旬のタコいかがですか? ’99 9月

(ショスタコBeachへようこそ!)

 

 

 ほとんど、冗談で始めた、「ショスタコBeachへようこそ」ではありますが、今年後半の当ページのメインテーマが、ショスタコーヴィチということで、毎月、この項では、その月にちなんだショスタコ・ネタを紹介していこうと思います。
 旬のタコ、いきのいいタコのネタを、どうぞ、ご賞味あれ!!!

 と、景気よく始まったのはいいものの、なかなか第2回が掲載されず、失礼しました。今回は気合入れていきましょう。

1906.9.25 

ショスタコーヴィチ 誕生

 予想通り、出ました。ショスタコーヴィチの誕生日。
 健在なら93歳かぁ。まだ、作曲続けていたら、交響曲第20番ぐらいまでは来てたかなぁ。ソヴィエトの崩壊をどう感じたんだろう。晩年はひょっとして、念願のオペラ作曲家になってしまったのだろうか?

 ふと、いろいろ想像してしまうな。今年の9月25日は、土曜日でもあるし、ショスタコの生誕を祝ってCDを聴きまくろう。いろいろなショスタコ記事もどしどし書いてみたい。

 ということで、ショスタコーヴィチ誕生月スペシャル、ちょっと変わったテーマで攻めようか。そこで選ばれたのは、この曲。

 

1959.9.21

チェロ協奏曲第1番

  初演に先立ち、ピアノ伴奏版による試演が行われる  

 今年は、チェロ協奏曲第1番完成40周年、という記念Yearでもあります。
 しかし、かなり無理やりなこじつけのような設定ですが、まぁ我慢して読んで下さい。ちなみに、初演は同年10月9日。あえて、今月のテーマにしちゃいました。 

 この協奏曲、とても印象的な出だしです。G−E−H−B。一度聴いただけで、タコだ。とわかる、また、すぐに口づさめるメロディーです。
 しかし、ここて゛、おや、変ホ長調? あれ、そうかなぁ。ホ短調じゃないの?
 そこで、スコアを見ると、
G−Fes−Ces−B。ふーむ、目で見れば変ホ長調かもしれない、しかし、どう聞いても「エロイカ」の調には聞こえないのでは?第一、この主題が2回繰り返される間に私の耳は、E(Fes)が主音に聞こえてくるのです。E−H−Bという音の動き、ホルストの「惑星」の「火星」の冒頭、G−D−Desと同じじゃないの。だから、通奏低音でずっとGが鳴っている「火星」の冒頭が頭をよぎり、チェロ協奏曲の冒頭もE(Fes)が強く意識されるのだろうか?(偶然だが、真っ赤な「火星」と「タコ」の取り合わせに、ちょっと笑いを感じました)
 それに、第1楽章も、フィナーレも、最後の変ホ長調の主和音が妙に違和感を持って、とってつけたような終止にも聞こえます。なんだか、変ホ長調が意識的に確立していない曲のようです。
 ついでに、フィナーレの冒頭主題も、半音階的でこれまた調性が確立せず、とても「エロイカ」の雰囲気とも程遠い・・・。

 本稿においては、変ホ長調の確立しない、変ホ長調の楽曲であるこのチェロ協奏曲をきっかけに、ショスタコーヴィチにおける変ホ長調について少々考えてみようと思います。

 題して『「エロイカ」なタコ親父』?!あぁ、なんてくだらない。これでみんなあきれてしまうかなぁ?

(1999.9.14 Ms)

 

<1> 簡単な変ホ長調概説

 ベートーヴェンの作品が後世に与えた影響は、様々なものがありましょうが、ある調性への性格付け、というイメージを決定させたという点を一つ挙げてもいいと思います。
 ハ短調「運命」、へ長調「田園」、ニ長調「歓喜」・・・・・そして、今回の主役、変ホ長調「英雄」
 後続の作曲家達も、これらに束縛され、もしくは影響されて調整選択をしている例がそれぞれみられるでしょう。

 「英雄(エロイカ)」をもろ意識したのが、リヒャルト=シュトラウス「英雄の生涯」でしょう。
 ベートーヴェンは、もともと「ナポレオン」を想定し、絶対王制から民主主義の世界へ導く英雄像がその作品の根幹に存在していますが、シュトラウスは、不遜にも、作曲家自らを英雄にしたて、敵である口うるさい評論家たちをやっつけるという、かなりエゴの強いものとなっています。
 この例の先駆的な作品として、未完に終わったチャイコフスキー交響曲第7番「人生」も、私はあえて挙げておきたいと思います。
 本来は、「悲愴」作曲の前に構想されたこの「人生交響曲」、ある書簡に、「私の人生の最後を飾るに相応しい作品」ということで着手されているとのこと。きっと、「死」を目の前に彼は、作曲家としての最後を、華々しく「変ホ長調」で英雄的に飾りたかったのでは・・・・しかし、そんな、虚勢によって交響曲は完成されるはずも無く、まもなく「人生」の構想は破棄され、一気に「悲愴」を書き上げて死んでしまいます。

 さて、ちょうどシュトラウスと同じに活躍したマーラーは、全く違う方法で変ホ長調を使用しているようです。彼にとっての「英雄交響曲」は、「3度目の打撃を受けて死ぬ」英雄を描いた第6番「悲劇的」といえましょう。そこではイ短調が選択され(かろうじて緩徐楽章が変ホ長調)、彼にとっては、変ホ長調交響曲といえば第8番です。また、第2番「復活」の終止も、変ホ長調です。
 ここで、この2つの変ホ長調をよく見れば、人知を超えた超人的な存在、神が歌われていることに気付くはずです。
 前段の例では、特定の個人を「英雄」に見たてて、その表現に変ホ長調が使用されていますが、マーラーの例では、所詮人間は死んでしまう存在であり、自らの自伝的作品でもある「英雄交響曲」は所詮「悲劇的」な訳です。そんな、弱き人間の為に変ホ長調を使った豪奢な響きは用意することなく、神の為にこそ、壮大な変ホ長調の表現を用意したのでしょう。

<2> 交響曲第3番「メーデー」

 いきなり、ショスタコの例に飛びますが、彼の3番も変ホ長調・・・・・なのですが、やはり、これもまた「英雄交響曲」といった側面はあるでしょう。
 ただ、ここで、この英雄とは、ある個人ではなく、団結した労働者たち、ということになるのでしょう。スターリンによる大虐殺時代を迎える前の作品です。まだ、誰もが、新しい共産主義国家の将来を明るい展望をもって生きていた時代の産物なのでしょう。
 国の将来に期待を寄せつつ、新たな時代の英雄は「我々みんな」なのだ、と宣言するかのような作品に、彼は変ホ長調を選択したわけです。  

 しかし、本稿の趣旨からは少々蛇足になりますが、この作品は、内容的には、ある意味、アンチ・ベートーヴェンと言えましょう。
 ベートーヴェン的と言ったとき、一つは、人間性善説的健全さ、そして二つ目が、主題の変奏に重きを置いたがっちりした構成、という側面の二つを私は想定しますが、この「メーデー」は、その前者の延長には有りますが、後者とは全く、意識的に対立している作品でしょう。
 「メーデー」の特徴は、主題が提示されつづけられる、つまり、一度出た主題が、展開も回帰もしないという、全く前代未聞の構成を持っているということです。
 ベートーヴェン的構成は、ひょっとすると、封建的、非民主的なのかもしれません。重要な主題が何度も展開、回帰することで曲の統一感を強める、という意味では、ある特定の人物に権力が集中し、国家の支配体制を強化する状態と同じでしょう。「メーデー」においては、みんなが平等、という理念の下、特定の主題だけを贔屓することなく、主題が羅列されていると言うわけです。

 さて、ただ、この作品は変ホ長調でありながら、その構成上の特徴もあいまって、変ホ長調がしっかりと認識されるのが、最後の一瞬だけのような気もします。結局、この作品では、変ホ長調は、全曲を統一するような強い支配力を持っていません。取って付けたような、見せかけだけの「変ホ長調」なのかもしれません。続く、彼の「変ホ長調」でこそ、ベートーヴェン以来の、作曲家と英雄との複雑な関係が表面に浮き上がってきます。そうです。交響曲第9番 変ホ長調です。

(1999.9.15 Ms)

<3> 交響曲第9番

 ショスタコーヴィチの話の前に、ベートーヴェンの3番「英雄」についての若干の予備知識を・・・。

 この「英雄」の特徴としては、規模の大きさ(それ以前の交響曲の倍の時間を要する点)が、最大の特徴でしょう。
 しかし、その長さが、冗長にならないよう配慮されています。例えば、第1楽章の展開部の充実、あるいは、第4楽章における変奏曲形式の導入など、主題の展開に重点を置いた構成がその長さを支えています。その構成こそが、交響曲史における金字塔と呼ばれる所以の一つともなっています。
 また、当然、各楽章が肥大化しているのですが、一つの楽曲としての「変化」と「統一」のバランスを取るべく、各楽章に共通の素材を持ち込み、楽章間の有機的結合を図っていることも見逃せません。
 第1楽章、第1主題、冒頭チェロによる主題(Es−G/Es−B/Es−G−B/Es)は、変ホ長調主和音の分散和音を基にしたもので、この旋律発想は、第2主題中間部の主題、オーボエによるハ長調主和音の分散和音(C−E−G)、そして、第3楽章中間部のホルン・トリオ、そして第4楽章の変奏曲主題、弦のピチカートで最初提示されるEs−B−B−Esという具合に、主和音の分散和音の音型が、全楽章を統一する役割を果たします。
 また、この主和音の分散和音という発想、旋律線としては固さも感じられますが、逆に、断定的な力強さの表現にも有用なようです(それを最大限に活用したのが「英雄の生涯」の冒頭か?)

 さて、ベートーヴェンの話はこれくらいにして、ショスタコの9番の話へと進みましょう。

 この作品が、1945年、第2次大戦のソビエト戦勝祝賀のタイミングで発表されたのは皆さんご存知でしょう。
 ヒトラーとの戦争を勝利に導いた、偉大な指導者スターリンへの賛歌として、この交響曲は期待され、その初演を迎えたのです。
 しかし、ショスタコは「スターリンを神格化する曲はかけなかった」と言います。
 そこで、誕生したのが、演奏時間約25分、2管編成、壮大さとは無縁な、古典派時代の「ディベルティメント(嬉遊曲)」に逆戻りしたような、この作品だったわけです。

 ただ、スターリンを神格化、英雄視する交響曲ではないのに、あえて、伝統的な「英雄」的な調性、変ホ長調が選択され、「英雄交響曲」の外見はしているとも言えます。そこで、曲を分析してみると、おやおや、ベートーヴェンと同様な楽章間統一の配慮が浮き出てきます。

 第1楽章冒頭、第1主題、いきなり、Es−B−G−Esと、変ホ長調の主和音の分散和音で曲は始まります。この発想が、ハイドン的と言われる原因でもありますが、あえて、変ホ長調でこう来た辺り、ベートーヴェン(の「英雄」での発想)が私には匂います。なぜなら、続く第2主題も、F−Bというトロンボーンを合図に、ピッコロがF−F−F−Dと歌い始めれば、あっというまに、変ロ長調の主和音の分散和音が聞こえてきます。さらに、第2楽章も、冒頭、クラリネットが、H−D−Fisと、ロ短調の主和音分散和音です。第3楽章の冒頭もD−H−Gと、ト長調の主和音分散和音・・・・・。
 確かに、調性に立脚して作曲する以上、分散和音的な旋律発想の可能性は当然ありますし、よく見られる例だとは思います。しかし、時は20世紀も中ほど(古典和声のみで作曲する訳にはいかない時代)、数々の作品を手掛けてきたショスタコが、楽章ごと、重要な主題すべて、主和音の分散和音で始め、他の作品に比べて嫌味なほどに、それを強調しているかのように私は思えてきます(単なる偶然というより、作曲時にその点にこだわったとしか思えないのです)。
 とするなら、案外彼は、「英雄の生涯」や「一千人の交響曲」のような、誇大妄想的な(これこそスターリンが望んだ形だろうが)作品で無しに、ベートーヴェンの「英雄」を研究、参考にした作品ということで「私もベートーヴェンに倣って英雄交響曲にチャレンジしましたが、私の力量ではこれぐらいの曲しかかけませんでした。一応努力はしたんですよ。」とでも言っておこうとしたのかもしれません(ベートーヴェンとの接近は、所詮スターリンもナポレオンと同様、献呈の対象者になんかしてたまるか!というショスタコの思いもあるのだろうか?)・・・・・・・おっと、ちょっと待った!!!第4楽章以下はどうなんだ!!!

 それがですねぇ・・・・
 聞いてのとおり、第4楽章では、先行楽章に見られるような、主和音の分散和音などという発想はでてきません。一応、変ロ短調の調号ではありますが、金管の威圧的ユニゾンも、頼りにならないファゴット・ソロも、無調的になってしまっています。
 それを確認して、第5楽章に進みますと、やはり、主要主題に主調の主和音の分散和音がない、ない、・・・・。特に、第5楽章第1主題のファゴットは、順次進行で、上に行って、下に行って、という具合。オマケに、上行フレーズ4小節の最後がA、下行フレーズの最後がCes、本来はBで落ち着くべきところ、半音ずれたところがいかにも、マヌケ。主調の確立という、音楽の安定は、第4楽章以降の主題からは捨てられてしまうのだ。しかし、実は、第5楽章第1主題、上に行って下に行った続きは、なんと、10小節目、GG−CC−EsEs−GG−C・・・・・あれあれ、ハ短調の主和音分散和音!!変ホ長調はどうしたんだ。確かに、第5楽章の各主題は、長調が確立しない不安定なものばかりです。
 また、第1主題、第2主題ともクライマックスで派手に大音響で再現はするものの、ひねくれた旋律線も手伝って、本来の純粋な変ホ長調の醸し出す壮麗な雰囲気をあえて避けているかのようです。
 最後も、ベートーヴェンの「英雄」がコレでもかというぐらいに主和音を叩き付けまくるのに対し、ショスタコは最後の最後まで安定した変ホ長調を確立させず、最後の2発で、かなり唐突に(それこそ上方漫才のお決まりパターン)、チャンチャンと無理やり終止形を出してきます。

 と、全体像を見渡した時、結局ショスタコの9番は、ベートーヴェンの「英雄」のパロディであるという結論に至ります。
 ベートーヴェンの旋律創造テクニックを盗み、主調の安定を至上命題に、主和音の分散和音ばかりで主要主題を作るのですが、第4楽章でそれが崩壊、主調の確立が不安定なまま(ボケて、ハ短調の確立などもはさみつつ)、混乱のうちに終わってしまう・・・・。つまりは、19世紀的な作曲技法、いや、前世紀的な英雄待望論だけでは、現代は過ごせませんよぉぉぉって感じでしょうか?

 スターリン指導下のソビエトで、スターリンを英雄化することなど拒否したい、しかし、自分を英雄化したところで何の意味も持たない、神を信じて「私は復活するために死ぬ」「来れ創造主、我々をお救いください」・・・そんなことも所詮むなしい。
 結局、ショスタコにとっては、「英雄」も「人知を超えた絶対的存在」も表現できなかったのでしょう。
 今の私には「英雄」を音楽化することは出来ないのです、と言うかのごとく、ベートーヴェンの「英雄」が崩壊していくのを、ショスタコの9番から聴き取るべきなのかなぁ、と考えています。さて、皆様はどう思われますか?

 また、このフィナーレの混乱した変ホ長調(もどき?)の延長に、その後の彼の変ホ長調作品があるようにも思うのです。

(1999.9.17 Ms) 

<4> 前奏曲とフーガ 変ホ長調

(前置き・・・1年半ぶりの再開です。お待たせしました。世紀を超えた大連載?さてさて、うまくまとまりますか?)

 さて、1945年、第2次大戦の戦勝祝賀の役割を担った交響曲第9番が発表されるも、体制側の支持は得られず、結果として1948年のジターノフ批判で、この英雄的ならざる作品は批判の対象となります。このままでは、命も危ないショスタコ、体制讃美の映画音楽、そして、オラトリオ「森の歌」を作曲し、見事に名誉回復をとげます。このあたりの精神力は、彼の凄さです。体制側大満足でもありつつ、作品としても素晴らしい「森の歌」作品81と、その周辺の作品群(素材を共有するもの。映画音楽なら「ミチューリン」作品78、「エルベの邂逅」作品80、「ベルリン陥落」作品82。その他、「祝典序曲」作品96。場合によっては、同時期の正反対の性格の作品であるバイオリン協奏曲第1番作品77も私は挙げたいのですが、これについても後日書きたいと思います。)は、興味深い作品ばかりで、彼の創作活動の中でも、最も劇的な時期でもあり、私は大変注目しているわけです。それらの「曲解」については、それぞれの項目も参照してください。

 森の歌・・・ショスタコBeach フリーマーケット’99.11月
 
ミチューリン、ベルリン陥落・・・今月のトピックス’01.1月(1/12)
 
祝典序曲・・・クラシック「曲解」シリーズ第3回補論

 1948年から1949年にかけ、精力的に体制融合作品を発表しつつ、裏では、「ラヨーク」「ユダヤの民族詩」など怪しい作品も密かに作曲をしながらも封印していたショスタコが、1950年、体制讃美作品の系列から始めて離れた作品を発表するつもりで作曲したようです。それが、ピアノによる「24の前奏曲とフーガ」作品87です。
 (ただ、彼はやはり、この体制讃美ならざる作品の発表には慎重だったようです。バッハ没後200年の1950年の12月から翌51年2月にかけて作曲されながらも、51年4月5日にモスクワの作曲家同盟でまず試演、同年5月16日の合評会では必ずしも評価は芳しからず、結局、公的な初演は、作曲から約2年後の1952年12月。
 その間には、やはり映画音楽「ベリンスキー」作品85、「忘れがたい1919年」作品89が書かれ(詳細は未知です)、前奏曲とフーガ完成後の作品である2つの作品が作曲初演されています。すなわち、「革命詩人の詩による10の詩曲」作品88が1951年に作曲、同10月初演。カンタータ「我が祖国に太陽は輝く」作品90が1952年に作曲、やはり同10月に初演。・・・革命記念の10月に合わせて両作品は発表され、また、この2作品も、「森の歌」との関連性が指摘されることは言うまでもありません。前奏曲とフーガの初演に当たって、彼が、充分布石を打っていたことがわかります。)

 初演に対しても慎重かつ周到な準備をしつつ、その作品自体についても、第1曲のフーガに、やはり「森の歌」からの素材を使用するなど、念には念を、といったところでしょうか?しかし、体制融合的な側面は本質的にはまったくない、純粋な芸術至上主義的な作品であることは確かでしょう。
 24の調性にもとづく作品ですから、当然、調性の確立を意識した作品ではありますが、現代的な感覚も随所にちりばめられています。時に彼は、思いきった無調的な表現にまで近づき、全曲聴きとおせばジダーノフ批判直後の作品としては、かなり危険な箇所も多々あるように思います(特に変ニ長調のフーガ。・・・余談ながら、このフーガの主題は、半音階的なジグザグしたもので、まさしく無調的。 Des−D−C−Es−Ces−E−B。ここで私が思うのは、この旋律線の発想が、交響曲第15番第1楽章の第2主題と同じことです。トランペットのソロが、このフーガのソロと同じくDesを基点としてジグザク動きます。Des−C−D−Ces−Es−B。交響曲第15番第1楽章が、若い頃の追想であり、随所に見られるいわゆる現代的な、無調的な手法にそれが象徴されているとするなら、彼は、前奏曲とフーガにおいてもまた、作品の後ろ半分過ぎた辺りで危険を承知で、自由に作品を書いていた頃の自分を登場させているのです。ジダーノフ批判の批判が暗に隠されているような気がするのです。)。

 前置きが長くなりました。この項は、ショスタコの書いた変ホ調調作品を考えるものです。
 意に添わず、ジダーノフ批判後、体制融合作品しか発表できないショスタコ。彼の、体制への報復の第1弾として、この「前奏曲とフーガ」は存在するような気がします(1953年、スターリンの死後は次々、48年以降のお蔵入り作品が発表されます。)。この24の調性全てを使って作品を仕上げるという課題を前に、彼は、変ホ長調という調性にどんなインスピレーションが湧き、作曲したのか、考えてみたいと思います。

 この作品は、ハ長調に始まり、イ短調。そして、シャープを一つつけて、ト長調、ホ短調・・・。長調と短調を交互に出しつつ、5度上の調性へと進んで、最後に、フラット一つの、へ長調、そしてニ短調で完結します。それぞれの調性のキャラクターの変化をつけながら曲は進みます。前述の変ニ長調の例のように調性感の希薄なものもありますが、長調作品において、変ニ長調のフーガに匹敵する、調性感の希薄さを感じさせるのが、この変ホ長調作品のような気がします。
 ジダーノフ批判以降、体制融合作品オンパレード・・・その中でも、「森の歌」そして「ベルリン陥落」など、スターリン個人崇拝を狙った、英雄スターリンを描かざるを得ない場面が多かった彼にとって、「英雄」への辟易は想像されます。そんな時に、伝統的な「英雄」的調性である変ホ長調に向かった時、彼は、交響曲第9番以上に歪んだ英雄像をこの作品に反映させているのかもしれません。

 この作品では、変ホ長調の確立が極めて曖昧です。
 まず、前奏曲。がっちりとした堂々たるコラールが、まずは変ホ長調の宣言をします。それに続いて、フラットの臨時記号を多く持った、スケルツォ風なパッセージが自虐的に出ます。それが静まったところで、コラールが再現しますが、初回に比べれば、さまざまな転調を含み、紆余曲折があった上、結局は変ホ長調の壮麗な解決が待っています。しかし、その後、再び、スケルツォはさらに歪みを伴って回帰し、堂々たるコラールは2度と現われないまま、静寂の中に、変ホ長調から離れた音の動きが無気味に動くのみ、となります。かろうじて変ホ長調の主和音は鳴らされるものの、低音の動きは、減衰する変ホ長調の主和音の中で、全く無関係な、DとAを行き来し、解決感のないまま、フーガへと移行するのです。

 そのフーガの主題が、変ホ長調から程遠い響きを持っています。音列を並べて見ますと、
Es−G−Fes−C−Fes−Es−C−Fes−G−Fes−Es
 これだけ見てもなんのこっちゃ、という感じですね。一応、主音であるEsが目立ってはいますが、この音列を音で出してみるとよくわかりますが、この主題に特徴的なのは、半音低められたF、Fesになってしまった第2音です。本来変ホ長調の音階には含まれていないこのFesという音が、この主題の曖昧模糊としたムードを決定付けています。

 この半音低められた第2音、ショスタコの得意とする旋律の作り方でもあると思います。
 有名な、交響曲第5番第1楽章の第1主題。バイオリンが序奏の後にか細く歌うテーマは、A−G−F−Es−F−D。このEsがニ短調の音階の第2音が低められたもの。
 また、交響曲第12番フィナーレで何度も出てくる、Es−B−Cという動き(スターリンのイニシャルという説もありますね)における、Esも同様です(この場合はニ長調ですが)。
 また、教会旋法からの借用ととらえることもできるかもしれません。第2音が半音低められている例で有名なのは、ブラームスの交響曲第4番ですね。第2楽章の冒頭。さらには、フィナーレの変奏曲のバス旋律の第7小節目もそうです。

 ただし、これらの例が、ある程度、主音がしっかり念頭に置かれており、低められた第2音のために、その調性感を逸脱させるほどではないのに比較するなら、ショスタコの変ホ長調フーガの主題では、低められた第2音が、調性感の希薄さを感じさせる充分な力を持っているように思います。
 この主題は、CからGの5度の範囲で動いており、途中で、C−Fes−G、(ド−ミ−ソ)という動きがあるのも手伝って、私には、ハ調の旋律に聞こえます。ドとソという完全5度の枠の中で、第3音にはまるべき音が、FesEsか、と互いに主張しあっているように聞こえ、つまり、ハ長調かハ短調かという迷いが旋律から聞き取られることで、変ホ長調という認識が、聴いただけでは不可能なのです(楽譜を見て理解は出来ますが)。
 こんな曖昧な調性感を持った主題が、フーガの主題として移調されながら曲は進行するのですから、フーガ全体が、調性の定まらないものになるのは当然です。

 変ホ長調という創作上の条件、課題に対して、ジダーノフ批判後の「英雄」スターリンのための御用作曲家にならざるを得ない自分に対する複雑な思いゆえに、英雄的ならざる変ホ長調の前奏曲とフーガを書いたのだろうか? と私は想像したりもします。
 そして、変ホ長調作品における、変ホ長調の確立の曖昧さは、まだまだ彼の作品系列でも続いています。
 それが、本稿の中心となっている、チェロ協奏曲第1番作品107(1959)であり、さらには、弦楽四重奏曲第9番作品117(1964)であると思います。

(2001.1.27 Ms)

<5> チェロ協奏曲第1番

 

<6> 弦楽四重奏曲第9番

 

 

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