店持ちよって合同で100円均一セール、今日まで、という情報で、土日と名古屋周辺部を車でウロウロしていたので、急遽立ち寄った次第。こういうセールはたまにあるようで、また情報があれば、時間を見つけて立ち寄りたい。
さてさて、狭いスペースに人がウヨウヨいたわけだ。漫画本から古文書まで雑多に散乱していたのだが、そこで見つけた1冊。
レコード藝術 昭和30年3月号
もう半世紀近くも前のものだ。ぺらぺらめくると、ソナタが奏鳴曲だったり、ヴァイオリンが提琴だったり、伯林フィルに巴里音楽院・・・・時代を感じる。ブルックナーはどこにもない。マーラーは唯一、千人の交響曲の新譜情報が。ただし海外LPニュース。日本ではまず演奏される見込みのない曲であるだけにこういうLPの価値は大きいのだそうな。その他、フルトヴェングラー特集やら(同時代なんだよね)、バルトークの作品論やら、いろいろ読み所はあるが、Msの趣味によるとっておき情報を抜き書きさせていただこう。面白かったので。
「海外LPニュース」 (P107)
ショスタコヴィッチ 交響曲第十番ホ短調 作品93
ショスタコヴィッチ指揮 ソ連国立フィルハーモニック管絃楽団(米コロシアム173)
前号で紹介したとおり、ショスタコヴィッチの新作大曲「交響曲第十番」のLPは、世界初演のムラヴィンスキー盤(米コンサート・ホール)とアメリカ初演のミトロプロス(米コロンビア)が逸早く発売されたが、ここに作曲者自身棒を振った新盤が出たことは興味がある。三者の優劣を比較するのも面白いだろうが、先に出た二種の批評によれば演奏はムラヴィンスキー盤、録音はミトロプロス盤がすぐれているらしい。なお、このショスタコヴィッチ盤にはカバレフスキーの「序曲」が一曲おまけに附いている。この交響曲の演奏時間は約四十六分である。
ショスタコの写真付きで紹介されているが、ずはりこの新盤についての中身は全くわからない。こういうLPが出たらしいという伝聞情報か。やはりまだ今と比べ物にならぬほど情報の伝達スピードは遅いということか。
ということでこんな次の記事も堂々と載っている訳・・・
「海外通信」 (P118)
ショスタコヴィッチは最近オペラを作曲しようとしているとモスコウの新聞に発表した。それはロシヤの革命戦争の時に赤軍の農民を指揮し、一躍当時の英雄となったといわれるイワノヴィッチ・キチャパイエフの生涯を題材としたオペラで、かれの力作として近き将来問題を投げかけるのではないかと、期待を持たせるものであろう。
こんな話、聞いた事ないや。「証言」にもあったように、体制側の気を引くようなオペラの作曲をほのめかしての延命策か。公式発言には要注意。期待しただけ無駄でしたか、当時の人も。
やはり、ソ連ネタ、当時の日本ではこんな公式発言くらいからしか入手できないのだろう、当然。ということで極めつけは・・・・
「生身と化すオイストラフ−そのLP」 (P90)
ソヴィエトの演奏家が日本を訪れる。大げさにいうと、火星人の地球探訪にも較べられる大事件である。ソヴィエト人も日本人も、頭が一つ、手が二本、そして腹の真中にヘソをもつ正真正銘の人間だが、何とかのカーテンという妖怪変化に邪魔立てされて、世界の共通語をかたる音楽家同志の交りが、オリンピア精神のスポーツ・マン以上に、容易には許可されなかった。しかし遂に「ドン・ジョバンニ」の石像は蠢動を始め、LPのオイストラフは生身と化して日本で演奏を行う。
時代を感じさせる。オイストラフ来日の記念特集記事(彼のLPの紹介)の冒頭である。今とは意気込みが全然違うだろう、海外の演奏家のコンサート・・・まして「火星人」ときたか。1955年、とんでもない時代。
ちなみに、記事には私の愛聴しているショスタコのヴァイオリン協奏曲第1番の姿はまだない。当時の状況を語るものとしてもうひとつ・・・
「協奏曲は何を聽き何を選ぶか(続)」 (P42)
(Msの注。このお題で、大宮真琴氏と村田武雄氏が対談。ロマン派から現代までいろいろ語っています。大宮氏は「大」、村田氏は「村」とここでは標記しましょう。現代音楽のロシア部分から。)
村 そうですね。じやロシアから。
大 プロコフィエフ、ショスタコヴィッチなんてところがございますね。
村 プロコフィエフは、ピアノ協奏曲、第三番ですね。カッチェンのいいレコードが出ました。ドラーティの指揮したカペルのも上手です。それからヴァイオリン協奏曲の「一番」をシゲティの入れた非常にいいのがありますね。
大 これはいいな。それから「二番」のハイフェッツもいいですよ。なかなかいい曲です。昔もありましたけれども。
村 昔も入れていましたね、クーセヴィツキーの指揮で。では次にハチャトゥリヤン。
(中略。ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲の演奏批評が続く)
大 ハチャトゥリヤンという人は、管絃楽の色彩家ですから、音楽にどこまで永続的な深みがあるかは、まだちよつと疑問だと思うのですがね。
村 そう、感覚的だが、どうも同じことが繰り返される危険がある。
大 そうですね。
村 「ガイーヌ」が顔を出して来るところが随分ありますね。
大 ええ、でもそういう意味では、確かに現代の協奏曲作曲家としては成功した一人だと思います。
村 ええ、うまく出来ている曲には違いありません。
大 それからショスタコヴィッチがあります。これはピアノ協奏曲なんですが、トランペット一本と、絃楽オーケストラになつている。ですからピアノとトランペットが独奏です。
村 ハ短調の曲でしたね。
大 これので(Ms注、ママ)素晴らしいレコードがあつたのですよ。
村 私は聴いていない。じやガーシュインのへ調ピアノ協奏曲を一つ入れましょう。(後略)
ショスタコの名を見つけたものの延々待たせた挙句、「私は聴いていない」ときて、演奏の紹介もなく次に行っちゃって・・もう。
それにしても、情報が少ないわりには、いろいろなところにショスタコも登場していて感激した1冊。今年最高のクリスマス・プレゼント・・・かな?
(2001.12.24 Ms)
12/16(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第21回定期演奏会
ファミリーコンサート
3週続けての本番だ。久々に演奏会三昧なこの師走。無事にこなしてこれで私も年越しができる。ふーっと一息。それにしてもいいコンサートだった。出番こそ少なかったが、とてもいい演奏の数々に出会えて楽しい。何から書いていいか迷ってしまうな。チラシには、大きく、「いつでもどこでもチャイコフスキー」とありました。オール・チャイコフスキー・プログラム。以外とありそうでない。なぜなら、アマオケには結構つらいです。弦や木管は細かい音符だらけでさらうのが大変。金管は、ペース配分に失敗すればばててしまう。ただ打楽器は楽しいですね。あと、お客さんもリラックスして聞けるでしょう。まずはプログラムを紹介。
「眠りの森の美女」から、序奏とリラの精の踊り・ワルツ ピアノ協奏曲第1番(独奏・石川智子) (休憩) 「くるみ割り人形」から、行進曲・こんぺいとうの踊り・花のワルツ 「白鳥の湖」から、情景・ワルツ・チャルダッシュ・情景(終幕)・終曲 (アンコール) 指揮:寺島康朗 |
三大バレエとピアノ協奏曲といういいプログラムですね。これでもかこれでもか、と馴染みの名旋律の数々。そして聞き手の耳をとらえて離さない劇的な展開。私も時には奏者として、時には聴衆として、夢中で聴いていました。特に、「白鳥」の終幕の情景から終曲への展開は、こんな感激した事は稀なくらいです。とうとうと歌い流れるゴージャスな弦を目の前に、パワフルな金管の音の風が横から吹き殴り、背後からはティンパニと大太鼓の怒涛の振動とシンバルの衝撃と。私の陣取った小太鼓の席はとにかく、この劇的な「まことの愛(ナレーションで恥かしいほど何度も連呼していた)」を巡る大クライマックスの渦中にあって、なんだか音楽という海の中に一人放り投げられて荒波に飲まれてどうしていいんだかわきゃわかんないぐらいの感激に襲われつつ、なかばうるうるしつつタイコを叩く羽目になったのでした。ホントに。
私はトラとして、前半は「美女」でドラを一発入魂。後半は、「白鳥」のトライアングルを可愛らしく(ただ、緊張の度合い、体力の消耗は結構するんだな。これが。)、そして終曲はやややりにくい小太鼓。
とても申し訳なかったのは今回スケジュール調整がつかず(これだけ本番が立てこんでたら・・・)、ほとんど練習に参加できないまま、たった2回の練習で本番となってしまったこと。出番の少なさ、影響の小ささから、なんとかご了解頂こうと思っていたのだが、某弦団員から、もっと来た方が良かったのでは・・・と。確かに、実は、終曲の最後の小太鼓が、オケ全体が1小節3分割で動く中、僕だけが4分割で動く音符になってて、どうも慣れないとやりにくかったようで・・・大変失礼しました・・・決して間違った演奏はしてないのでその辺は念のため・・・。この部分は、かなりオーバーな演奏を心がけたつもり。まちがっているかのようなパッセージは不安げにやるな!というのは鉄則。
ただ、この楽譜につきあったおかげで、このちょっと下の方で展開している豊田フィル「展覧会の絵」の大太鼓の誤植問題(?)にいろいろヒントがあったりして、それはそれで個人的には興味深い楽譜ではあった・・・。「白鳥」の終曲の最後のコーダの手前の打楽器も、オケ全体が3連で動く中、異議を唱えるべく4連の音符が並び、その末に、オケ全体が(不安定な3連を捨てて)普通の2/2拍子へと到達、解決感を得るわけだ。ロ長調への解決という和声感、ハープと弦というオーケストレーション、故に最後の「まことの愛」の成就は説得力をもつのは確かだが、このリズムの錯乱(下手すればストラヴィンスキーなみのポリリズム!!)の収斂もまた、解決感を演出している重要な要素だと思う。リズムの錯乱、という点で、打楽器の役割は、この2曲、よく似ているとも言えそうか。私なりの今回の発見。
このように、この慌しい年末、いろいろな演奏活動、鑑賞体験の蓄積が相互に絡み合ってて面白い体験もできたのは確かだ。
ちなみにもう一つ、やはり終曲で、ティンパニ、大太鼓と私、小太鼓がソロでトレモロのクレシェンドをして、あの有名な白鳥のテーマの大テュッティを導くところなどは、先月、東京で生で体験したショスタコの8番の第1・第5楽章の戦争の大クライマックスと同じサウンドで個人的にはぞくぞくしていたのでした。あぁオタク的話題。
脱・超個人的感想はこのあとで。(2001.12.18 Ms)
全体的な感想。前日、本番通じて私の耳をとらえたのはホルンの安定ぶり。確かに、金管のレベルは私の知る限りかなりいい線いっているオケなのだが(特に今回、「白鳥」、トランペット5、ホルン7、トロンボーン4という編成はかなりエキサイトさせられたなぁ。それは上述のとおり。)、その中でも1番よかったのはホルン。私がオヤっと思ったのは「花のワルツ」のワルツ部分の冒頭、曲の顔とも言うべきホルンのパート・ソロ。こんな上品に落ちついたホルンの柔らかな響きをこの場面で、アマオケで聴けたのは初めてだ。よくアマオケのコンサートで耳にするが、どうもハープソロのあとはよくガクッとなったもんだ。その、ホルンの充実ぶりはすべての曲で満喫できました。ホルンの出来不出来はオケ全体を左右するくらいのものだと思うのだが、その点とても安心できるのは嬉しい限り。
さらに、ホルン奏者がなんと「こんぺい糖」のチェレスタ・ソロを。なかなかない掛け持ちだ。芸達者ですね。練習ではとても端正なかちっとした演奏で、指揮者に、うますぎる、もっとよたよたした感じで、なんて言われていたのも印象的。
あと、やはり「白鳥」といえばオーボエ、です。これも良かった。個人的には、ピアノ協奏曲におけるいろいろなソロの場面が、切実な訴えかけるものを感じさせるもので素晴らしい。歌、という感覚では私の耳には、ピアノ・ソロよりもオーボエの方こそコンチェルタンテなムードが漂っていたとすら思った。
フルートもいい印象。協奏曲のソロ。あと、「花のワルツ」の三本のフルートのユニゾンによるメインテーマにからむ対旋律の部分が妙に気に入った。比較的低めの音域だと思うのだが、存在感を他のアマオケと比べ今までになく感じ、また美しくきまって耳に残った。
最後に、弦のまとまりも良かった。「花のワルツ」の弦による副主題、指揮者もいろいろ指示をしていたところだと思うが、同じリズムパターンながら旋律の表情は毎回違う。その辺り、豊かな響きと、繊細な歌心で、その醸し出す雰囲気に引き込まれた。特に、ヴァイオリンのsul G とかの旋律線は、他のワルツでもいろいろ出てくるのだが、そういった場面はとても満足いくレベルで良かった。そして、大迫力の「白鳥」、指揮者の提案で最終的にプログラム入りした、終幕の情景。ここのスリル溢れる展開も必死な感じもよかったが、大太鼓、ティンパニの怒涛のトレモロに続くホ長調の解決、ここの快感は言葉にならないほどの感動だ。高音域のヴァイオリンも張りがあって、その解決感をしっかり支えていた(終曲の白鳥のテーマの短調による再現の部分の高音のヴァイオリンも泣けましたね)。
そのクライマックスあって最後の終曲、白鳥のテーマの大々的な再現へ至る展開が説得力を持つ。指揮者の判断の確かさに感銘。この2曲は確かに一体の流れを持っている。・・・・いつか是非、ティンパニでも大太鼓でもシンバルでもいい。実際に演奏したいところだ・・・前回はドラを10数発、今回は小太鼓でややくすぶった(ちょっと、曲の持つエネルギーを楽器にぶつけようにも、やや違和感あるパート譜なので、やりすぎないことを必要以上に考えなきゃ。ホントにこの部分小太鼓のサウンドが欲しいんだろか?と思いながらの演奏なので辛いな。)また、超個人的感想が・・・失礼しました。
アンコールも良い。個人的には、2週前の自分のオケのコンサートで、アンコール「ナポリの踊り」を出したのだが却下。「イタリア交響曲」と「イタリア奇想曲」のプロなんだし、アンコールもイタリアンな選曲がいいと思ったのに、「結婚行進曲」。ということで、今回の「ナポリ」、イタリア三昧な私のこの「日本におけるイタリア年2001」を締めるに相応しい選曲で大喜び。センスも良いし、当団コルネット担当の自信の現われでもあろう。
コルネットのソロも、ヤらしくテンポを揺ら揺らさせて面白い。テンポを上げた後半部も、強弱の差の表現など楽しくオケ全体と一体感もって演奏でき、楽しく演奏できました。
も少し書きましょう(2001.12.21 Ms)
恒例のロビーコンサート。今回も楽しく聴かせていただきました。入り口から入って、中2階的なフロア、そして2階と吹きぬけみたいになってて、広いロビーの空間、目一杯使っての面白い趣向でした。まず1階奥からホルンによるファンファーレ。これが、ロビーが凄くいい響きを作って柔らかな感じ。観客が雑多にざわざわするなか、そちらに目がいってると、続いて、中2階に置かれた大きなクリスマス・ツリーの辺りからフルートの可愛い音色が。サンタの格好の女性と、トナカイの着ぐるみの男性によるフルート・デュオ。これが良かった。場所に意表をつかれ、また、コスプレで。でも、クリスマス・メドレーを暗譜だし演奏も確かなものだし、お客さんにサービス満点で、こんな楽しい企画は見てる方も楽しい・・・・私も随分前に自分のオケでクリスマス・コンサート企画したこともあったが、やはり奏者の役不足か・・・蒲フィルさんは、ホント人材そろってるな、と感じました。続いて、またロビーの中で場所を変えつつ、ヴァイオリンとチェロのデュオ(コンマスがなんとチェロを)、トランペットとチューバのデュオ、トロンボーンのアンサンブル、と楽しくクリスマスものを中心に聞かせていただきました。
私がこういう団にいたなら、打楽器もいっちょどうだ、てな発想なわけですが・・・・どうでしょう。さて、打楽器全般についてなのですが、やや辛口になっちゃうか。オケ全体のレベルに比して、打楽器はもっと頑張らなきゃ申し訳ない。もっとアンサンブルとか詰めないと、打楽器が足を引っ張りかねません。シンバル、大太鼓の合わせは、こういったバレエ音楽では、テンポ、リズムの核ですし。ティンパニ・大太鼓の合わせももっと意識しなければ。そして、場所に応じては、指揮を見る、コンマスを見る、コントラバスを見る、あと当然、打楽器どうしでコンタクトを取る・・・・こういったアンサンブルの電波の飛ばしあいは、もっと考慮すべき、と自戒もこめて、この場にて一筆。また頑張りましょう、打楽器のみなさま。
最後に、今回も打楽器の借用では、大変お世話になりました。我がオケのために、国内でも貴重なプロバンス太鼓、ギロ、シンバル、グロッケンと、いつもありがとうございます。蒲フィルさんなしに我々の演奏会は開けませんし、団を代表してお礼申し上げなければ。特に、グロッケンについては、蒲フィルさんが使うにもかかわらず、直前までお貸しいただき本当にありがとうございます。
次回は、通常の定演で、ブラームスの1番と、火の鳥だそうです。期待してます。
(2001.12.22 Ms)
12/9(日) 豊田楽友協会管弦楽団 第2回ファミリーコンサート
〜親子のための管弦楽入門〜
いつも意欲的な選曲で私達を楽しませて頂いている豊田フィルさんの待望の第2回目のファミコンです。昨年の第1回は、語り付きの「ピーターと狼」、そして、「くるみ割り人形」組曲はじめクリスマス系。さて今年の按配は・・・。
ムソルグスキー(ラベル編) 「展覧会の絵」プロムナード 第二部 アンダーソン 舞踏会の美女 シベリウス 交響詩「フィンランディア」 (アンコール) |
なかなか盛り沢山な内容。指揮者は山内陽二さん。地元の学校の先生ではありますが、コンサートの司会も含め、てきぱきとこれだけの内容を要領よくまとめあげていただきました。
テーマは、標題の通り「親子のための管弦楽入門」。オープニングにプロムナードを配し、まずは、指揮者の語り入りで、「管弦楽入門」のセクションごとのテーマと変奏の部分を奏者が立ち上がりながら(弦は座ってましたが)演奏。オーケストラの楽器を大雑把に紹介した上で、オーケストラの変遷を曲でたどりながら視覚的、聴覚的におってゆく。
まずは、バロック、小編成のバッハ。そして、古典派ベートーヴェン。楽器も増えてくる。そこで、やや具体的な例として、バロックのビバルディが「春」で描いた雷の部分(弦楽器の刻み)と、ロマン派の入口に立つベルリオーズの幻想交響曲第3楽章の雷の部分(ティンパニ4台)とを聴き比べ。その後、幻想の第4楽章。そして、管弦楽法の魔術師ラベルによる色彩豊かなオーケストレーションを楽しむ、てな趣向。
そして、第二部は、アンダーソンの気楽に楽しめるナンバーの数々と、最後に、重厚なオーケストラの響きを堪能する「フィンランディア」で締め。
今回のポイントは、やはりこのコンサートの企画力、構成力にあると思います。いろいろファミコンと銘打ったものはありますが、私の長い経験からも、アマオケでこれだけの明確なコンセプトをもって、安易にあえて映画音楽あたりに走らずに、クラシックの王道でこれだけのしっかりと練られたレクチャーコンサートをまとめあげた豊田フィルさんには感服。・・・ただ、最後のフィンランディアは苦肉の策、妥協の産物的でやや?な感じもしましたが(個人的には、第二部は割り切ってアンダーソンだけくらいの方がしっくりいったか?とも感じましたが・・・最後も「美女」くらいならなんとか・・・もしくはせめてアメリカ絡みの作品くらいのほうが・・・・あ、他団体への選曲の口出しはいけません、失礼)、まぁ奏者としては楽しめたので良しとしましょう。
打楽器的には、やはり、こういうファミコン系は大忙し。私も、ブリテンの小太鼓、ベートーヴェンの大太鼓、ベルリオーズのティンパニ、ラベルの大太鼓&鉄琴、さらに、第二部、「美女」の小太鼓、フィドルの大太鼓、ネコのウッドプロック&犬猫の鳴き声、タイプライターの第2タイプライター(2台でオケの前に出て行きました)、そして、シベリウスとメンデルスゾーンのシンバル、という具合にかなり面白くいろいろな楽器を美味しいとこ取りさせていただきました。団員のS先輩に感謝感謝・・・特別待遇ですね・・・ただ、ご期待に添えましたかどうだか・・・。
さらに、ポイント。指揮の山内さん、このような方に振っていただけるのは豊田オケさんは幸せです。身近に、ちゃんと指揮及びトレーニングの能力を備えた方がいて、機動的にこういう有意義な企画がすぐ実践できるわけですから。(以前お伺いした岐阜響さんもそう感じました)
練習時から今回比較的長いおつきあいでしたが、練習も和気あいあい、笑いもありつつ、押さえるべきところは押さえ、本番ではみなさん楽しく演奏できたのでは、と思います・・・・なかなか辛い場面もなかったわけではないのですが(幻想第4楽章で弦が走ってしまったり、は愛嬌。ただ打楽器で音大生が落ちてたり、事故ってたり・・・ちょっとこいつはいただけねえや・・・要反省じゃ)。
今後も、こういった楽しい企画、期待したいと思います。私も影ながら応援させていただきます。マンネリにならないようにするのが大変だとは思いますが、今回のようなこのスタンスを大事に、充実した活動を祈念致します。
あと、今回は自分の打楽器の演奏のことなども含めて、もう少し書いてみようかと思っています。(2001.12.12 Ms)
ムソルグスキー「展覧会の絵」は大太鼓を担当しましたが、なかなか難しいパートです。終曲「キエフ」。
ティンパニに8分音符の前打音付きの音符が結構あって、その前打音が小節の頭に来るようパート譜には指示があり、かつ、前打音でなく本音符の方にアクセントがあります。そのティンパニの前打音に大太鼓が重なるわけで、なかなかアンサンブルが難しいのです。ティンパニの本音符に大太鼓を合わせるのは生理的に楽なのですが・・・。ラベルのアレンジの意図としては、ピアノ原曲だと、低音の前打音の上に、両手の分厚い和音が本音符が乗っかるわけで、その低音が大太鼓、上の和音がティンパニというイメージなのでしょう。そのピアニスティックな発想を打楽器でうまく表現できたかはどうも自信がありません・・・・あとでビデオなど見ても、やや大太鼓がツッコミ気味かなァ、と感じます。ちょっと攻め過ぎたか?
あと、いろいろ物議をかもす箇所もありますね。手元のスコアで練習番号120、と言われてもわかんないか。最後の駄目押し、ドラや鐘が爆裂する最後の最後の主題再現の手前、6小節。低音に旋律が移って、B−D−Es/D−Es−B.と3/2拍子があって、金管の和音2つが鳴るところ。
スコアによると、大太鼓のみが2/2拍子の2拍目に、どソロでドカンと入る箇所。
大太鼓のパート譜はちゃんと3/2拍子の2拍目に入っていて、低音と連動しているのですが、今回は、指揮者の解釈により、スコアに従って、オケの和音の隙間に(個人的には大砲をイメージして)派手にドカンといれてみました。隙間故に、単なる叩き間違いと思われたくもないので正々堂々、オーバーにやらないと・・・・という理由もあり。
ただ、個人的には、スコアは誤植で、パート譜が正解でしょう。弦、木管の動きを見ても(ピアノ原曲を見ても)、先行するティンパニのEsの2つの音と等間隔で低音の動きの補強として大太鼓を位置付けるのが良識的な判断か?というのが率直なところです。ムソルグスキーの原曲にないのですからラベルが何故そこにその大太鼓を入れたか、その意図もいまいちわかりませんし。
ただ、大太鼓の、この異質な、1小節を2等分する一撃を、続く小節の金管の2つの和音を先取りする役割と考えれば、この大太鼓のソロ的な一撃も充分解釈としては面白いものかと思います。3/2拍子的に低音が1小節を3等分するも、大太鼓がそれに異議を唱えて1小節を2等分するや、続く金管はそれにつられて1小節を2等分してしまう。さらに低音は再び3等分・・・・その繰り返しの後に、結局、大太鼓の異議が通って、最後の2/2拍子による主題の大々的な再現と相成る・・・・。なかなか面白い効果です。
しかし、これをやる時は、楽譜に忠実なテンポ設定をしなきゃ意図が伝わりません。すなわち、よく(聞き覚え的には)、その金管の2つの和音がほとんどフェルマータがついているかのごとく長く演奏されますが、それでは、1小節の2等分・3等分のせめぎあいが聞こえないのです。この解釈でいくなら、楽譜通り、Poco a poco rallentando を厳守すべき。少しづつゆっくり、なわけです。唐突にフェルマータがつくは、最後に異常な粘りをつけるは、では楽譜の忠実な解釈にはなりません。
結論。打楽器奏者としての個人的な意見としては、スコアは誤植とみなし、パート譜の記譜を採用したい。でも、スコアの記譜を採用するならテンポ設定は楽譜に忠実にする。・・・ただし最終的には指揮者の判断には従います。
ということでしょう。最近、ハーディング指揮のドイツ・カンマーフィル・ブレーメンのコンサートに行き、ブラームスの3番の聴き慣れない演奏を聴いたところです。そしてNHK−教育TV(芸術劇場)でも彼のインタビューをやっていて、いかに今の指揮者たちが、フルトヴェングラーあたりの往年の巨匠の演奏にひきづられて、楽譜を詳細に検討する事無く、なんとなく作られた伝統のなかで勝手にそれが流儀として通ってしまうことに対しての挑戦を語っていました。
この「キエフ」の最後のテンポ感もなんとなく作られた伝統という感じもします。解釈はいろいろで構わないと思いますが、一度、楽譜を冷静に見つめなおすのも、指揮者として奏者として大事な事なのだろう、とハーディングの話を聞きつつ、「キエフ」を演奏しつつ思ったところです。
ちなみに、他の例として、チャイコフスキーの5番のフィナーレの序奏から主部に入るティンパニのロール・クレシェンド。これも、思いっきりクレシェンドして最大音量かつアクセントを小節の頭につける演奏がなんとなくイメージにありますが楽譜にそんな大袈裟な指示はありません。一度ご確認を。私が自分のオケでやったときも楽譜に忠実にやったところ(その時の指揮者、寺島康朗氏も楽譜に忠実な演奏を目指していました)、指揮者からはなんの指示もありませんでしたが、団員からは、もっと派手にやらないの?、(きっとカラヤンの演奏を聴いて、だと思われるのだが)あのティンパニがカッコイイ。などといろいろ言われました。
私個人の資質として、他人のマネはあんまりしたくない。自分なりの、自分でなきゃできない・やらない演奏を目指したい、という多分にあまのじゃく的な性質なので、いろいろ考えて演奏しているつもりです。
今回の「キエフ」を例にとって、アマチュア打楽器奏者の舞台裏など紹介してみました。漫然と叩いてるだけじゃなくって、いろいろ頭使ってスコアとにらめっこしつつ、(プロと違って)たった一度になるかもしれないその曲の演奏に全力投球しているんだ、ということを伝えたかったわけです。
なお、この話題については、今回の指揮者の解釈が誤っているとか、そういう意図は全くありません。解釈はさまざまあってしかるべし。
ただ、演奏にあたって、なんとなく聞き覚えで、とか、下手すれば何も考えずに無意識に楽譜からはずれた演奏をしたり、という態度ではなく、自主的にまず自分の解釈、というのを考えたい、というのが私のスタンスです。その解釈と解釈のぶつかり合い、そして統合の上にオーケストラの演奏は成り立ちます。偉そうにのたまってしまって恐縮です。でも、こういうスタンスだからこそ、私はオケの打楽器奏者、やめられません。とても楽しいんです。・・・自分の職場では、こんな露骨な自己実現、まだまだ出来ないしね。
さて、これから上記の「寺島」先生の指揮による練習へ向かう。明日また本番。いい演奏したい。(2001.12.15 Ms)
まだこの項、続けます。
今回のコンサート、自分にとっては、とても感慨深いものがあった。特に幻想交響曲第4楽章、ティンパニ・デュオ。この作品は何度かいろいろなパートを演奏をしているし(最近では、盟友清流氏とのバスドラム・デュオ・・・名古屋シンフォニアさんにて、これはこれで思い出深いなぁ)、ティンパニも蒲郡フィルでエキストラながらやらせていただいた。今回はSさんとの15年来のデュオを本番に乗せるということで感激である。結果として、2人の合わせ、については、私の側としては何の苦もなく、サラリと完成したような気がする。それも、長年のおつきあい、何度もの共演あってのことと考えている(Sさんの側はそうでもなかったら、どうもスミマセンでした)。とにかく、演奏しやすく感じた。私もいろいろな団体でいろいろな人とやらせていただいて、どうも、この人とは合わせにくい、とか、完成品に持って行くまで苦労する人とか、様々な経験がある。今回のデュオを通じて、やはり、奏者同士の相性というのは確かにあるな、と再確認できた。常にこうありたいものです。ホントにSさんに感謝です。
他に面白かったのは、「タイプライター」。前に出て、左右2人でフレーズ交互に叩くという趣向。タイプライターを演奏するのは初めて(と言おうか、触るのも初めて)で、これが以外と難しい。キーを誤って2つ以上同時に触れてしまうと、すぐ絡まってしまう。よほど慎重に一つ一つのキーを叩かなければならない。そういう意味で2人でやるのは、予防線が張れてやりやすいのは確かだ。この方法、オススメです。現実に、文章を作り上げることはできないのだけれど、演奏終了後に、素早く立ち上がり、用意していた印刷物など高く掲げれば、いかにも、いま打ちました、なんて感じで演出もまずまずだったと思う。
個人的には、最後の「フィンランディア」と「結婚行進曲」がシンバル担当ということで、思いきり、奏法なり、表現方法、表現の幅(音量とか音色とか)なりを変えて演奏してみた。同じシンバルでこれだけ違うんだぞ、という主張を込めてみたのだが、ビデオで確認する限りは、ややイマイチかなァ。特にフィンランディアはもっとゴージャスに鳴らしたつもりが、あと一歩か。こんなことなら、素直に違うシンバル用意すりゃ良かったか?ちょっと後悔。結婚行進曲は、それほどのゴージャスさは必要ないし、こんなところで許してくださぁい。ただ、全部の音がフォルテというのも能がないし、最後に向けて盛り上げるような配慮はしてみました。
反省としては、こんなところです。ただ、今回残念だったのは、打楽器、音大生のトラが来ていましたが、どうも、展覧会も幻想もその他いろいろ、曲をご存知ないようで、練習時から本番まで滅茶苦茶やっていたこと。指揮者の方の忍耐力には頭が下がります。本番もハラハラもの。随分オチてたなァ。こちらの集中力も減ずるほどだ。彼女達の将来を案じてもしまう。少子化時代、最近は大学も入りやすくなっているみたいだし、こんな音大生もいるんだ、気をつけなきゃね、特にアマオケの皆さん、要注意ですよ。
ちょっと冷却期間をおいて書く必要がありました(2002.1.7 Ms)
November ’01
11/10(土) 名古屋マンドリン合奏団 第43回定期演奏会
11/10、名古屋マンドリン合奏団賛助出演。打楽器大活躍の曲だらけで、なかなかに楽しく演奏できた。
その演奏会にて面白い発見あり。今年は、鈴木静一なる作曲家の生誕100年とのことで、今回の演奏会でも、「鐘の港」「スペイン第2組曲」の2作品を演奏。大学生の私が打楽器賛助としてマンドリンオーケストラに出始めた頃、「失われた都」という九州大宰府の栄華と滅亡を描いた作品がとても印象的で、気にはとめていた作曲家ではあった。今年の記念年に東京でも演奏会もあったようだ。
さて、コンサートのパンフレットに彼の年譜があり、それを見ると、なんと、「シベリウスに面会」という場面が1930年前後に二度もある。そして「蝦夷」なる作品の助言を受けたとあるではないか。シベリウスと日本人作曲家との生の交流・・・・なんと素晴らしいことだろう。このあたりのいきさつなどとても興味がある。HPでいろいろ検索するに、1940年代にはシベリウスへの入門も許可されたとのこと・・・・ただならぬ関係である。私的には、芥川也寸志はじめ「3人の会」と同列なほどに、一気に気になる日本人作曲家の一人にズームアップされる機会となった。今後も気にしていきたい。
「たぶん・だぶん」より転載(2001.11.11 Ms)
・・・・と、これくらいで軽く流しておこうと思ったのだが、これも何かの縁だ。「私とマンドリン音楽」なるテーマでも、今回初めて語ってみようか、と思った次第。ただし、その筋の人からは、物足りない、たいしたことのない記述となろうが、今まで私のHPに訪れていただいている方々の大部分は、あまりご存知ない分野かもしれない。私の邦人作品熱とも多少リンクする話題でもあるし(今回の鈴木静一の年譜は、かなり私の興味をひいているのは確か。我がHPの大きな柱の一つ、北欧音楽と、日本の音楽が接点を持ち得たという発見はなにかしら嬉しいもので・・・)、今回、打楽器的にも楽しいステージではあったので、自分の演奏のことも触れながら、この名古屋マンドリン合奏団定演を契機にいろいろ書こうと思ったのだ。
ちなみに、当団は、通常「チルコロ」と呼ばれていますので、以下、チルコロさんと書かせていただきます。当団のイタリア語表記が、チルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤであることからなのですが、「チルコロ(Circolo)」とは、英語で言うところの「サークル」という意味だったと思います。
大学時代より、私は、オーケストラで打楽器をやっているのだが、その頃から、ギタマンへの賛助はちょくちょく依頼があって、いまなお、ごくたまにお声がかかります。ありがたいことです。ギタマン、と私達は通称しておりますが、ギター・マンドリン・オーケストラ、という合奏形態、その名のとおり、マンドリンとギターを主体にしています。ただし、マンドリンのみならず、それをやや大きくしたマンドラ(バイオリンに対するビオラという感じ)、さらに大きくしたマンドリンチェロ、さらに、低音の補強の役割でコントラバスも加わります。
これが標準的な編成で、随時、私達のような打楽器、そして、管楽器(フルートはよく使われる。ただし、金管は稀。確かに音量の小さな楽器主体のアンサンブルだから当然か。)などが加わります。今回のチルコロさんは、木管楽器4種とも使用、ダブルリード楽器まで加わるというのはやや贅沢な編成という感覚があります。さらにピアノもありました。
レパートリーとしては、三つの大きな柱があります(私の分類ですけれど)。
「イタリアン・オリジナル」というのかな?(間違っていたらご教示下さいませ)ギター・マンドリンというアンサンブル形態の故郷、イタリアで、だいたいロマン派から20世紀にかけて作曲された作品群。オーケストラでいうなら、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンあたりの古典派に相当する存在でしょうか。イタリア的な旋律重視、わかりやすい作風なものが多いように思います。ただ、オケにおける古典に比べれば楽曲の「構成」はやや弱いような印象はあります。ソナタ、というよりは、組曲、という感じでしょうか。
つづいて、「編曲もの」。バロックから古典、ロマン派、現代に至るまで、オーケストラのみならず、ピアノ曲、弦楽合奏曲などいろいろアレンジして演奏されています。楽団員の方が自らアレンジされる場合も多いようです。チルコロさんも然り。
最後に「オリジナル現代もの」といいますか、特に日本で前世紀後半以降、作曲されたオリジナルもの。ただ、あまり馴染みのある作曲家による作品は多くないようです・・・・池辺晋一郎、吉松隆らも確か書いていたような記憶がありますが、そういった作曲家は稀で、大部分はギタマン界では高名な作曲家によるもの。中には、作曲家として身を立てているわけではない、学生、日曜作曲家の方の作品が全国各地で取り上げられている例もあります。
あと、当然ながら最近のヒット曲、ポップス系も適宜演奏はされています。
レパートリーの大枠は、吹奏楽の世界との類似もありますね。吹奏楽発祥の基本形、「スーザ等のマーチ」、そして「編曲もの」、「現代もの」、という感じで。
一応、初心者の方のためにもこれだけ前置きしておいて、チルコロさんのコンサートの感想など綴っていきますか。
(2001.11.13 Ms)
<第1ステージ>
組曲「ナポリの風景」 Culotta作曲
いかにも、というイタリアン・オリジナルですか。タランテラ風6/8拍子に始まり、緩やかで大らかなカンツォーネ風な旋律、静かな緩徐楽章、そしてフィナーレはファランドール風なリズムにのったお祭り騒ぎ。馴染みやすい作品。最初の6/8の細かな動きがやや指が回りきらない感じもしましたが、軽快に流れていきました。タンバリンも楽しく演奏させていただきました、が、どうも、曲の性質上、ティンパニや大太鼓は削除しても良さそうな雰囲気ではあります・・・・常々思っていますが、オーケストラにおいては(特に、近現代ではなく古典では)、ティンパニは、低弦さらにトランペットとのバランスの上に成り立っているわけで、ギタマンでのバランスが取り難いのは確かです。今回もコントラバス2台ですし。かなり突出してしまうんです。この辺り、思いきって、削除したり、手を加えたり、ということは編成の大きさによってはいろいろ考えるべき課題は多かろうと思ってはいます。
Prelude2 吉水秀徳作曲
大阪市立大ギタマン出身の方のようですね。賛助楽器なしです。現代的というか同時代的な感覚(前衛的な不協和音というよりは、ポップスも含めて現代という時代に最もよく耳にするような音楽の類との関連性)がとても聞きやすく感じられます。楽器もよく鳴っている、という印象。団員の皆さんも最もノッて弾けたのではないでしょうか?
組曲「鐘の港」 鈴木静一作曲
(あとで)
<第2ステージ>
歌劇「セビリアの理髪師」序曲 ロッシーニ作曲
今回のコンサート、スペインがテーマのようです。第1ステージでも冒頭、「ナポリ」でしたが、第2ステージは全てスペイン関係。
まずは、お馴染みの名曲の編曲もの。やはり、イタリアものはこのギタマンサウンドに合いますね。また、木管も4種使って、色彩的な変化もあってあまり違和感は感じませんでした・・・・たまにとても違和感のあるアレンジに遭遇する事もありますので・・・・この編曲、ファゴットの存在がかなりいい雰囲気を醸し出していました。さて私は意味不明なティンパニ担当。オケ原曲もそうですが、まるで、パート譜のなか1ページが紛失したかのような不自然な出番です。なぜこんな楽譜なのかロッシーニに尋ねたいくらいですが・・・。
スペイン組曲第1曲「グラナダ」 アルベニス作曲
原曲はピアノ曲で、ギター編曲も有名のようです。激しいリズミカルなものではなしに、のんびりとしたうららかな雰囲気がいいですね。シエスタ(昼寝)を思い出しました。ただし、私は寝ていられません。最後に6小節だけ鉄琴が。
アルハンブラの思い出 タレルガ作曲
これまた、有名曲ですね。名曲アルバムって感じ。表情豊かな演奏で、今回、最もレベルの高い演奏と感じました。1音1音大切に、歌心に満ちたもので「癒し」を感じます。
狂詩曲「スペイン」 シャブリエ作曲
これは困った。やはり、管弦打の色彩感豊かな原曲と比べるなら、いくら木管打を動員したところで違和感は拭えない・・・・さらに、ポリリズムの複雑な錯綜したリズム感がよたよたしてしまうんです。私も乗りきれず。また、打楽器5人を要する原曲、今回3人でやれるだけやってしまいました。これはこれでおおいに楽しめましたが、残念ながら消化不良です。特に最後、タンバリンがずっと主要リズム・モチーフを弱音から息の長いクレシェンドで盛り上げる辺り、その前の段階でややアッチェレランドがかかりつつも、テンポの共有がなされず、テンポの探りあいをしながらタンバリンを叩く羽目になったのは辛いです。ホント、私、よたってしまいました。恥かしい限りです。ただ、この曲、原曲、ブラス、ギタマン、と3種制覇は達成・・・自慢にャならんか。
スペイン第2組曲 鈴木静一作曲
(あとで)
(2001.11.19 Ms)
May ’01
5/31(木) New Artist Classic Stage No.2 「アンサンブル・セルメール」
5/31、名古屋出張のついでということで、珍しいストラビンスキーのコンサートに行く。
TV愛知の主催による、New Artist Classic Stage なるコンサート、若い演奏家をフューチャーしての企画、今回は名古屋では異例なオール・ストランビンスキー・プロ。メインは、朗読も入れての「兵士の物語」全曲。前半は、新古典主義の佳作、「管楽八重奏曲」。素晴らしい!!
とにかく、「兵士」がむちゃ良かった。語りも凄い(名古屋オペラ協会会員、鏑木勇樹氏)。声色変えて、雰囲気たっぷり、悪魔の役どころはツボにはまっていた。もちろん演奏も良い。こんな難曲、よくぞやってくれた。特に管の技巧は壮絶、これを楽しく聴かせてくれたのは良い。やはりストラビンスキー、拍子感は複雑怪奇、和声も?ながらも、なぜか雰囲気は楽しい・・・・このあっけらかんとした、でも楽しさ一杯のいわゆる現代音楽、魅力にすっかり取り付かれた感がある。照明にもこっていました。最後、悪魔の高らかな笑い声とともにステージが真っ赤に染まり、終曲の「悪魔の凱旋」が始まった時のショッキングさは忘れられない、身震いがした。
指揮は、名古屋近郊アマオケの指導でもすっかりお馴染みの吉住典洋氏。危なげなくこの難曲を仕上げていました。今後もこういった挑戦的な企画、是非続けてくださいね。
協賛のトヨタホームも頑張れ。協力のメルシャン、休憩でのワインサービスごちそうさま。ワインのおかげで、「兵士」の楽しさも倍増だった?
それにしても、年始早朝のクラシック番組も良かったが、TV愛知、やけにやってくれる。もっともっとこういう企画、バシバシやってほしいね。
(2001.6.3 Ms)
5/13(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第20回定期演奏会
蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 2001年5月13日(日) 開場1:30pm 開演2:30pm R.シュトラウス 聖ヨハネ騎士修道会の荘重な入場
(アンコール) ドビュッシー 亜麻色の髪の乙女 指揮 山本訓久 Vn独奏 福本泰之 1:40pmよりプレトーク&プレコンサート 「現代音楽はこわくない!?」 (プレコンサート演奏曲) ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲より |
いつものことながら、充実した演奏活動を続けている蒲フィルさんに、今回も合流させていただきました。打楽器奏者としては、さほど出番のないコンサートながら、また、いつものことながら楽しくお手伝いさせていただきました。ありがとうございます。
今回の私のテーマは、「最後に笑うのは俺だ」です(?)。今回は、各曲、最後に合流するのが常に私、という役回り(出番のないシベリウスは除いて)。
まず、今回が日本初演、かもしれないというR.シュトラウス、私の担当、小太鼓は最後8小節のみ、ひたすらロール。
小組曲は、タンバリン。第4曲のみ。
ボレロは、銅鑼。これまた最後の数小節のみ、かつ、打楽器群の中でも駄目押しの3拍目、ドン・シャン・グヲーンの大太鼓、シンバル、銅鑼の最後なわけです。
アンコールは俄然、張り切って、「乙女」は、「牧神の午後」的な、アンティーク・シンバルで要所を押さえつつ、最後は私の一発ソロで終わり。
駄目押し、ザンパはとにかくガチャガチャ鳴らしまくるトライアングル。
トータル的に、最後に笑う・・・・というか、(最後に笑われるのがオチか?)、いつまでたっても座ってるけどあの人何するのかしら、と思わせつつ最後はめでたしめでたし、という按配なコンサートだったわけです。
さて、蒲フィルさん、設立20周年、そして今回20回定演、さらに2001年ということで、「20世紀プログラム」と銘打ってのコンサート。なかなか私的には楽しめました(小中学生には、少々難しかったかな・・・・会場の雰囲気とアンケートを見た限りでは・・・・)。
まず、プレコンサート。現代音楽レクチャー。音楽の授業の開始のピアノ和音にて開始。この、ドミソ・シレソ・ドミソ、と言う古典的な機能和声の崩壊をワーグナーに聞き、その他、12音、セリーの音楽、そして民俗音楽からのインパクト、そして、ジャズからのインパクト、といった具合に20世紀音楽の大雑把な説明を、指揮者の山本先生のお話と蒲フィルの選抜メンバーの演奏で。
ドビュッシーの「ケークウォーク」は、オケ版での演奏。中間部に「トリスタン」のパロディがあるというのも、にくい選曲だ。このドビュッシーから、本日の演奏曲の解説へとスムーズに話は移行。・・・今回は、プレ・コンサートというより、レクチャーとしての色彩が強くて、啓蒙的な企画でした。ちょっとリラックスしてコンサートへの導入を、という雰囲気にはなり辛かったでしょうか?でも、なかなかクラシック界では、20世紀の音楽を聴く機会も少ないし、こういった企画も意義はあります。今後もいろいろ趣向をこらしての企画を楽しみにしたいと思います。
さて、プログラム。
R.シュトラウスの作品は、日本初演かどうか調べられなかったものの、多分そうだろう、との山本先生のお話。CDは、小澤の「アルプス交響曲」の余白に入っているのだが、これは原典版、金管とティンパニのみの版らしい。今回は、R自身の編曲によるオーケストラ版。CDは見つかりませんでした。
曲は、いかにも機会音楽らしく、華やか、かつ重厚な感じ。ですが、レクチャーで聴いた、ドミソ・シレソ、の古典的感覚から抜けきれていない、前世紀(19C)的なもの。主和音の分散和音をファンファーレ風に金管楽器が模倣していく。それがどんどん盛り上がってゆく、という趣向の曲。途中、「マイスタージンガー」風な、タッタカター、という合いの手もあったりして、ワーグナー万歳ってかんじもしつつも、音楽的には、「隠れ名曲」だ、とまでは主張できない程度の作品か。・・・そう言えば、かの有名な「英雄の生涯」の冒頭にしたって、ベートーヴェンの「皇帝」の冒頭ピアノカデンツと同じ和音構造だったりして、やはりR.シュトラウスは、19世紀をひきづった作曲家であることは再認識できた。
続く、シベリウス。なかなかアマチュアではやってくれません。確かに、オケも、ソロも難曲ですし。今回の挑戦、大健闘、と称えたい。
音楽的には、R.の後だと、シベリウスの和音感覚が、古典にしばられていない、というのがよくわかる。不協和感は少ないにせよ、和音の解決感、よりは浮遊感をより感じさせる・・・これは、まったく違った感覚ながらも、続くドビュッシーもそうなのだが。音楽史上のシベリウスの位置、というものが何となく浮かび上がるような選曲、並び方であったということか。
休憩をはさんで、フランス・プログラム。小組曲。アマオケとしても、フランス音楽入門的存在としてよくとりあげられる(ベルリオーズ、ビゼー、サン・サーンス等々では、おフランスになりきれない。かといって、ドビュッシーやラベルのオケ作品も手が出ない、という我々にとっては、幾分手軽な、いわゆる近代フランス、印象派へのチャレンジの作品となっている。)。
蒲フィルさんも、山本先生のタクトのもと、フランス的なムード、うまく漂わせていました。棒も結構いやらしく、まるでピアノ曲を作るような、微妙なテンポの変化の連続。それを奏者一丸となって、弦楽器のエキストラさんまで念入りな練習を積み重ねてここまで作り上げていったのには恐れ入ります。私も奏者として、うまく、団員の皆さんの作った世界に乗り込むことが出来ました。
最後は、お待ちかねな「ボレロ」。正直、客席の雰囲気としては、緊張感の欠如は見られていたのですが(特にシベリウスを客席で聴いていてそう思いました。学校の先生である団員の方も多く、小中学生も多くいましたが、やはり辛いところはあります。)、この曲だけは、客席からの緊張感が感じられました。
管楽器のソロもそれぞれ、キャラを生かした印象的なもので、それを支える小太鼓も、沈着冷静、確実な演奏(芸大生に応援に来ていただいたのは正解であったと思います。)。個人的には、エス・クラ、ホルンのソロに祝杯を上げましょう。良かったです。プロだと思われるサックス2本もさすが、水を得た魚的なソロなわけですし、色っぽく、感動させてくれました。
最後の駄目押し、ホ短調への転調からハ長調へ戻るところ1拍で猛烈なリタルダンドがかかったのは壮絶な印象。こんな演奏は聴いたことない。小太鼓もかなりやりにくかったでしょうが、オケ全体がうまく粘って、その解決の大太鼓の最初の1発が快感!私の銅鑼も、ふと、オーケストラ・ダスビダーニャのショスタコの12番「1917年」の演奏がよぎりつつ、かなり燃えました。最後の一発も、すぐ消さなきゃいけないこともあって躊躇しがちな音符だと思いますが(鳴らしすぎるとすぐ止められない)、今回のテーマ「最後に笑うのは俺だ」に従って、躊躇なく鳴らし、全身で楽器に抱きついて自分としては効果的な1打を演出できたのでは?と思っていますが、さてはて。
(あと、今回感じたのは、ニールセンの5番がボレロに影響を与えたのか?という問題。これは別途触れておきたいですね。)
アンコールに先だって、山本先生がマイクを持ち、蒲郡出身で、蒲フィルの音楽顧問でもある先生から団への20周年のプレゼントとして楽譜を贈呈、それが、「亜麻色」のオケ版編曲。とても柔らかな雰囲気の素晴らしいアレンジでした。私の、アンティークシンバル(Ges)も効果的に書かれていて、キラッと存在感を与えるような音色を出すよう工夫したつもり。
最後は、これは、19世紀にもどってしまったのでしょうが、最近では珍しい「ザンパ」。思いっきり速く、威勢の良い演奏でした。とにかく、ガンガン、いってまえ、という演奏。結構好きだなあ・・・弦、木管の皆さんはホントご苦労様。
今回も、私の演奏歴の中でも、心に残るコンサートとなりました。今後も、さまざまな趣向で、お客さん、そして団員の皆さんとともに、楽しむことが出来れば幸いです。
「プレコンサート」 ちょっと暗めでわかりにくいかな。 ガラスごしに、ずっと中を見ていた一人の子供の姿が印象的でした。 |
「シベリウス ヴァイオリン協奏曲
リハーサル風景」 いつか、この曲のティンパニは演奏したいですね。ホント、素晴らしいパート譜ですよ。 こんな重要な役回り、かつ、微妙なアンサンブルに満ちたティンパニ、そうそうありません。 4月のN響の、テツラフのソロの勇猛果敢な演奏にも慣れてしまったところでしたが、 |
本番 「休憩中」 打楽器のセッティングも終了。最後の調整もぬかりなく。 アマオケにとっては貴重な財産、チェレスタもティンパニ前方に配置。 チェレスタ使いたい放題なアマオケって珍しいでしょうねぇ。 うらやまし。
|
とうとう懸案事項であったデジカメを入手。今後、我がHPも多少は、見やすいものとなりますか?
とりあえず、今回試験的に活用してみました。
あと、今までの蒲フィルさんとのおつきあいについては、こちら(2000年5月)、とこちら(1999年12月)も良かったら見てください。
(2001.5.19 Ms)
デジカメ映像を追加(2001.5.21 Ms)
January ’01
1/21(日) 2001岐響 New Yearファミリーコンサート
記録的大雪で大変だった1/20、うってかわって翌日はからりと快晴。はるばる北国(?)、岐阜まで遠征し、標記のコンサート鑑賞。盟友清流氏が企画に携わっているということもあり、今回は趣を変えて、企画に対する感想を主に述べたい。
雪によるスリップで、前日は車で小さな事故をしてしまい、当初車での遠征を予定していたものの、急遽電車でということに。我が自宅付近は雨だったのだが、岡崎から銀世界、名古屋を超えて、木曽川を渡るや、川原は一面真っ白・・・・なんだか、ヨーロッパへ行く飛行機の道中、眼下に広がるシベリアの大河を思わせ、これからショスタコーヴィチとチャイコフスキーが待っている・・・と思うだけでもわくわく。バッグの中には、名古屋で借りた、ショスタコーヴィチ全集のスコア1冊・・・ロシアへの旅、とすら錯覚するようなテンションで岐阜への県境を超えた。
さて、今回のコンサート、「水・人・音楽」というテーマ。団伊玖磨の作品を全国で演奏すると言う、「DAN YEAR 2000」の一環としてのコンサートでもあり、ご当地の作品、交響詩「長良川」が演奏される、ということは事前に決定していたとのこと。
プログラムの詳細は以下のとおり。
1.ショスタコーヴィチ 「祝典序曲」 2.ヘンデル 「水上の音楽」(ハーティ版)より3曲 3.スメタナ 交響詩「モルダウ」より (冒頭より「モルダウのテーマ」まで・・・つまり「狩猟」の手前で終わり) 4.シュトラウスU 「美しく青きドナウ」より (序奏と第1ワルツ) 5.団伊玖磨 交響詩「長良川」 (休憩) 6.ウェーバー 歌劇「オベロン」序曲 (ジュニアオケによる演奏) アンコール.シュトラウスU 「雷鳴と電光」 |
という具合。さて企画に対する、私の個人的感想、まず好感を持った、素晴らしかった、という点。
ボルガ川、ドン川の運河開通のための「祝典序曲」にかこつけて、カッコ良く、新世紀最初のコンサートの幕開けとしたこと。
ご当地の作品、「長良川」をファミリーコンサートという、様々な人の集まる機会に演奏する企画自体が○。団作品などそうそう聞けない。地元の方々もそんなにこの作品の存在も知らないのでは。こんな作品があるんだよ、と知らせるだけでも大変な意義深いことだと思う。また、DAN YEAR企画としては東海地区唯一の機会。という意味でも素晴らしい。この企画の小冊子も購入できました。これから団作品もしっかり勉強したい。ちなみに私は、彼の交響曲第4番が好きです。とってもカッコイイですよ。
恒例となっているという、ジュニアオケ演奏、並びに、指揮者コーナー。これが定着しているのも良い。理由は書くまでもない。指揮者コーナーはとにかく楽しかった。清流氏もちゃっかり、鍛冶屋パートで目立ってたしなぁ・・・。
白鳥の湖は、かなり詳しい内容のナレーション付き。演奏も熱演だったが、ナレーターも熱演。これほど詳細なナレーションを付けての演奏は、白鳥のみならず、他の曲でも私は体験した事はない。台本も、リキ入ってましたね。ストーリーにのめりこむ事ができました。
ということですが、逆に気になった点、改善点と思われるところ。
実は、上記の良かった点、これが集積した結果が、私にとっては今回のプログラムにおける最大の短所、と感じたのだ。清流氏には申し訳ない・・・しかし、今後のこともあろうので、正直なところを書きます。少々辛いかもしれないけど、一つの意見として収めて頂ければ幸い。
私の感覚から言えば、コンサートの時間は2時間以内かな。集中して音楽を聴けるのはこれが限度、私には。今回は2時間40分・・・やはり長さを感じてしまう。前半1時間、休憩はさんで後半1時間20分、特に後半の長さが辛かった。とにかく残念だったのは、熱演の「白鳥」が、演奏会開始より2時間を経過してからの出来事であったこと。熱演であればあるほど、早く終わらないか、とさえ正直感じてしまう(ごめんなさい)・・・・せめて、演奏会開始より1時間半くらいから始まって欲しかった。とても良かった、と理性では後から思うものの、リアルタイムでは、体は疲れ、集中できなかったのがとても残念・・・。
今、私のオケでも企画モノのコンサートの練習中だが、その企画プロセスの中でも私は何度か主張してきたのだが、司会者を入れるコンサートなら、正味演奏時間は、前半後半30分づつ、トータル1時間くらい用意しておけば充分と考えます。定演よりも余裕をもった練習により、技術面もより確実とし、また、観客サービスという面で、可能なら2曲くらいアンコールをプレゼントできたらベスト、と考えます。
始めて会場に来る人も多い、と仮定すれば、なるべく苦痛を与えないような配慮は必要でしょう。(指揮者コーナーというのはその効果を存分に発揮しますね。リラックス・ムードという意味で良い企画だ。)しかし、慣れない人にとっての最大の敵は、長時間じっとしていなければならない、という苦行かと思います。
それにも関連して、アンコールの選択の件もどうだろう。「白鳥」の燃え上がるようなフィナーレの盛り上がりの後の、「雷鳴」は逆効果かな。しっとりとした曲をまず聞きたかった。「白鳥」フィナーレのすぐ後では、耳が疲れてしまう。演奏は良かった。メリハリのある快演だ。しかし、出す場所がそこでは残念。こういうピリッとくる曲は、出すタイミングをしっかり計算しないと。たらふく食った飲み会の締めの場で、キムチ・チャーハンじゃぁ辛いな僕は。さらりと、鮭茶づけが欲しい。そういう感覚です。
あと、違う観点から。前半で演奏した、「モルダウ」と「ドナウ」のカットの仕方が、少々問題とも感じました。特に、「モルダウ」は、ホ短調の作品が、最後の一音だけ、狩りの場面のハ長調の主和音で、聞いていてすごく気持ち悪かったのですが・・・・。ここは、是非ともホ短調の主和音で「完全終止」はして欲しかったな(あえてホ長調にすることはないけれど)。
それ以前の問題として、曲のカットに付いては、慎重な態度を取るべき、という点。確かに、5分間という制限のあるNHK名曲アルバム、放送時間の制限のある音楽番組の類で、確かにカットはしているがあくまでイレギュラーな措置と考えるべきと私は思います(頭の固い原則論かもしれませんが)。今回、特にこだわってその点を取り上げたのは、10数年前、団氏のインタビューを聞いたことがあるためで、彼の主張として、
「最近は、町に音楽が溢れ過ぎ。聞きたくないときに聞きたくない音楽まで聞かされるのは公害の一種だ。」その例の一つとして、「信号での進めの間の音楽に童謡など、既存の曲を使用する場合があるが、それは作曲家を冒涜するものだ。時間の都合で、メロディーの途中で途切れてしまう、というような使い方は作曲家は望んでいないはずだ」
といった趣旨の事をTVで喋っていたことが記憶にある。その、まさに団氏の作品の前座で、こういった使い方をして良かったのか・・・と不安になったのは私だけだろうか?老婆心ながら心配に感じました。取り越し苦労だけど・・・。
せめて、「モルダウ」なら、「モルダウの主題」再現から、急流を通って終止まで、とか、「ドナウ」なら、第1ワルツから、第2コーダに飛んで終止、とか、終止感のあるやり方を選択して欲しかったかな、とは思いました。細かい事でスミマセン。
以上の点、今後のコンサート企画において考慮の余地として頭の隅に置いて頂けるのなら幸いです。あくまで個人的な感覚ですので、絶対的なものではないのは言うまでもありません。せっかく毎年、このような有意義なコンサートを続けてみえるのですから、さらに、皆さんに親しまれる、素晴らしいコンサートを作っていっていただきたい、と遠くからながら応援しています。また、機会あらば是非とも馳せ参じます。
さて、企画面はこれくらいにして、演奏面についても少々。
冒頭の祝典序曲。早弾き、早吹きの嵐で難曲のこの作品、弦、木管とも善戦していました。ロシア・オケのスピーディさの再現はプロでも難しいからさておき、曲の持つ快活な雰囲気は充分出ていたと感じます。特に、再現部の第2主題再現の辺りのカッコ良さはうまく表現できていました。コーダのバンダは、会場左翼に陣取り(共産主義を意識して?)、客の真横からの側面攻撃、いいですね。ただし、私は2階席に陣取ってしまい、やや、その効果の恩恵にあずかり損ねたかも。
あと、特筆しなきゃならないのは、初耳の「長良川」。とてもわかりやすいメロディーに満ち、聞き心地のよい作品です。ソプラノ独唱が、優しく大らかな歌を歌います。また、鉄琴の活躍が耳に残ります。いわゆる紋切り型な、川のせせらぎの描写や、もろといった感じの民謡導入がないのに、日本的、また、川のイメージを喚起させるのは不思議。もっと演奏してしかるべき作品と感じました。こんな作品を自分たちのオケの作品として、自分たちの郷土の音楽として持っているということは、とてもうらやましく、また素晴らしいことです。これからももっと大事にしていきたい作品ですよね。作品の素晴らしさを不安なく私たちに提示していただけたという点では、今回のプログラムで最も良い出来だったと言えるかもしれません。
そこで、私の感想・・・この「長良川」が、コンサートの最後を飾っても問題ないほどの重量感を持った作品、とも感じました。20分ほどの演奏時間ですし、最後こそ静かに終わりますが、第1部「川のうた」のクライマックス、「ながらがわよ」との叫びと、オケの応酬も迫力あり、また第2部「火の宴」(鵜飼いの情景です)のクライマックスも声楽の歌い終った後に、優しげな旋律が大きく回帰する辺り、聞きごたえがありました。コンサートを閉める役割を負わせた方が上記の問題解決にいろいろ有利に働いたか?とも後々感じたりもしました。また、プログラムに歌詞も掲載されていましたし、アナウンスで、「歌詞もありますからどうぞご覧頂いて鑑賞しても構いません」とでも言っていただければ、歌詞も見つつ、未知の曲ながらもそれほど退屈せず多くの人に楽しんでいただけるのではないかとも感じました(以外とパンフを見ていた人は周囲にいなかったようでした)。私は歌詞を見つつ、その歌詞とオケの伴奏の密接な関係を、情景を思い浮かべながら聞くことで、なかなか興味深く聴く事が出来ました。今後の演奏の際は、ちょっと考慮に入れてもらってもいいかもしれません。ただし、派手なアンコールは必要かもしれませんけれどね。
ただ、全体的には、1年以上前に聞かせていただいた定演と比較するなら、詰めの甘さが感じられた場面があったのは残念です。例えば、「モルダウ」冒頭は、もう少し丁寧に行きたかったですね。などなど。
しかし、これだけの内容のコンサートを堂々、多くの人々に聞いていただいているのはうらやましくもあり、本当に素晴らしいことなのですから、さらなる、ファミリーコンサートのレベルアップ、を目指してかんばっていただきたいものです。アマオケでこれだけのコンサートを毎年、企画をまとめつつ継続してゆくご苦労、大変なものがあると思います。今後も期待して見守ってゆきたいと思います。
(2001.1.22 Ms)
1/1(月)〜4(木) 新春クラシック番組福袋
新世紀の到来、あわただしくも、また早くも、トピックスに恵まれて大満足。
新世紀の初春と言うのに、TVはろくな番組がやっていない。そんな中で、大健闘なのがクラシック音楽番組。見逃せないもの多し。こんな毎年豊作であっただろうか?私のこの新春を、早くも総括したい・・・1/4から出勤な私。とうに正月気分はなくなっています。
<1> 1/1 ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート
毎年恒例なウィーンフィル。恥かしい事に去年初めてTVにて鑑賞。シュトラウスものばかりというのに興味が高まらなかったのだが、去年はなんとなく見てしまった。その1,2ヶ月前に蒲郡のオケでシュトラウスを特集し演奏した事もあり、ポルカ「ハンガリー万歳」にも感激し、去年以外と楽しく聴けたこともあり、今年も見た。第1部はBSで。第2部から教育TVで。
今年の目玉は、やはり、ラデツキー行進曲のオリジナル版。さすが、アルノンクール、目の付け所、面目躍如たるものあり。なぜか6/8拍子系な小太鼓ソロに先導されて、やや乾燥した響きの、聴きなれたものよりはゆっくりめなラデツキーが始まる。オーケストレーションが、より実用的な行進曲らしく、リズムがかっちりと聞こえ過ぎるようだ。たとえば、主部の真ん中に出る主題の背後で聞こえるはずのホルンの白玉音符のハーモニーはない。旋律以外はひたすらリズムだけの伴奏、てな感じ。弦の中でも、行進のリズムを強調する、音程を跳躍する動きが目立っていた。
解説に寄れば、シュトラウス父が演奏したであろう形に近いと推定される楽譜による、とのことで、さすが、この手のポピュラー名曲、初演からして大成功だったのだろうか、いろいろ海賊版も出回って、オリジナルな形が散逸してしまったということであろう。興味深い試みではあった。
その他、ヨーゼフ・ランナーの作品も取り上げたのが目新しいところらしいが、曲としては、私にはつまらないものと写った。シュトラウスよりは洗練されず、より民族舞踊的な素朴さにはあふれていた。ただし私の興味関心が向かうところではなかった。
シュトラウスU世の有名曲としては、ポルカ「観光列車」が楽しい。しかし、打楽器奏者の私としては、
汽笛はどんな楽器?とか、
シュッシュッというレールの音を出すにはどうする?
といった、ごく技術的な疑問があって、演奏する映像を期待した所、機関車の走る映像がかぶさっていて、その編集方針に対しておおいに不満である。不満と言えば、鬼才アルノンクールの事、ここは一発、ショスタコーヴィチ編曲の「観光列車」というのも良かったかもしれない・・・来年のオザワあたりに期待するか?
期待ついでに、私の妄想。変化球ばかりのウィーンフィル風ニューイヤー・コンサート、なんてのもいかがだろう。上記のショスタコ編曲のポルカ、シェーンベルク辺りが室内楽編成に編曲したワルツ。さらには、シュトラウスのパロディ作品オンパレードはいかが?シュトラウスでも、リヒャルトで、「バラの騎士のワルツ」、マーラーだったら、交響曲第7番第3楽章の、爛熟しきった後のオーストリア帝国の文化を彷彿とさせるパロディとしてのワルツ。派手なフィナーレを飾るのは、もう少しまっとうな作品として、ラベルの「ラ・ヴァルス」、舞踊詩「ウィーン」として構想された当曲こそ、パロディ・ニューイヤーを締めくくるに相応しい!!
さて、アンコールは「ドナウ」というのが定番なのだが、その定番。冒頭の弦の囁きが聞こえるや客の拍手が。指揮者のコメントをはさんで、再び演奏は始まる。これを、例えば最初に、ブルックナーの7番第1楽章の冒頭の弦の囁きから、ホルン・チェロの、分散和音系の主題(ドナウと同傾向ではあるな。ハーモニーは違うが。)が沸き起こったら、みんなびっくりするだろう!定番の客の拍手もなく、聞き入っちゃうよなぁ。しかし、30分近いアンコールじゃ・・・あぁバカな妄想・・・。
その他、始めて聴いて興味深かったのが、やはりU世の作品、ワルツ「もろびと手を取り」。某クリスマス・ソングを彷彿とさせるタイトルではあるが、クリスマスというよりは年末に関係がある。友人であるブラームスに献呈された当曲、シラーの詩「歓喜に寄す」から取られたタイトル。ということは、ベートーヴェンの第九とは兄弟作品と言うわけか?
交響曲第1番における第九盗作疑惑をからかったわけでもあるまい。ブラームスのベートーヴェン崇拝をおもんばかってのことか?
曲としては、正直、ややつかみどころのないもの。ブラームスを意識したか、シュトラウスにありがちな親しみやすい旋律線、よりは、複雑な旋律線。重厚な雰囲気すら漂わないでもない。主要な旋律の冒頭が、ミーファソ、と来るのは第九の引用か偶然か?なかなかMs好みな曲解の余地がありそうな作品。第九コンサートのオープニングでやってもおもしろいだろう。
てな、具合で、よそごとばかり考えてしまいがちなMs流、ニューイヤー曲解であった。
<1の補足> 1/1 団伊玖磨氏インタビュー
教育TVのニューイヤーが終わって、ビデオ録画状況など確認し、その後再び、教育TVが写ると、団伊玖磨氏の顔が。10分ほどのミニ番組。新聞TV欄には「家」としか書いていない。団氏の神奈川県の別荘でのインタビュー。海に面した作曲部屋。ピアノは一切使わず、無音の中で楽譜を書き続ける。随想「パイプのけむり」の連載と同様、作曲もまた息の長い仕事である。作品の結論がひらめいて早く先を書きたい、と思いながらも、まずは、目先にある課題を片付けてから次に進まないと。先を急がない我慢、といったことを話されていた。
ショッキングなのが、
「私のインスピレーションは、この私の頭の中にある。」
と頭を指差しつつ、
「さらに、この写真から。」
と言った後、TVに写されたのが、団氏の脳の断面写真。同じもので白黒逆転させたもの、ネガポジ2枚飾られている。自らの脳の写真を見つつ作曲の筆を進める団氏、
「所詮私の想像力は、この限られた空間からしか生まれ出ない。この脳のすみからすみまでを働かせて創作するのだと自分に言い聞かせる」、
と語る団氏。意外な一面を見た。・・・脳の断面写真・・・昨年は、いやというほど私の父のものを見て来た。脳の写真を見つつ、自分の能力の限界と、その限界の中でフル回転させてこそ人間の有意義な営みが成立するのだという奮起が沸き起こるのはなんだかわかるような気がする。今の私だからこそ迫真満ちた言葉として聞こえるのか。
さて、番組の背後に流れていた、力に満ちた音楽は一体何だったのか?当然、氏の作品か?氏の作品の持つダイナミックな力・・・氏の作品もいろいろ聴いてみたい。確か4番の交響曲だったか、FMで昔聞いた、新古典主義的な緻密かつ厳しい作品のもつカッコ良さが忘れられない・・・・作風はきっと違うのだろうが、もうすぐ岐阜県交響楽団さんの、団伊玖磨year協賛のファミリー・コンサート(1/21)、氏の「長良川」の演奏、楽しみでもある。
(2001.1.5 Ms)
<2> 1/2 名曲へのいざない (テレビ愛知の快挙!)
新聞のTV欄に謎の番組。「名曲へのいざない」。テレビ愛知の午前5時ごろ、約1時間半の番組。1/1は見そびれた。「バッハ」とのみ書かれてあった。1/2は「リスト」、まぁ、リストにはそれほど興味はないものの、一度どんな番組か見てやろう、ととりあえず3倍速でビデオ録画。あとで見てみると・・・・。
てっきり、名古屋近辺の地元のピアニストでも出てくるのかと思いきや、思いきり外国の番組。イズラエラ・マルガリートなる女流ピアニストが、暗いスタジオで、次から次へとリストの作品を弾いていた。曲は、「メフィストワルツ第1番」、「愛の夢第3番」、「ハンガリー狂詩曲第2番」など有名曲から「森のざわめき」、「忘れられたワルツ」など聴きなれないものまで。なかなか実力あるピアニストだと思った。映像は古そうだったな。
ただ、カメラのアングルがなかなかなもの。とにかく、視点がどんどん動く。ピアニストとピアノの回りをカメラがぐるぐるまわっていたり、ピアニストの背後頭上からという珍しいアングルあり、ピアノの中身、ハンマーの動きだけ写したり、そのハンマーがフタに写った部分を写したり、面白い映像だ。ハンガリー狂詩曲の冒頭は、ひたすらピアニストの顔だけ写していたりもした。確かに、顔の動きも、旋律の動きを想像させる動きではあるのだが、顔のアップが続くのもなんだかピアニストは嫌がりそうな気もするが。
曲の始まる前には、曲目解説の画面が出る。そのたびにモーツァルトの39番のフィナーレが8ビートにのって毎度流れてくるのはくどかった・・・無音でもいいと思う。ただ、なかなか要領得た解説で、私が特にリストの作品詳しくもなく、充分楽しめる内容ではあった。そして・・・・・、
「ハンガリー狂詩曲」の後、ピアニストは拍手を受けて退場(え、客の前だったの?)、残り30分弱、何やるかと思ったら、
ショスタコーヴィチ作曲 ピアノ協奏曲第1番
素晴らしい!!
まさか、こんなところで会おうとは!!
珍しい映像に出会えたもの!!演奏は、ピアノ独奏、バキシローヴァ 、 ジェイムズ・コンロン指揮、ケルン・ギルツェニヒ・オーケストラ・・・??ちょっとマイナーだなあ。その後HP上で調べたところ、ピアニストはやはり詳細不明だが、指揮者とオケは録音もちゃんと存在し、名の知れた存在ではあるようだ。
肝心な演奏はと言うと、なかなかな快演である。比較的、確実な、速すぎないテンポ設定で、かといって悪くはない。多少のミスは目をつぶって暴走するような、ショスタコ自作自演とは方向性を異にするものの、やはり悪くない。第1楽章の序奏の後の速い部分も、叙情的な美しさが感じ取れる丁寧さで、このテンポ感はなかなか良い。ただ、全体的にソロに言えるのは、ロマン派的なアプローチが強いような気もする。カデンツァ的部分で、テンポの揺れがいろいろあり過ぎ。もっと一気呵成に弾きまくった方がいいのに、と思わせる部分も多々あり。しかし、曲芸的な音の跳躍を確実に当てて行こう、とするなら、インテンポでは無理な部分もあるし、確実性を重んずれば、テンポを揺らすというコンセプトに持っていかざるを得ないのかもしれない。不満といえば不満だが、無理して自爆されるよりは、このコンセプトも説得力あり、か。いいものを聴かせていただいた・・・まさかの展開であるし。オケも無難にこなしている。指揮者は比較的派手なフォームで見てて楽しい。
何が入っているかわからない、福袋的番組ではあったが、見事、おもわぬメッケモンに出会えて嬉しい。この初春、おみくじで大吉を引いたような気分。しかしなぁ、この作品が「名曲へのいざない」なる番組で堂々紹介される事に対して、異常なほど喜びを感じてしまった!!
追記。提供は、地元ではCMでもお馴染み、「吉浜人形」。「吉浜人形」の企業姿勢に拍手だ。こんな素晴らしい番組のスポンサーなんだから。番組制作は、ドイツのTRANSTELなる会社で、音楽企画ドルチェが企画。テレビ愛知やってくれました。年始のくだらない番組の中でひたすら光る存在だったなァ。海外の、演奏会を紹介する番組(N響アワーみたいな)の流用であろうともいい企画である。無名な演奏家でも構わない。正月に限らず、こんな番組あっていいと思う。
<3> 1/3 ズービン・メータ 極彩色の夢を紡ぐ
1/3もTV愛知で早朝、「名曲へのいざない」は放映されるのではあったが、TVガイド系雑誌で確認すると、曲はマーラーの4番とのこと。充分興味はあったのだが、実は、今度は名古屋TVで早朝、「メータ熱演」という番組が放送されるとのことで、どちらを録画するか迷ったのだ。雑誌でもHPでも、その時間枠は「メータ熱演」とあるだけで内容がわからない。迷った挙句、内容がわかっているものよりは、わからないものに賭けてみよう、と判断。メータを録画することとした。
ただ、TV愛知も気にはなったので眠いながらもリアルタイムで午前4時35分確認したら、どこがマーラーじゃ!!どう聞いても、ベートーヴェンの「皇帝」じゃん。TV愛知に賭けずに良かった、と一安心。では、メータは何を?? 期待が高まる。
「ズービン・メータ 極彩色の夢を紡ぐ」と題された、新春特番の形をとり、大阪シンフォニーホールでのイスラエル・フィルのライブ録画。それも案内役は、今をときめく女流指揮者、西本智美さんである。これまたメッケモン、曲は、まず「シェヘラザード」うん、悪くない。さて、残り時間は何を・・・・?
ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第5番
昨日に引き続き、見事、目当てのものばかり詰まった福袋だ。まぁ、1時間半の番組だったので、ショスタコの方は残念ながらフィナーレだけ、という扱いではあったが・・・。まぁ、でも新春早々、「夢を紡ぐ」なんて題しておいて、ショスタコを全曲聴かされても、大部分の視聴者は「悪夢」を見るだけの気がしないでもない、パーっと派手なフィナーレだけで、停滞感ある我が日本の将来への不安をぶっ飛ばすのも悪くないだろう。
やはり、「夢を紡ぐ」のは「シェヘラザード」に任せておこう。しかし、イスラエル・フィルの、「シェヘラザード」とショスタコ5番のカップリング、悪くないね。中近東が舞台の前半プロ。そして、権力闘争、流血も辞さない戦いが背後にある後半プロ。イスラエルの今の状況がなんとなく透けて見えそうでもあるような。
これを新春用のテレビ番組とした、ABC放送、そしてこちらで流している名古屋TVもいい視点だ。2001年と1001夜物語をかけたのだろう、にくいね(ホントか)。
絶大な政治的権力に対決する2人の人間・・・暴君を、理知と愛によって変えさせたシェヘラザード、かたや、暴君を、理知と皮肉によって批判する勇気をもっていたショスタコーヴィチ、この2曲のプログラムは、21世紀の有権者と政治の在り様を深く示唆する素晴らしい内容を備えたものと言って良かろう。こんな新春を迎える事が出来て、大変幸せに思ったのは私だけだろうか?
さて、西本さんの案内は、やはり、伝説の指揮者ムーシン氏からの話も織り交ぜつつ、という形をとっていた。興味深い指摘としては、まず、「シェヘラザード」においては、アラビアンナイトに素材を求めつつも、アラビアンナイトに出てこない題材がある、と。それは、フィナーレの標題にある、「船は青銅の騎士の立つ岩で難破」・・・青銅の騎士の像とは、ぺテルブルグの、ピョートル大帝像のことと言う。
・・・だからどうなのか?
何か深い意味があるのか?
シンドバッドに象徴されるアラビアの中世における大航海時代、イスラムの威力、それが、ピョートル大帝に象徴される近代ロシアによって駆逐される、という裏でもあるんだろうか?
R.コルサコフは海軍軍人出身、ロシア帝国のアジア侵略とリンクしているのが、この「シェヘラザード」なのか・・・だとするなら、ボロディンの「中央アジアの草原にて」に見られる、ロシアとアジアの平和な融合と全く別なメッセージが含まれているという事なのか・・・その辺まで西本さんには聞きたかった!!
ショスタコに関する件はまたのちほど(2001.1.7 Ms)
さてさて続いて、期待のショスタコについてだが。まず、西本さんの案内、体制への反抗、といった側面からの話を主体とし、音楽院でショスタコと同期であったというムーシン氏の交友関係から、この作品は、トルストイの「人間性の回復」をテーマに作曲された、という興味深い内容を含んでいた。
しかし、短い解説の時間の中で、それがどういう文脈で語られたのか?、作品のどういった部分に反映されているのか? は全くわからない。もう少しつっこんだお話が聞きたかったのは確か。
さらに、フィナーレのテンポ設定、四分音符が88か188か、という話で、TV画面に、フィナーレ冒頭のスコアが写ったのは??、
テンポ設定に諸説あるのはコーダじゃないの?
冒頭から188という印刷ミス解釈(バーンスタインはそれに近そうだが)というのは聞いたことがなかったのだが?
お話の中で、明確に、コーダのテンポについて、という指摘が欠けていたので、番組を見る限りは、冒頭のテンポに諸説ある、というように解説されていたこととなる・・・・なんだか怪しげな話だ。解説のディテールまで配慮が足りないようにも感じたのだが・・・・。
肝心の演奏について。これは名演である。真剣勝負、である。気迫が伝わる。凄みがある。イスラエル、ユダヤというある種、特殊な土地柄、歴史、民族、ゆえにショスタコーヴィチの音楽の持つ、闘争的な側面がひしひしと伝わってくるのか?自分たちの音楽、と言わんばかりの演奏への没頭ぶり、とさえ感じた。
冒頭のティンパニからして重い。テンポも、バーンスタイン風な軽さではなく堂々たるもの。金管主題も威圧的である。そして漸次的な加速も確実に。アレグロがドラの一発と共にブレーキがかかるあたりも衝撃的、かつアレグロから中間部への移行もわざとらしさもなく極めて自然。ブレーキをかけるその力の強さ、一気呵成に進むエネルギーを全身全霊を傾けて押さえつける抑圧感、ここの雰囲気は息を呑むほど素晴らしい。コーダの絢爛豪華さもいい。金管の最高音が常にかくれずかすれず聞こえ続ける演奏もなかなかないだろう。弦、木管の単音の連続すら力に満ちたものである。演奏が終わって、客席の熱狂ぶりも尋常ではない。立ち上がり懸命に拍手する姿、TVからでもその演奏の凄さに完全に魅せられたのが理解できる。
かえすがえすも、全曲聴きたかった、見たかった、と思う。でも、これだけの素晴らしい演奏の一端に触れられただけでも感謝せねば。
アンコールは、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」より「タイボルトの死」。これもまた、ショスタコと同様、技術の確かさと気迫に満ちた演奏。
ちなみに、同時進行していたTV愛知は、「皇帝」の後、シューマンのピアノ協奏曲、で終わり。(ちなみにオケはハンガリーのオケだったと思うが詳細は忘れました。)今回の判断、やはり、メータで正解。
<4> 1/4 名曲へのいざない
さて、「名曲へのいざない」も本日で最後。HPでも雑誌でも、放送内容は未定であったが、昨日の状況より、本日こそ、マーラーの第4番だろう、とは想像していた。はい、その通り。演奏は、1/2と同じく、コンロン指揮のケルン・ギュルツェニヒ。今までほど、こちらとしても熱狂的に聴いたわけではないが(曲の気に入り度の問題)、聴き始めると、引きこまれる演奏で、これまたメッケモンだ。
とにかくオケがのっている。特に木管、そして弦、見ているだけで伝わるものがある。打楽器群も、決して派手な部分は多くはないが、要所で確実に印象を残している。第3楽章最後の、ティンパニ、両手叩きソロの堂々たる響き。さらに、全曲を通じて、大太鼓の音の深さ、重さ。映像的には、なかなか打楽器は写らなかったのが残念だが。
正直、4番はマーラー作品の中でも、もっとも熱狂しかねるものではあるのだが、充分にそんな私をもTVを通じてであるにもかかわらず引きこませた、というのはたいしたものだ。他のマーラー作品も是非聴いてみたい。CDも入手可だろうか?
余白の時間は、ワーグナーの「ローエングリン」第1幕と第3幕への前奏曲。これもオケの力量を充分発揮した熱演であった。客の映像を見ると、マーラーとワーグナー、そして1/2放送のショスタコ、同日のコンサートのようだ。充実した演奏活動をしているのだろうと推測できる。また出会える日を楽しみにしたい。
新世紀の始まり、素晴らしい演奏に思いがけず出会う事が出来、とても嬉しい。クラシック番組福袋、開けて見て大正解。
(2001.1.8 Ms)