Msのオススメ企画

第1案

 休憩をはさみ、前後、2部構成とする。指揮者が案内役も兼ねて、曲の紹介なども交えつつコンサートを進行。

 
第1部のテーマは、21世紀の到来。近未来的、もしくは宇宙的な選曲とし、クラシックにこだわらない。

 まず、舞台は暗く、シーンと静まりかえっている。大太鼓、コントラファゴットの鈍い低音がいつからか聞こえ始める。そこへトランペットのあの有名な主題が立ち現れる。そう、「2001年の宇宙の旅」(リヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラ」の冒頭)。ティンパニの連打も交えつつ徐々に舞台は明るくなる。練習番号1で完全に明るくなり、演奏は練習番号1の3小節目で終わり。
 指揮者が、今回のコンサートの意図を説明。市制50周年のイベントであること。コンサートのテーマはこれこれ。など。
 引き続いて、日本の世界に誇る映画文化の最高峰、東宝怪獣映画のメドレー、伊福部昭の
「SF交響ファンタジー第1番」。ゴジラのテーマで勇壮に始まる。怪獣総進撃、宇宙大戦争などの主題が華やかに鳴り響く。
 騒々しい音楽の後は、多少しっとりとした音楽を。この辺りは特にこの曲と決めてはいないが、「星に願いを」とか「見上げてごらん夜の星を」とか静かなものでどうだろう。もしくはクラシックも入れたければ、とりあえず静かめな選曲としては、ヨゼフ・シュトラウスのワルツ「天体の音楽」(何かのCMで使われたこともある)あたりか。
 しっとり系な曲を2曲ばかし続けて、第一部のトリは、派手に行きたい。ホルストの
「木星」あるいは、J・ウィリアムスの「スターウォーズ」。別に、ETでもいいけど。

 後半、
第2部はクラシカルな雰囲気としたい。「題名のない音楽会」のような、レクチャー風に音楽的な説明も加えつつ、お客さんにいろいろな音楽を知ってもらおう、という企画。21世紀を迎えるに辺り、20世紀の音楽を振り返る、というのがテーマ。しかし、あまりにもテーマがでか過ぎるので、私は、20世紀の第5交響曲、という視点で話を進めていきたい。ベートーヴェンの第5以来、第5交響曲は傑作の確率が高い。それだけ作曲家のリキも入るのだろう。第5交響曲を通して、20世紀の音楽の一端を知ろう。

 なお、このステージのメインになるのは、シベリウスとショスタコーヴィチの第5であり、それぞれ楽章を一つ抜き出して、ちょっと細かな説明もしていきたい。なぜ、この二曲かと言えば、我が刈谷オケの選曲総会においてもおなじみな作品であり、既に、技術検討も毎回されていること。今回、曲決めを早めにしなければならないが、細かな曲の曲決めはなかなか時間もかかり手間取るだろうと思われ、また楽譜の手配も時間がかかる可能性がある、といった理由もあり、既に過去の技術委員会で承認済みのこれら2曲を先行して決定し、シベリウスに関しては楽譜も既に入手済みで、練習に早めにとりかかるというメリットもあると思われるため。
 また、必ずしも曲を知っている人ばかりではない団員全員の投票では、選漏れに甘んじていた2曲だが、熱狂的ファンも確かに存在し、曲を知らない団員にとっての、知ってもらう機会、全曲演奏への布石、と言った意味でも、一部分のみの演奏は意味があるのかもしれない。
 逆に、嫌いな方々にとっては、今回、一部分演奏しておけば、当分、全曲演奏しなくてもすむ、という理由付けにもなり、そう主張したい人はそうしてもよいとは思います。

 ということで、ステージの流れとしては、まず解説もなく休憩後、すぐ、シベリウスの5番の第1楽章
 このステージの意図の説明。そして、シベリウスについての説明。彼の50歳の祝賀記念コンサートで初演した第5。今回の市制50年にもかけて演奏しました。また、
20世紀は民族自決の世紀。限られた欧米諸国が広大な植民地支配をしていたが、20世紀になって、民族の独立は大きな時代の流れとなった。その先駆けとして、ロシアからのフィンランドの独立運動もある。といった説明の後、「フィンランディア」の中間部、賛歌の旋律をワン・フレーズ演奏。この有名なフィンランディア賛歌が、民族自決のうねりを巻き起こし、彼は国家的英雄となり、50歳祝賀も大々的に行われたというわけだ。
 という説明の後、傑作の多い第5交響曲、という説明が入り、19世紀の名作として、
ベートーヴェン、チャイコフスキーの第5なども部分的に演奏すれば、お客さんも納得するかな?
 さて、続いて、
マーラーの第5。演奏するのは、映画「ベニスの死す」でも有名なアダージェット、第4楽章。しかし、演奏前に、マーラーについての説明。巨大なオーケストラを使用して、表現能力を多いに高めた。また、既存曲の引用なども大胆に行い、音楽の背後の意味を深いものにしている。といった特徴の説明。そこで、マーラーの5番の第1楽章冒頭の謎について一言。まず、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」最初の13小節を演奏。その後、マーラーの第5の第1楽章冒頭から練習番号1の3小節目の頭の和音まで演奏。この類似もしくは引用をどう捉えるのか、音楽の意味を考えさせる音楽としての、20世紀の音楽の楽しみ方のきっかけを提起したい。そのマラ5も、第1楽章の葬送行進曲から一転、第4楽章は美しい愛の旋律。マーラーの作曲のペンの冴えを堪能していただきましょう。
(と行きたいところですか、マーラーのアダージェット、弦楽器の皆さん、大丈夫?多いに心配。こんな機会でもない限り、演奏ではないだろうから頑張りますか?出来ない!!ということなら、マーラーは引っ込めざるを得ませんね。そのかわり、ベートーヴェンと、チャイコフスキーの第5からそれぞれ任意の1楽章を演奏・・・・ちょっとたるいかなぁ。検討を要する辺りでしょう)
 さて、マーラーの愛の世界を堪能した後は(場合によってはチャイ5の第2楽章で愛の世界を堪能?)、まぎれもない20世紀の作曲家(20世紀生まれ、20世紀育ち、20世紀死に)
ショスタコーヴィチの第5。当然、フィナーレでしょう(バイオリン・ソロがない楽章という言うことで、コンマス決めも楽になりますか?)。
 
20世紀は革命の世紀、戦争の世紀。人間同士が憎しみ合い、殺し合い、この世の地獄を見せつけた忌まわしい時代。そんな時代に翻弄されつつも自分を見失うことなく作曲を続けたショスタコーヴィチ。政治権力が芸術にまで圧力をかけたソビエトにあって、そんな革命、戦争の犠牲者の為に鎮魂曲を書き続けたショスタコーヴィチ。彼こそ、20世紀の社会、時代そのものを表現し得た作曲家と言えないか。音遊びに終止する、いわゆるゲンダイ音楽の作品に比べ、なんと人間性に溢れた音楽なのだろう。ベートーヴェンの意志の強さの20世紀的な展開、といってもよかろう。最後の歓喜の場面は、「強制された歓喜」とも言われるが、そんな引きつった喜びは、現代の我々の周囲にも存在してはいないだろうか。本当の歓喜とは何か?新世紀が本当に喜びに溢れた時代となるのか?そんな問題意識を持ちつつ鑑賞していただけるのなら、何か曲から見えてくるのでは? といった説明の後に、ショスタコーヴィチの第5のフィナーレを演奏。

 これにて、20世紀の社会と音楽を考察する、格調高き(?)レクチャーコンサートは完。教育番組として、ケーブルテレビ(キャッチさん!!)で公開録画はいかがでしょう?すくなくとも、これだけの質のコンサートができる団体はそうそうないでしょう。演奏が伴うかだけが心配?!

(2000.7.4Ms)


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