某K市民管弦楽団 第13回定期演奏会
「南国への憧れ」
今年は、「日本におけるイタリア年」、各地でイタリアに因んだイベントも盛んに行われています。当団もイタリア年の最後を飾るイタリアンな演奏会をお送りしましょう。
まず、メイン・プログラムのメンデルスゾーン。ずばり「イタリア交響曲」。北ドイツの裕福なユダヤ人銀行家の家庭に生まれ、若い頃から国際的に活躍した彼が、イタリアでの印象をまとめた曲。第1楽章から、陽気で明るい南国の雰囲気に溢れている。また、第4楽章はイタリアの跳躍舞曲「サルタレロ」の様式で書かれている。ただ、注意すべきは全編イタリアづくしかと言えば諸説あり、第2楽章はボヘミアの巡礼歌によるとの説もあり、また、同じくユダヤ人作曲家マーラー(ボヘミア生まれ)の交響曲第1番「巨人」第3楽章のクラリネットによる対旋律との類似も指摘できる。第3楽章はシューベルト風な穏やかなドイツ舞曲「レントラー」で、さらにその中間部は、狩猟の角笛、ホルンの響きが、ウェーバー〜ワーグナー〜ブルックナーと続くドイツの鬱蒼たる森のイメージを彷彿とさせる。実は、イタリアに触発されつつも彼自身としては、もっとコスモポリタン(国際主義的)な性格を有する作品として構想されたとも言えそうだ。両端楽章と中間楽章との微妙な温度差は、アルプス山脈を隔てた南北の風土の違いを思わせもするのだが、いかがでしょう。
1曲目のチャイコフスキーの作品も、彼自身のイタリア旅行から生まれたもので、伸びやかな歌と情熱的な踊り、そして民俗楽器タンバリンの華やかな響きが南国のムードをよく伝えている。が、実は、同性愛者の彼が普通の結婚に破綻した直後の傷心旅行ということもあり、特に前半はイタリアらしからぬ重苦しさが支配的である(ロシア人の血は拭えませんね)。ベートーヴェンの「運命」のモチーフが隠された鍵として全編にちりばめられてもいる。愉快なイタリア滞在によって、彼の憂鬱な気持ちが晴れ晴れとした健康的なものへと移りゆき、「運命交響曲」同様、「暗黒から光明へ」というストーリーをたどるとするならば、チャイコフスキーの自伝的な側面をも感じさせる、単なるご当地ソングにとどまらない、奥行きのある意味深い作品とも言えそうだ。
最後に残ったミヨーの作品は、残念ながらイタリアに因んだものではないが、フランスの作曲家ミヨーが訪れた南米ブラジルにて着想を得た舞踊音楽で、イタリア以上に南国のムード漂う、ややクラシック離れした、(妙な)ラテンのノリが特徴である。
ただし、20世紀の作品だ。ストラヴィンスキー仕込みの「複調」なる現代音楽の技法が、かなり調子ッぱずれな、不協和音に満ちた響きを醸しだし、お気に召さなかったらごめんなさい。ちなみに、「屋根の上の牛」とは、ミヨーがブラジルで見つけた肉屋の名前のようで、曲の内容とはいっさい無関係ですのであしからず。
木枯らし吹きすさぶこの2001年の師走、これら3曲が運ぶ南国の風が、皆様の心と体を優しく暖める事ができたのなら幸いです。
(牛と聞けば狂牛病、タンバリンと聞けばタリバンを想起させる何かと落ちつかぬ年の瀬に記す。Ms)
とにかくミヨーのためにレンタル譜代やら著作権料やら団として想定外の出費があって、パンフレットも予算なく、切り詰めたスペースでの簡潔な曲解、と今回相成った。もっといろいろ書きたかったのだが、まぁ手短にまとめるのも能力のうち、と割り切って、今回はコンサート直前に推敲なしで一気に書きあげた次第。
さて、「だぶん」に書いたコンサート直後の感想も以下に転載しておきます。
楽しく演奏はできた。トラの皆さんの強力なバックアップもあって。打楽器的にはおおいに満足。気の知れた仲間達との息のあった演奏、であったと思う。いつもこうありたいな・・・他のオケではなかなかここまでの気持ちにならないことも多々ありまして・・・さておき、イタリア奇想曲、いい曲です。タンバリンも鉄琴ももっと出して、との指揮者の松尾葉子先生の指示に燃えてしまう。チャイコにャいつも乗せられるよ。ミヨーの「屋根の上の牛」も、ギロ、もっと聞こえた方がいい、観客に見える場所で、と嬉しい限り。立たせてもいただいたし。お客さんも楽しんでいただけたかな?やや悪ノリで失礼。
演奏の詳細は、演奏者の自己満足みたいなコメントも何なので割愛。ただ、弦楽器、よくがんばったなとは感じる。メンデルスゾーンの「イタリア」は、第1、第4楽章の中間部の弦だけの複雑な対位法のからみなど緊張感もってよくつないで行けたと思う。特に、最初に立たせていただいたビオラ、トラさんの力に負うところ大だが、それにしても良かった。先生もお気に入りでしたね。
全体としても先生の妥協のないスピーディなテンポ感にも必死にしがみついていった。ただ、チェロのまとまりについては不満もある。何度も繰り返す単純なミスは何とかならなかったものか。あと、木管の音程、具体的にはメンデルスゾーンのファゴットはややオケから遊離した溶け込まない存在感が終始気にさせるものはあった。あと、演奏以外の事務的な詰めの甘さが興を削ぐ場面もあり今後改めねば。ハプニングではあろうが、アンコールが終わってすぐ照明が落ちて、またすぐ照明復帰というのも恥かしかったし、指揮者がはけてから、みんなで座るんだが立っているんだかザワザワ見苦しく立ち往生しているのも見てられないよ。ショーマンシップ、演奏面は当然ながらもこういった場面でも常にもっと意識しておく必要はある。
今回、個人的には、ギロという楽器を半年間、研究したという意味で貴重な体験をさせてもらった。また、イタリア奇想曲のタンバリン、これも私の演奏史上の中では、心に残る思い出深いものとなった。
指揮の松尾先生も、ご両親が刈谷ゆかりのかたのようで、そういった縁もあって今回、素晴らしい指揮のもとでの演奏と相成った。今後もまた、このような機会に巡り合えたら本望である。鳴りもののたくさんある曲で華やかにいきたいですね・・・・ああぁ、次回はかなり地味です・・・・。お楽しみに?
(2001.12.9 Ms)