今月のトピックス

 

 November ’01

11/27(火) ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン 名古屋公演 

 久しぶりの外来オケのコンサート、それも今、話題の、若干26歳の若手、ダニエル・ハーディングの指揮ということで楽しみにしていたプログラム。そもそもは、打楽器の先輩Sさんが、ブリテンの「夜想曲」やるから聴きに行こう、と誘われたのがきっかけ。弦楽オケ伴奏のテノール用の歌曲集だが、各曲に管打楽器が一人づつ助奏で加わるのだ。その1曲に、ティンパニの超絶技巧の曲があり、これがもともとの目当て。さすがに凄かったです。半音階的な急速なパッセージ、安定したペダル・テクニックを問われる、ティンパニスト必聴の名曲かつ名演が堪能できた。
 それに加えて、自分のオケが次に、ブラームスの3番を演奏することとなり、ちょうどそれも聴けるのでこれ幸い、という感じであった。

 もっとも衝撃を受けたのは、ブラームスの3番。事前に新聞の批評やら、先行して発売されたCDの評判とかで、だいたいの見当はつけていったのではあるが、その演奏を生で触れてとても感激した。確かに、評判通り、重厚なブラームスという先入観、伝統を打ち破る革命的なもの。
 弦の編成が小さく、また、もったいぶった重さはなく、スピーディでスマート。第2から第4楽章まで一気にアタッカでつなぎ、駄目押し、フィナーレのなんと速いこと。焦燥感、闘争を感じさせるフィナーレのキャラクターを前面に押し出して、聴衆を音楽の醸し出す世界に嫌がおうでも巻き込んでしまうかの凄みがある。
 ホルンは適宜ゲシュトップ奏法を採用、当時の不完全な楽器ならば、ゲシュトップでなければ音が出ない音程もあったであろうことからの判断だろうが、そのゲシュトップのサウンドでの強奏というのも管の迫力を倍化していただろう。金管打のバランスの面も、当然、弦の少なさ故に、通常より大きく、弦木管重視の節度あるオーケストレーション、などという先入観を打ち砕いてくれた。ブラームスの思い描いたオーケストラの規模がこれぐらいの大きさであるなら、バランスもこんな感じなのだろう・・・弦をどんどん補強していった演奏になってしまっている現在のブラームス像、当時のベルリオーズ・リスト・ワーグナー路線に乗っ取ったものとして、ブラームスが知ったら怒り心頭かも。
 さて、その弦、だが、古楽的なアプローチは確かに感じられた。特に弦だけの部分、古楽の雰囲気を感じさせる、古い、ひなびた感じ。
 あと、テヌートとか、アクセントとか、細かい音の処理も、聴きなれないものが多々あって、この辺りは、楽譜をじっくり見ながら、いろいろ分析しがいがありそうだ。CDも入手する価値ありとみた。

 アンコールは、ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲。これまた、快速な、たくましい演奏。スフォルツァンド、とか、強弱の差、がとても明確で、ベートーヴェンの持つ音楽の鋭角性が凄く強調。当時の聴衆の驚愕ぶりを私達に再現させるかのようだ。トランペットも、当時の楽器か、長くてピストンのないものに持ち替えて、バリバリ吹きまくっていたのが印象的。

 前半2曲目の、お目当てのブリテン。テノールのボストリッジの歌の柔らかさ、美しさ、に驚嘆した。普段、オペラ始め、声楽のソロはあまり生で聴く機会もないが、じっくり聞き惚れた。曲も、かなり緊張感を伴うものではあるが、(眠りをテーマにしている詩ばかり。唯一の発散が、ティンパニとの絡みの部分)最後の詩になって、全ての楽器が登場するところは何がしかの安堵の感覚が生じる。ピーターグライムスの間奏曲のどれかに似た、ややよどんだオケのハーモニーが何とも心地よく、また、緊張感の緩和、そして曲の終結、統合を感じさせる。ティンパニ・ソロの存在だけでこの曲を知っていたのだが、新たに、曲全体を見通して、作品の魅力を知る事ができた。

 冒頭の、アルバン・ベルクの叙情組曲、これはコメントなし。ヴァイオリン協奏曲のレベルならまだわかり易いのだが、この作品はちょっと私の今の耳では理解不能。ただ、わからないなりにも、叙情的なムードは感じてはいた。弦の様々な微妙なサウンドを楽しむこともできた。

 衝撃的なコンサートであったのは間違いない。きっと、今後もっと語られ、聴かれるオケであり指揮者であろう。それにしても、客の少なさは淋しいもの。愛知県芸劇コンサートホール、3階席がほとんどガラガラなのは、ああもったいない。聴くべきだったと思いますよ、名古屋近辺のクラシックファンの方々。特にブラームスを好むアマオケの皆さんには是非とも聴いていただきたかった。こういう新鮮な演奏に随時触れることで、井の中の蛙からの脱却を恒常的にしたいものだと痛切に感じた。自分にもまだまだ、ステレオタイプ的な思い込み、いろいろあるんだろうな。

ブルーメンさんの次がブレーメンというのも奇縁だね(2001.12.8 Ms)

 

11/23(金) ブルーメン・フィルハーモニー 特別演奏会
          「ネオ・ロマンティシズム」−20世紀の音楽シーンより−
 

 11/22,23と上京。いろいろ楽しく過ごした。そもそもは、22日の東京フィル、井上道義のショスタコ8番を目当てであったが、せっかくなので一泊し翌日もコンサートに行こうと決め、いろいろ東京での演奏会を調べた結果(時期が時期なのでプロアマ含め、いろいろ面白そうなものは多々あった。都響・ベルティーニのマーラー3番。ベルリン響・インバルのブラームス1番。宇宿の世界・フランクの交響曲。N響はベルディの夕べ。学習院オケはショスタコの祝典序曲。チャイコの1812。メインはメンデルスゾーンの2番・・・こりゃ凄いプログラムではある。都立大は山口裕之氏を迎えてのベートーヴェンのVn協。)、標記のとおり、ブルーメン・フィルハーモニーの特別演奏会を選んだ。

 ブルーメン・フィルの詳細はHPなど検索していただく事としましょう。ただ、ブルーメンとはドイツ語で「花」の意味。そして、当団は、特にドイツものを中心としたプログラムを組みつづけているようである。現在も、ブラームス・ツィクルスが進行中で、来年は、春にはピアノ協奏曲第2番、秋にはドイツ・レクイエムを予定しておられるようだ。なかなかにプロはだしなこだわりを感じさせる団体とお見受けした。
 そして、今回は、特別演奏会として、普段取り上げられないような選曲のプログラムを用意され、それに私はひっかかった次第。
 即ち、R.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」ヒンデミットの「白鳥を焼く男」、休憩をはさんで、フォーレの「ペレアスとメリザンド」ミヨーの「屋根の上の牛」
 場所は都心からかなり離れた、練馬区光が丘のIMAホール。初めてである。新宿から都営大江戸線で20分。終点である。超高層なマンションが整然と立ち並ぶ、しっかりとした都市計画のもと作られた郊外の新興住宅街。その中心に地下鉄の駅があり、その上にショッピング・ビルが立ち、その4階が、NHK文化センターなどとともに文化発信基地のフロアとしてやや小ぶりなホール(500名ほど)があるのだ。
 オケの編成も比較的小さい故のホール選択、ということだろうか。特に前半プロはオケと言うよりは室内楽の世界だし。そのホール、ほぼ満席にしてのコンサート。意欲的なプロだけに、果たしてどんな演奏が飛び出すか期待と不安のなか、「メタモルフォーゼン」が始まる。

<1>メタモルフォーゼン
 チェロを主体とした不安げな無限旋律風な、しかし、ゆったりとした美しいハーモニーが流れ出す。いきなりチェロ高音域。おお、美しい音色。ここで、今回の私の選択は正しかったと確信。うまい。この選曲、ハッタリではない
(こんな表現でオケ関係者の方々スミマセン)。アマチュア?堂々たるものだ。
 ちなみに、この作品、23人の弦奏者のためのもので、プルトという発想はなく、一人一人が独立したパートの、巨大な室内楽という面持ちの作品だ。配置も、見た目は普通の弦楽オケ(ヴィオラが外側だが)ながら、バイオリンが前列が3人、そしてその背後に3人、そして4人と配置。第1第2という通常の分け方でないことはすぐ分る。
 さて、チェロに始まる旋律は、少しずつ全体に波及する。まずビオラの後ろの方・・・やや、この辺り音程の不確かさも感じられたけれど全く許容範囲。ビオラ全体に移り、さらに、バイオリンへ。見た目にもスリリングである。一体どこからどの音が発せられているか、探さなければわからない。思わぬところで(旋律が後列の方だけ、とか)いろいろな動きがある。作品自体も精巧なもので、複雑に対位法的にいろいろ書きこんである。それらが一体となって隙もなく膨張収縮を繰り返しながら整然と進行していくさまは圧巻である。特に中間部は凄い。
 私もCDこそ持っているが、そんなに聴きこんだわけでもない。ただ、音色が弦一色、ゆったりとしたテンポで30分弱続くこの作品、楽天家リヒャルトが、第2次大戦のドイツの敗北、徹底破壊を目の当たりにした悲劇的作品で、そういった時代背景と、ベートーベンの「エロイカ」の葬送行進曲の引用に興味をもっただけのことで、正直、長い曲だなぁ、といった感想しかなかったのだが、そういった偏見を見事に覆してくれたのが、ブルーメンさんであった。
 一応、緩−急−緩という三部に分れ、全曲を通じて、前述の葬送行進曲の3小節目の下降スケールがくどいほど出てくるのだが、中間の急の部分で、続けざまにどんどんその葬送のテーマが重ねられてゆくところなどとても力強く、どのテーマも入りが明確に感じられ、バイオリン前列だったり、後列だったり、ビオラだったり、チェロだったり、ともう目がついていけないほどの目まぐるしさながら、中間部のドラマティックな雰囲気が視覚、聴覚一体となって私に迫り、全く息をつかせぬ展開で、作品の世界に引きづりこまれていた。そして、その中間部の速い動きが分厚い一つの音に収斂し、また前半と同様な悲歌的な緩の部分に無理矢理引き戻されるところなど、涙せんばかりの感動があった。本当に。この劇的な部分は胸に焼き付けられた。
 そして、コーダ、低弦によって、ベートーベンの葬送行進曲の全貌が奏される時、その必然性に納得。作品の持つ説得力をおおいに感じる事となった。素晴らしい音楽、そして、素晴らしい演奏。本当に感謝したい。こんな場に居合わせられたことを感謝感謝。

<2>白鳥を焼く男
 なかなかユニークなタイトルだ。ちなみに、「シュバーネンドレーヤー」始めいくつかのドイツの中世の民謡をもとに、ヒンデミットが作曲したビオラと変則小編成オケのための協奏曲。その「シュバーネンドレーヤー」が「白鳥を焼く男」という訳になるようだが、手もとのCDの解説に依れば、諸説あってよくわからないとも書かれていた。曲の雰囲気としては、作曲者自身は、吟遊詩人の即興的な歌、とか表現したかったとのこと。
 さて、これまた、普通のオケではない編成。バイオリン、ビオラはなし。そして、舞台左手から中央には、管楽器が陣取る。ほぼ2管編成。ただしピッコロつき。ホルンは3、それ以外の金管は1。ティンパニも地味ながら参加。
 それにしても、ビオラ・ソロが素晴らしい。須田祥子さんというまだ20台半ばの若い奏者であったが、パワフルにかつ繊細に見事仕上げていた。手もとのCDは、ブロムシュテット指揮のサンフランシスコ。この演奏は地味だし華がないな。このイメージで曲に望んだのだが、全然違っている。そもそも、私のビオラのイメージは、シベリウスの交響詩「エンサガ」あたりにありそうだ。地味で、やや野暮ったく、協奏曲的なイメージが涌きにくい。ベルリオーズの「イタリアのハロルド」も知ってはいるが、逆にビオラでなくてもバイオリンでも良さそうな感触ではあった。それが、今回のソロ、とにかく低音など野太く、ガツガツと場合によっては若干のノイズ音も効果的に、ビオラという楽器の力強さを感じる事ができ、また、高音部も華のある艶やかな音色で、とにかくビオラに聞き惚れた。
 曲の感じとしては、ヒンデミットの意図(吟遊詩人)に比べるとかなり深刻な感じがする。特に第1楽章など、ブラームスの世界を現代的にしたような渋いもの。パンフレットにある「音楽を「道徳的、倫理的」と表現し、過度に美しく、甘美になることを警告したヒンデミット。それゆえ、彼の音楽は「理屈っぽい」と思われがちな気もする」という解説は、なるほどと思わせる。確かに、親しみやすさからは、やや遠いところにある音楽、かとは思ったが、演奏によって惹きこまれ、結果として、その残像が私の中に深く刻まれたようで、冒頭のビオラ重音のパッセージや、それに続く、どんよりと曇った重苦しいオケの和音など、今だに私の耳に何度も飛来してくるようだ。
 第2楽章のハープとの二重奏も、古風な雰囲気がしていい。そして、第3楽章は、ちょっとストラビンスキーの「プルチネルラ」の終曲など思い出させる愉快な雰囲気だ。プルチネルラがドレミファソ、と上昇順次進行するのと反対に、こちらは、ソファミレド、と下降順次進行だけれど。
 さて、ソロばかりに目が耳がいってしまったのは事実だが、サポートするオケも、ソロとのアンサンブルも乱れなく、バランスもよく、また、ホルン始め金管もさりげなく難しそうなパッセージを軽々吹き切った感じで好感持てる。ヒンデミット、決して大好き、と言えるほどの作曲家ではないのに、このビオラ協奏曲、楽しい時間を過ごせた。最後に、ソリストの須田さん、今後の活躍を期待します。

後半プロはまた(2001.11.24 Ms)

<3>ペレアスとメリザンド
 前半とはうってかわって、フランスの柔らかなサウンドを堪能。ここで、ようやく通常のオーケストラの編成となり、ブルーメンさんの全貌が明らかに。冒頭からして、フォーレの美しいハーモニーとソフトな雰囲気に引き込まれた。隠し味的なチェロのソロもいい感じだ。ホルンの安定した響きも心地よかったです。前半でも感じたのだが、アンサンブルも終始安定していて、とても普段聞いているアマオケとは格段のレベルの違いを感じた。とにかく皆、聴き合っている、そしてその余裕が演奏を安定したものにしている。(シシリエンヌ以外は)決してそれほど馴染みのある曲ではないのだが(個人的にはペレアスと言えば断然シベリウスであり、フィナーレもブルーメンさんの演奏の直前に私の頭の中で鳴っていたのはシベリウス・・・おっと違った・・・てな按配で、いつかまたシベリウスのペレアスも聴いたみたいものです。同じくやや小さなオケの編成ですし。)、前半のみで一時間を越える演奏時間でありながらも不思議と集中して、後半プロも緊張感途切れる事無く鑑賞できた。
 シシリエンヌに関してはもう少しフルートのソロが全面に出ても良いかな、やや控えめだな、とも感じだが好みの問題か。また、弦がとにかく気持ちいいほどに鳴っている。管楽器がその分、ホールのせいもあるかもしれないが解像度が弱いのか聴き取りにくい傾向はあったかもしれない。それらの問題もたいして気にはならない程度の話。美しい音楽を何の不安もなく楽しめる、これはホント快感ですね。

<4>屋根の上の牛
 さて、今回、このコンサートへと引き寄せられた一つの理由は、来週、私がこの曲を演奏する、ということ。実は私の本番の指揮者、松尾葉子氏が1週間ほど前に、セントラル愛知管で演奏をしたのだが、そちらは敢えて聴かなかった。同じ指揮者の演奏に縛られてしまいそうで。これを模範として私も演奏しなきゃいけない、などと思うのはなんだか「お勉強」みたいで気分的に嫌だった。そこへ、ブルーメンさんの演奏情報が飛び込んできたので、全く違う演奏を聴きたくて、どう演奏するのかを楽しみに聴くこととなった。
 とにかく、楽しい。特に、何度も繰り返されるテーマ以外の部分の変化をどうつけるかがポイントだと思う。私の半年間の練習でのこの曲の私の評価は、結局、アイデア勝負の奇を衒った駄作、ということだった。クラシックの伝統的なオーケストラに、ブラジルの民謡、ラテンのリズムを取り入れ、それに当時最新の現代音楽の手法、複調を全面的にまぶしてこしらえたこの作品、確かに聴き始めは、おおっと思うインパクトがある。しかし、それがいくらテーマが12全ての調性に転調するとは言え、いくらなんでもクドイし、そのテーマに挟まっているテーマも通俗的なものでこれもトータルとしては変化に乏しい、あぁ結局のところはつまらん曲だ、と気も入らず担当するギロをこする毎日ではあった。
 それが一転。とにかく楽しい。
 まず、リズムの生き生きとした雰囲気。これは、シンコペーションのアクセントの感じ方か。常に感覚的にそういう演奏をし、特に旋律線とかでそれがあった場合、時には嫌らしいくらいに強調する。そんな傾向は全体的に感じられた。
 あと、特に1st Vn.オーボエを始め、旋律線の歌い方、これがいい。主要テーマ以外の、テンポを緩めた部分の嘆き節、いろいろ出てくるが、その歌の表情がホント、ラテンな大袈裟なオーバーアクションな感じで、ぐっと心をつかむ。聴衆が乗せられる、という感じ。次は何が出てくるのだろう、と楽しみにさせるのだ。ウキウキワクワク、してしまった。
 (客席前方左手にて、子供が聞きに来ていたが、ミヨーが始まるや上下左右に体を揺すり始めたのは微笑ましかった・・・・ただし、客席のマナー、これも良かった。静かに耳を傾けている雰囲気は伝わる。子供にしても全くうるさくはない。また、小さなホールで奏者の顔が見える、アンサンブルの様子もよく見て取れるのもいい。いろいろな意味で楽しいステージであったのは確か。)
 さらに、広い意味でのアクセントの付け方。いわゆる、>というアクセントのみならず、オーケストレーション上、異質なパッセージが旋律以外にもいろいろ出てくる。オーボエの急速な下降スケールとか、トランペットの意味不明な叫びとか。そういった、普通の音楽の流れに逆らうような音符も、いろんな場所で、いろんなパートで、びっくり箱のように飛び出すのがまた楽しい。
 などなど、いろいろ挙げればきりがない・・・この半年、ミヨーのスコアと格闘していたからこそいろいろ気がつくわけで、演奏者から見れば、嫌らしい聴衆なのかもしれないけれど。とにかく、この半年で私が下そうとしていた、「屋根牛」駄作説はあっけなくこの場にて覆った。逆に私達も駄作と思わせない、ウキウキワクワクしてくるような演奏をしたい、と強烈に思った。
 最後に、奏者のアンサンブル能力もさることながら、これだけの20世紀の難曲たちを素晴らしいレベルでまとめ上げた指揮者、上野正博氏の手腕にも深く感ずるところがあった。今回のプログラム、ロシア北欧といった、私が熱狂的に愛する音楽ではないにも関わらず、ここまで感動させてくれたのだ。足を運ぶだけの価値はあった。あり過ぎだ。このようなオーケストラに出会えて嬉しかったです。また、プログラムのセンスにも脱帽。パンフレットにも、「精神性の高い曲から開放的な曲へと聞きやすい流れになっています」とあったがまさにそのとおり。そういったプログラムの流れ、への配慮もまた、私を楽しく、嬉しくさせた要因の一つかとも思った次第。

<5>アンコール
 良かったァ、との幸福感の中に始まったアンコール、グリーグの「ホルベルク組曲」プレリュード。
 これも、颯爽たる名演。こんなに強弱の差をつけ、推進力に満ちたスマートな快演、初めてだ。 とにかく弦の上手さにうっとり。2時間を越える長丁場のコンサートだったが疲れもない。ひたすら満たされた一時だった。今後も是非機会あればブルーメンさんとの再会を約したいところ。
 個人的には、イギリスや北欧の弦楽作品なども聴いて見たい。ドイツものが主流とは伺っていますが、それ以外の作品も是非是非今後もチャレンジしてくださいね。応援します。在京の皆さんは一度是非足を運んでみてはいかがですか?

 (追記)インターネット上でのチケット購入を利用させていただきました。ご配慮ありがとうございました。特に遠方の人間としては大変ありがたく利用させていただきました。この場にて感謝の意を表したく存じます。

さて、寝て起きたらミヨーの最後の練習だ(2001.11.25 Ms)

 

11/22(木) 東京フィルハーモニー交響楽団 第652回定期演奏会 

 この11月、たてつづけの演奏会三昧、ついつい書きそびれて早2ヶ月半。ということで、コンサートの記録のみ簡単に。
 井上道義指揮、ショスタコーヴィチの「ロシアとキルギスの主題による序曲」「交響曲第8番」そして、中プロは一息ついて、ラベルのピアノ協奏曲、児玉桃のソロ。

 じつは今晩演奏される第8番は「戦争三部作」の2作目であり、非人道的な戦争への抗議の作品なのです。この交響曲をプログラミングしたのはまったくの偶然だったのでしょうが、昨今のアメリカ同時多発テロやアフガン報復戦争での痛ましい出来事を思うにつけ、このタイミングで演奏することはきわめて重要な意味をもつと思います。まさに、東京フィルのスペシャル・アーティスティック・アドバイザーのチョン・ミュンフンさんの強調する「オーケストラは、音楽を通じて社会に貢献していく使命がある」という理念を実現するコンサートとなるからです。ひとりでも多くの方に東京フィルのメッセージが届くことを祈らずにはいられません。
 (パンフレット掲載の、野本由紀夫氏による楽曲解説より)

 この野本氏の解説、ショスタコーヴィチの8番については懇切丁寧、楽譜入りで、とても要領よくわかりやすくまとめてあり、一見の価値がある。この解説の中の表がズバリ端的に、この作品のモティーフの音形に関する詳細な分析となっており、是非紹介したい。

 ●「戦争の過酷な現実から平和への音楽上の流れ」(分析・作成:野本由紀夫氏)

  \/形(戦争の現実) /\形(平和への祈り) コメント
第1楽章 第1主題(ド\シ/ド)   戦争の過酷な現実と、戦争への強い抗議
  第2主題の第2小節
(ソ\ファ/ソ)
第2主題の第1小節
(ド/レ\ド)
主題は/\形から始まるが、
\/形で打ち消される
=内的葛藤
    第3主題(シ/ド\シ) 生への叙情、平和への祈り
第2楽章 第1主題(レ\ド/レ)   軍隊の歩調
第3楽章 (四分音符の無窮動の音形に
含まれている)
(四分音符の無窮動の音形に
含まれている)
木管楽器の悲鳴は/\形
/\形と\/形はあまり顕在化していないが、
木管楽器には平和への希求が含まれる
第4楽章 パッサカリア主題の第1小節
(ソ\ファ/ソ)
パッサカリア主題の第2小節
(シ/ド\シ)と、
第7小節(レ/ミ\レ)
第1楽章とは逆に、\/形が先で/\形が後。
悲劇的クライマックスの楽章だが、平和への祈りが
脈々としてある
第5楽章   第1主題(ド/レ\ド) 全曲の終わりもこれで締めくくられる
    第2主題(ミ/ファ\ミ) 生への叙情、平和への祈り

 ちなみに、第1楽章、第1主題は冒頭低弦の主題。第2主題は練習記号1の第1Vnの主題。第3主題は練習記号8の第1Vnの主題。これらが譜例として掲載されています。

 第1楽章では(中略)明らかに、\/形から/\形への流れがあるのだ。そして、交響曲全体を見ても大きく\/形から/\形へと支配が移っていることがわかろう。

 という具合に戦争の悲惨な現実にあっても、平和を希求しつつ、ショスタコーヴィチ曰く、「生きる事は素晴らしい」「暗黒で重苦しいものすべてが消え去り、美しきものが勝利する」との作曲家本人のコメントを音楽的に裏付けるような素晴らしい解説をされているわけです。

平和の祭典、ソルトレイク五輪開会式の日に、何とかパンフ紹介だけでも更新(2002.2.9 Ms)

 

11/10(土) 名古屋マンドリン合奏団 第43回定期演奏会 

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11/4(日) ル・スコアール管弦楽団 第11回演奏会 

 かねてから、オール・ショスタコ・プロで今や日本のアマオケ業界にて知らぬ者なし(!)、な存在である、オーケストラ・ダスビダーニャの関連団体(ちょっと変な言い回しだけどご勘弁)も、いろいろ聴きたいなァ、と思っていたのだが、ようやくその機会を得た。
 それが、今回の、ル・スコアールさんである。我がHPとも相互リンクさせて頂いています。今回初めてその演奏を聴きました。
 場所は、文京シビック大ホールにて。橘直貴氏。プログラムに惹かれて今回の上京を決断した。
 バーンスタイン「キャンディード序曲」、コダーイ「ハーリヤーノシュ組曲」、そしてバルトーク「管弦楽のための協奏曲」。
 これまた、なかなかアマオケでは手を出しにくい難曲ぞろい、かつ、派手派手な聞きごたえある選曲で足を伸ばしたわけ。

 プログラムなど見ると、やはりダスビの名簿に名を連ねている方々も多いようで、ダスビ同様に、迫力満点な爽快な演奏を楽しめて嬉しい。
 ただ、今回始めてのホールだったのだが、ホールの特性か、場所のせいか、低音系がよく目立つわりには、高音系がなかなか音が飛んでこずに、特にバイオリンの音が聴き取りにくかったのは残念に思った。冒頭の「キャンディード」での第一印象がまさにそれであって、颯爽と金管打の炸裂があったのちに、次の局面、やや私的にはコケてしまったきらいはある(演奏がコケたわけじゃぁないです)。ホール自体縦に長く、ちょっと容量がでか過ぎるような気もしたし、2階席だったし、その辺に原因があったかもしれない。

 コダーイは、快演であった。とにかく、これほど安心して演奏が聴ける、というのはアマチュア離れしているレベルの高さだと思う。金管打楽器は特にソリスティックな技巧がいろいろあるのだけれど難なくクリアしていてとても快く鑑賞できた。「音楽時計」のトランペット、「歌」のホルン、「廷臣の入場」の打楽器群などなど。
 個人的には、この派手な組曲の中でも、第3曲「歌」のしみじみとしたハンガリー風な(アジア、そして日本との親近性も感じさせる)雰囲気におおいに感銘を受けた。2年前のハンガリー旅行などもふと思い出したりして、ぐっと込み上げるものがあった。冒頭のビオラのソロは、やや緊張感が客席にも伝わってしまった感もあるが、ビブラートだと思えば別に違和感もない程度か。独奏楽器ツィンパロンとのバランスも申し分なかった。
 第4曲「ナポレオンの敗北」はユーモアあふれる演奏であった。金管の不協和音なども大袈裟な感じで楽しい。サックスもカッコよく決まった。ただ、ピッコロの存在感はもっと感じたかったのだが・・・。あと、全般的に言えるが大太鼓の音色、音量など私好みで良かった。

 バルトーク。さらに輪をかけて名演、であった。金管打の充実ぶりはレベル落ちる事無く、さらに、木管がバルトークではかなり良い存在感を示していた。正直、前半2曲は木管への意識は不足していたのが、俄然バルトークは木管の充実ぶりに耳を奪われた。特に、聞かせどころは当然、第2楽章だが、最初のファゴットからして、大げさなほどに表情豊かで、それも余裕たっぷり・・・・(前日、某オケの練習にての演奏ぶりとはえらい違い。やはり、いいものを常に聴きたいものです。)・・・。オーボエ、クラの音色も良かったです。特にオーボエ、艶のある音色、歌の表情といい絶品でした。
 中間部の金管のコラールも素晴らしい。ちょっとフレージングが聴きなれないものだったのだが、奏者全体に統一されていたし、指揮者の解釈なのだろう。スコアが手元にないので判断できないが、あっと思わせる面白い解釈だとは思った。細かいところにまで配慮が行き届いた演奏だと感じた。
 その、細かい配慮、については、特にバルトークでは顕著だったと感じられた。弦楽器に効果音的な、ピチカート、刻み、さらにスル・ポンティチェロなどいろいろ趣向が複雑に凝らされているが、そうしたパッセージが決して曖昧でなく、何をしているのかちゃんと聞き取れる事で、演奏の奥行きが広がっていたと感じた。
 弦楽器に関しては、最初に書いたとおり、低弦がかなり聞こえてきて音楽が薄っぺらくならずに安定をもたらしていた。と同時に、バイオリンが聞こえにくくはあったのだが、奏者の配置としては、どのパートも偏りなくバランスがとれていて、これも安定感を感じさせた。フィナーレの中間部、弦がフーガ風に民謡的な主題を次から次へと提示する場面も、第2バイオリンが余裕であのグリッサンドも含んだユーモラスなテーマを奏でたところは心地よかった。得てして、ああいう場面でガクッとくるアマオケは多々あるので・・・・。とにかく安定感。観客にとってはそれがありがたいこと。全くハラハラしないですんだ。
 最後に、打楽器も全般的にバシッと決まって良かった。変わったところでは、第3楽章のティンパニ。和音のパッセージ、2人で叩いていたのは初めて見ました。いろんな解釈があるのだな、と感じました。

 いろいろ良かったところを挙げればきりがない。是非、興味持たれたならば、皆さんも足を運んだらよろしいかと思います。いいオケですよ。とにかく、アラがほとんど見えないのは凄い事だ。・・・・ただ、ちょっと気になったのは、前半プロで、ゲネラル・パウゼと思しきところで何度か、金属系の音がしたり、ちょっと緊張感がプッツンしてしまったのは残念でしたが、結果としては申し分ないコンサート、堪能させていただきありがとうございました。また、貴団HP管理人さんからは招待チケットも頂きました。この場をかりて厚く御礼申し上げます。

(2001.11.5 Ms)

<個人的上京メモ>

 ルスコさんとは直接関係ありませんが、今回の上京でのメモなど。個人的な備忘録程度。
 今回、宿泊なしのトンポ帰りで、コンサート以外に時間も割けず、一点集中。コンサートが文京シビック、後楽園駅下車ということで、昼食とりがてら、途中、御茶ノ水散策。中古CDなどディスクユニオンに立ち寄る。今回初めてである。

 思えば、大学時代より、上京のクラシック部門の定番と言えば、まず秋葉原界隈、石丸電気。そして、銀座ヤマハ。さらに、本郷三丁目、アカデミアにて輸入スコアあさり。そして、いつの間にやら(いつから行き始めたかはもう忘れたのだが)神保町の「聖地」(!)新世界レコード。これらが定番であった。
 が、HMVやタワーレコードの台頭とともに、石丸からは足が遠のき、まず、池袋、東京芸劇への頻度も高くなったこともあり、池袋HMVが主流となる。さらには、昨年の今頃、ショスタコ特集やっているとの噂を聞き、初めて行った、渋谷タワーもお気に入りに・・・・。そう言えば、一時期、六本木ウェーブなんてのもあったが今は昔。昔ついでに、錦糸町、トリフォニーに行く際は、そごうの中の新星堂もちょくちょくお世話になったが、これまた今は昔。ラフマニノフの管弦楽作品集3枚組を買ったはいいが、3枚目の代わりに、2枚目が2枚入っていたというのも今や懐かしい思い出話、笑い話。

 今回、遅ればせながら、ディスクユニオンへ。なかなか掘り出し物多くて良かった。2枚ゲット。
 マーラー交響詩「葬送」バッハの管弦楽組曲のマーラー編曲版のカップリングで600円。両者とも入手しようと思っていたが(現実には今までも国内版でも入手はできたが)、リーズナブルな価格と、曲の組み合せで購入決定。ベルリン放響ライプ。ちなみに、「葬送」は、交響曲第二番「復活」第一楽章の初稿版。スコアのコピーも入手済み、なかなかマーラーに手を出せないアマオケでも、編成もチャイコ程度の3管編成、25分程度、ということでお手軽にチャレンジできるということで個人的にはとてもオススメな一品なのだが・・・曲はほとんど、「復活」と一緒、ただ、オーケストレーションがややおとなしめ、という程度。実現に向けての布石、ようやく一手である。

 2枚目は私のライフワーク、芥川也寸志コレクションだ。オーケストラとオルガンのための「響」。サントリーホール落成の委嘱作品。CDは落成10周年の記念コンサートライブ。芥川コレクターとは言え、多分にポピュラーな初期作品のみであったのだが、どうも最近、團伊玖磨の死も関係してか、「3人の会」ルネサンスな私である。芥川最後の大作、ここぞとばかり入手。
 確か、初演の頃、「題名のない音楽会」でやっていたと記憶する。しかし、まだハイティーンな私、この、もろ現代音楽な、トーンクラスター(音群)による不協和音に彩られた作品を理解することはなかった、ただ、訳わからない音楽が最後に突然ハ長調の巨大な主和音へと収斂するのは覚えてはいた・・・しかし、唐突なドミソの和音に困惑しただけだった。
 改めて聞くと、とてもいい。確かにトーンクラスター部分は聞くのも辛い面はあるが、アレグロ部分のオスティナートがもう素晴らしい。バルトークの舞踊組曲の冒頭のファゴットのテーマと同じような作りのオスティナートの主題が、半音で指が絡まりそうな音をどんどん繰り返し増殖してゆくのはもう快感である・・・・15年あまりの歳月の後、私の耳も多少は進化はしたようだ。團も、黛もしかり、死して始めてその才能に気付く・・・悲しい気もする。が、芥川の世界の全体像にようやく迫るスタート地点に立てたような気もして嬉しい。芥川、これからも必死に追いかけて行きたい。

 「響」のライナーノートには、彼の弁、「オーケストラのそれぞれの楽器が作り出す響きを美しく響かせるための最終的な楽器が音楽ホール」という言葉が引用されており、(東京で最初の音楽専用大ホール)サントリーホール落成へ向けて尽力された彼の思いが、この作品の「ありよう」に影響しているのだとも感じた。
 その死からわずか15年。東京にはもう沢山の音楽ホールが出来ている。音楽ファンとしては喜ばしい限りだが、はてさて、どれだけ利用されているのか?ホールを支える聴衆は確実に増えているのか?芥川氏が存命ならば、この状況を単純に喜んだかどうだか・・・気になるところではある。

 今回訪れた、文京シビックホール。確かに新しく美しいホール。高くそびえ立つ文京区役所と同じ建物にある、きっと行政主導型のホールだろう。立派なものだ。でも、開演のベルがふざけてないか?ぶーうーーーと何の色気もない、緊急事態発生、のような、これから音楽を鑑賞するという雰囲気を破壊するような大音響、これもまた「響き」の一つではある。それにしてもセンスがない。外見、建物ばかりが立派な、土建国家日本の些細な1コマではある。でもホントに豊かな社会なんだろか?「響」を聴きながら、この15年間の日本の歩みを思い返し、芥川氏の面影を懐かしみつつ、ふと感じたのだった。

(2001.11.11 Ms)


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