某K市民管弦楽団 第10回記念定期演奏会 〜アメリカ音楽の源流をたずねて〜

ドヴォルザーク

交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」

〜「新世界」に関する新・正解〜

<1>遠き山に日は昇る!

 「新世界」と言えば何といっても第2楽章。「家路」で有名な旋律・・・遠き山に日は落ちて・・・子供の頃のキャンプファイヤーが目にうかぷ。
しかし!この「家路」、ドヴォルザークの預かり知らぬ、後世の人が勝手に詩を付けた代物。ドヴォ氏の言い分は、この第2楽章、「大草原の動物たちの朝早い目覚め」に霊感を受けたとのこと。とするなら、冒頭の金管楽器のコラールは、沈みゆく夕日ではなく、昇りゆく朝日?後半の静寂から突然歌い出す木管楽器のアンサンブルは、朝を告げる鳥たちのさえずり?皆さん、今日のところは「家路」の歌詞を忘れてください。そして、純粋に音楽に耳を傾けてください。大草原の爽やかな朝の光景が、ほら、浮かんできませんか?

<2>一発のシンバル、8小節のチューバ

 「新世界」と言えば、第4楽章だけに登場する一発のシンバルについてご存知の方も多いでしょう。
しかし!それに匹敵するほど悲しい役割のチューバについては意外と有名ではないようだ。第2楽章で4小節づつ2ヶ所のみ。当初はチューバを使わずに作曲したが、コラールの最低音の第3トロンボーンが和音を支えきれず急遽、同じ音符で付け加えたと言う演奏しがいの無いパート。チューバ奏者のエキストラさん、ごめんなさい。
 さて、本稿ではシンバル一発の謎(必然性)について考えてみよう。
 私の結論、このシンバルは「教会の鐘の音」である(型破りな新説)!
 チェコの田舎作曲家ドヴォ氏は1892年、ニューヨークのナショナル音楽院院長に赴任、大都会の住人となる。言葉も生活習慣も異なる異国の地、彼の新生活は緊張の連続だっただろう。
 渡米後、すぐ着手されたこの「新世界」の第1楽章は、のどかで脳天気な彼にしては珍しく、緊張感の張り詰めた雰囲気だ。
 そんな生活から逃れるべく、休日は同郷の移民たちの住む草原の村へと足を伸ばす(第2楽章)。
 土着のインディアンの踊りの輪にも加わりながら、チェコの農民の踊りを披露、民族は違っても伝統的な民族音楽の素晴らしさは不変だと確信する(第3楽章)。
 そして、大都会の生活に戻る。大量生産、大量消費。機械文明の非人間性、凶暴性が第4楽章冒頭に表現される。そこに、遠くから教会の鐘が聞こえるのだ。唯一、ニューヨークと故郷に共通する、救いの音。人一倍、故郷を愛する彼はこの音をきっかけに、やはりアメリカと同化、共存できない自分に気付き、一刻も早く帰りたいとの思いを強める(余談だが、第4楽章の展開部では、第4楽章第1主題=大都会の主題の執拗な反復の中で、第2楽章第1主題=大自然の主題(家路)が分裂、崩壊し、さながら文明の名のもとの「環境破壊」が音楽化されているようだ)。最後は、異国にあってこそ再認識できた愛郷心が、力強い終結を導くものの、ホームシック的感情が、減衰する管楽器のみが残る終止和音に象徴される。
 つまり、渡米した彼が都会の生活に適応しようとして失敗、結果として田舎の生活への回帰を目指そうとする、その転換点に、救済のシンバルは鳴るのだ(クラシックで通常使用される打楽器では、シンバルを柔らかめのバチで弱く叩くことで、遠くから聞こえる鐘の音が再現できる。今回がそうとは限らないのでご了承の程を)。最後に、推理小説「新世界交響曲殺人事件」で、このシンバルの大音響と共に秘密裏に人が射殺される、などというトリックは存在しないほど、優しいイメージがこのシンバルに託されていることを再確認させてもらおう。

<3>アメリカン or ウィンナ?

 「新世界」と言えば、アメリカ民族音楽を引用した、アメリカン・クラシックの元祖。との解説がよくなされる。
しかし!指揮者バーンスタイン氏はそれに反論する。ジャズやロックに多用されるシンコペーションのリズム、短調におけるソの音がシャープでないといった旋律的特徴をもってアメリカ的だとする従来の主張に対し、シンコペーションはペートーヴェンも得意としたリズム型だし、ソのナチュラルはドヴォルザークの訪米前の交響曲第7,8番の冒頭にも登場すると指摘し、逆に作曲技法的にはブラームスの交響曲第1,4番をモデルとしたウィーン古典楽派の直系に連なる作品だと力説している。さて皆さんは、「新世界」から、ジャズ、ロックへと続くダイナミズムを感じるか、それとも伝統的クラシックの風格を感じるか、さてどちらでしょう?うーん、アメリカンかウィンナか?その認識こそが今回の演奏の可否(かひ=coffee)を決定するのだ!?
 (注: パンフレットでは、この横に「コーヒー屋」の広告を掲載しました)

<4>頭でっかち、くそくらえ!

 「新世界」と言えば、(頭の固い評論家たちにとっては)通俗的で、非芸術的な駄作とされている。
しかし!長大で難解な、純粋器楽作品である交響曲の分野でありながら、ほとんどの楽章が万人の知るところとなっている事実を思えば、そんな批評など無意味!確かに、ドイツ的な、限られた素材を有機的に構成する作曲技法といった観点からは、「新世界」は次々と新しい旋律が流れ出すかと思えば、モチーフの単純な繰り返しがあったりと、ずさんな作りに違いない。しかし、各楽章の各主題を注意深く観察してみれば、全楽章にわたって計算され尽くしたかのように見事に同じ傾向を持っている(山型の旋律造形)。それでいて、それらが全く違った性格を持った「旋律」として多彩なバリエーションを展開しているのだ。ベートーヴェンもブラームスも交響曲の作曲においては、変化と統一のバランスに苦慮し続けた。が、「新世界」はその課題を完璧にかつ自然にクリアしている。旋律美より構成美を重視、気楽に歌える旋律もない頭でっかちなドイツ製交響曲に比べ「新世界」は何て親しみやすく素敵なことか!「新世界」によって交響曲はその頂点を極めた、と私は断言したい。

 やっと我団も頭の固い、ドイツ製交響曲至上主義=「新世界低俗論」を駆逐、「新世界」が演奏できるオケへと変貌しました。本日は数々の誤解を解きながらこの「新世界」をお楽しみください。なお、「新世界」の生まれる歴史的背景については、拙著「世紀末音楽れぽおと」61,64ページもご参照ください。

(1999.3.12 Ms)


ラフマニノフ

ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 

〜ハリウッド映画音楽の元祖〜

 1897年、24歳のその若き天才作曲家は、もはや廃人同然であった。
 恩師チャイコフスキーに才能を認められた彼は、師の劇的な自殺に衝撃を受けつつ、師の交響曲の後継者となるべく、全身全霊を注ぎ込んで交響曲第1番を完成。が、その初演は・・・・・大失敗。「音楽の破壊者」というレッテルを貼られた彼ことラフマニノフ青年は、強烈なプライドの持ち主であった故か、その日以来一切の音楽活動を停止、茫然自失の毎日を送る。ノイローゼの症状はひどくなり、とうとう重度の鬱病と診断され、精神病患者となってしまう。
 そこにある精神科医が現れる。彼の才能が失われるのを不憫に思った、アマチュアのチェロ奏者でもあったダール博士である。博士との出会いによって、まずピアニストとしての自信が回復したラフマニノフは、演奏旅行先でピアノ協奏曲の作曲依頼を受ける。気を良くした彼は、再び白紙の五線譜に向かう。が・・・・・書けない。悪夢が蘇る。ノイローゼが再発する。博士は献身的な治療を続け、当時最新の「催眠療法」を試みる。「君は新しい協奏曲を完成する!そしてそれは傑作となる。」(一種の洗脳!
 ここに作曲家ラフマニノフは見事復活する。まず、博士への感謝を通じ、人間の優しさに目覚めた彼は、今までの作品には見られないほど美しい第2楽章を書き上げ、さらに病気を克服し未来の栄光を信じて進む姿が第3楽章に結実する。最後に、挫折に打ちひしがれ廃人同様の生活を送っていた頃を勇気を持って回想しつつ第1楽章を完成する。1901年の初演は大成功。彼は命の恩人、ダール博士にこの作品を捧げた(随所でチェロが活躍するのはそのためだろうか?)。

 さて、話は変わって、ロシアの貴族出身の彼は、1917年のロシア革命によって祖国を追われ、アメリカに亡命(1909年のアメリカ演奏旅行の大成功が彼とアメリカを固く結びつけたのだ)、ハリウッドで死を迎えるのだが、1911年より映画制作が始まったそのハリウッドで、彼の音楽は意外な受容を迎える。心を揺り動かすパッションとメランコリー、彼の音楽を手本として、新興分野であった映画音楽は作曲され始めたのだ。彼の音楽は、映画という新しい大衆文化と共に全世界を制覇する。もちろんピアノ協奏曲第2番も、映画音楽となり、また、ポピュラーソングにもなった。ピアノ協奏曲第3番がテーマの映画も最近ありましたね。そして、日本でも、交響曲第2番がTVドラマ「妹よ」のテーマになり、また、井上陽水の某ヒット曲に生まれ変わり、さらにトレンディードラマから昼下がりの主婦向けメロドラマまで、彼を手本としたBGMは皆さんの耳にも馴染んでいることでしょう(参考までに、日曜洋画劇場のエンディングは、ラフマニノフの見えついた模倣である)。
 そう、ダール博士の行った洗脳は、X−JAPAN貴乃花の洗脳騒動以上に、世界の文化に対して影響力があったと言えるのである。

(なお、詳細な解説は、拙著「世紀末音楽れぽおと」40ページをご参照下さい。)

(1999.3.27 Ms)


ヨハン=シュトラウス U世

喜歌劇「こうもり」序曲

〜ブロードウェイ・ミュージカルの元祖〜

 ウィーンが生んだ「ワルツの王様」、シュトラウスの名曲「こうもり」は全く解説を必要としないくらい、みなさんの耳に馴染んでいるだろう。仮に知らなくても、一度聴けばその魅力がすぐに理解できることだろう。よって紙面の都合もあり解説は大幅に省略!

 喜歌劇(オペレッタ)とは、軽い内容のオペラといった意味。王侯貴族たちのオペラに対して、庶民の舞台芸術。踊りあり、お笑いありの娯楽。世紀末ウィーンに花開いたオペレッタは、大衆文化としてアメリカへ上陸、ジャズ、ポップスの要素を取り入れ、ミュージカルへと生まれ変わってゆく。
 さて、この序曲自体は当然アメリカナイズされる以前の音楽であるものの、ワルツやポルカといったダンスの要素が全面に聴かれるあたり、ミュージカルへの進化が準備されている。そしてその親しみやすさ故か、アニメ「トムとジェリー」の「星空の音楽会」の回では、トムが指揮する猫のオーケストラも「こうもり」を演奏しているのだ(結局ジェリーにしてやられてしまうのだが)。この曲の持つ軽さがアメリカ人好みだという証左とも言えよう?!
(詳細はビデオにて確認のこと。絶対お薦めです。)


付記 アンコールについて etc

 今回は「アメリカ音楽」がテーマではありましたが、純粋なアメリカ製の音楽がなかったので、アンコールでは、指揮者の竹本先生のお勧めもあり、ルロイ=アンダーソン「ブルー・タンゴ」が演奏されました。先生の常として、アンコールは先生自らが曲を紹介してくださったのですが、いきなり「ちまたでは、だんご三兄弟がブームですが・・・・」と切り出され、会場を沸かせていました。「だんご」ブームによって「黒猫のタンゴ」も再販されるようですし、我がオケもいち早く「タンゴ」ブームに便乗したというわけです。

 さて、今回は10回の記念定演でもあり、アンコールも2曲用意されました。これまた先生の強い要望で、映画「タイタニック」のテーマが演奏されました。弦楽とピアノによる少々平板な起伏の無いアレンジに拠った点だけが不満ですが、お客さんには大変好評でした。前回の「美女と野獣」といい、「ポピュラーの刈谷オケ」が充分定着したようです。

 やはり、どうでしょう!私たちは名古屋200万都市のオケではありません。地方都市、刈谷10万都市の、貴重な音楽団体です。クラシックばかり、交響曲ばかり、にこだわっていては、自分たちの首を締めているのではないでしょうか?自分たちの立脚点を見失っているのではないでしょうか?正式なコンサートプログラムとして、このような「オケを初めて知る方々にとっても身近な音楽」を演奏することに躊躇してはいられないと私は考えます。
 まだ、このような意見は異端のようです。しかし、地元でのオケ活動を長い視点で語るのなら、もっと配慮されていいはずだと思いませんか?特に、一般の団員の皆さん、そして、演奏会に足を運んでくださる方々に意見を求めたく思います。(選曲に携わる委員の方は、全く聞く耳をもたないようですので!)

(1999.4.10 Ms)


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