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(注)このコーナーの更新状況は、更新履歴には掲載しません。

N響だわー <N響雑記帳>


2003年夏からの、HP、半年の中断中に、N響への関心が高まり、「だぶん」にても、いろいろ書いてきましたが、それを1箇所にまとめてみました。


2004年

 N響アワー

 4/4(日)放送
 今年1,2月の定演から。

 1506回定期(2004.1.15) ハチャトリアンのピアノ協奏曲。デュトワ指揮、ジャン・イヴ・ティボーデのソロ。
 高校時代に偶然エアチェックして、一時期良く聴いたが、その後、20年近く聴く機会もなく、何かしら懐かしく、甘い気分になった。偶然、思い出深き高校時代の後輩にばったり出会った翌日だったというせいもあるか? 曲も、少々の現代性はあるも、旋律美、そして人懐っこいポピュラリティに満ち、楽しく鑑賞。第2楽章の、珍しい「フレクサトーン」によるメロディは、超絶技巧。やはり、芸達者ぞろいですよ、N響。番組のなかでも、「フレクサトーン」を若村嬢が鳴らしていましたし、演奏の中でもしっかりアップで長時間、映像も拝ませていただき、TV史上、貴重な体験といえようか。

 4/11(日)放送
 N響と38年ものつきあいとなる、ハインツ・ワルベルクの指揮で。

 (1966.6.18−定演ではないようだ) シュトラウスU世 「美しく青きドナウ」
 N響との初顔合わせプロの一つが、シュトラウス特集。珍しい、Vnの弾き振り。

 876回定期(1982.6.25) ブラームスの悲劇的序曲
 私が中学の頃、懐かしい顔ぶれだ。それにも増して、重い厚い、いかにもドイツ的な、最近のN響とは違う、かつての伝統的な響きに改めて驚きすら感じる。そう思わせたのはテンポが遅いという点だけではないはず。また、現・愛知県芸大教授の、今村氏のTimp.も懐かしさとともに、今見ると意外とインパクトあり。

 1510回定期(2004.2.27) ヒンデミットの交響曲「画家マチス」第3楽章
 ヒンデミット自作自演3枚組CDなども最近入手し、ぼちぼちと興味も増しつつあるヒンデミットの代表作を聴く。ヒンデミットについては、改めていろいろ考えてみたいところ。
 調性感はありそうで、でも親しみやすさは薄い。かと言って、分りにくくはなくカッコイイ場面すらある。オーケストレーションの巧みさは確かにある。でも、派手に鳴りつつも音楽そのものは地味。何とも捉えにくい作風と感じる。
 生前は、大家であったろうに、最近は顧みられることも少ないか。彼を直接知る世代(ワルベルクも然り、ブロムシュテットもCDを沢山出してる・・・・80台が頑張ってヒンデミットの火を絶やさぬよう演奏を重ねているかのよう)と、それ以降の世代ではヒンデミットへの関心がかなり差がないか。そんなこんなで、一度、しっかり聴きこんでみたい。
 さて、演奏は、手堅く、しかもオケも華やかに鳴って気のきいた素晴らしいもの。ただ、この定期のカメラ・アングルは独特だ。ヴィオラ・トップの店村氏のアップ、顔の表情、鋭い眼差し、情熱的な雄姿、音楽に対する真剣勝負がTVごしでもぴりぴり伝わるのだ。・・・彼ばかりではないが、真摯さを感じる故に、このところN響への傾倒が私にある。その辺り、また、おいおいいろいろな演奏を通じて私を揺さぶり、このコーナーにて紹介することともなろう。

(2004.4.14 Ms)

 5/2(日)放送
 今年4月の定演から。
 1512回定期(2004.4.15) ベートーヴェンの交響曲第7番。スクロヴァチェフスキ指揮。
 巨匠として持ち上げられている彼について、余りよく知ってはいない。しかし、年老いた巨匠、というイメージは、重厚な、または、枯淡の境地、なんていうステレオ・タイプ的発想になりがちなのだが(少なくとも私は)、演奏を聴けば、全くそんな感想は持ちえない。血気盛んなベートーヴェン。攻撃的で、聴くものを追い立てる、スリルを感じる。BSにおいて、「英雄」「運命」なども聴く機会を得たが同様。
 あと、「おや」と思ったのは、7番における楽章間の処置。3,4楽章のアタッカ、はよくあるが、その全く逆をいくユニークなもの。つまり、1,2,3楽章を休みなくアタッカでつなげ、フィナーレの前で初めて休息を入れるもの。フィナーレの勢いは、際立って感じられる。面白い効果である。

 5/16(日)放送
 標題音楽の特集。珍しいところで、スクリャービンの「法悦の詩」。80年代の演奏だったか。充分、派手な演奏。もっと、大人しい時代かと思いきや。曲の性質にもよろうが。ベルリオーズの「幻想交響曲」第4,5楽章。デュトワ指揮。これは、名演だ。色彩感豊かで、デュトワ効果の最たる真骨頂たる演奏か。

 5/23(日)放送
 ゲストの会で、画家の片岡鶴太郎氏を迎え。しかし、隔世の感あり。「ひょうきんベストテン」のマッチ役(これを知る人も少なくなりつつ。土曜夜8時のフジTV「おれたちひょうきん族」においての1コーナー。近藤真彦ことマッチ・・・・などと、改まって解説するなよ。)で、随分ひどい目にあってた頃とは大違い。いまやNHK教育で講師やってたりするわけで。
 さて、画家、ということで、今回も標題音楽の特集めいた選曲。池辺氏が彼に進める、いわゆる名曲の数々。「新世界」の第2楽章やら、一流の風景画家、メンデルスゾーンによる「フィンガルの洞窟」、ヨハン・シュトラウスU世の「ウィーンの森の物語」。ここ1,2年の演奏から。改めて聴いて「フィンガル」のオーケストレーションの当時としての色彩感(ベルリオーズのような反則ワザを使わない、古典編成における色彩感)の巧妙さは発見。あと、この作風の影響下にやはりゲーゼの「オシアンの余韻」があるのも再確認。ややマイナー話にて失礼。デンマークのロマン主義の開祖たるゲーゼ、である。

(2004.5.25 Ms)

 6/6(日)放送
 今年5月の定演から。
 1515回定期(2004.5.13) マーラーの交響曲第6番「悲劇的」。サラステ指揮。
 熱くない、ドロドロしていない。爽やか!なんていうと大袈裟な気もするが、不思議な演奏だった。マーラーでも最も主観的といおうか、自己没入の度合いも高く、今までの私的には、辟易、敬して遠ざけていた感も強いこの作品を、軽く、濃厚な味つけもなく、押しつけがましさのない快演としてくれた。これじゃ「悲劇的」ではない、と怒る方も多かろうが、私的には、大食漢が汗だくになってのたうち回るような、ぶよぶよした重々しく、決してスマートならぬ本作を、清潔に、クリーンなイメージでやっていただいたことに感謝したい。こんな演奏なら、遠ざけはしなかった。今までの経験が、そんな先入観を植え付けたということか。
 第一、冒頭の低弦の行進リズムからして、武骨に、全身全霊でぶつけるような、いきなり疲労感を感じさせるものではなく、音符そのものだけが存在するかのようで、他の虚飾が皆無。かといって、全編にわたり別段、なよなよしたわけでもなく、豪快に鳴らすことは厭わない。不必要なまでの力みを全く感じさせなかった。ネット上の意見など拝見しても、「シベリウス的なマーラー演奏」といった比喩もみられた。なんだか、想像しにくいけれど、体験してみると、意外とそういう表現は、その演奏を的確に表現しているかもしれない。
 クラシック音楽愛好家歴も長いと、自己の感性、体験も凝り固まって、「バカの壁」も障壁となる。こういったカベを突き崩す演奏、大歓迎。身近に、こういう体験ができる時代(BSの導入後、クラシックの演奏映像は各段に身近となった。外来オケも含めて。)であり、環境であることを本当に感謝したい。別の機会に書いたように([2004年、これだけは言いたい]なる一文、是非とも)、将来の日本の見とおしの暗さなど思うと、今、音楽ファンとして恵まれていることの感謝、もっとかみしめたい。将来も続いて欲しいな。やや余談。

(2004.6.23 Ms)

 7/4(日)放送
 今年6月の定演から。クリヴィヌ指揮の、ツェムリンスキー「人魚姫」。生で聴いてきたので、「トピックス」にて紹介しましょう。

 7/11(日)放送
 「名演奏プレイバック」。徳永兄弟のソロによる、ブラームスの二重協奏曲。及び、大バッハの息子ヨハン・クリスティアンの協奏交響曲イ長調の第1楽章(1990.5.7)。後者において、カデンツァが楽譜上書かれてなく、指揮のサヴァリッシュに言われて演奏会前日に急遽、弟が、楽譜を書いたというエピソードが面白く。確かに無名作品の古典の協奏曲、誰もカデンツァ書いてないはなあ。有名曲はいろいろなソリストが楽譜を残してるが。プロ奏者も、カデンツァの、文字どおりの即興演奏なり、創作を求められるんだ、大変だ、と。ちゃんとした、主題を変奏させつつ、技巧的パッセージも折りこんだ、カデンツァに仕上がっていました。

 7/18(日)放送
 アシュケナージ指揮で「田園」。このたび、音楽監督就任ということで、2000.10.25の第1416回定期から紹介。私にとって、彼の指揮は、まだ未知数。見た目はあまり上手そうには見えないが、さて演奏としてはどうなのか?「田園」だけではよくわからなかった。今後、見守りたいもの。

(2004.7.24 Ms)

 7月のN響海外公演のうち、ベルギーのブリュージュでの演奏は、N響アワーでも2週にわたって放映、BSでも1度ならず放送され、皆様もご覧のことと思います・・・・が、私は、肝心のショスタコの5番のみまだ未聴。アシュケナージの音楽監督就任お披露目的コンサートなれど、どうも、過去においてアシュケナージのショスタコ演奏に感銘をあんまり・・・なので躊躇するうち1ヶ月過ぎてしまった・・・が、壮大なフィナーレの後の、アンコールの「ポルカ」の腰砕け的、はぐらかし、には共感大で、面白く聴かせていただく。

(2004.8.22 Ms)

 9月12日放送。名演奏プレーバック。シプリアン・カツァリスのピアノを堪能。
 リストの「ハンガリー幻想曲」,第971回定期(1985.10.16)とシューマンの協奏曲,第1049回定期(1988.4.1)。
 前者はとにかく、楽しい。華麗な技巧誇示に勝る曲を、見事に曲芸的演奏でみせてくれる。
 その代わり、後者は、何かもの足りぬ。指は勢い良く回っているが、技巧誇示の要素が強くて、シューマンの雰囲気が伝わってこないような気がする。エラそうにすみません。でも思い入れがある曲なんでどうも気に入らないとなると気に入らないわけで・・・・。

 9月19日放送。池辺晋一郎の音楽百科。「ラスト・シンフォニー」
 今年のNHK音楽祭のテーマがまさに、「最後の交響曲」なわけで、それにリンケージした企画。
 まずは、モーツァルトの41番「ジュピター」からフィナーレ。第1195回定期(1993.2.24)。フランスの巨匠、ジャン・フルネ。堂々たる貫禄の演奏。
 続いて「新世界」。フェイントで第3楽章。(2003.1.15)。第九のジンクスなど池辺氏、紹介。
 ブラームスの4番のフィナーレ。第1454回定期(2002.2.9)。ヴァイグレ指揮・・・未知だなあ、それにしても、ブラームスとは思えぬほど軽い演奏でした。
 曲間。ブラームスの4曲の交響曲の主音を順番に並べると、C−D−F−E・・・・モーツァルトのジュピターのテーマになります・・・・それを1音下げると、シューマンの交響曲の主音の並びになります・・・・という説明。偶然といえできすぎたお話。知っておいて損はないマメ知識ですね。
 チャイコフスキー「悲愴」フィナーレ。第1459回定期(2002.4.19)。スクロヴァチェフスキ指揮。
 ここらで終わりと思わせて・・・・なんと!
 ショスタコーヴィチ。15番の第1楽章。第1068回定期(1988.12.1)。ヤノフスキ指揮。
 それにしても、遅い、たるい演奏で・・・。残念。溌剌さもないなあ。
 随分昔、きっと、この演奏からさほど経過していない頃、岩城宏之が司会のN響アワー、作家の島田雅彦氏がゲストで、ショスタコ特集(ショスタコ・フリークとしても有名。例えば「ドンナ・アンナ」という小説は、タコの14番を歌うソプラノ歌手の物語)。その際にも、その15番のフィナーレを放映していたはずで、やはり思わしくない記憶。
 ただ、今回の第1楽章、Timp.の百瀬氏がよく映ってて、派手なパフォーマンスを見せてくれて面白い。
 対して期待もせず眺めていた番組ながら、しっかり、最後はやってくれました。これだから、みのがせないのよ。

 9月26日放送N響ほっとコンサート(2004.8.29)。家族で楽しむ、「オーケストラからの贈り物」。(BSで、演奏会の全体を放映したので、そちらでの感想)
 クラシックのカヴァー・ヴァージョンてな趣向で、本田美奈子が「新世界」など歌っていたり。また、オケのみでは、バッハ「トッカータとフーガ」のストコフスキー編曲をやっていたり。
 後半は、ホルストの「木星」・・・・いまや「ジュピター」という名で紹介、テロップまで出るありさま。平原効果か・・・・それじゃ、他の曲やるときも、「マース」とか「ヴィーナス」なんて紹介するんだろうか?
 最後に、「1812年」。派手なオーケストラ曲で、迫力満喫という趣向か・・・大砲まで出て来て(音はシンセサイザー。でも大砲は煙を吐いてたりして、面白かった)。
 指揮は、岩村力氏。私も奏者としてお世話になっていて、活躍ぶりを見るのは頼もしい。ただ、演奏について、純粋なオケ作品であるこの2曲について、ややテンポも遅めで、正確さ、緻密さにおいて、なるほどと思わせる演奏ぶりながら、物足りなさは感じたか。
 また、冒頭の、コープランドの「庶民のためのファンファーレ」。どうも金管群の不安が先立つ。「ほっと」できない危うさを感じるのだ。

(2004.9.29 Ms)

 N響は、アシュケナージを音楽監督に迎えてのシーズン到来。10月から。
 まずまず、演奏面では、さいさきの良いスタートができたのでは。台風襲来の日の、就任記念演奏会(2004.10.10)。「運命」の集中力、推進力に、ハッとさせられる。今後が楽しみ、と思わせるのに充分なほどの演奏で頼もしい。・・・ただ、アレ?「レオノーレ」序曲第3番、最後でHr.落ちていたんじゃ・・・。ま、枝葉末節にて失礼。10月17日放送N響アワーでも放送されたので気付いた方も・・・。

(2004.11.6 Ms)

 アシュケナージ新音楽監督のもとで。
 新音楽監督の初の定期は、第1523回定期(2004.10.15)、エレーヌ・グリモーを迎えてのシューマンのピアノ協奏曲。そして、R.シュトラウスのアルプス交響曲
 グリモーは、ソロ・コンサートの模様を昨年だったかBSで見ているが、その時のラフマニノフの「音の絵」の激しさにドギモぬかれて以来気になる存在ではある。今回のシューマンも、優しさ、可憐さよりは、ダイナミックな力強さ、パワーに満ちたもの。私の、曲に対する印象とは随分違った演奏ではあった。ピアニスト出身指揮者のサポートということもあってか、オケがかなり控えめ過ぎるくらい。ピアノの独壇場・・・も少しオケとの絡みも聴きたかった。フィナーレのコーダの軽やかな流れるフレーズも、「この幸福よ、いつまでも」と後ろ髪ひかれるセンチメンタルな抒情を私は感じているが、グリモーはひたすら、猪突猛進のごとく突き進む。・・・・やや個人的にはとまどいの演奏か。
 ソリストのアンコールは、「音の絵」からハ長調のもの。激しいものではなく、しっとりした作品。
 「アルプス」は爽快。大オーケストラの魅力満載。スケール大きく、表現も多様、楽しく鑑賞できますね。ただ、山頂の手前、「危険な瞬間」のテロップとともに、やや危なげなトランペットのソロが大写しになり、まさかジョークじゃあるまいに。

 続いて第1524回定期(2004.10.24)、チャイコフスキーの交響曲2曲。3番と4番
 3番は、何度聞いても釈然としないものであったが(以前のゲルギエフ、N響でもそうだった)、今回は、以外といい曲じゃないの、と思わせてくれた。とにかく1時間近い長さ、冗長さが先に印象つけられてきたものながら、不必要な感情過多を排除し、先へ進む推進力にあふれさせたところが勝因か。4番も、同様のアプローチでテンションの高さを維持していた。
 なお、11月14日放送N響アワーでも、シューマンのピアノ協奏曲と、チャイコの4番の一部は放送されたところ。
 また、チャイコ・プロにおいては、中越地震という惨事の時であった点以上のアクシデントにみまわれたようで、初日の演奏で、アシュケナージの指揮棒が彼自身の左手に刺さり、後半の4番は急遽指揮者なしでの演奏に。これが名演だったという。TV放映されたのは2日目、無事アシュケナージが指揮しているもので。初日の4番も聴いてみたいもの・・・・。4番を指揮者なしというのは、特に第1楽章などスリリングすぎます・・・。

(2004.11.21 Ms)

 11月21日放送、名演奏プレーバックは、ヴィオラのバシュメットとの過去の共演を。これまた90年頃の演奏で、モーツァルトのVn.とVaのための協奏交響曲。ブラームスのヴィオラ・ソナタを現代作曲家ベリオが編曲したもの。モーツァルトは第2楽章が美しく切ない、さすが天才の霊感に満ちた素晴らしいもの。両端楽章の印象は薄いが。ブラームス、実は私に響くものはなく。オケへの編曲もなんだかダサい。ブラームスの室内楽も、弦楽六重奏曲第1番やピアノ五重奏曲といった若き時代の情熱家ブラームスを入口に探検を続けているものの、最近は、晩年作の簡素さ、淡白さにやや物足りなさも感じ、まだまだ私も青いものか。でも、諸井三郎の著作でも、ブラームスについて、技術があるからどんな作品も完成度は高いが、霊感が不足している時の作品はそれだけに聴いててむなしい、といった趣旨のコメントあり。最近、同調する瞬間も多い。まさに、それを裏付けたのが今回の作品。・・・もちろん、交響曲はじめ、霊感に満ちた作品が、隙のない構成で完成されたものなどへの敬意は不変、である。このあたり、諸井氏の著作の紹介がてら、掘り下げてみたいテーマではある。急がず、じっくり、まだまだブラームスの室内楽も聴いてゆきたいと思っている。

(2004.11.30 Ms)

 11月28日放送。宇宙飛行士、毛利衛氏を迎えて。スペース・シャトルからの映像などとともに音楽を。
 やはり、何とでもあってしまうバッハ。まず無伴奏チェロ組曲第1番プレリュード。次に、いわゆるG線上の「アリア」。おお、なつかしや。スヴェトラーノフ指揮。第1190回定期(1993.1.22)。
 モーツァルトのピアノ協奏曲第21番、児玉桃のソロ、デュトワ指揮。定演ではない演奏会(2000.6.18)から。
 最後はやはりホルスト「惑星」。「水星」と「木星」。今回は「ジュピター」という紹介ではなく、普通に。そりゃ、マーキュリーとジュピターなんて紹介された日にゃ、セーラー○○○か、ということになるし。
 演奏は、第1347回定期(1998.4.2)。こちらもデュトワで。「木星」最後のティンパニ・ソロ、百瀬氏のアクションが素晴らしい。演奏としては、やや活気不足、テンポを遅目に控えたゆえに、爽快さがない。
 「ホルスト」は宇宙のことをよく知っていたんじゃないか、なんていうコメントもあったが、当然、ホルストはご存知ないはず。星占いからインスピレーションを与えられた。とはいえ、その音楽には宇宙的なイメージがつきまとう。宇宙空間と占星術、神秘性の音楽化という面で両者は結びつく、ということか。毛利氏いわく、「木星」は、「宇宙から見た地球のようだ」と。確かに、「快楽の神・木星」の健全さ、明るさ、は、暗黒の宇宙空間のなかにあって、生命の希望を強く感じさせているかもしれない。中間部の賛美歌風旋律が祈りを思わせ、人間性を感じさせてもいるか。

(2004.12.7 Ms)

 12月12日放送。11月の定期から。サヴァリッシュ、2年ぶりの来日公演から。ブラームスの1番。
 前回の来日がキャンセルになったこともあり、ファンの間でも心配されていたが、元気な姿を拝見して安心(ただし、座っての指揮。歩く姿も辛さを感じる)。もう、N響と40年のお付きあい、とのこと。過去の演奏ぶりなどの画像も見るが、やはり、N響といえば、まず、サヴァリッシュの指揮というイメージは子供の頃から、無意識に刷り込まれている私である。風貌の特徴的な面から、ホルストシュタインやマタチッチなどの絵も思い浮かぶけれど、やはり一番拝見する頻度が多かったと思う。
 その若かりし頃のブラームス演奏と、見比べ、聞き比べると、やはり、年齢、を感じずにはいられないのが痛々しくもある。正直なところ、今回、指揮ぶりはかなり弱々しいもの・・・音楽のスピード感も往時との比較は辛い・・・でも、その少ない指揮の動きから、音楽の本質を突いた表現は充分に感じられる。逆に、若さありあまって、全曲情熱的にやたらと派手に動き回る指揮よりも、ここだけは絶対大事、というニュアンスが厳選されて見て取れ、演奏家の音楽への集中度も高く、決して、往年の大家による名誉職的演奏なんかではない。
 ただ、今回の番組の中で彼へのインタビューが流れ、指揮ぶりから想像するほどの衰弱では決してなかったところが救われた。
 今回の来日では、2回のN響定期を振り、特に、ベートーヴェンの7番を振った方に多いに感銘を受けた。これはN響アワーでは取り上げられなかったので別の機会に書こうと思っているところ。ブリテンのヴァイオリン協奏曲の感動は是非お伝えいたいし。

(2004.12.19 Ms)

 12月19日放送。池辺晋一郎の音楽百科。「オーケストラは変貌する」
 オーケストラの変遷。編成の大きさに着目して。
 ハイドンの交響曲第86番第3楽章。ベートーヴェン「エロイカ」第1楽章。ベルリオーズ「レクイエム」から「怒りの日」。と、巨大化をたどり、最後に先祖帰り。プロコフィエフの「古典」。演奏として、特筆すべきもあまり感じられなかった、が、「エロイカ」は良かったな。ワルベルクの指揮。曲の冒頭にある和音打撃に象徴されるように、スフォルツァンドの表現を特に大事にして、攻撃的な印象。ベートーヴェンの意思の強さを思わせる。これこそベートーヴェン、と言いたくなる。

 12月26日放送。ゲストの回、古美術の鑑定士を迎え。
 こういう回はえてして、名曲ぞろいとなるものの、過去の名演など聴けるのが嬉しくもある。
 第1301回定期(1996.10.5)のホルストシュタイン指揮の「エグモント」序曲など、改めて素晴らしいと思う。必ずしも速くないテンポのなかで重い音楽を作っている。続く、デュトワ指揮の「ローマの謝肉祭」序曲も色彩感豊かな名演。以前も感想を書いた演奏なので省略。
 その他、モーツァルトのピアノ協奏曲のニ短調。最後に新作の鑑定をお願い、という趣向で、同年夏の現代音楽演奏会から、マクミランの「イゾベル・ゴーディの告白」これも以前、感想を書いたもので省略。

(2005.1.3 Ms)

 

 N響 最近の演奏会から

 N響5月定期は、フィンランドの俊英サラステ氏の指揮で。しかし、北欧モノは皆無。マーラー6番、ブルックナー5番、チャイコ4番と、予想外のところを突いて来た。チャイコのカップリングは、同じく北欧で、注目度も高いピアニストのムストネンで、ストラビンスキーのピアノ協奏作品2曲。いかんせん曲がイマイチなんだが、思い入れもたっぷりに、でもメカニックに、この風変わりな作品の映像を確認させていただく意味でも興味深し。なかなかやらないし。
 さて、5月定期で一番の印象はマーラー「悲劇的」。全楽章楽しませていただいたが、N響アワーでも両端楽章は紹介されたので詳細はそちらで。

 (2004.6.23 Ms)

 BSで放送の、6月分の定演、指揮者タルミとの相性も良くなかったか、かなり荒さが目立つ。
 特に第1519回定期(2004.6.24)、ドボ8などは、フィナーレのコーダのテンポ設定がどうも団内統一的にまとめきれず、辛い。全体的にギクシャクした曲の運びが気になる。一方、シベリウスのVn.協奏曲、ソロのジェームズ・エーネスがかなり美しくキメていただけに残念。ソロは、綱渡り的な、高音への音の飛躍もバッチリ当ててきてるし感心。映像的には、ヴィオラのソロの絡みが無視されて、ちょっと不服。店村氏の自信満々の雄姿をその場面で見たかった。・・・しかし、最近演奏頻度高いよな、シベリウスの協奏曲。ショスタコの1番もだが、ソリストの選曲も、20世紀モノへとシフトしつつあり嬉しいね。

(2004.7.24 Ms)

 N響夏・おろしぁ国楽夢譚(2004.7.23)。指揮、マーク・ストリンガー氏。私自身、この夏(7/29)、静岡県は掛川市にて彼の指揮で「田園」など聴いているが、印象は悪くない。今回は、「ルスラン」「はげ山」「だったん人」「スラヴ行進曲」「展覧会」といった、ロシアもの特集。この手の選曲といえば、なんといっても、巨匠スベトラーノフの指揮によるN響が、ノリに乗せられ、壮絶な演奏を繰り広げた驚き、が強烈。決してそれを超える凄みはなかった。比べる相手が違いすぎか。破綻なく、手堅くまとめているが、細部にまで細かいニュアンスの表情が付けられているのが印象的で、適当に聞き逃せない演奏という意味では、面白く聞けた。
 例えば端的に、「展覧会」冒頭プロムナードなども、単なる4分音符の連鎖ながら、表情の豊かさが感じられ、全体的に滑らかな曲の運びも特徴的か。大胆さ、よりは緻密さをより感じさせる指揮ぶりであった。
 また、定演でないこともあって、若手の台頭なども興味をそそる。特にOb.トップは、今年入団した池田さん(女性です)。しなやかなソロを随所で堪能させていただく。一方、若手に限らないが、打楽器も、最近よく見かける機会も多い植松氏によるティンパニは、気楽に叩いているように見えて、超弩級のサウンドが体感できるので面白い。「展覧会」の最後は、ティンパニと大太鼓の応酬が楽しい。また、あの大音響のなかトライアングル、前打音のソロがしっかり聞こえているのも良い(なかなか聴き取ることの困難なもの)。
 ボロディン「ノクターン」も弦楽合奏で美しく。ただ、編曲に難あり、Cb.の使い方がイマイチと感じた。ドリュー編、とは果たしてメジャーな編曲なのか?
 アンコールは、チャイコの組曲第1番の「小行進曲」。木管高音域の大活躍するかわいらしい小品。自分の感想として、組曲全体としての印象は薄いように記憶していたが、こうやって1曲だけ取り出してみると、意外と楽しめる曲だ。新たな発見感謝。

(2004.8.29 Ms)

 BSにて、N響のコンサート。正反対の2つのコンサートを見る。
 Music Tomorrow 2004(2004.7.4)。現代作品。
 石井眞木の遺作、交響詩「幻影と死」。平清盛の栄華と死を取り上げた舞台作品からオーケストラ作品として成ったもの。いかにも和風な音響。さらに、オスティナート風な部分。随分とわかりやすい。オケの鳴らし方も爽快。
 マクミラン作曲「イゾベル・ゴーディーの告白」(1990)日本初演。スコットランド出身の作曲者による、スコットランドの歴史上の悲劇、独立を奪われたこと、凄惨極まる魔女狩り、などを表現した作品という。本人の指揮による。冒頭の穏やかな部分は美しい。イギリスの伝統上にありそうだ・・・ヴォーン・ウィリアムス、ウォルトン、ブリテン・・・。このスコットランドの平和な風景を思わせる(私はみたことないが)部分が最後にも再現して曲は閉じられ、その中間部分においては激しい楽想が展開。それにしても、調性感はあって聴きやすい。この傾向は歓迎したい。
 他2作は、やはり、「わからない」「むずかしい」が正直なところ。あえて紹介は省略。

 N響ほっとコンサート(2004.8.29)。家族で楽しむ、「オーケストラからの贈り物」。
 クラシックのカヴァー・ヴァージョンてな趣向で、本田美奈子が「新世界」など歌っていたり。また、オケのみでは、バッハ「トッカータとフーガ」のストコフスキー編曲をやっていたり。
 後半は、ホルストの「木星」・・・・いまや「ジュピター」という名で紹介、テロップまで出るありさま。平原効果か・・・・それじゃ、他の曲やるときも、「マース」とか「ヴィーナス」なんて紹介するんだろうか?
 最後に、「1812年」。派手なオーケストラ曲で、迫力満喫という趣向か・・・大砲まで出て来て(音はシンセサイザー。でも大砲は煙を吐いてたりして、面白かった)。
 指揮は、岩村力氏。私も奏者としてお世話になっていて、活躍ぶりを見るのは頼もしい。ただ、演奏について、純粋なオケ作品であるこの2曲について、ややテンポも遅めで、正確さ、緻密さにおいて、なるほどと思わせる演奏ぶりながら、物足りなさは感じたか。
 また、冒頭の、コープランドの「庶民のためのファンファーレ」。どうも金管群の不安が先立つ。「ほっと」できない危うさを感じるのだ。

(2004.9.21 Ms)

 9月のN響の定期などまとめて感想を。
 すべて指揮は、ネルロ・サンティ。イタリア・オペラの巨匠。2001,3年と来日、N響とも信頼関係が確立、評判も上々、過去の演奏も最近BSで拝見したところ。今回、協奏曲は皆無、必ずロッシーニの序曲を取り入れ、とにかく彼の得意なところ、やりたいところを全面に出した、ということか。

 第1520回定期(2004.9.18)。
 さて、そのロッシーニ、「ウィリアム・テル」序曲。お馴染みな作品ながら、最近は定演ではなかなかお目にかからないような。しかし、改めて聴くと、派手でオケの鳴りも良いし、各所の名人芸も聴き応え充分、オケの楽しみを再認識させてくれる。
 冒頭のチェロの五重奏、シブイ発想ながらも、首席木越氏のビブラートたっぷりな麗しい雰囲気が素晴らしい。そのソロを支える4人の奏者のソロもまた、安定してじっくりと聴かせてくれる。
 続く「あらし」は、ややゆっくりではあるが、その分、トロンボーンの素早い音階的なフレーズが滑らず、迫力をもって迫る。
 そして、コーラングレとフルートのデュオ、これもまた聴かせてくれる。各フレーズごとに、やや速めに始めて、フレーズの終わりに向かってテンポを緩める。変わった効果だ。しかし自由自在に、普段、オケのコンサートでは聞かれないほどに、歌を歌わせる、というスタンスが濃厚に出ている部分、サンティならではの解釈、なのだろう。それにしても、木管セクション、秀逸だ。毎回、満足度が高く、ほんとに素晴らしい。
 終曲の行進曲、何度聴いても、かつての「ひょうきん族」を思わずにいられない世代である。それにしても、ワクワクさせるこの興奮、年を経ても変わらない・・・ショスタコ(彼と「ひょうきん」は無縁ながら)が生涯、この「行進曲」の影響の下に作品を書き、その種明かしを最後の交響曲でやったのも分る。ある種、洗脳させられる強烈な個性を持った音楽。あなどるなかれ。
 モーツァルトの35番「ハフナー」。サンティは、古典もお好きなようでよく取り上げる。ただ、個人的に新鮮味は・・・・。
 ドヴォルザーク「新世界」。これは儲けモノ。やや、珍品的アプローチ。特筆すべき点2箇所。2、4楽章。それぞれにテンポが速い。まず、第2楽章、有名なテーマ、思い入れもたっぷりに行くのが常なところ、とにかく前へ。同様に、フィナーレも。それは第2主題、郷愁をさそうクラリネットの独白に顕著。速いところが速いのは爽快ながら、ゆっくりのところが速く、歌い切れないじゃないの。最近聴いた、N響、メルクルの演奏(8/9の記事)が逆にゆっくり目で感動的だったため、その思いも強かった。しかし、これが最後のクライマックスでその速さゆえの効果が見えたのだ。聴き慣れぬこの演奏、まるでオペラの幕切れを思わせるような切迫感をもって迫る。この感覚は始めてだ。問題解決に向けての急展開、そして登場人物全員がそろっての大団円、そして、オケのみ残った後奏の中、拍手のうちに緞帳は下がり・・・・こんな幻影を抱かせる幕切れ・・・面白い。そういえば、テンポこそ速めながら、表現のオーバーさ、はいろいろ感じられるものがあり、その集積あってこの感覚に至ったのかな。

 第1521回定期(2004.9.24)。
 またもやロッシーニ、「シンデレラ」序曲。私にとっては思い出深い。子供のころのアメリカのアニメ絡みで。「トムとジェリー」。「こうもり」序曲やら、ハンガリー狂詩曲第2番は、演奏会そのものがアニメの舞台となって、とても楽しいものだったし、有名だ。その流れを汲んでの「シンデレラ」序曲、ご存知だろうか。確か、「ウッドペッカー」の30分番組の3本立ての真ん中の枠、のら猫が主人公のものがあり、そののら猫たちが夜中の街の場末で演奏会。フルートが水道管の蛇口部分風な感じだったり、きっとガラクタを集めてのコンサート風景と記憶している。
 さて、こじんまりと、古典的な編成での演奏。・・・気がついた点、もう少し後で書いておこう。
 ハイドンの88番の交響曲。第2楽章のチェロ・ソロ。それにオーボエが重なる。シューマンの4番の先駆けである。ハイドンの緩徐楽章というと、あっけらかんとした軽さ、をイメージしてしまう(「驚愕」「時計」など)が、この作品は、カンタービレ、歌、である。それが意外。やや、きつい不協和音が繰り返し用いられるのも面白い。さらに、第3楽章のトリオの、民俗舞曲風な雰囲気は、古典の和声感を逸脱した浮遊感が特徴。バルトークの民謡作品をはるか遠くに見据えたかのようにも感じた・・・・ハイドンも「ハンガリー」での宮廷仕え、バルトークと同じ民謡を聞く機会はあったかも。
 演奏は端正なものながら、ただ、メヌエットの冒頭主題に特徴的な装飾音系に統一感が感じられず、詰めの甘さは少し感じた。
 後半は、まず、「モルダウ」。詰めの甘さを引き続き感じさせる。随所にアンサンブルのほつれ。サンティの指揮の魅力は、そんな細かなところにはないのだろうが、やや残念。トロンボーンが弱奏部分(夜の妖精たちの場面)でバランスを崩したのも残念。
 そして、最後、お国モノで「ローマの松」。デュトワにはかなわないにせよ、豪快、華麗に描ききった。この曲は細かいこと言わず、オケの奔流に身をまかせれば良し。バンダは、客席でなくステージ上。ただ、二周りくらい大きいトランペットが珍しい。以前、ヴェルディの演奏時も、チューバの変わりに、トロンボーンを大きくして曲げたような楽器を使用していたし、楽譜の指定に従った楽器なのかしら。

 第1522回定期(2004.9.30)。
 メンデルスゾーン「スコットランド」。特筆すべきはヴィオラの充実か。スケルツォがややガサツにも感じたが総じて無難な印象。
 後半が小品ぞろい。パガニーニの「常動曲」。ひたすら1st Vn.が細かく動きまわる。ソロの曲を編曲したんだろう。いまや、オケ奏者みんながパガニーニ級ですよ、ってことか。続いて、マルトゥッチなる、19世紀イタリアの作曲家の小品2曲「ノットゥルノ」「ノベレッタ」。まさしくイタリア風。イタリア・オペラの間奏曲を思わせる。最後に、やっぱり、ロッシーニ、「セミラーミデ」序曲。彼の序曲で最大の演奏時間。しかし、内容はいつもどおりの序奏つきソナタ、展開部なし。軽妙なタッチ。これも、次の項にて。

 NHK音楽祭(2004.10.3)。
 ラスト・シンフォニーをテーマとした一連のコンサートの最初のもの。
 9月の定期を受けて、前半は、ロッシーニの序曲3曲。「シンデレラ」「セミラーミデ」「ウィリアム・テル」。そして、ブラームスの4番
 同じオケ、同じ指揮者ながら、特に木管の奏者が入れ代わり、その辺の聴き比べが面白い。特に、「シンデレラ」「セミラーミデ」の主部アレグロの第2主題は、木管楽器によるソロの受け渡しで顕著。微妙な節回し、間、比較的淡々といく人もあれば、色気を出す人もいる。奏者の得手不得手、感覚もあるだろう。クラリネットに顕著にその差が出たと思う。どちらが良い悪いではなく、ほぼ同じ時期に聴いたので、よく差が認識できた、ということ。ブラームスは、うーん、特にコメントできる部分がなかった・・・・普通・・・・。アンコールが、ハンガリー舞曲第5番。しかし、要所の速度の遅い部分が何かと遅くてくどかった(主部の最後、及びトリオの後半)・・・が、最後のゆっくり部分だけはインテンポで突っ走って一気に曲を終わらせた・・・こんな解釈は始めてだ。驚き。してやられたって感じ。
 サンティ氏、演奏中も、また演奏後も要所で笑みをたやさず、お茶目な側面もある。そんなお茶目さも手伝って、アンコールでのちょっとした遊び心につながったか。

(2004.10.11 Ms) 

 BSにてN響定期、アシュケナージ新音楽監督のもとで。
 新音楽監督の初の定期は、第1523回定期(2004.10.15)、エレーヌ・グリモーを迎えてのシューマンのピアノ協奏曲。そして、R.シュトラウスのアルプス交響曲
 グリモーは、ソロ・コンサートの模様を昨年だったかBSで見ているが、その時のラフマニノフの「音の絵」の激しさにドギモぬかれて以来気になる存在ではある。今回のシューマンも、優しさ、可憐さよりは、ダイナミックな力強さ、パワーに満ちたもの。私の、曲に対する印象とは随分違った演奏ではあった。ピアニスト出身指揮者のサポートということもあってか、オケがかなり控えめ過ぎるくらい。ピアノの独壇場・・・も少しオケとの絡みも聴きたかった。フィナーレのコーダの軽やかな流れるフレーズも、「この幸福よ、いつまでも」と後ろ髪ひかれるセンチメンタルな抒情を私は感じているが、グリモーはひたすら、猪突猛進のごとく突き進む。・・・・やや個人的にはとまどいの演奏か。
 ソリストのアンコールは、「音の絵」からハ長調のもの。激しいものではなく、しっとりした作品。
 「アルプス」は爽快。大オーケストラの魅力満載。スケール大きく、表現も多様、楽しく鑑賞できますね。ただ、山頂の手前、「危険な瞬間」のテロップとともに、やや危なげなトランペットのソロが大写しになり、まさかジョークじゃあるまいに。

 続いて第1524回定期(2004.10.24)、チャイコフスキーの交響曲2曲。3番と4番
 3番は、何度聞いても釈然としないものであったが(以前のゲルギエフ、N響でもそうだった)、今回は、以外といい曲じゃないの、と思わせてくれた。とにかく1時間近い長さ、冗長さが先に印象つけられてきたものながら、不必要な感情過多を排除し、先へ進む推進力にあふれさせたところが勝因か。4番も、同様のアプローチでテンションの高さを維持していた。
 なお、11月14日放送N響アワーでも、シューマンのピアノ協奏曲と、チャイコの4番の一部は放送されたところ。
 また、チャイコ・プロにおいては、中越地震という惨事の時であった点以上のアクシデントにみまわれたようで、初日の演奏で、アシュケナージの指揮棒が彼自身の左手に刺さり、後半の4番は急遽指揮者なしでの演奏に。これが名演だったという。TV放映されたのは2日目、無事アシュケナージが指揮しているもので。初日の4番も聴いてみたいもの・・・・。4番を指揮者なしというのは、特に第1楽章などスリリングすぎます・・・。

(2004.11.21 Ms)

 サヴァリッシュによる2回の定期。オーソドックスなメインの交響曲に、意欲的な20世紀の協奏曲を配したもの。
 第1525回定期(2004.11.3)。シューマンの「序曲、スケルツォとフィナーレ」。エマニュエル・パユをソリストに、イベールのフルート協奏曲。そしてブラームスの交響曲第1番。
 シューマンは特に感銘深い。曲自体の魅力をあまり感じられずにきた作品ながら、さすがシューマンのエキスパートだ、説得力あふれる演奏に、この作品の良さが充分に伝わる。楽章を追うごとに、音楽の力が増し、最後のフィナーレの壮麗な響きは、交響曲のような充実感を感じさせる。
 ただ、サヴァリッシュ氏の体力の衰えは、かなり気になった。指揮ぶりに力はこもらない。でも、ここだ、という時は、全身の力を集中させて、搾り出すように音楽のエネルギーを体に発散させているように見えた。そんなサヴァリッシュ氏に応えるべく、オケの真剣度も未だかつてなかったレベルにまで高まっていたかのようだ。その傾向は、次の定期にさらに健著であった。

 第1526回定期(2004.11.13)。ハイドンの交響曲第35番。ブリテンのヴァイオリン協奏曲。ソロは、ツィンマーマン。そして、ベートーヴェンの交響曲第7番。これは、東京に駆けつけないではいられなかった。
 なかなかやる機会の無いブリテンは、ソロの素晴らしさと、音楽そのものの力が相乗効果で、こんな名曲がなぜに埋もれているのかが不思議なほど。プロコフィエフとショスタコ―ヴィチの各々の1番のVn協奏曲を橋渡しするかのような、雰囲気も魅力だ。
 ベートーヴェンは、一心不乱な、鬼神と化した指揮者とオケの気迫に完全に取り込まれてしまう。フィナーレの、スフォルツァンドの激しさが、視覚的にもオケ全体で感じられ、みんなが一つになった姿、そしてそんな演奏を紡ぎ出す指揮者がなんと神々しかったことか。
 詳しく書きたいと思いつつも、何か、特別な体験をしたかの印象もあり、書く勇気も起こらず、そのままになっていた。自分の心の奥底に大事にしまっておきたい貴重な思い出・・・。

N響アワーのリクエスト番組(2006.3.26)で最後に放映されたサヴァリッシュのブラームスの1番を見て、ようやくここに記す(2006.4.12 Ms)

 昨年の定演で記載もれの演奏会を2つ。11月、ファビオ・ルイージ指揮。
 第1527回定期(2004.11.19)。ドビュッシーの「海」、この色彩感、特筆すべき。デュトワ効果が確実にN響のものとなり、デュトワなしで離れても、それだけのレベルにあることを祝福したい。同一傾向で、レスピーギ「ローマの噴水」、これも満足。その他、ブラームスのVn.協奏曲。
 続く第1528回定期(2004.11.24)。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキー「悲愴」。こちらは、フランスものほどのインパクトには不足していたか。 

(2005.3.13 Ms)

 N響メンバーによる室内楽演奏会について。それも、久しぶりにNHK−FM、ラジオでの鑑賞。
 11月頃の放送だったと記憶。
 マリンバとハープのアンサンブル、そして、コントラバスのみによるアンサンブル。なかなかにキワモノではある。打楽器奏者の竹島氏は、作編曲の分野でも活躍中。彼自身のマリンバと、さらに意表を突くハープとの組み合わせの編曲はなかなか興味深いものだった。私も、簡易な打楽器アンサンブルのレパートリーを模索しているところなので、面白く聴けた。
 バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番を、ラフマニノフがピアノ編曲した版の編曲。バッハ作品にはないラフマニノフの和声感が微妙に聞こえていたのがそもそも面白いが、ハープとのコンビネーションもまた違う魅力に富んだもの。ただ、乙女チックな雰囲気も増して、バッハはどんな編成でも不思議と様にはなるものの、ちょっと軽い・安っぽい感じもしないではない。
 ラベル作品は、その点、しっくりくる。「ソナチネ」などかなりの出来だ。いい雰囲気。
 コントラバス合奏は適当に流しておいただけだが、「島唄」(打楽器のサポート入り)は泣ける程に感激だ。コントラバスによる泣きの入った歌いまわし、民族臭ただよう力強さ、コントラバスだけでこれだけの表現ができるんだなあ。最後は合唱つきで、クラシック番組ならぬ雰囲気だったのも面白い。しっかりとしたベースラインが確保され、ポップス的なアレンジに馴染むわけだ。チェロ合奏だとここまでポップには成り切れない格調高さも出てくる。
 最後に、マリンバ・ハープ、そしてコントラバス勢ぞろいによる、ラベル「ラ・ヴァルス」。これまた、どうなることかと思いきや、魅力満点。編曲の腕の冴えも感じ入る。コントラバスが通俗的なワルツのメロディをむせび泣くかのように演奏しても違和感はない(高音域での苦しさが逆に人間的な歌にも思えてくる)。こういった試み、もっとあってしかるべし。近代ものの編曲、私に対する応援とも受けとめた次第。竹島氏に感謝。

(2005.1.31 Ms)

 12月のN響の定期、やっと全部見終えたところ。
 すべて指揮は、デュトワ、の予定が、最後だけバルシャイ氏に変更。体調不良だったようだ。そのせいかは分らないが、今月はやや精彩に欠けたか。デュトワによるストラヴィンスキーということで期待しただけに残念。でも、幸福なる出会いも皆無ではない。

 第1529回定期(2004.12.3)。
 リムスキー・コルサコフ「ロシアの復活祭」。やはり、絢爛豪華なオーケストレーションの作品となればデュトワの独壇場。金属系打楽器、特に銅鑼や鉄琴など、絶妙の音色、音量、バランスでロシアの鐘の音を想像させる。変拍子のリズム感も颯爽といい感じ。(ただ、冒頭、コンマス麻呂氏のソロが痛恨事。トランペットもたまに苦しさがのぞく。)全般的にはいい感触。
 ストラヴィンスキーのハ調の交響曲。しらけた雰囲気。というか、曲自体が、そもそも熱っぽくない、白けた、ひょうひょうとしたものではある。古典の模倣、現代感覚との微妙なブレンド。情熱を傾けて感情の奔流に身を任せるたぐいの作品でもないが、どうも、それにしても訴えるものがない。変拍子的部分の噛み合わせもイマイチ、集中力にもやや欠けた感じ。詰めの甘さを見て取る。
 チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。これは素晴らしい。上原彩子さんのソロ。大胆な、豪快な側面を期待した面もあるが、それよりは細やかな表現が隅々にまで刻印されていて、心にくい。ちょっとした歌い方に、さりげないイヤミのない自由さ。さらに音色の変化、緩めたり張り詰めたり、と、完全に全て自分の色に染めあげた、という感じか。さらに、逆の意味での若さ、つまり謙虚さも感じられ、かなり指揮を意識して、オケに寄りそう姿勢も出ていた。演奏会のメイン・プロを飾るに足る快演にて、彼女の今後も多いに期待します。

 第1530回定期(2004.12.8)。
 ラベルの「マ・メール・ロワ」の組曲。まずまず。ストラヴィンスキーの「ペトルーシカ」原典版。N響アワーにて放映、原典版より47年版に慣れてしまっていてやや違和感。また、デュトワの体調も芳しくなかったとも聞く。
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。ソロは、ピエール・ロラン・エマール。よく知らなかったが、特異な存在感。第1楽章のカデンツァが随分長いように感じた。カデンツァからオケへの受け渡しの部分も通常は、5度の和音で、例えばレの音のトリルとかの延ばし、なのだろうが、ベートーヴェンらしい発想で、和音打撃と長い休符、そしてオケの部分へとつなぎ、なかなかに面白い効果。彼のオリジナルなカデンツァなのか、どこからか見つけてきたのか、新鮮であった。その部分が最も印象的なコンサート、というあたり、デュトワの真骨頂が聴けずじまい、ということか。

 第1531回定期(2004.12.18)。
 デュトワ降板。代わりのバルシャイ、曲目変更。ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」がモーツァルトの「ハフナー」へ。ストラヴィンスキーの「ダンバートン・オークス」。これまた当月の「交響曲ハ調」と同様な白けぶり。ま、この作品も冷静、客観的作風であるものの、音が並んでいる以上の何かが感じ取れなかった・・・・2年前、2003年秋に聞いた、関西のアマオケ、かぶとやま交響楽団さんのほうが記憶に残る演奏。また、昨年の飯田のアフィニス夏の音楽祭、下野竜也氏によるドイツ人講師陣と日本若手演奏家たちの好演も思い出される。
 最後はセルゲイ・ハチャトリアンのソロによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。期待の若手演奏家。

(2005.2.11 Ms)

 N響 過去の演奏会から

 BSで、N響・読響といった放送局のオケをTVを通じて見る機会も多くなったが(N響は、教育TVのN響アワー以外にも、全ての定期が見られるし、この4月からは、月曜の朝8時から過去の演奏<概ねこの10年くらい>を1時間見ることができる。読響は火曜、BS日テレの「ブラボー・クラシック」)、最近、偶然チャイコの「悲愴」をそれぞれで聴き、奇しくも聴き比べが出来、面白かった。オケのカラーとしては、金管の華やかさが全く好対照。読響の方が聴いてて気持ち良し。N響、最近、特にTp.がパワー不足が気になることしばしば。放送設備の良し悪しも関係するのかもしれないが(全体に読響の方が、画面も明るく、音もクリア。)。本来は同じホールで、生で聴き比べたいものの、在京住人でなし、なかなかそこまでは・・・。
 ただ、指揮の違いという点では、読響のアルブレヒトは、オーソドックスな極めて普通な感じであったが、N響のスクロバチェフスキは、テンポの揺れなども効果的に、自然と惹きこまれていた自分。第1楽章のアレグロ、やや緩いテンポで始めつつ、細やかな動きが、ほぼ同時に書かれた「くるみ割り人形」の小序曲を思わせたり(音楽の性格は正反対ながら、譜面の書き方は似てる・・・・「運命」と「田園」の主題提示の共通性なども思い出す。全く異なるキャラと思いきや、やはり作曲家も人間、同じ時期に書いた作品、作り方は似てることもあるわけだ。)、おや、と思わせ、ああ、こんな演奏もいいね、と頭に残る。あと、同じく第1楽章提示部、金管がでたところでテンポが突然、前に動き出す。はっとさせられる効果だ。その後は第3楽章も含め、アレグロの速さが心地よい・・・・・スクロバ氏、同じ月曜の時間枠で、他の曲も(ベートーヴェンの7番は、この下にも書きました)聴く機会をもったが、年老いた巨匠、といったイメージよりは、随分若々しい溌剌とした演奏を聴かせてくれ、好感度上昇中だ。・・・遅ればせながら、か。皆さんもうご存知でしたか、失礼しました・・・・私的には、今頃、最近になって、その素晴らしさに気付いた、ということです。

(2004.6.23 Ms)

 月曜午前8時の枠で、デュトワ指揮のものが多く取り上げられた。2002.2.14の第1455回定期の、ベルリオーズの幻想交響曲。 2002.6.13の同じく序曲「ローマの謝肉祭」。彼の指揮による演奏、やっぱり聴いておきたいと、今更ながら思わせる。彼のこれらのお得意18番を聴きつつ、華やかで鮮烈なる演奏に、感銘も新た。そのくせ、ベートーヴェン7番、チャイコ5番などは、さほど。得意不得意が結構鮮明に出てしまうという点は確かにあるが・・・・。

(2004.7.24 Ms)

 準・メルクル指揮の過去の名演。
 1440回定期(2001.9.14)メンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」。闊達で、生き生きした、まさしく名演。TVの画面から飛び出してきそうなほどの勢いの音楽の奔流を感じる。第1楽章の冒頭から掴んでくる。ただし、勢いだけでなく、細かいニュアンスの表情も、自由自在に変化して、メルクルの棒のもとに、N響が、水を得た魚の如くスイスイ気持ち良さそうに泳いでいるかのよう。すがすがしくもあり、一点の曇りもない、まさしく「イタリア」そのものか。フィナーレの、無窮動的なサルタレロ舞踊も、聴く者の緊張を解く事無く一気呵成に。ちなみに、ティンパニ奏者の百瀬氏の引退公演だったはず、彼のサービス・ショット満載というのも儲け物。張りきりぶりが好感大である。

 1426回定期(2001.1.27)、ドボルザーク「新世界から」の第4楽章のみ放映。
 一転して、こちらは、勢いというよりは、重厚さすら感じる貫禄の演奏。速過ぎないテンポ設定にやや意外性を感じつつ、十分そのテンポに耐えられる緻密さすら感じる。最も感動的だったのは、第2主題の長大なクラリネット・ソロ。この、神秘性すら感じるソロは絶品だ。沈黙・静寂と紙一重な弱音の表現が、神々しい。さらに、その弱音から、次第に力を得、ソロから全合奏に音楽の勢力が波及して行く過程が(弱音の効果が効いているからこそ)背筋がゾクゾクするほどの感動的場面と化した・・・・。第2楽章のコーラングレ・ソロばかりが郷愁を誘うわけじゃない。この、クラ、こそ、頭から離れない故郷を思う、切々たる思いに満たされたドボルザークの本心じゃないか。「新世界から」の思いが、このクラに象徴的に表現される・・・・こんな曲だったんだ。このソロの存在で、その後の曲の流れの印象がずいぶん変わった。展開部以降ワンサカでてくる先行楽章の主題の際限ない再現が、「新世界」での体験の総括であり、そして、その総括は、帰郷へのイメージを促す。「早く、帰ろう。おみやげは、あれとこれと・・・・」そんな、雰囲気を感じ取ってしまったわけだ。
 とにかく、個人的には、アマの演奏くらいしか聞く機会に恵まれず、聞き古された超名曲、という認識であったが、ドボルザークさんには悪かった。・・・・・・ただ、思うのは、世のアマ・オケだって、良い指揮者に恵まれれば、聞き古されていようが人の心を突き動かす演奏、決して困難なわけではない。プロ奏者しか、今回のような演奏が不可能とは思えない。ただ、導いてくれるだけの指揮者の存在の有無、あとは、最初から「アマだから下手で当然」という開き直った驕りの有無。そんな驕りに満ちた人ほどに、ドボなんてつまらん、などといって逃げるのが実態か。
 感動、したい。感動、させてほしい。その、感動、を求めての私の旅路は、今後も続く。 

 最後に、メルクル氏に感謝。そもそも、今に続く、毎回の定演を聴かずにいられないほどの、N響に心惹かれるきっかけを与えてくれたのが、昨年の富士公演。眩惑的なR.シュトラウス。個人的な作曲家の好き嫌いを超えて、感動を与える演奏、にノックアウト。嫌いな曲、そこまで行かずとも、取りたてて好きじゃない曲を、演奏の力で、感動的にしてしまう、この魔術。この魔術に一歩でも近づこう、という意識なきものは、ステージに上ってはならん。

(2004.8.9 Ms)

 N響過去の定期から。最近かなり評価の高い、ネルロ・サンティ氏の指揮。ヴェルディ、ロッシーニの歌劇の序曲。
 1447回定期(2001.11.23)。まずはヴェルディ、「ナブッコ」「シチリア島」など有名どころ・・・しかし、個人的に熱狂できるタイプの曲ではないが、珍品で、「レニャーノの戦い」序曲。金管のマーチ風楽想で開始、いかにも、戦闘ネタ、なのだが、面白い。「オテロ」のバレエ音楽なども、アラビア風なムードが楽しい。あと、チューバの代わりに、トロンボーンを変形して巨大化させたような初めてみる楽器が使われていた。ベルディの活躍していた当時使われていた低音金管楽器、ということだろうか。特に、ソロ的な部分はなく音色の違いなどは不明。
 1489回定期(2003.5.28)。ロッシーニの初期だろうか、ほとんど室内楽に近い小編成で、「絹のはしご」序曲。とにかく細かい音符の連続ながら、意表をつく終止などもあって、気の効いた軽い曲ながら難曲か。オーボエの茂木氏には脱帽。たいしたもんだ。全体としても一糸乱れぬ演奏。サンティ氏の統率力、十分感じられた。

(2004.8.29 Ms)

 N響過去の演奏から、ネルロ・サンティ指揮のもの。ヴェルディ作品の次は、ワーグナー作品集。以外に「マイスタージンガー」が良くて驚き。細かく書かれたオーケストレーション、細部まで随分と聞き取れる、丁寧な演奏。普段聞き取れない些細なパッセージもクリアで、曲の本当の姿を始めて聞く事ができたと感じる。それこそ聖徳太子ではないが、一度に複数の声部がちゃんと聞えて来る。今まで何を聞いていたんだろう・・・。素晴らしい演奏との出会いは、聴き慣れた作品も新鮮で、楽しい。  NHK大阪ホールのこけら落とし公演(2001.11.17)より。

(2004.9.11 Ms)


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