24の前奏曲とフーガ

<1> ハ長調

 作品の概要

  拍子 速度 概要 作曲年月日
前奏曲 3/4 Moderato ・明らかにサラバンドのリズム。
 この曲集の冒頭にあたり、バロック音楽への追想を込めた?
1950.10.10
フーガ 2/2 Moderato ・主題は、オラトリオ「森の歌」第1曲から編み出された。
 そのもとは、民謡「うぐいすは幸福の歌を歌う」。
・最初のフーガに、「森の歌」のなかの印象深い旋律を選んだということも、
当時のソ連の音楽界の事情からいって、充分効果を狙ったと推定。
1950.10.11

 同じ調性の他作品

交響曲 第7番T,第番X,第13番U
協奏曲 ピアノ第2番U
弦楽四重奏曲 第1番T、W
その他室内楽曲 ビオラ・ソナタ
その他特記 森の歌T

 さて、考察を始めましょう。とりあえず、今回のこの企画の発端となった、’99.9月分のフリーマーケット記事を引用します。この曲集の背景について。

 1945年、第2次大戦の戦勝祝賀の役割を担った交響曲第9番が発表されるも、体制側の支持は得られず、結果として1948年のジターノフ批判で、この英雄的ならざる作品は批判の対象となります。このままでは、命も危ないショスタコ、体制讃美の映画音楽、そして、オラトリオ「森の歌」を作曲し、見事に名誉回復をとげます。このあたりの精神力は、彼の凄さです。体制側大満足でもありつつ、作品としても素晴らしい「森の歌」作品81と、その周辺の作品群(素材を共有するもの。映画音楽なら「ミチューリン」作品78、「エルベの邂逅」作品80、「ベルリン陥落」作品82。その他、「祝典序曲」作品96。場合によっては、同時期の正反対の性格の作品であるバイオリン協奏曲第1番作品77も私は挙げたいのですが、これについても後日書きたいと思います。)は、興味深い作品ばかりで、彼の創作活動の中でも、最も劇的な時期でもあり、私は大変注目しているわけです。それらの「曲解」については、それぞれの項目も参照してください。

 森の歌・・・ショスタコBeach フリーマーケット’99.11月
 
ミチューリン、ベルリン陥落・・・今月のトピックス’01.1月(1/12)
 
祝典序曲・・・クラシック「曲解」シリーズ第3回補論

 1948年から1949年にかけ、精力的に体制融合作品を発表しつつ、裏では、「ラヨーク」「ユダヤの民族詩」など怪しい作品も密かに作曲をしながらも封印していたショスタコが、1950年、体制讃美作品の系列から始めて離れた作品を発表するつもりで作曲したようです。それが、ピアノによる「24の前奏曲とフーガ」作品87です。
 (ただ、彼はやはり、この体制讃美ならざる作品の発表には慎重だったようです。バッハ没後200年の1950年の12月から翌51年2月にかけて作曲されながらも、51年4月5日にモスクワの作曲家同盟でまず試演、同年5月16日の合評会では必ずしも評価は芳しからず、結局、公的な初演は、作曲から約2年後の1952年12月。
 その間には、やはり映画音楽「ベリンスキー」作品85、「忘れがたい1919年」作品89が書かれ
(詳細は未知です)、前奏曲とフーガ完成後の作品である2つの作品が作曲初演されています。すなわち、「革命詩人の詩による10の詩曲」作品88が1951年に作曲、同10月初演。カンタータ「我が祖国に太陽は輝く」作品90が1952年に作曲、やはり同10月に初演。・・・革命記念の10月に合わせて両作品は発表され、また、この2作品も、「森の歌」との関連性が指摘されることは言うまでもありません。前奏曲とフーガの初演に当たって、彼が、充分布石を打っていたことがわかります。)

 初演に対しても慎重かつ周到な準備をしつつ、その作品自体についても、第1曲のフーガに、やはり「森の歌」からの素材を使用するなど、念には念を、といったところでしょうか?しかし、体制融合的な側面は本質的にはまったくない、純粋な芸術至上主義的な作品であることは確かでしょう。

 体制融合作品しか発表できないショスタコがしびれをきらし、バッハ記念年にかこつけて作曲したくなったと思われるこの作品、芸術至上主義を目指したいながらも、当時の情勢からいってそれだけでは、また新たな批判にさらされるだけ、ということで、体制融合的だと体制側が思ってくれるような配慮も随所にせざるを得なかったのでしょう。それが、最初のフーガの「森の歌」引用に象徴されているようです。
 しかし、やはりこの作品の直接の契機は、やはりバッハなのであり、バロック音楽への追想、という観点も見逃す事ができないでしょう。まず、ハ長調の前奏曲として、曲の本当の冒頭に置かれたのが、ロシア民謡でも労働歌風なものでもなく、社会主義とは縁遠い、サラバンドなるバロックの舞曲です(ちなみに、このサラバンドのリズムは、彼の交響曲第15番のフィナーレの中間部の主題にも応用されていますね。そのサラバンドに意味が付与されているかはわかりませんけど)
 この温故知新的な発想、実はショスタコの初期、プラウダ批判の直前の傾向に通ずるような気がしないでもありません。特に、ピアノ協奏曲第1番にうかがえる、新古典主義的発想、です。さらに言えば、ジダーノフ批判の直前の交響曲第9番におけるハイドンのパロディと言われる部分も私は想起します。この、冒頭のサラバンド、意外と彼にとっては勇気ある選択ではなかったか? 反体制的、という積極的な反抗ではないものの、非体制的、とでも言い得る、消極的な反抗(体制的なるものへの無視)の姿勢が、この冒頭サラバンドには表明されているような気さえします。調性音楽だから、退嬰的、体制的、とは簡単に判断はできないだろうと思います。

 フーガについてのポイントも一点。
 このフーガが「森の歌」からの引用を主題としている点をもって、体制側への配慮をうかがわせてはいますが、それ以上に、このフーガの特徴として挙げるべき点として、一切、黒鍵を使っていない、という信じられないような事実があります。
 楽譜を見て始めて気がついたことですが、まさに驚異的!!(幼稚園児のための童謡の伴奏じゃないのです。)
 フーガは、カノンと違って、主題をそのまま繰り返して追っていく訳ではありません。事実、このフーガは、ハ長調の主題を、ト長調、ホ短調、イ短調、ニ短調、へ長調、と旋律を転調させつつ、進行しているのです。にもかかわらず、一切の臨時記号がありません。転調しつつも白鍵だけを使って曲が出来ています。これは、単なる偶然とは思えません。ショスタコが意識して、このように仕上げているはずではなかろうか?
 ここに見られる彼の作曲姿勢こそ、この作品を貫き、また、彼のほとんどの作品にも貫かれるものであるような気がします。即ち、作曲における何らかの制限、です。
 そもそも、この作品自体が、自由な発想に基づく自由な作曲ではなく、24の調性全てに対して前奏曲とフーガを書く、という制限のなかで作曲が行われています。また、言うまでもなく、社会主義国家における創作も、社会主義リアリズムなる制限を伴っているわけです。彼が、この作品を書いた1950年は、ジダーノフ批判を引きづり、彼にとって最も創作上の制限を受けた時代であったはずです。その「制限」故に、「森の歌」始め、体制融合的映画音楽も作曲され、このフーガにまで「森の歌」引用が登場するのでしょう。
 しかし、ここでの前者の制限は、作曲家の内的な創造上の制限であるのに対し、後者は外的な、体制側からの圧力的な制限です。どう考えても、外的な制限は理不尽この上ないものでしょう。しかし、ここで彼は、外的な制限を内的な制限に変換させ、自分自身の創造上の制限のもとにこのフーガを完成させたと、私は考えるのですがいかがでしょう?

 社会主義リアリズムからの要請、制限として、民謡的な旋律の重視、複雑さの回避、があったとするなら、それを逆手にとって、彼は前代未聞の黒鍵無しのフーガという課題を自らに課し、見事、それを難なく仕上げた、と私は想像してしまいます。

 前奏曲に、彼の、体制との距離感が表明されているとするなら、このフーガには、体制側からの圧力に単に屈するのではない、という作曲家としての自負、自信が表明されているようにも思います。これら、ハ長調の前奏曲とフーガにおける、一種の、あなどれなさ、は最初に確認しておきたいと思います。

 とにかく凄い曲集だと思います。彼の作曲技術と、作曲姿勢、驚異的ですらあります。彼の才能にはホント、敬意を表します。

(2001.2.9 Ms)

(訂正or補足)

 調性に関する考察へ移る前に、前記の訂正もしくは、補足をさせていただきたく思います。

 〜このフーガは、ハ長調の主題を、ト長調、ホ短調、イ短調、ニ短調、へ長調、と旋律を転調させつつ、進行しているのです。にもかかわらず、一切の臨時記号がありません。転調しつつも白鍵だけを使って曲が出来ています。これは、単なる偶然とは思えません。ショスタコが意識して、このように仕上げているはずではなかろうか?〜

という一節がありましたが、ここの部分の、「ハ長調の主題を、ト長調、ホ短調、イ短調、ニ短調、へ長調、と旋律を転調させ」というところに、その後私自身、疑義が感じられましたので補足します。
 長調、短調という捉え方、ではなしに、教会旋法という解釈をした方がよさそうです。例えば、ニ短調やへ長調でのフーガの主題の応答なのに、固定ドで言うところのシの音が、シ・フラットになってないわけで、厳密には、ニ短調、へ長調とは言えない訳です。それを、教会旋法として解釈するなら、シがフラットになっていなくても、前者は、ドリア旋法、後者は、リディア旋法、と確定できます。同様に、その他の調性と捉えた部分も、旋法として解釈可能です。

 ちなみに、教会旋法には6つの型があり、それぞれ白鍵のみを使って表現すると、

 1.ドレミファソラシド・・・・と並べると、イオニア旋法(ハ長調と結果、同じ)
 2.レミファソラシドレ・・・・なら、ドリア旋法(シベリウスの交響曲第6番を思い出そう)
 3.ミファソラシドレミ・・・・なら、ブラームスの交響曲第4番でお馴染みなフリギア旋法
 4.ファソラシドレミファ・・・・なら、リディア旋法(これまたシベリウスの多用した音階)
 5.ソラシドレミファソ・・・・なら、ミクソリディア旋法
 6.ラシドレミファソラ・・・・なら、エオリア旋法(イ短調の自然的短音階と同じ)

という具合です。それぞれ最初と最後の音が主音です。これらの旋法がグレゴリア聖歌などで使用されていることは皆さんご存知の事でしょう。

 この6つの教会旋法が、すべてこのフーガで使われているわけです。それだけにとどまらず、この6つの旋法から除外された、もう一つの旋法も使われています。
 シドレミファソラシ・・・・というもの。この旋法のみは、主音と第五音の関係が完全5度ではなく安定感を著しく欠いたものなため教会旋法に入っていないのでしょうが、ショスタコーヴィチは律儀にも、この旋法での主題の応答も忘れずに、48小節目のバスで書いているのです。つまり、この「森の歌」の、ドーソー・・・と始まる旋律が、レーラー・・・、ミーシー・・・、ファードー・・・、ソーレー・・・、ラーミー・・・、シーファー・・・、と全ての白鍵の音から開始したフーガ主題の応答がなされているわけで、これこそが、ショスタコが最初にこのフーガを書く際に自らに課した作曲の制限、だったのかもしれません。

 ここで私が疑問に思う事があります。社会主義リアリズムのモットーのもとで、教会旋法の使用はどう位置づけられていたのでしょう?
 社会主義においてキリスト教は排撃される対象であったはずですが、音楽の分野では?
 官僚達にとっては、教会旋法のことなど知識の範囲外だったかもしれません。しかし、社会主義の立場からは、好ましからざる音楽素材だと容易に想像してしまうのですが・・・・?その盲点を突いての、全編教会旋法で固めたこのフーガの作曲であったのなら、ショスタコの作曲姿勢、前述のとおりの、「非体制的」ではなしに、積極的な「反体制的」な色彩を帯びてくるような気さえしてくるのです。

 曲解はとどまることを知らないのですが・・・・、この教会旋法なる代物、古典派音楽においてはほとんど廃れてしまっていましたが、ロマン派時代には、表現手法の拡大の模索の中で徐々に復活、20世紀を迎える頃、近代フランス音楽において、ドビュッシー、ラベルらがさかんに使用し、現代音楽の重要な要素として完全に復活します。さらに、その教会旋法は、ジャズにも取り入れられるのです(ジャズのアドリブの理論の勉強は、教会旋法、つまりモードの理論から始まります。)・・・・バーンスタインの「青少年のための音楽入門」でも取り上げていたネタです。
 キリスト教、退廃的なる堕落した資本主義の現代音楽、そしてジャズ、これら、社会主義と相反する匂いがプンプンする教会旋法、ショスタコはどんな気持ちで、このフーガを書いたのだろう? 大胆不敵と言えないだろうか?

 このハ長調のフーガの黒鍵なしという事実、教会旋法というキーワードを持ち込む事で、興味深い曲解が私には浮かんでくるのです。ますます、あなどれないな、ショスタコ。

最初から飛ばし過ぎ・・・24曲この調子では書けないよ。(2001.2.13 Ms)

 


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