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N響だわー <N響雑記帳>

2005年

N響アワー

 1/9(日)放送
 昨年12月の定演から。デュトワによるストラヴィンスキー。期待しつつ、イマイチか。3回の定期のうち最後の1回は体調不良とかで降板。どうも調子の悪さもあったかも。放送されたのは「ペトルーシカ」原典版と、ハ調の交響曲第1楽章。

 1/16(日)放送
 音楽百科、「アルプスを越えた音楽家たち」。イタリアを愛した作曲家、イタリアでの体験が産んだ作品、といった観点での選曲。モーツァルトのモテット「踊れ 喜べ 幸いな魂よ K.165」、森麻季の独唱による。第3楽章の「アレルヤ」の可愛らしさ。同じ歓喜でもヘンデルと対極にある表現。
 ベルリオーズの「イタリアのハロルド」第1楽章。地味なヴィオラ独奏と、あいかわらずの華麗なオーケストレーションの対比が際立つ。デュトワも昨月の来日はイマイチながら、やはり、フランスもの、いい演奏を聴かせてくれている。
 ワーグナーの「パルシファル」前奏曲。馴染みが薄いが、改めて聴けば、ブルックナー的金管の扱いなどの荘厳さもあり。複雑さよりは簡潔さ、か。

 1/23(日)放送
 俳優、林隆三を迎え。N響定期で語りを担当した、「ペール・ギュント」を中心に。スコアを見ながら曲の進行に間髪入れずセリフを入れるのはなかなか大変そうだ。とくに「山の魔王」の最後。組曲では聴かれない様々な曲も面白い。前奏曲の民俗的なヴィオラ・ソロや、鐘やドラ、さらにはオルガンまで動員される部分など。贅沢な楽器使用はマーラーを先取りか。その他、「アイネ・クライネ」など。

(2005.1.31 Ms)

 2/6(日)放送
 この1月に神戸で行われた、阪神大震災から10年の節目の特別公演。アシュケナージの指揮による、モーツァルトのレクイエム。
 美しく、また情感こもる名演だった。集中度も高く、崇高さ、宗教的な感慨を抱かせるに充分なもの。クラを中心とした木管のオルガンに似た響き、もまた印象的。合唱、独唱のレベルも高く、「モツレク」再認識の良い機会となった。
 最後に演奏された、同じくモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の、祈りのような、内省的な雰囲気も感動的なもの。省力化された、控えめな中にも、確かな「こころ」が核心にあり、伝わるものも多かった。
 犠牲者への追悼、そして残された人々の様々な思い、など去来する。音楽の力、ひしひしと感ずる。

(2005.2.8 Ms)

 2/20(日)放送
 音楽百科、「作品数から知る作曲家の実像」。
 多作のモーツァルトの交響曲第39番第1楽章、そしてハイドンの「時計」第2楽章、それぞれ2003年の演奏から。
 最後に寡作のマーラー交響曲第10番のアダージョ。ドレヴァンツ指揮、第1341回定期(1998.1.16)。久しぶりにマーラーをしっかり聴いた。心に染みる。ご飯食べながら、または飲みながら、または家でゴソゴソうごめきつつ、くつろいで(あまり真剣になりすぎず)N響アワーなど見るのが常だが、この時だけは、しっかり見入った、聴き入った。それだけの密度がある。
 諦観、と一言で言うのも単純化しすぎだな、遠くを見つめる眼差し、その遠くは「過去」でもあろう、「未来」でもあろう、でも、何か言い尽くせない。
 嬰へ長調の穏やかな、暖かな和声。そして微妙に調性を逸脱しつつ、テーマは変容しつつ、一方で憐憫の情をも催しつつ、強烈な不協和音の悲痛な叫びをクライマックスに、再び穏やかさに戻る、でも寂しげな長く引き伸ばされた終結部。・・・30分のドラマ、寡黙な瞬間が多いだけに、余計に惹きこまれる。
 オーケストレーションは、後期マーラーにしては随分簡素、複雑な絡み合いよりは、長い音が多く、和声の骨格が示されたままで、きっと彼の死による中断がなければ、もっと違った形になったであろう、しかし、特に、低弦の、チェロの一つ一つの長い音の入りそれぞれに、音に対する「いとおしさ」を感じる瞬間が垣間見えるのが嬉しい。

(2005.2.23 Ms)

 2/27(日)放送
 なんとゲストはパパイヤ鈴木。ダンスつながりでバレエ音楽や、意外やチェロもたしなむとのこと。ということで選曲は、サン・サーンス「白鳥」、チャイコ「くるみ割り」のパ・ドゥ・ドゥ、モーツァルト「ジュピター」第1楽章、チャイコ「弦楽セレナーデ」第3、4楽章。
 80、90年代の懐かしい演奏が主で、これはこれで楽しめる。「白鳥」は、珍しく「動物の謝肉祭」をやった時のもので、ソロは亡き徳永さん。正確で端正なソロ、ジーンときます。「くるみ」は、スヴェトラーノフの指揮。花束をもらってのアンコールでの演奏。NHKが収録した最後の姿という。これも感慨深し。
 なお、弦楽セレナーデの冒頭を使って、パパイヤ氏がダンスを披露したのは楽しかった・・・・21世紀初頭の日本、この作品はCMを通じて「笑い」を誘う音楽となってはいる。そんな状況下だけに面白く見させていただく。

(2005.2.28 Ms)

 3/6(日)放送
 2月の定演から、団員による金管楽器協奏曲。ハイドンのトランペット、そして、現代スイスのシェックによるホルン協奏曲Op.65。1951年の作品。弦楽のみの伴奏によるもので、新古典的なたたずまい。ニールセンの晩年の2曲の管楽器の協奏曲、特にクラリネットのものをふと思わせる瞬間あり。関連性はないのだろうが、浪漫性との距離感、しかし第2次大戦後にしては現代的な先鋭さは強くなく、その位置が、ニールセンと共通のものと言えるかも。
 最後に金管絡みで、チューバの多戸氏の引退、最後の演奏会より、R.シュトラウスの「ツァラトゥストラ」の後半部を。特にチューバが大活躍というほどでもなく、また、チューバが2人いる曲で彼自身が目立ちにくい感もあったが、前後してTV鑑賞した、2月定期における「惑星」のダブル・チューバと比較すると、あまりに差が歴然として驚いた。多戸氏の重厚な支えあっての安定感、如実に物語る。長い間、お疲れ様でした。

(2005.3.13 Ms)

 3/13(日)放送
 名演奏プレイバック。ポルトガル出身マリア・ジョアン・ピレシュのピアノでモーツァルトの協奏曲を2曲。
 第12番イ長調(第1楽章割愛)、第891回定期(1983.1.26)岩城宏之の指揮。第17番ト長調、第1185回定期(1992.11.5)ブロムシュテットの指揮。懐かしい顔ぶれでの、10,20年前の演奏という面に惹かれつつ、ピレシュのピアノも生き生き、闊達なもの。
 最近、教育TVで若者達にフランクな感じ(ピアノを中心に各自てんでに座って、)でピアノを教えているのを見、その時は存知あげなかったが、かなり有名、高名な方だったんだ・・・その時は、「ピリス」と呼んでいたようだ。
 12番は、昨年、木曽音楽祭でも室内楽のスタイルでやられたものではなかったか。17番は今回初耳。なかなか20番台以外のものは聞く機会も少ない。編成もCl.Tp.Timp.を欠く小さめななもの。しかし、大胆な転調、3度の関係とか、長調と短調を瞬時に切り替えている発想など面白い。第2楽章のテーマの美しさも印象深い。さらに、私がピアノで習ったへ長調のピアノ・ソナタ(番号は失念・・・)と、和声の動き方やリズムの発想など、共通しているのが聞き取れた。時代が近いのか、そんな縁もあって17番に親しみを覚えた。この冬、来日したブロムシュテット、若々しい指揮を披露していたが、10数年前、さらに外見も若く、作品自体の清新なイメージとマッチした演奏、心地よい限り。

(2005.3.20 Ms)

 3/20(日)放送
 昨年のソリスト・Best10。

 3/27(日)放送
 昨年の定演、Best10。

 4/3(日)放送
 「クラシックの扉を開こう」今回からアシスタントの女性が交代。女優の大河内奈々子さん。初回ということもあり、初心者向け、といった趣での選曲。結果として、最近1,2月の演奏ではあったが。
 第1534回定期から、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲より。第1535回定期から、モーツァルトの交響曲第25番より。最後はやや親しみにくいか、でも、指揮者、奏者の熱演、といった観点での紹介、第1536回定期から、ブラームスのハイドン変奏曲。
 N響アワーも、もっと一般的に親しまれるべく、改装、ということか。おおいに結構。BSで定期そのものは放送されるわけで、地上波は違う観点で入門的側面を強めることには賛同したい。 

 4/10(日)放送
 前回に続いて、初心者向け企画か。「N響の3人のマエストロ」。これは予想どおり。アシュケナージ、デュトワ、サヴァリッシュ。現在のN響を知る上で外せない。個人的には、まさか、ブロムシュテット、ホルストシュタイン、スイトナー、とはならず。惜しい・・・。というのは半ばJoke。
 今回も最近の演奏から。ということながら、壮絶にマイナー路線選曲だったのは、ちょっと方針にブレが出ているか。
 まず、アシュケナージで、チャイコの交響曲第3番。デュトワは、ラベルの「マ・メール・ロア」。サヴァリッシュは、とどめだ、シューマンの「序曲、スケルツォとフィナーレ」。これはどうか。せっかく前回「扉を開いた」のに、有名路線から見事はずして。面白くないや・・・と思う向きも少なくないかなあ。
 ただ、個人的には多いに楽しんだ。特にシューマン。何度も聴くうち、耳になじむ。楽想自体は魅力的。ただ、楽章構成とか、第1楽章の序奏と主部の関係とか、ようは、主題の並びがどうも名曲にさせない要因だと感じているが、結果、昨年の定演のBS放映から気になって何回か見るうち、ハマった。交響曲第2番の予告風な趣が嬉しいし、やはり、シューマン、じわじわゆっくりと自分に染み付くなあ。ほって置けない音楽たちだ。

(2005.4.16 Ms)

 4/17(日)放送
 音楽百科「愛から生れた音楽」
 エルガー「愛のあいさつ」、おしどり夫婦の代表格。そして、この手の企画では、代表作、有名作、定番である。2004.8.29、「ほっとコンサート」より。
 ショパン、ピアノ協奏曲第2番より第2楽章。第1484回定期(2003.4.11)。デュトワ指揮、ネルソン・フレーレ独奏。若き頃の成就しなかった恋。
 ワーグナー、楽劇「ジークフリート」第三幕フィナーレ。第1480回定期(2003.1.24)。イルジ・コウト指揮。妻コジマの誕生日の朝に自宅で初演した「ジークフリート牧歌」と同一テーマが使用。
 最後は、夫婦の別れの音楽。・・・おお、バルトーク。容赦ない選曲、ありがたい。ピアノ協奏曲第3番より第2,3楽章。第1411回定期(2000.6.24)。デュトワ指揮、アンドレアス・ヘフリガー独奏。
 バルトークの絶筆。自分の死後、ピアニストである妻が経済的に困らぬように、という配慮から生れた作品。バルトーク本来の尖った前衛性は後退し、シンプルで、素朴。特に第2楽章など、優しさにあふれている。ふと、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番の第2楽章なども思う。自分の息子のために書いたその作品も、家族の穏やかな眼差しに満ち、ありのままの「人間性」を感じさせる。それはともかく、この時期に、バルトークの音楽を聴いて、また、妻を思う夫の心情など思いを寄せつつ、大河内奈々子さん同様に、涙を禁じえない・・・。
 第2楽章、穏やかな時間が流れてるな。異国の地にあって、かつて二人で、故国ハンガリーの野原を巡る姿など思わせる。中間部の民謡的な節回し、子供っぽい断片的なモチーフ、この人懐っこさ、彼の音楽にとってはなかなか見られない。やがて緩やかな楽想が回帰、思い出がスローモーションで少しづつ回想されてゆくようでもある。バルトークがごく稀に見せる優しさ(そこには、音楽的な「易しさ」も伴う)、深く感銘を受けた。幸福の絶頂よりも、別れを目の前にして、「愛」はじわじわと感じられる。

 4/24(日)放送
 通常はゲストの会だが、この4月からパーソナリティの大河内さんの紹介を。
 選曲は、最近半年くらいの間の演奏が主で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第1楽章、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲第3楽章、ホルストの「木星」。そして、最後はこの4月から、トゥーランガリラ交響曲に代わり番組のテーマ音楽となった、R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、これだけはやや昔の演奏、サヴァリッシュの前前回の来日、第1443回定期(2001.10.26)。軽率な印象のある曲ながら、貫禄あるどっしりした安定感だ。速過ぎず、雑にならない、隙のない演奏。個人的には、特に陰のある部分にも光があてられて、その部分の印象が強く残った。ただ、華麗にオケを鳴らすだけに留まらない点に好感を持った。

 5/1(日)放送
 最近の演奏会から。4月、準・メルクル指揮で、ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」。第3曲から最後まで。それにしても、長い!また、ミサとは思いがたいほどのテンションの高さ。作品としては、同時期の「第九」との響きの親近性なども感じられる。
 また、Vn.ソロの長大な旋律など、優しさに満ち、効果的であり、それが聴きようによっては、シューベルト晩年の「天国的な長大さ」に繋がるような雰囲気。
 さらに、Vn.を除外したオーケストレーションの箇所など、ブラームスやフォーレ(それぞれのレクイエムを持ち出すまでもなく)の独創かと思いきや、こんな偉大なるベートーヴェンの先例があったとはつゆ知らず、自らの不明をただただ恥じる。高名ながらなかなか親しむに至らなかった「荘厳ミサ」にちょっとでも触れる事が出来たのは良かった・・・しかし今の自分には疲れる・・・ブルックナーは昔からながら、マーラーの長大さに至っても辟易気味な自分にとって・・・という意味で。

 5/8(日)放送
 名演奏プレーバック。アンドレ・プレヴィン。
 指揮者兼ピアニストとして、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番。第1273回定期(1998.5.9)。ハ短調のもので木管の活躍も心地よい佳作。
 指揮者として、メンデルスゾーンの「イタリア」。第1273回定期(1995.10.25)。10年前の演奏、軽さや流暢さも感じられるのだが、それよりは、随分と骨っぽい、ドイツっぽさが今にない味わいとして懐かしく。

 5/15(日)放送
 音楽百科「24色の音パレット」。調性について。ハ長調の「運命」フィナーレ、「マイスタージンガー」。ハ短調の「運命」冒頭、「オルガンつき」、「復活」。ホ短調のブラ4、チャイ5、「新世界」など、ざっと並べて、調性のもつ雰囲気を感じる。
 演奏は、英雄的調性の変ホ長調で、モーツァルトの39番後半、2003年の演奏。
 ト長調のソロをロ長調でオケが受ける、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。第1楽章。2004年の演奏。
 最後は、調性を超越して、メシアン「神の現存の3つの小典礼」第3曲。2004年の演奏。

 5/22(日)放送
 女優、香川京子を迎えてのゲストの会。池辺晋一郎氏の親戚であったりもする。曲は「カルメン」前奏曲、「白鳥の湖」、モーツァルト「レクイエム」、ベートーヴェン「皇帝」など、抜粋で。先の2曲は2000年、後の2曲は2005年の演奏。「白鳥」は、スヴェトラーノフの演奏。第1414回定期(2000.10.6)。もの凄く遅い演奏。もたれるの何の。でも、「ワルツ」など、繰り返しのたび、極小の音量でリピート。実際のバレエでは聞こえなくて踊れないんじゃないかという音量での演奏は緊張感満点。通俗的な手あかまみれな作品ながら、集中して聴かせてしまう手腕に脱帽。返す返す、彼の演奏に立ちあえなかったのが悔やまれる。この演奏も今まで知らなかったものだが、「伝説の名演」と断言させていただこう。
 蛇足ながら、別件。1984年のNHK「徹子と気まぐれコンチェルト」という番組でのワンシーン、若き井上道義氏が、ピアノ連弾に参加していた映像など貴重である。私が子供時代、好んで見ていた「音楽の広場」の後続番組。ということで懐かしくもあり。

(2005.6.6 Ms)

 6/5(日)放送
 最近の演奏会から。5月定期、パーヴォ・ヤルヴィの指揮。今回は1541回定期から3曲。
 ヤルヴィのお国モノ、エストニアの作品で、ペルトの「フラトレス」。ヒラリー・ハーンをソロに迎えて、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番。そして、ショスタコーヴィチの交響曲第5番。こちらはフィナーレのみの放送。
 楽譜に忠実に、緻密な演奏を聴かせたショスタコーヴィチ、全曲も是非聴かなきゃ・・・これが近年稀にみる名演だ。このシリアスさは尋常ではない・・・奇数楽章のレベルの高さ、是非ご確認をいただきたい・・・が、全曲の感想は、別項にて。
 ハーンのプロコフィエフ、余裕の演奏。しかし、数年前TV放送された、ベルリン・フィルを相手に生意気なほどに、完璧さを見せ付けたショスタコーヴィチの1番の印象が強くて、それに比較すればあっさり、という感じ。プロコフィエフ作品には、もっと、がむしゃらさ、汗が感じられても良さそうながら、クールに過ぎたか。もちろん、素晴らしい演奏には違いないが、私の期待とは違う形の演奏、ということ。
 ペルトは、数ある「フラトレス」のバージョンで、オケ版を初めて映像で見た。弦楽と打楽器のためのもの。打楽器は、拍子木を叩きつつ、その拍子木で同時に大太鼓を叩くという、かなり面白い効果。これを視覚的に確認しただけでも儲けモノ。それはさておき、弦のなんと静謐なこと。

 6/12(日)放送
 名演奏プレーバック。ハインリヒ・シフ。チェロ協奏曲を2曲。ハイドンのニ長調、そしてドヴォルザーク。
 ハイドンは第922回定期(1984.2.1)。ホルストシュタインの指揮が懐かしい。また曲としては、意外にソロ・パートが細かな動きで技巧を見せてくれる。第3楽章は聴き覚えもある。
 ドヴォルザークは第1121回定期(1990.10.12)。改めて聴くと、泣かせるいい曲だ。フィナーレの後半の、故郷を懐かしむ雰囲気など、心を揺さぶるもの。ただ、構成的には、ロンド形式風ながら、フィナーレ冒頭の演歌調の主題がどんどん影が薄くなっていて、形式上は破綻しているようにも思えるが、楽章後半は、ロンドの副主題が主導権を握って(Vn.ソロとの心暖まるデュオ)悲愴味よりは、安心感を増して、でも一抹の淋しさを伴って、フィナーレ冒頭からは違う次元へ移行して行く。そのさまが、ふと、シューマンの交響曲第2番のフィナーレとだぶる・・・たしかに、第1楽章の主題の回帰も、フィナーレの後半の雰囲気の中で何らの違和感もなく挿入されているあたり、似通った気がするのだ。うまく拝借したなあ、ドヴォルザーク。最後に、あのエンディングは、いつ聞いても笑みがこぼれます。

(2005.6.20 Ms)

 6/19(日)放送
 音楽百科。「日本の音、西洋の音」。日本の伝統を背負って作曲しなきゃいけないという「業」について池辺氏が語る。
 日本音楽の特徴・・・@まずは、5音音階。わかりやすい例として、民謡から拝借、で、池辺晋一郎氏自らの作品で「河・叫ぶ」(1988.8.1)。なんとも気の効いた楽しいオーケストレーションで、池辺氏の職人ぶりが彷彿。器用なもの。
 そして、この手の説明ではお馴染みのプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番のフィナーレ、第1543回定期(2005.6.11)。ロシア革命を避けてアメリカに亡命する途上で立ち寄った日本で聞いた民謡「越後獅子」に着想を得たもの。今回はじめて、「越後獅子」を聞いたが、旋法を借りた程度で、そんなに似ているわけでもないか。でも、日本人なのに、日本民謡のほうを永らく存じなかった私、こういう日本人も多かろうに、こんなんで日本人やってていいのか、とも思う。
 さて、特徴A One By One。日本に特徴的な、拍子感のなさ、これは武満氏にご登場か。「ウォーター・ドリーミング」、第1532回定期(2005.1.14)。
 さらに、作曲家、池辺氏が解説するからには、こんな高度なことも・・・特徴B「ヘテロフォニー」の概念。機能的な和声という作り方でなく、同じ旋律のズレが和音的な状況が偶然作られる・・・この「ヘテロフォニー」とくれば、西村朗氏。「2台のピアノとオーケストラのためのヘテロフォニー」、(1988.5.23)。初めて聞かせていただくが、同音連打を多用した、ピアノらしからぬ音響のるつぼ。まるで、ハンガリーの民俗楽器ツィンバロンを思わせもする。面白い効果だ。呪術的な不可思議な雰囲気が独特。打楽器作品でもお馴染みな西村氏、あらためて、今後いろいろ聴いてみたい作曲家だ。そういえば大学生の頃、名古屋で彼の個展を聴いたなあ・・・打楽器作品を主に集めてのもの。「ケチャ」の感激忘れられず。
 最後は、和太鼓を使って景気良く。豪快な作風と来れば、故・石井真木氏。「日本太鼓とオーケストラのためのモノプリズム」、第731回定期(1977.10.6)。

 6/26(日)放送
 三味線プレーヤー、上妻宏光氏を迎えて。まだ若く、さまざまな分野とのコラボなども盛んに。茨城出身で津軽三味線を始めたので、抵抗なくいろいろチャレンジも出来るという。最後は、池辺氏のピアノと即興であわせ。
 さて放送された演奏は、邦楽器を加えての演奏ということで、まず、東儀秀樹氏の共演で「タイタニック」のテーマ(2003.7.20)。と柔らかく始まり、ゲストの好きなショパン、ピアノ協奏曲第1番、第1楽章をユンディ・リのソロで、第1493回定期(2003.9.4)。最後は、西洋の民俗楽器ツィンバロンの登場、コダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」(後半3曲のみ)第1277回定期(1995.12.2)。デュトワの指揮。やや慣れてきた最近の演奏に比べ、なんと生き生き、カラフルな演奏か。

(2005.7.2 Ms)

 7/3(日)放送
 最近の演奏会から。第1543回定期、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、シューマンの「ライン」。今回の5月定期、3回ともパーヴォだったが、すべて質の高い集中力ある演奏が聴けて良い。「ライン」も概ね満足。冒頭から楽譜の改変があったのに驚いたが(第1楽章主題提示の2回目で、主題がカノンのようにホルンが2手にわかれて演奏・・・かっこいい効果だ。楽譜上は追っかける方が木管だけなので普段はまず聞こえない。話によるとマーラーの改訂とのこと)、全体的に躍動感ある演奏で良い。「シューマンの交響曲はブラームスのそれより価値がある」といったパーヴォのコメントに並々ならぬ意欲、愛情を感じる。前回の来日時も「春」を取り上げていた。
 続いて、第1544回定期、タンドゥン指揮、「だったん人の踊り」。何でまた現代作曲家がこの作品を・・・といったところだろう。彼の新作「ザ・マップ」(チェロとビデオとオーケストラのための協奏曲)の演奏に先だって演奏されたもの。ロシア的熱狂はあまりない。テンポも落ち付き、どちらかといえば堂々たる演奏か。ゆったりとした叙情的テーマも歌いすぎず控えめなもの(特に中間部のチェロ)、やや物足りなさを感じたのは事実。

 7/10(日)放送
 名演奏プレーバック。女流中堅ピアニストで、モーツァルトのピアノ協奏曲を2曲。
 アンヌ・ケフェレックで、第9番「ジュノム」、第1350回定期(1998.4.23)、アラン・ギルバートの指揮。
 もう1曲は、イモジェン・クーパーで、有名なニ短調、第20番、第1215回定期(1993.11.11)、指揮はナツカシのホルストシュタイン。
 それにしてもジュノムは長い曲だった。第3楽章、中間に緩徐楽章みたいな楽想が挿入されて、なかなかに意欲的な構成、若きモーツァルトの野心か。

(2005.7.13 Ms)

 7/17(日)放送
 音楽百科。「名旋律に名伴奏あり」。
 モーツァルト「セレナーデ」(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)より第3、4楽章、第1500回定期(2003.11.19)。まずは、単純な伴奏の形。
 シューベルトの「未完成」第1楽章、(2002.7.26)。マルク・アルブレヒトの指揮。特に第2主題のシンコペーションの伴奏が魅力的と。演奏自体はかなり、スケール感を意識したもの。
 ワーグナー「タンホイザー序曲」、第1510回定期(2004.2.27)。怒涛のVn.の音符だらけの伴奏を。ワルベルクの忘れ難き演奏。
 ブラームス、交響曲第3番第3楽章。細やかな伴奏の重なり。サヴァリッシュの指揮、演奏年代表示されず、2000年頃のものか。

(2005.7.26 Ms)

 7/24(日)放送
 ゲストは、落語家、林家正蔵。以前の「こぶ平」。
 音楽にも造詣深く、子供時代はブラスでユーフォニウムも演奏。という関連でジャズなどもお好きなよう。
 ということで、まずは意外な選曲で、ショスタコーヴィチ、バレエ組曲第1番から「叙情的ワルツ」「ギャロップ」。北原幸男指揮、第1250回定期(1995.1.12)、池辺氏の「ジャズの影響を受けた曲です」、なんて解説の後で聞けば、私なんぞ「どこが??」と思いきや、正蔵師匠、「ビックバンドの雰囲気がしますよね」などと、お気に入りの模様。確かに、通常のクラシック音楽を思い浮かべたところに、このショスタコのはじけた音楽が鳴れば、ビックバンド・ジャズはあながち遠くはないか。
 次は、ジャズとの関連性がサックスがらみで、「展覧会の絵」から「古い城」。デュトワ指揮、第1485回定期(2003.4.17)。
 後半は、最近の演奏から。子供に習わせているチェロがらみで、シューマンのチェロ協奏曲第1楽章、第1542回定期(2005.6.3)。
 最後はお気に入りの曲とかで、ストラヴィンスキー組曲「火の鳥」、第1545回定期(2005.7.2)。

(2005.8.2 Ms)

 8/7(日)放送
 夏の特番、上野の森、そして奏楽堂より。明治期、洋楽導入の最先端であった東京音楽学校。
 日本最初に演奏された交響曲がシューベルト「未完成」だそうな。という縁で、ワルベルクの指揮にて第1楽章を聴く。随分スローな、でも印象的な演奏。
 奏楽堂の歴史について、フォーレの「レクイエム」にのって、奏楽堂の保存に尽力した、芥川也寸志、黛敏郎氏のありし日の姿が流れたのは感動的だった。
 東京芸大の構内にて、池辺晋一郎氏の友人、ピアニスト高橋アキ氏と合流。当時の彼のピアノ曲の楽譜など懐かしくながめていた。彼の師、池内友次郎氏がボレロの初演を聴いた話なども話題に、ということで、デュトワ指揮の「ボレロ」、これはBSでも以前見ているが名演中の名演だ。
 また、彼の師の一人、三善晃氏の「管弦楽のための協奏曲」を聴く(2002.7.18)。勢いある作品だ。暴力的なリズム、激しいオケの咆哮、面白く聴いた。

 8/14(日)放送
 夏の特番第2弾、日本の西洋音楽受容の2つの舞台を訪ねる。
 まず日比谷公会堂。昭和初期、こけらおとしで演奏されたのが「椿姫」から。前奏曲をシモーネ・ヤングの指揮で(2003.10.5)。
 1947年の、ブラームス没後50年祭のビデオ映像は貴重だ・・・「子守歌」で有名なブラームス・・・というナレーションが、当時のブラームスの評価を物語るか・・・まだまだ交響曲、室内楽が親しまれていない時代、ブラームスの代表作は「子守歌」なわけだ。
 池辺氏の思い出としても、数々の現代作品の初演に立ちあったというものがあり、その中からショスタコーヴィチの交響曲第11番をフィナーレのみ今回聴く。北原幸男氏の指揮で(1992.3.25)。この演奏、当時も聴いた記憶はあるが(とうとうこんな作品もN響がとりあげるのか、と感無量)、今聴いてもやはり、血の気が薄いのが残念。
 もうひとつは東京文化会館。これまた池辺氏の思い出話から、N響、小澤氏によるメシアン「トゥーランガリラ交響曲」日本初演。番組では外山雄三の指揮で第10楽章を聴く(1985.3.27)。最後に、アンセルメ指揮によるブラームス交響曲第3番から第4楽章を(1964.5.30)。かなり古い演奏で音も聞き取りにくいながら、意外に技術的にも難なくいい演奏と感じられた。

(2005.8.21 Ms)

 8/21(日)放送
 夏恒例の「ほっとコンサート」。ジュニア・オーケストラとの共演がメイン。
 まずN響のみで「ルスランとリュドミラ」。子供達が「ファランドール」。共演で、「フィンランディア」「白鳥の湖」。オーソドックスなるプログラム。

 9/4(日)放送
 こちらも夏恒例の「N響・夏」2005。若手キンボウ・イシイ・エトウの指揮。アンナ・トモワ・シントウのソプラノでオペラ・アリア。そして、ウィーン・フィル若手ハーピスト、クサヴィエ・ドゥ・メストレ(男性です)のソロで、ボアエルデューのハープ協奏曲ハ長調。古典派の枠の中での作風なれど、第1楽章のみハ長調、第2、3楽章がハ短調という意外性に満ちた展開。第2楽章冒頭の調性が不安な部分も以外だったが、第3楽章が先行楽章の雰囲気を継続させて始まった時の意外性は強烈に耳に残る。まして、その主題の旋律自体が、忘れようにも忘れられない雰囲気を持っている。面白い作品をありがとう。典雅ではあるが、ハ短調、ベートーヴェン的運命のムードがどこかに潜んでいる。力強いメストレのソロも、何となく画一化された古典のハープ協奏曲のイメージと違う意外性があって好感。

 9/11(日)放送
 名演奏プレイバック。惜しくも今年亡くなった、ガリー・ベルティーニ。ストラヴィンスキーの「ペトルーシカ」、第1013回定期(1987.2.6)。お得意、マーラーの交響曲から、第3番のフィナーレ、第1014回定期(1987.2.13)。
 やや意外だが、ペトルーシカの変拍子の鮮やかな棒さばきが印象的。多彩な場面に即した表現力の豊かさにまず目を見張る。ただ、マーラーもせっかくならもうすこし華やかな部分が聴きたかったか。最近に比べ、骨太な演奏を聴かせてもらえたのは嬉しいが。
 日本のマーラー受容の歴史に多大な功績を残したパイオニアに、再度、敬意を表したい。

 9/18(日)放送
 音楽百科。「タンドゥン」の特集。中国が生んだ、今や世界的作曲家である。この6月の定期及び、ミュージック・トゥモローの演奏会から、彼自身の指揮により、かなりユニークな協奏作品を2曲。「紙楽器のための協奏曲」と、チェロとヴィデオとオーケストラのための協奏曲「ザ・マップ」
 両者とも、作曲家のルーツに根ざす、民俗的発想が興味深い。
 「紙楽器」は、3人のソリストが、天井から吊り下ろされた紙を叩いたり、紙をくしゃくしゃ音を立てたり、草笛のように音を出したり、パフォーマンスが面白い。
 「ザ・マップ」は、中国に伝わる少数民族の伝承音楽を映像で流し、また音声を流しながらオケとチェロが絡む。チェロがまるで、民俗楽器のような雰囲気に聞こえてしまい、全く違和感なく融合している。

 9/25(日)放送
 坂上二郎氏を迎えて。コント55号つながりで、作品55・・・「英雄」を聴く第3楽章。スクロヴァチェフスキ指揮。第1511回定期(2004.4.9)。軽やかな速さ、その速さのなかでのホルン・トリオの絶妙さ。アラ・ブレーヴェの部分の強調の激しさ。若々しくいい演奏だ。
 「こうもり」序曲。シモーネ・ヤング指揮。(2003.10.5)NHK音楽祭。かつて「こうもり」の舞台に道化役として出演した思い出。
 序曲「1812年」。岩村力指揮。(2004.8.29)ほっとコンサート。大砲が出てくる趣向の面白さ。しかし、演奏自体は、テンポの緩さもあって緊張感を欠き、ややしらけた感触強し。
 ドボ8のフィナーレ。タルミ指揮。第1519回定期(2003.6.24)。元気が出る音楽、ということで。演奏も、躍動的で、またチェロの充実感も良い。
 なお、番組内では、池辺氏のピアノ伴奏で、カンツオーネも披露。脳梗塞で倒れたというのに復活した気迫、努力に敬意を表したい。

(2005.10.3 Ms)

 10/2(日)放送
 最近の演奏会。ピンカス・スタインバーグの指揮。第1549回定期(2005.9.16)。シベリウスの交響曲第2番。極めてオーソドックス。ただ、フィナーレにおいてやや音楽に揺れが生じ、それがアンサンブルの乱れと感じられないではない。その他に、第1547回定期(2005.8.31)より、モーツァルトの「ドンジョバンニ」序曲。来年のモーツァルト記念年に向けてのオール・モーツァルト・プログラムの演奏会から。

 10/9(日)放送
 NHK音楽祭の紹介を兼ねて、音楽祭に登場する二人の女性ヴァイオリニストの過去の演奏から。
 庄司紗矢香でショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番、第1468回定期(2002.9.18)、指揮はデュトワ。竹沢恭子で、ブルッフのスコットランド幻想曲、第1425回定期(2001.1.17)、指揮は準・メルクル。
 前者は、難曲をかっちり巧みに完成させている。若くしてこの重厚な作品を難なく弾きこなしている。味覚はやや淡白か。「凄み」をもっともっと今後期待したい。
 後者は、余裕のなかに濃厚な表現を見せ、曲が淡白な割には楽しめる演奏。ハープの好演も手伝って、個人的さほど親しむ機会にない作品ながら好印象を与えてくれた。

 10/16(日)放送
 音楽百科「よみがえった変奏形式、パッサカリア」。「おしそうな名前ですねえ」という奈々子嬢のフリからお気楽に始まりつつも、最近になく、マニアックな選曲が後半に目白押し。誰がこの展開を予測し得たか。
 さてまずは、ロマン派以降の変奏曲大家ブラームスの登場とは王道なり。「ハイドン変奏曲」の終曲、第1501回定期(2003.11.27)、ローター・ツァガロゼフ指揮。
 さらに、これこそ、今回の企画に相応しい、ブラームスの4番第4楽章。あまりにオーソドックス。バロック以降の管弦楽作品によるパッサカリアの代表に異存はあるまい。NHK音楽祭(2004.10.3)、ネルロ・サンティ指揮。
 続いて、なんと、新ウィーン楽派から、ウェーベルンの「パッサカリア」作品1。このあたり、池辺氏、さりげなく現代音楽への布石を打っているか。この4月から、パートナーの交代に伴って、ややソフト路線に転向か、と思ったのも束の間、「音楽百科」での現代作品が増傾向。個人的には応援したいが、ついてゆくのが結構大変?いやいや、古典・ロマンばかりじゃ、21世紀を生きて行けまい・・・先入観なく、奈々子嬢と共に、現代音楽の洗礼を受け、はば広い感性を身に付けよう・・・と思うがいかに。後期ロマン派の延長にあるという感覚はある。かつ、ブラームス的な構成。シェーンベルクや、ツェムリンスキー同様に、ワーグナーとブラームスの融合は、かすかに感じられないか。第1537回定期(2005.2.23)、ジャナンドレア・ノセダ指揮。
 そして、出ました、ショスタコーヴィチだ。交響曲、室内楽、オペラ、ととにかくパッサカリアを多用した彼の作品が一覧表でずらり、随分丁寧に説明してくださる。ブラームスよりも凄い変奏曲大家という位置付けと皆さんお思いになろう。ショスタコーヴィチがブラームスを凌ぐ時代に生きる自分に涙してしまうよ。しかし、この交響曲第8番の演奏はどうも・・・実は定期の生中継をFMで聴いたのだが、力ない演奏にショックを受けた。第4楽章だけを聴けばさほどそんな印象も受けないが・・・第1551回定期(2005.9.30)、アシュケナージ指揮。
 ここからの展開が凄かった。ヒンデミットの「気高い幻想」から、第1274回定期(1995.11.11)、サヴァリッシュ指揮。10年前とはいえ若々しい指揮ぶり・・・この秋の来日中止を残念に思う。N響のある意味、「顔」のお一人だもの。しかし、以外に面白い、聴きやすい作品だ。金管の気持ち良い吹奏、ヒンデミットも無視するには惜しい作品多々あり。
 続いて最後に、これまた予想だにせぬ、ウォルトンの「ヘンリー5世」から、第980回定期(1986.1.22)ピンカス・スタインバーグ指揮。これまた、20年前の映像、ちょうど先月の定期が彼の指揮、額のシワが深く刻まれたところに時間を感じさせるなあ。そんなこと考えている間に曲は終わってしまった。

 10/23(日)放送
 歌舞伎の、中村吉右衛門氏を迎えて。演奏は比較的最近のもの。特筆すべき点はなかろう。
 マーラーの5番第1楽章、第1503回定期(2003.12.11)、マッシモ・ザネッティ指揮。ブラームスのピアノ協奏曲第1番第2楽章、第1545回定期(2005.7.2)、アンドレイ・ボレイコ指揮。「ウェストサイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス抜粋、N響「夏」公演(2003.7.25)、ジェームズ・ジャッド指揮。

(2005.10.29 Ms)

 10/30(日)放送
 9月定期から幻想交響曲をまるごと放送。

 11/13(日)放送
 10月のヨーロッパ公演から、ウィーン楽友協会大ホールにての録画。アシュケナージの指揮。
 前半プロ2曲。武満徹「鳥は星型の庭に降りる」。R.シュトラウス「4つの最後の歌」
 武満作品は、デュトワの時も海外でよく演奏しているようだ。個人的には当作品は今ひとつひっかからない。聴衆の反応も熱狂ということもなさそうだ。シュトラウスは良かった。歌手がとにかく良い。たっぷり情感をもって迫力も充分。特に最後の「夕映えに」は例えようもなく美しい。アルプス交響曲の終末付近を思わせる暗い和声、音響。そして、どこに解決するか知れぬ絶妙な感覚。「死と変容」の主題が忍び寄るのも感慨深い。途中歌詞で歌われる「ひばり」2羽がフルート、ピッコロで暗示されるのも印象深い。心底からの感銘。
 余った時間は、第1551回定期(2005.9.30)から、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。第3楽章抜粋。独奏はレーピン。余裕かつ歌心満載な安定ぶり。この演目も海外で演奏されている。

 11/20(日)放送
 ウィーン公演の後半プロ。ドビュッシーのバレエ音楽「遊戯」。未知なる作品。どうも、ストラヴィンスキーの影響を受けたんじゃないか。「火の鳥」的な節回しや、また、木琴の使用が「ペトルーシカ」を思わせもする。ただ全体的に散漫な印象。
 ラベル「ダフニスとクロエ」第2組曲。デュトワの薫陶を受けただけに良いレベルの演奏と言えようか。こういったプロでアシュケナージが挑戦するのもよくわからないが、デュトワ路線への敬意があるのかしら。木管楽器、打楽器を中心に奏者の生き生きした演奏ぶりが好感大である。
 アンコールは、フランスものを続けて、フォーレの「パヴァーヌ」。心穏やかにさせる名曲である。

(2005.11.27 Ms)

 11/27(日)放送
 作家、石田衣良氏を迎えて。デビュー作「池袋ウェストゲートパーク」以来、クラシック音楽も小説の中にさりげなく挿入させているほどの音楽通。決して昔からクラシックづいていたわけでもないらしいが、ロックが時代にシンクロしなくなった、なんて発言もあり、クラシックの深みにどんどんはまっていったようだ。この放送後、何げに本屋で彼の本をめくったらいきなり、ショスタコの6番の弦楽四重奏が活字として目に入る・・・なんと、こんな作品まで、と、へえ、と思う事しきりであった。
 さて、放送された曲は、まず、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番より第3楽章。ピエール・ロラン・エラールのソロ、デュトワ指揮。第1530回定期(2004.12.8)。なにかと最近聴く機会も多く、それでいて飽きがこない。主題の面白さ、才気あふれる勢いの良さ。楽天家ベートーヴェンの素顔をよく現わした作品だ。オランダ系の血筋の、「不羈性」、つまりは束縛を良しとしない奔放さ・・・今の時代、今の閉塞感に満ち満ちた世相に訴えるものははかりしれない。やはり、ベートーヴェン、不変な普遍性。自分の中でもじわじわと存在感を増している。
 ストラヴィンスキー「春の祭典」第2部の後半。これもデュトワ指揮。第1421回定期(2000.11.30)。デュトワも最近はN響では不調気味に思えてしまう昨今、蜜月時代の、得意の十八番、いいじゃない。その他、モーツァルトの交響曲第25番第1楽章。ジェームズ・ジャット指揮。第1535回定期(2005.2.12)。ハイドンの「時計」第4楽章。サンティ指揮。第1489回定期(2003.5.28)。

 12/11(日)放送
 最近の演奏会から。N響奏者をソリストに迎えての、モーツァルトの協奏曲2曲。
 第1555回定期(2005.11.23)。Vn堀氏、Va店村氏による協奏交響曲。2人のソロが、トリルの動きまで同じなのは驚いた。自然な感性の共有ということか。学生時代からのつきあいゆえの確固たるアンサンブル。また二人の個性の相違も面白い。堀氏は、音程の狂いも全くない演奏ぶり。店村氏は、細やかな配慮が隅々まで心配られていて、絶妙な歌心を聴かせてくれる。個人的には店村氏の演奏に、より心惹かれる。
 第1546回定期(2005.7.8)。クラリネット協奏曲。横川氏のソロ。明るく朗らかなキャラクターがマッチしている。ただ個人的には何と言っても、N響の演奏では、クラリネット協奏曲ならニールセンの協奏曲のインパクトが強いのが正直なところ。もっと取りあげて欲しいな。

 12/25(日)放送
 映画監督、実相寺昭雄氏を迎えて。ウルトラセブンのTVシリーズの監督でも有名。最近作での音楽担当が池辺氏という縁もあってか登場。
 以下、放送された演奏は、
 第1549回定期(2005.9.16)。シベリウスのヴァイオリン協奏曲より第1楽章。
 第1417回定期(2000.11.3)。朝比奈隆氏最晩年の指揮でブルックナーの「ロマンティック」第4楽章。92歳である。それだけでも充分に感動である。奏者の気迫もまた感じられる。ここまでで、随分時間も経ってしまったが、最後に出ました・・・
 第1551回定期(2005.9.30)。アシュケナージ指揮のショスタコーヴィチの8番より第2楽章。実相寺氏と言えばショスタコーヴィチの音楽への造詣の深さを物語るコメントなどもかつて雑誌で読んだこともあるが、やはり取りあげてくれましたか。番組の中でも、「我々はスポンサーあっての仕事をしているが、そのスポンサーとのせめぎあいの中で、これだけレベルの高い、また多彩な音楽を作り出せたのは尊敬の値する・・・」といった内容のことをお話していた。池辺氏も同調し、モーツァルト生誕250年の影に隠れがちだけれど来年2006年の生誕100年をおおいに盛りあげたい、と。

 没後30年がやや地味に暮れ行くなか、2006年、おおいに期待したい。そんな意味でも、2005年最後のN響アワー、ショスタコで締められたのは頼もしい。私が明確にショスタコーヴィチの音楽を意識するきっかけになったものとして、没後10年の記念企画でNHK−FMにて1週間午前中のクラシック枠で特番をやっていたのを記憶する(高校時代か)。その頃から早20年、確実にショスタコーヴィチは世間の中で身近な存在となったことを痛感している。
 2005年、個人的には激動と悲しみの年ではあったが、ショスタコーヴィチの音楽の受容の歴史の生き証人としても今、生あることを感謝しつつ、N響アワーの項はここで筆を置く。民営化騒動含め、NHKの未来への不安もあるが、2006年もまたN響を通じて様々な音楽と出会ってゆきたいもの。

(2006.1.8 Ms)

 

N響 最近の演奏会から

 1月の定期は、アシュケナージによる指揮で、充実した演奏を披露。
 第1532回定期(2005.1.14)。
 コバケンの作品、「パッサカリア」が意外に面白い。日本と西洋の音楽を対比させながら、最後は東西の融合、平和の祈念。西洋の部分での弦楽器のソロ、特にチェロのソロ、訴えかけるものあり。その他、武満の「ウォーター・ドリーミング」、R.シュトラウス「ツァラトゥストラ」。弦の豊かさを堪能。やはり巧いものだ。団員も、指揮者といい関係を作っている。ノっている。
 1533回は放映なし。神戸での追悼演奏とほぼ同じ内容で割愛か。神戸でのモツレクは、N響アワーでも取り上げられ、そちらにて。

 第1534回定期(2005.1.29)。
 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ジャニーヌ・ヤンセンのソロ。うら若き女性奏者となれば、実力以外の面で先行してないか?などと当初思ってしまったが、けしてそんな演奏ではない。線の細い、いかにも上品な演奏というイメージで捉えられやすいように思うこの名作中の名作、なんと、ガツガツ、野性的なタフな演奏で押してゆく。面白い解釈だ。この作品で退屈させない演奏ができるのは素晴らしいこと。かぶりついて見させていただく。
 メインは、シューベルトの「グレイト」。これが、楽譜に指定された繰り返しをカットせずしっかりやってくれる。シューベルトの晩年の室内楽、ピアノ・ソナタなど昨年は聴く機会に恵まれ、そのそれぞれの「天国的な長さ」を痛感したところだが、その果てることのないモチーフの連続、この交響曲では、やや安っぽく聞こえてしまうものの、躍動感、幸福感がその「長さ」にしっかりと裏付けされ、単なる「長大さ」、否定的な「冗長さ」よりは、シューマンいわく「天国的」な「長大さ」が充分に体感される。当作の露骨な影響下にある「ブルックナー」的なアプローチというよりは、シューベルト自身の晩年の諸作との関連を思わせる、ピアニストゆえの感覚の成せる技とも感じた。個人的に、単なる指揮者でなしに、ピアニスト&指揮者ゆえに可能な演奏か、と感じるのだがどうだろう。こんな演奏なら、「グレイト」、もっと聴きたい・・・・この作品、プロ・アマ問わず、演奏のまずさが作品自体の評判を落としている要因の強いものの一例と常々思わせるんだよなあ。あくまで私的にすぎる感想ですが。アシュケナージ&N響、私の偏見を塗りかえる名演を今後ももっともっと期待したい。

(2005.3.13 Ms)

 2月定期。
 第1535回定期(2005.2.12)。ジェームス・ジャッド指揮。モーツァルトの25番。ハイドンのトランペット協奏曲。そしてホルストの「惑星」。
 「惑星」は期待したところなれど、やや不満(下手ではないのだが、魅了された部分に乏しく)。全体に無難にまとめた、という感じか。耳に残ったのは「金星」におけるVn.ソロがどうもガサツ、高い音が低めのピッチで、そのまま同じパッセージが1st Vn.全体で演奏される部分までもが気持ち悪い音程で繰り返されたのは、驚き。「天王星」のクライマックスでのオーケストラの熱狂、これは見た甲斐があった。

 第1536回定期(2005.2.18)。ジャナンドレア・ノセダ指揮。前半はR.シュトラウス晩年の珍しい歌劇からの作品。「カプリッチョ」Op.85から「月光の音楽」、「インテルメッツォ」Op.72から4つの交響的間奏曲。前者は、綺麗な曲という程度の認識。後者はなかなか楽しく気の効いたもの。ドタバタ喜劇を思わせるユーモアもあり。オケの中のピアノの使い方も面白い・・・まあ、時代的にはプロコフィエフが好んでやっていた頃になるのだろうが。しかし、込み入った管弦楽法はあいかわらず、なかなかスリリングに聞こえる箇所もあり。
 後半は、スイス現代のシェックのホルン協奏曲(感想はN響アワー3月第1週でも書いたところ)。最後に、ブラームスのハイドン変奏曲。やや、まとまりに欠けたか。指揮者と作品の相性の問題かな。

 第1537回定期(2005.2.23)。同じくノセダ指揮。今回は随分いい感じ。選曲が断然指揮者のキャラにあっていたと思う。
 まず、ウェーベルンの「パッサカリア」。ウェーベルンと聞くだけで敬遠・・・なのだが、なかなかどうして、聴き応えあり。2年前に都響で「オーケストラのための小品」を聴いた時も意外に面白さを感じたのだが、今回も感触は良い。マーラーの第九の世界をもっと推し進めたもの、と感じる。ただ調性感はかなり薄まっていて聴き辛いけど。
 同じくドイツ後期ロマン派の末裔的作品として、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。最近、彼の人生を追った特番を見たところで、関心も高かったのだが、やはり、オーケストレーションの巧みさがまず第一印象。映画音楽作家だけあって分りやすさもいい感じ、特にフィナーレは、アメリカ的、いやハリウッド的な趣が楽しい。ハリウッド的という形容は彼の経歴からの先入観によるところが大きいけれど、でも、後期ロマン派音楽の肥大性、豪華さ、調性と無調との大衆的なレベルでのバランス、などなどがアメリカで映画音楽とともに発展したのはどうも疑いなかろう・・・その線上にコルンゴルトは重要な結節点としているわけだ。なお、ソリストはレオニダス・カヴァコス。技術的にもかなり素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
 最後に、チャイコフスキーの交響曲第2番。なかなか聴く機会に恵まれない。どうも、安っぽい印象が強く、6曲中、私の中で最低の評価なのだったが、土俗性、たくましさを前面に押し出し、とにかく風のごとく駆け抜けるような極限的なロシア的アプローチが効を奏し、私の心を捉えた。特にフィナーレは特筆したい。4番のフィナーレよりもスリリングな展開・・・(4番のフィナーレのやや図式的な展開は物足りないのは確かだ。5番のフィナーレの持って行き方と比較すれば歴然)、5番のフィナーレの尋常ならぬテンションを先駆けるのは1,3,4番ではなく2番!!とまで熱狂してしまう私であった。この演奏に出会わなければ、2番の正当な評価を下せなかったかも。このような出会い方こそ望みたい。名曲を普通・無難(もしくは下手)に演奏するくらいなら、珍曲を名演で聴かせて!!作品を殺すような演奏だけはプロ・アマだろうが許されまい。

 4月定期。期待の準・メルクル氏ながら、選曲、演奏とも個人的には注目度低く。
 第1538回定期(2005.4.9)。準・メルクル指揮。ハイドンの協奏交響曲、リストのピアノ協奏曲第1番、バルトークの管弦楽のための協奏曲。協奏曲プログラム。バルトークが感銘深し。第1、3楽章の悲劇性、内面性の表出に深さあり。

 第1539回定期(2005.4.15)。同じくメルクル氏。演奏はアワーにても紹介されたが、「荘厳ミサ」なかなか疲れる。自分の成長を待ってコメントしたい・・・。正直、馴染めない音楽。

 第1540回定期(2005.4.20)。ベートーヴェン「皇帝」、R.シュトラウス「英雄の生涯」。アンドリュー・リットン指揮。とりあえず流して聞いた程度となった。特筆点はなし。「生涯」は、最近の自分のなかでのR再評価に乗って、いい感触を得られるかと期待するも、やはり、冗長な駄作と落ち付く。全ての部分で、魅力ある一瞬はあるも、飾り立て、大きく見せているだけで、全部つきあわされるのが不快にしか感じられず。ただ、演奏家を燃えあがらせる魅力には満ちているのだろう、熱演である。「闘い」が終わり、勝利の雄叫びへ・・・この爽快感、奏者の体一杯から発散されていた・・・チェロのやや年配の方、このノリは好感大。この一瞬がなければ、今月のN響、私にとっては全く記憶に残らないことになっただろう。

(2005.6.6 Ms)

 5月定期。充実した布陣を誇る北欧勢。パーヴォ・ヤルヴィの指揮で。かなり名演続きで嬉しい。
 ただ、選曲としては、お国もの、エストニアものも含まれているとは言え、肝心な「トゥービン」がないのは淋しい。生誕100年なのに。
 第1541回定期(2005.5.26)。この演奏会については、N響アワーでも紹介したので(6/5放映)、省略。ただ、ショスタコーヴィチの5番の張り詰めた緊張感は壮絶で、特筆すべき。第1楽章の提示部から、ぎりぎりの弱音を多用し、鬱積した感情があまりに生々しくさえ感じる。第3楽章もそうだが、その分だけ、感情の爆発が効果的、(いや、そんな他人行儀な表現でなく)必然性を伴った、迫真の演奏となっていた。N響にとっては、(また、私の知る限り、今年の日本にとって、とも言いたくなるほど)ショスタコ没後30年の記念イヤーの記念碑的演奏、と言ってはばからない。こんな演奏なら、聞き古された感もあるタコ5、何度聴いても感動は新たであろう。

 第1542回定期(2005.6.3)。シューマンのチェロ協奏曲、ラフマニノフの交響曲第2番。
 チェロ独奏は、トルルス・モルク。格調高い演奏といったところか。でも、シューマン晩年の、幻想味あふれる、感情むきだし、雰囲気先行の作品においては、やや物足りなさもないわけではない。あやうさ、はあまり感じない。冷めた、とまでは言わないが、意識のしっかりした健全さが、私には違和感が多少あり。もちろん素晴らしい演奏なのだが。
 その冷めた加減は、ラフマニノフの演奏にも引き継がれたのか、ただでさえ、うっとうしいくらいの濃厚な作品にしては、さっぱりと、爽快感をもって演奏した感じ。シューマンと違い、その路線が、ラフマニノフには好感が持てる。感情にまかせ、必要以上に脚色する演奏ゆえに、敬遠されがちな大曲。オケをダイナミックに鳴らし、また、感情過多に陥らないバランス感が、曲の爽快さを印象つけた。

 第1543回定期(2005.6.11)。7/3放映のN響アワーでも紹介された、「ライン」、これも好演。前回定期もシューマンを取りあげ、シューマン愛好家としては頼もしい存在だ、パーヴォは。何かとオーケストレーション上の不備を指摘されがちなシューマンながら、野暮ったさを感じさせないスマートなシューマン像を提供しているのが嬉しい。
 その他は、現代エストニアの作品で、トゥールの「アディトス」。半音階の順次進行が主な主題か。リズミカルな面もあり、とっつきやすい作品ではある。やはり北欧、現代においても、従来からの人間の感性に立脚した作品という感あり。
 トラーゼのソロによるプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。怪力で押しきる、初期プロコに相応しい「鉄と鋼」による音楽。細かな指まわりは少々難ありかもしれないが、些細なことを必要以上に感じさせない、勢い、が良い。アンコールのスカルラッティのソナタが意外に良かった。

(2005.11.2 Ms)

 6月定期。まずは、作曲家タン・ドゥンの指揮。第1544回定期。話題性にも富んでおり、7/3、9/18のN響アワーでも取りあげられた。
 前半は、チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」、ボロディンの「だったん人の踊り」。ロシア的な快速な無鉄砲さはなく、中国的なのか、デーンと大きく構えた鷹揚な感じ。あまり共感は持たなかったが。
 後半は自作自演となる、「ザ・マップ」。チェロとヴィデオとオーケストラの協奏曲。中国の少数民族の伝統的な民俗音楽とのコラボレーション。パフォーマンスとして興味深く見る。親しみ易さも充分。意外にこういうものは、何かきっかけさえあればブレイクもするだろう。ヨーヨーマのピアソラとか、シルクロード・アンサンブルの延長上にあるだろう。

 あと2回はロシアのアンドレ・ボレイコ指揮。第1545回定期(2005.7.2)は、ネルソン・フレーレのソロによるブラームスのピアノ協奏曲第1番。後半は、珍しいフランクの交響詩「のろわれた狩人」。そしてストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」(1919年版)。
 何と言っても、フランクが素晴らしい。日曜日の安息日に狩りをしたがために、死ぬまで駆け続ける狩人。金管を重厚に鳴らしまくったオーケストレーションがカッコイイ。冒頭のホルンも、充分注意を喚起させるもの。そして、鐘も動員して敬虔なる祈り。あとはひたすら狩りの情景。ベートーヴェンの7番第1楽章をもっと太らせたような(馬の駆けるお馴染みの6/8拍子的なリズムで)疾走。おおよそフランス的ならぬサウンド。ベルリオーズ、リストの影響下ながらも、金管の雰囲気は後のフランクの交響曲へつながってゆく重厚さがはっきり主張されている。スカッとさせる演奏で良い。

 第1546回定期(2005.7.8)。2003年の作品で、ボリソワ・オラスの「沈黙の王国」、モーツァルトのクラリネット協奏曲。プロコフィエフの交響曲第5番。前回に比べ印象は薄かった・・・。

(2006.2.10 Ms)

 N響ほっとコンサート。〜オーケストラからの贈りもの〜(2005.8.3)
 国会中継の影響で放送が延期になったまま、ようやく今、見ることができた。郵政政局のあおりを受けたのかな。随分、月日の流れるのは速いもの。
 山下一史指揮。「ルスランとリュドミーラ」序曲、「モルダウ」、「タンホイザー」序曲。
 東京ジュニアオーケストラソサエティの演奏で「ファランドール」。合同演奏で、「フィンランディア」。そして「白鳥の湖」語りつき。アンコールは「威風堂々」第1番。
 前半、この手の演奏会にしては、重いなあ。選曲も真面目すぎないか。そして、演奏も随分、巨匠風を目指したものと感じる。特に、モルダウの落ち着きぶりはやや違和感も感じる。もっと軽快にさらっとした感覚のほうが聴きやすいと感じる。ただ、トライアングルの響きが随分印象的。「鐘のように」と指定された存在感、なかなかこう巧くは聴けない。

(2006.4.18 Ms)

 9月定期。ピンカス・スタインバーグ指揮。
 第1547回定期(2005.8.31)。モーツァルト記念年シーズン開始を飾るオール・モーツァルト・プログラム。
 歌劇「ドン・ジョバンニ」、「魔笛」、「イドメネオ」の序曲及び、テノール独唱によるアリアを各歌劇から1曲。メインは41番「ジュピター」。端正で格調高く、美しい演奏。最後の壮麗なフーガの構築性など、N響の得意とするところか。

 第1548回定期(2005.9.10)。前回に続き、モーツァルトで、「セレナータ・ノットゥルナ」K239、ピアノ協奏曲第23番イ長調。ピアノ独奏はコルネリア・ヘルマン。メインはベルリオーズ「幻想交響曲」。
 「ノットゥルナ」は、弦楽合奏と弦楽四重奏およびティンパニという編成の異色作。コンマス・まろ氏も活躍である。どうもこのところ、ピッチのまずさがソロのたびに強調されていたが、ここでは美しい麗しさが感じられ良い感じ。曲自体も、軽さ・明るさだけでなく、異色の編成も効果的で、初期モーツァルトの作品でもトップ・クラスのものと私は認める。
 ピアノ協奏曲及び幻想交響曲については、まあ平均的な演奏か。ソロのヘルマン、リサイタルもBSで鑑賞しているが、モーツァルトに似合う闊達さに好感。

 第1549回定期(2005.9.16)。シベリウス名作プログラム。Vn協奏曲と交響曲第2番。
 2番はN響アワーでも放映(10/2)につき省略。協奏曲は、スザンヌ・ホウの独奏。やや荒めかな。ハーモニクスの巧さとか見るべきものもあるものの、全体にソロパートの難しさ、を感じさせてしまっているのは残念。オケ内部のアンサンブルの乱れも気になる。やや低調な演奏会か。

(2005.11.3 Ms)

 10月定期。まず始め2回は、アシュケナージ指揮。ヨーロッパ公演での演目中心。
 第1550回定期(2005.9.24)。
 委嘱作品で、ラウタヴァーラの「ブック・オブ・ヴィジョン」。美しい作品だ。もちろん不協和音にも彩られた、現代的感覚あふれるものながら。明快な「歌」がある。弦の使い方は、シベリウスの後輩にあたるスタンスを感じさせる。北欧の響きが、現代にも息づいている。
 R.シュトラウスの「4つの最後の歌」。これ以降の作品は、N響アワーのウィーン公演でも聴いている。自分にとってはリヒャルト再認識・再評価の契機となった。終曲の「夕映えに」の美感には感動させられる。なお、独唱は浜田理恵氏。
 ドビュッシーのバレエ音楽「遊戯」、ラベル「ダフニスとクロエ」第2組曲。N響アワーの項を参照。それにしても打楽器陣のノリが良かったなあ。全員の踊り。打楽器セクションの映像なかなか楽しめた。

 第1551回定期(2005.9.30)。
 レーピンの独奏によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。レーピンと言えば技術力の確かさが一番印象に残っているが、こういった近現代ものでない作品でも、細やかな歌心、デリケートな各音の表情つけなどでも充分聴かせる。
 ショスタコーヴィチの交響曲第8番。FMラジオでも生で聴いたが、金管に今ひとつの感あり。特に第3楽章の中間部の、西部劇風のトランペット・ソロの弱さはどうにもいただけぬ。全体的には、悲壮感、重厚感などいいものも多々あり。

 第1552回定期(2005.11.2)。
 サヴァリッシュの代役で、アラン・ギルバート指揮。メンデルスゾーン「イタリア」とベートーヴェン「田園」。
 概ね満足ゆく水準の高い演奏。ただ印象が薄い。いい演奏なのだが。「田園」の最後のうねるような弦の動きが躍動的に迫ってきたのは良い。特に2nd Vn.やはり内声が充実すると奥行き広く、音楽の深みを感じる。ただ、全般的にホルンの不調が残念。

 NHK音楽祭。「子どものためのプログラム」。小澤征爾指揮。「運命」。そして、マーカス・ロバーツ・トリオ(ピアノ・ドラム・ベースによるトリオとの共演で、ガーシュインのピアノ協奏曲)。最後に、委嘱作で、千住明の「日本交響詩」。
 「運命」は集中力あふれる演奏。演奏に先だって、やや楽器紹介・オケ紹介的なコーナーがあり、こどもを意識したコンサートでありながら、30分を越える大曲を、そっくりそのまま演奏するのだから、媚びていない。真剣勝負。第4楽章の白熱ぶりは、なかなかN響も普段見せてくれない姿。昨年末、サヴァリッシュを迎えてのベートーヴェンの7番以来じゃないか。
 ガーシュインは、ピアノ・ソロをさらにジャズ風なアドリブを加えたもの。オケも結構ノリがよい。冒頭のファゴットがジャズィな雰囲気を醸し出していたのも面白い。しかし、トリオだけのカデンツァ風な部分を挿入して、延々アドリブ大会、というのも多く、演奏時間も長くなったのは、こどもにとっては辛かったかさて。ただ、ジャズの紹介も兼ねて、演奏前に、「運命」のテーマを元にしたアドリブをやったのは楽しかった。
 最後の「日本交響詩」、日本民謡のメドレー。最後に、児童合唱が加わって、会場も一緒になって「さくら」。やや唐突な感じもしたが。気の効いたオーケストレーション。さすがに慣れたものだ、と思うと同時に、いかにも、という俗っぽさ。まあ、こむづかしく書いてもしょうがないか。ソーラン節あたりが叙情的に歌われていたのは印象深い。また、「あわ踊り」で児童合唱とオケの奏者による「えらやっちゃ、えらやっちゃ」なんて掛け声が入るのも面白い。

(2005.11.27 Ms)

 11月定期。第1553回定期(2005.11.12)。
 マティアス・バーメルト指揮。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ソロはヴィヴィアン・ハーグナー。そしてブラームスの交響曲第2番。
 全体的に深い印象のない演奏会か。特にブラームスは停滞感。テンポの遅い演奏もありとは思うが、ダレた感じがしてしまう。それでも、音程やらアンサンブルは標準以上のレベルを示しているから、名演とも言えようが、それ以上の何かが足りない。

 それに比較して・・・
 第1554回定期(2005.11.18)。
 同じくマティアス・バーメルト指揮。ブルックナーの6番に感銘深し。決してメジャーな存在でない6番。確かに、全体的に珍しく快活なリズムが前面に押し出され、普段のブルックナーとはやや違う雰囲気もある。そんな曲ながら、何かしら燃えあがるテンションの高さに満ちた演奏。第1楽章の主題提示からグングン聴くものを巻きこむ勢いが感じられる。ときおり見せる沖縄民謡みたいなリズム・音階がご愛きょう。第2楽章の深い精神性は7番に随分近いものと思う。第3楽章は、まるでマーラーを先取りしているかのようなオケの鳴りっぷり。冒頭が「悲劇的」と同じ発想なのも注意をひく。フィナーレは、最も説得力に欠ける構成。でも、演奏の燃焼力でその弱さはカバーし得たか。
 その他、モーツァルトのピアノ協奏曲第22番変ホ長調。ソロはイモジェン・クーパー。あまり聴かれないものではなかろうか。でも、クラリネットを使用し(そのかわりオーボエがなし)、同じ変ホ長調の交響曲第39番を思わせる音色が特徴的か。木管のアンサンブルも随所に重用され、その感覚はモーツァルトのハ短調の協奏曲との類似も思わせる。また、ベートーヴェンの第1番の協奏曲の緩徐楽章にも影響を与えているかも。
 もう1曲、そのベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲も充実した内容。

 第1555回定期(2005.11.23)。
 イルジー・コウト指揮。ブラームスの4番。印象深いもの。重さ、渋さよりは、推進力やエネルギーの発散を感じさせる新鮮さ。ドイツ物特有の、間の取り方、その重さを極力廃し、スマートさすら感じる。決して枯れた、鄙びた雰囲気ではない。
 前半はモーツァルト。「フィガロの結婚」序曲、そして協奏交響曲。ヴァイオリンとヴィオラがソロの物。N響アワーでも取りあげられたのでそちらに譲る。

(2005.12.23 Ms)

 12月定期。第1556回定期(2005.12.2)。イルジー・コウト指揮。
 マルティヌーの交響曲第6番「交響的幻想曲」。マルティヌーのチェロ・ソナタ第1番に魅せられて以来、気にはしているが、マルティヌー作品、しっくり自分に来るものは今のところ、実は多くない。この6番も、とっつきが悪かった。何度か聴けばひっかかり、とっかかりも見つかるか?機械的な音の並びとか、チェロ・ソナタとの共通点も見出せないこともない。今後もっとお近づきになれるかどうか?
 続いて、マルティン・ヘルムヒェンの独奏で、ブラームスのピアノ協奏曲第2番。ピアノ・ソロの左手の機敏な動きはいつ聴いても見てもこの作品の醍醐味。若さでグイグイ押し切った感じ。溌剌とした演奏に共感を持つ。1982年生まれ、ドイツの俊英。

 第1557回定期(2005.12.7)。ネルロ・サンティ指揮。
 チャイコフスキーの交響曲第4番。N響アワーで取りあげられたので、そちらに譲る。その他、前半は、サンティの娘にあたるソプラノ歌手アドリアーナ・マルフィージによるイタリア・オペラ・アリアの特集。全6曲、曲名は割愛。いまのところ、ちょっと縁遠いイタオペ。
 ただ、そのアリアの間に演奏されたオケのみの作品がふるっている。「運命の力」とか、「セビリアの理髪師」ではない。マスカーニの「仮面」序曲。レオンカヴァレロの「道化師」間奏曲。プッチーニの「ヴィルリ」から「妖精の踊り」。特に「仮面」はモーツァルトのような古典的な典雅な楽想に、ちょっとした近代的な味付けも施した洒落たもの。悪くない。

 第1558回定期(2005.12.24)。今、日本人でノっている指揮者の一人、広上淳一氏の指揮。ハイドンのオラトリオ「天地創造」。年末最後のN響は、第九ならず、合唱付きのやや実演の珍しい、ハイドン最晩年の大曲である。オラトリオと言えば、ショスタコーヴィチの「森の歌」くらいしか馴染んでいない私が、実は結構感激してしまった・・・その辺は、おってトピックスにて触れましょう。

 年末恒例の、第九演奏会(2005.12.14)。アシュケナージ指揮。丁度同じ時期に、読響の第九も聴き、そちらは、スクロヴァチェフスキの現代的な速めな攻撃的なもの。それと比較すれば、王道を行くスタンダードな演奏。森麻季のソプラノ独唱の美しさが何と言っても忘れ難い。第九のソプラノは、歓喜の歌の四重唱にしても高音がヒステリックに声張りあげるイメージがあるが、そういう面はもっとソフトな聴きやすい表現となって心地よいもの。

 2005年もN響の定点ウォッチング、楽しませて頂きました。今年から、年間全ての演奏会へのコメントを書き連ねてみました。何とか継続できたのは個人的にも嬉しいものです。また、多少の辛口な部分もあったかもしれませんが、正直なところ、楽しい体験で、トータルとしては大満足です。今後もN響の活躍を期待したいですし、そのサポートをきっちりNHKにもお願いしたく、2005年の締めといたします。

(2006.2.11 Ms)

N響 過去の演奏会から

 N響アワーの枠で、1月30日、「思い出の名演奏」。昨年亡くなったピアニスト、園田高弘氏の演奏を。
 最晩年の頃の演奏は、たまにTVでも拝見していたが、やはり年配、といった印象が先に立っていたのが、本当に失礼ながら、無知なる私の感想であったが、見事、その印象をくつがえしていただいた。
 新春のTV番組用であった、バッハの「半音階的幻想曲とフーガ」など、精緻で隙のない堂々たる貫禄と繊細さを持ち合わせたものだったし、それより何より、N響との共演による、ブラームスのピアノ協奏曲第1番、第3楽章のみの放映であったが、鋭さと、重さ、さらに俊敏な指まわり、運動神経の凄さ、目を見張るものあり。20年ほど前、50台の頃の演奏。
 N響もまた、最近の演奏と、音色が違う、音質が違う。とにかく、骨っぽかった。男らしい、ゴツゴツした質感、油ぎった濃さ。きっと、私も、無意識ながら、その頃の当時の演奏、耳にしたこともあったろう。何かしら、懐かしさも感じた。
 私にとってかつてN響といえば落ちついたイメージ、それが、デュトワにより華やかさを、スヴェトラーノフにより豪快さを、と新奇なイメージを付加させつつ、最近のN響も変わってきたな、と思ったのは世紀末の頃。しかし、そのイメージが私に形成されるよりもっと前、さらに、熱っぽい演奏を聴かせていたのだ、と思い知り、感動も新た。たまには、その頃の演奏も聴かせてくださいな、NHK殿。

(2005.2.8 Ms)


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