某K市民管弦楽団 第9回定期演奏会 曲目紹介

「努力の人」の二つの第1交響曲に寄せて
〜男、三十。はじめの一歩〜

 モーツァルト8歳。メンデルスゾーン15歳。シューベルト16歳。ショスタコーヴィチ19歳。ドヴォルザーク24歳。チャイコフスキー26歳。そして、ブラームス43歳・・・・・。
 皆さん、もうお分かりでしょう。そう、各作曲家の第1交響曲完成の年齢である。こう並べてみると、その作曲家のタイプを推し量ることもできるだろう。早熟 or 晩成。 短絡 or 慎重。 ひらめき or 努力。 さて今回演奏する二人についてはどうだろう・・・・。ベートーヴェン30歳。シベリウス34歳。若過ぎず、老い過ぎずの「みそじ」第1交響曲の代表作2曲。まずは、その共通点から探って行こう。

 二人とも、早熟な神童でもなければ、常に新しい楽想が泉のように涌き出ずる天才でもなかった。努力と忍耐の人であった。思いつきで一気に作曲することが出来ず、周到な準備の上に熟考、推敲を重ねて大作を長時間かけて練り上げるタイプだった。
 ベートーヴェンの交響曲作曲への意欲は既に10代の頃から燃えていたが、10曲を越すピアノ・ソナタ(有名な「悲愴」を含む)、弦楽四重奏曲、ピアノ協奏曲など、交響曲を念頭に置いた多楽章の作品の量産、研究という10年以上の試行錯誤の末、第1交響曲に着手している。
 一方、シベリウスも処女作「クレルヴォ交響曲」が大成功するも、厳しい自己批判によって即撤回。その後、「エン・サガ」始め数々の名作交響詩と、4楽章制の連作交響詩「四つの伝説」(有名な「トゥオネラの白鳥」を含む)の成果を踏まえた上で改めて交響曲に取り組んでいる。
 19世紀においては、オーケストラを駆使した多楽章の大曲である「交響曲」の成功こそが一流作曲家の証であった。つまり、第1交響曲が作曲家人生を大きく左右したのである。交響曲の全盛期であった前世紀における、その最初の成功例が1800年完成のベートーヴェンの1番。最後の成功例が1899年完成のシベリウスの1番。実は今回の演奏会、とても良く考えられたプログラム構成を取っているのだ。皆さん、お気づきでした?
 さらに、向上心に燃え、前作の成功に安住しマンネリに陥るのを嫌った二人は、たゆまぬ努力の末、第3交響曲で一気に進化を遂げ変貌する。世に言う英雄的飛躍である。ベートーヴェンは膨大化、深刻さ、重量感を、シベリウスは縮小化、緻密さ、透明感を新たに獲得。独自の作風がここに確立される。ただ、ここで注意すべきは、ベートーヴェンはその個性を確立した3番「英雄」以降が評価も高く有名であるのに対し、シベリウスは3番より前の作品のほうが人気が高く、未だ彼独自の個性が一般に認知されていない時代的状況にあるという点だ(当然、我が団もシベリウスは、1・2番しか経験していない)。
 さて、「英雄的飛躍」を認めるとするなら逆に、彼らの第1交響曲に、個性の弱さ、先人からの影響を指摘せねばなるまい。ベートーヴェンにおいては、ハイドン。シベリウスにおいては、チャイコフスキー。では次に、2曲をそれぞれ詳しく見てみよう。

 ベートーヴェンの1番のテーマは、「Take Me Higher」〜もっと高く〜(by V6)
 第1楽章冒頭のフルートの半音上昇、ミ−ファ。より高い音を目指す動き。これが作品全体の象徴。速度を速めた第1主題もその発展した形、ソ−シ−ドという上昇の積み重ねでできており、徹底的に展開される。
 第2楽章の主題は分散和音による上昇。半音上昇も中間部でしっかり登場。
 第3楽章
は上昇と停滞の対決。ハ長調から変ニ長調への半音上昇する転調も特徴的。
 そして、第4楽章序奏のバイオリン・・・・・この作品の最重要ポイント。これこそ彼の精神性、向上心を物語る発想!聴いてのお楽しみ。速度を速めた主部はひたすら上昇音階が出没する音階練習的音楽(以上、楽章を追って上昇志向が高まるこの作品、「ポケモン」の主題歌と一脈通じている。あぁ憧れのポケモンマスターになりたいな〜ならなくちゃ〜絶対なってやる!)。このような上昇志向の延長にこそ「運命」「第九」が誕生するのだ。耳の病気を克服して生き続ける精神力の強さがあるのだ。外見はハイドンと大差ないにしても、詳しく分析すればベートーヴェン特有の、くどい自己主張は明らかとなろう。

 さて対するシベリウスの1番は、史上最後の専制国家ロシア帝国支配下の、フィンランドにおける独立闘争的音楽と評されている(ベートーヴェンの上昇志向が個人的、抽象的だとすれば、こちらは、社会的、具体的な性格を帯びている)。
 第1楽章冒頭の寒々としたクラリネット・ソロは圧政下の、声に出来ない苦しみ。速度を速めた主部は、森と湖の国の自然賛歌。涼しげで爽やかな北国の初夏の風が吹き抜ける。
 第2楽章は厳寒と圧政を耐える源でもある家族の絆。
 第3楽章はたくましい民族舞踊。楽章を追って、自然の中にいる個々人が、家族、民族、と輪を広げ結ばれてゆく。そして、民族の連帯がなった今、ロシア帝国への反抗は開始される。
 第4楽章
にいたって、冒頭の孤独なクラリネット・ソロは民族の悲痛な絶叫へと転化。強暴な権力との激しい闘いが描かれる。一方で、将来の夢、希望が弦楽器を主体にゆったりと歌い継がれてゆく・・・・・が、厳しい現実の前に幸福への祈りはかなえられず、民族の悲劇を世界に向けて訴えつつ、曲は崩壊、意外な終止へと突き進む。正真正銘の解放は未来へと託されるのだ(音楽的には、1902年完成の第2交響曲のフィナーレによって第1交響曲の未解決感は払拭され、現実的には、ロシア革命に伴う1917年のフィンランド独立によって圧政から解放される)。
 今、見てきたような標題性を始め、主題循環法の採用、調性の選択、管楽器の扱いなどに、チャイコフスキー後期三大交響曲からの影響は認められる。しかしながら、弦楽器のざわめくような刻み、ティンパニ・大太鼓の秘めやかで息の長いトレモロ、といった自然音的発想(風の音、水の音、森の音・・・・・)に基づく彼独自の管弦楽法の特徴も随所に見られ、後年の超自然的、宇宙的な広がり、深みもよく耳を澄ませば聞えてこよう。

 最後に再び、第1交響曲の総論的考察に戻ろう。10代20代の天才が才能にまかせて書きまくった、ある意味、才気あふれる若書きの第1のほとんどは、歴史に残る名曲の地位を得ることなく、また、石橋を叩いて20年の老練なブラームスの第1が、交響曲史上燦然と輝く中、2曲の三十路の第1は、どっちつかずで曖昧な存在かもしれない。しかし、現代の我々社会人(組織人)の立場でこの「第1現象」を考えるとどうだろう。

 東大卒の有能な某省役人たちが20代で不遜にも地方の税務署長におさまってチヤホヤされるのも大いに害悪だが、40、50になっても、人の上に立つのが不得手だからといってウジウジ、ヒラのまま留まるのもいかがなものか。対外的に欠点なしの自分の完成を待った上で一段階昇進させてくれるほど社会は甘くない。何も仕事の話に限らないが、不完全であろうと時期がくれば人は「はじめの一歩」を踏み出さねばならぬ。その一歩を、作曲家生命を賭けた交響曲の世界で、勇敢かつ着実に30代の到来と共に踏み出したのが、ベートーヴェンであり、シベリウスである。周到な準備がなされながらも、結果として発展途上なその「はじめの一歩」を自覚できてこそ、後の「英雄的飛躍」が可能になったとは言えまいか。

 努力と自己批判によって、才能の欠如などカバーできる。かつ極端な(臆病な)完璧主義に陥らないことで、積極的で実り多い人生を送ることができる・・・・・二人の「第1交響曲」を座右の銘曲とし、これから三十路を迎えようと決意しつつ、筆を置かせていただこう。

 〜なお、本日1曲目、現代イギリスの作曲家ウォルトンの「王冠」も35歳の作(NHK報道番組のテーマ曲、五輪開会式でもお馴染み)。前イギリス国王ジョージ6世の戴冠式のための委嘱作である本曲もまた、国民の上に君臨すべく「はじめの一歩」を踏み出すための行進曲、という訳だ。


(シベリウスの1番の単独の解説は、クラシック音楽「曲解」シリーズ に掲載しています。そちらもご覧ください。)


演奏会当日メモ

 名古屋でのコンサートならいざ知らず、刈谷でこのプログラムは相当きつかったようです。観客動員はわずか400人余り。シベ1の演奏終了後も、一部聴衆がタクトが下りる前に拍手を始めたものの、誰もそれに続いて拍手せず、最初の人も拍手を止め、会場はしばらく静寂に包まれる。演奏が済んでも聴衆は誰も終わりだと認識せず、客に見捨てられた奏者たちは呆然、ステージ上に空しさが漂っていた。こんなんより、悲愴の第3楽章で拍手もらう方がまだましだ。あぁ、地方都市での演奏会も難しいなぁ。田舎での演奏会、派手な終わりでないと失敗する??

(1999.2.12 Ms)

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