ESPANSIVA! NIELSEN
Carlめ(軽め)にコラム
第3話 ニールセンのト長調 その3
<3> 初期作品におけるト調(ト長調とト短調)
ニールセンのト長調を追って、交響曲第5番を振り出しに、全交響曲そして、協奏曲、さらに最晩年の24の調性に基づくピアノ作品などを巡って来た。確かに、ト長調へのこだわり、もしくは、ト長調の愛好、といったものがなんとなく私には見えてくるような気がするのだ。そこで、さらに、彼の作曲家としての修行時代、そして駆け出しの時代についても彼とト長調との関係を追って見たいと思う。
彼の作曲家としての公式な出発点は、作品1、有名な弦楽オーケストラのための「小組曲」(FS6)ということになるのだろうが、これ以前にも彼の作品としてFS番号によるカタログには掲載されており、学生時代の習作として集められているFS3あたりから交響曲第1番ト短調(FS16)まで主な器楽作品などを抜き書きしてみると、
FS 3b | バイオリン・ソナタ | ト長調 | (1881‐82) |
FS 3h | クラリネットとピアノのための幻想的小品 | ト短調 | (1881?,1883‐85?) |
FS 3i | ピアノ三重奏曲 | ト長調 | (1883) |
FS 4 | 弦楽四重奏曲 第1番 | ト短調 | (1887‐88) |
FS 5 | 弦楽五重奏曲 | ト長調 | (1888) |
FS 8 | オーボエとピアノのための幻想的小品 | 第1曲「ロマンス」が ト短調 |
(1889) |
FS 16 | 交響曲第1番 | ト短調 | (1890‐92) |
と、こんな具合にGの音を主音としたト長調、ト短調の作品がぞろぞろ出てくるわけだ(ただ、私自身、FS3の作品は、クラリネットの小品を除いては作品を聞いて確認はしていないので詳しくは語れないのだが)。ト長調だけにこだわらず、ト短調の作品も含めてみると、彼の創作の源泉としてのト調、という傾向は否めないのではないか?
ただ、ト長調、ト短調の愛好、というのは、ハイドン、モーツァルトなどの古典派でも見られることである。その背景として、弦楽器の調弦、という要因はあるだろう。バイオリンは最低音がG、そこから五度づつ積み上げた調弦である(G,D,A,E)。そして、ビオラ、チェロはCから五度づつ積み上げ(C,G,D,A)。この調弦は、ト調の和音に適したものではある(開放弦の使用が容易)。それ故に、古典派の交響曲その他、弦楽を使う作品にト調の割合は多い傾向があり、ニールセンもまたバイオリン奏者で、また、まず弦楽器を中心とした創作から作曲を開始している点からも、上に見られる調性選択になったことは想像できよう。
ここで私が注目しておきたいのは、FS4とFS5の2作品である。1886年に音楽院を卒業、一人前の作曲家として歩み始めた際の作品のうち、結果として後世に演奏され得る作品として残る運命を獲得したのがこの対照的な2作品である。その他、ト短調以外の弦楽四重奏曲なども作曲され、部分的に公開初演されたものもあるようだが(1887年9月17日、チボリ・コンサートホールにて、失われた弦楽四重奏曲(ホ長調?)の中間楽章が弦楽合奏の形で演奏されたのが、ニールセンにとって初めての公開演奏という。・・・BIS、コントラ四重奏団によるニールセン弦楽四重奏曲全集CD、日本語解説による。)、彼自身その作品は後日顧みる事無く、ここに挙げた2曲こそ、初演の後、彼自身出版も望んだ、作曲家ニールセンのスタート地点にある作品なのである。
FS4は、1889年12月18日に私的演奏会での演奏の後、一度は撤回、改訂を経て1898年に初演、作品13として世に出、一方、FS5は、1889年4月28日に初演、成功を収め国内外で演奏されたものの希望どおり出版には至らず忘れられ、死後1937年にようやく出版されたものという(上記BIS.CD解説による。)。
結果として、FS6の「小組曲」(1888)が、一足速く1888年9月8日にチボリ・コンサートホールにて初演、成功、翌年出版、と順調な経過をたどったことで作品1の名は「小組曲」に与えられたものの、彼の創作の経緯から察するに、FS4,5こそ、作曲家として最初に本格的に世に問うべき最初の作品であったと想像され得ると思われる。
作曲家としての最初の一歩を踏み出したのが、このト長調とト短調の姉妹作品と言うべき室内楽作品であり、それこそ、「運命」と「田園」の如く性格の相違を明確にさせながらほぼ同時に生まれ出たのである。そして、作曲家としての力量を問われる交響曲の作曲においても、へ長調の管弦楽作品をまず企てるも挫折(「交響的狂詩曲」FS7として独立)、後年、満を持して再び交響曲に取り組んだ時、彼が選んだのはト短調という調性・・・ニールセンにとって、作曲家デビューそしてその後の駆け出し時代にあって、ト調、こそが最もしっくりくるインスピレーションの涌きやすい調性であったと言えるのではなかろうか。
ということで、続いて、彼の本当の最初の作品1に対応すべき、ト短調の弦楽四重奏曲についてやや詳しく見ていきたいと思う。
(2002.1.30 Ms)
<4> 弦楽四重奏曲第1番ト短調
まず、作品の概要だが、いかにも古典派音楽の学習の成果、と言うべき作品で、外見的には古典の形式美を追求した、ベートーヴェン・ブラームス路線のごくオーソドックスな作品としてまとめあげられている。楽章をおってみていきますと・・・
第1楽章、Allegro energico。4/4拍子。ソナタ形式。第1主題、ト短調。第2主題、変ロ長調(再現部においてはト短調)。
第2楽章、Andante amoroso。9/8拍子。三部形式。主部、変ホ長調。 〜 中間部、Agitato。3/4拍子。ト短調。
第3楽章、スケルツォ、Allegro molto。6/8拍子。三部形式。主部、ハ短調。 〜 トリオ、2/4拍子。ト長調。
第4楽章、フィナーレ、Allegro(inquieto)。2/4拍子。ソナタ形式。第1主題、ト短調。第2主題、変ロ長調(再現部においては再現が省略、ただしAnimatoの終結部にてト長調で再現)。再現部で第1主題の再現後、6/8拍子風な動きが加わりスケルツォの回帰を予感させ、「Resume」(レジュメ・要約)と書かれたコーダで、第1楽章第1主題、第3楽章主部主題、第4楽章第1主題が次々と対位法的に絡み合い、第4楽章展開部で出た素材がト短調からト長調への転調を促し、Animatoのト長調、第2主題再現を導く。(この「Resume」部分がニールセンの野心的な試みとして評価したい部分ではある。)
ゲーゼによればト短調四重奏曲は「混乱している。しかしそれは才能ある混乱だ!」ということだが、その評価は正しい。(中略)このト短調作品における折々の和声的なぎこちなさは、ニールセンが音の世界に新しい道を発見しようと意図したことから引き起こされたものである。
(ポリドール、カール・ニールセン弦楽四重奏曲団による弦楽四重奏曲全集CD解説より)
第1楽章。ベートーヴェン的とすら言える衝撃的で重厚、かつ、印象的な動機を提示している冒頭からして聞き手を引き込むものがある。序奏は無く、いきなりバイオリンによる精力的な主題で始まり、内声の和音の半音階的な動きが不安なムードも漂わせる。対する第2主題は定石どおり変ロ長調。チェロの優美な旋律。第2主題の旋律が短い同じフレーズを繰り返しているもベートーヴェン風か。小結尾における突然の休符、違和感あるスフォルツァンドの位置なども面白い効果だ。
展開部で主調と関係の薄いホ短調がでてくるのは意欲的な展開とも言えるが、動機の処理や、やや単調な和声の動きなど、やや展開部としての甘さは感じられないではない。
第1主題に含まれている経過的なCis(Des)の音が再現部では前面に出て変ト長調への転調が行われる辺りは斬新な和声感と言えそうか。逆に再現部における第2主題がト長調でなくト短調で出るのは、ベートーヴェンよりも前の、モーツァルト的な調性選択(モーツァルトの40番を想起)。ただ、長調の第2主題を短調で再現させることで、偶然、D−C−B−Asという全音階(古典では忌み嫌われる増4度・・・ドビュッシー作品や、シベリウスの第4交響曲を思い起こそう)が現われるのも興味深い。冒頭楽章のコーダにおいて力を弱め脱力感を感じさせながら、静かに終結を迎えるのはブラームスのよくやるパターンか。
第2楽章。テーマ自体は平凡な、まだ古典の模倣程度のものか。ただ、中間部にアジタートの短調で激しい部分を持つのが構成としての特徴。彼の交響曲第1番の第2楽章の中間部との親近性もありそうか。第2楽章でも、主調ト短調の確認が行われているのは押さえておこう。
第3楽章。いかにもベートーヴェン風な骨太なスケルツォ。主題の中で3連符と2連符の混合があるのはブラームス風か。主題提示のすぐ後に、変ニ長調、変ニ短調への転調があるのは新鮮な感覚。(個人的にはこの楽章のカッコ良さは好み、是非きいていただきたい)
私が注目したいのはト長調の中間部、トリオ。ハ短調に対してト長調は一ひねりと言えそうか?(古典的な和声感なら、長調ならハ長調、変ホ長調、変イ長調あたりの選択だろう)。そして、なによりも、民族舞曲風な素朴な味わいが、この作品の中で耳に残る。チェロによるG−Dの単調な繰り返しの上に飾り気のない旋律が重なり合う。旋律線には一部開放弦の使用も指定され、いかにも素人バイオリニスト臭い田舎っぽい雰囲気を醸し出す。
ドイツ古典の影響下に堅苦しい重厚な、ベートーヴェン・ブラームスを追いかけて大芸術を志向するかのような作品にあって、この第3楽章のトリオはやや違和感のある雰囲気が漂う。ただ、この雰囲気こそ、彼の音楽の原点を伝えるものとして私には感じられる・・・
ニールセンの父親はペンキ屋で、オーデンセ近郊ネア・リュンネルセ村の素人音楽家でもあった。そしてカール少年の音楽的才能を最初に引き出したのは、この父親が弾くヴァイオリンの調べだった。若いカールは間もなく村の楽隊に加わり、結婚式や祭りで即興的な対位法や変奏曲を楽しんでいた(ポリドール、カール・ニールセン弦楽四重奏曲団による弦楽四重奏曲全集CD解説より)。
第4楽章。冒頭の主題は衝撃的な楽器法と半音的な不安定な和声感とが耳に残る。1stバイオリンの旋律の伴奏として、残り3人が後打ちのピチカートで支えるが、2ndバイオリンの高音のピチカートの打撃が効果的。そして半音階的な第1主題に比較して、第2主題は5音音階的で素朴・・・ドボルザークの作品、例えばスラブ舞曲あたりとの雰囲気の近さも感じる。
最初に書いたように、再現部以降は、ニールセンの対位法への愛好を既に感じさせる意欲的な、「レジュメ」部分が大きな特徴。作品全体の統合が緻密に行われている。そして、その後に、第3楽章トリオにおけるト長調という調性が作品の結論として前面に押し出され、素朴な第4楽章第2主題がト長調で堂々と高らかにバイオリン・デュオとして奏でられる・・・ただし、チェロは第1楽章第1主題の音型、ビオラは第3楽章第1主題の音型、と作品の統合の意味合いも続いている。その後に、第1楽章第1主題がト長調として再現(第1楽章再現部で転調を惹起した経過音CisはDに改まっていることも注意)、最後は15小節に渡ってト長調の主和音を精力的に重音で撒き散らしながらこの四重奏曲は幕引きとなる。
全体的に、構成感としては古典派的な色合いが強く、また和声的にはいろいろな試みに満ちたものと言えよう。そして、固さを感じさせる作品にあって、第3楽章のトリオのくつろいだ雰囲気が間奏曲的に挿入され、最終的にはその雰囲気を支えているト長調のもとに楽曲全体が統合されてゆく、といった曲の運びを感じ取ることは出来よう。私としては、ト長調が重要な位置にあり、また、ニールセンの思い入れもまたこのト長調に隠されているような気さえするのだ。
事実上の作曲家としてのデビューの作品における、このト長調。彼のその後のト長調との関わりを予想させるような例として私は聴いているところです。(「小組曲」を遡って、このト短調の弦楽四重奏曲(改訂版ではありますが)を聴くことで、彼の作曲家としてのスタート地点がよく確認できるのではないかと思います・・・・ニールセン・ファンなら必聴!?)
最後にまだ一言(2002.2.1 Ms)
<5> むすび 〜 静寂から立ち昇るGの音
ニールセンのト長調をキーワードに、交響曲第5番から始まって、主要な作品、そして初期の作品、最後に彼の作曲家としての出発点たる弦楽四重奏曲第1番などを大急ぎで、見て、聴いてきた。彼にとって因縁めいたト長調、そしてト短調。少々毛色は違うものの最後にまたひとつの例をここに掲げてこの項は終わりたいと思う。
序曲「ヘリオス」作品17、FS32。(「隠れ名曲教えます」へはこちら)
1903年、ギリシャに滞在したニールセン(彫刻家である妻のギリシャ彫刻研究も兼ねた旅である)、アクロポリスを望む部屋で、エーゲ海より昇る太陽にインスピレーションを受けて書き上げた管弦楽作品がこれである。
でも、ちょっと待て。ハ長調で始まり終わる。主部アレグロも基本はホ長調。・・・ト長調は出てこないのだが・・・。
彼がこの作品のスコアに書いた一文がある。
「静寂と暗闇−それから、喜ばしい賛歌とともに日は昇る−太陽は黄金の道(黄道)を旅する−そして、日は静かに海に沈む」
この作品の冒頭、朝早く物音ひとつない静寂の中から立ち昇る音こそ、まさしく今回の主役であるG(ソ)の音である。低弦によるロングトーンが寄せては返す波の様に、静寂から始まりクレシェンドとデクレシェンドを繰り返して曲は始まる。ニールセンにとって、無音状態からまず初めに音が現われる瞬間、それを担うのがこの「ヘリオス」においてはGの音であるわけだ。
作曲という作業もまた、無音の静寂から始まって、あるイメージが、そしてインスピレーションが新たなる音楽を導くもの。ニールセンが作曲をするきっかけとして、まずGの音が頭の中で鳴り響き、その上に数々の作品が成立してゆく、という仮定を考えたのだがどうだろう(当然、全ての作品がそうであるわけもないが、生涯を通じてのト調の重要性を思えば、彼にとってGの音からの作曲作業、という場面は決して少なからずあったのではなかろうか?無意識のうちに、Gの音から新しい旋律が、ハーモニーが生まれ出たことはあっただろう)。
などと考えるうち、やはりこのGの音、幼少の頃からきっと毎日聞いていたであろう、父親のバイオリンの面影、なども影響しているような気もするのだ。バイオリンのG線開放弦の音、これが「三つ子の魂百まで」として彼の作曲家人生において常に傍らにあった存在、と考えるのもまた一興か?
最晩年1927年に自伝、「我がフューネンの幼年時代」を著したニールセン、何だかどんな作曲家よりも自分の子供の頃の思い出を大事にしていたんじゃなかろうか?そんな彼だとするならば、そのフューネンの幼年時代の一番身近な音が、ずっと彼の作曲家人生を貫いていたと想像するのも決して悪いことではないような気がします・・・・相変わらずの「曲解」ですのでマジで突っ込まれると困りますが・・・・ニールセンの作品たちを聴いての私の素朴な感想ということでご理解下さいませ。
以上、ニールセンとト長調、さらにはト短調をも含めたト調、そしてその主音たるGの音、これらについて今の私の思いをまとめてみた次第です。長々とおつきあいいただきありがとうございました。
(2002.2.2 Ms)