イベント・ステージ

2004年、ショスタコーヴィチの演奏会の増加に対応しきれなくなり、一度は終了した当コーナー、
2006年の没後100年くらいは、やっぱりお祝いしなきゃあ、と、再開を決定。

ただし、全部を追うのはやめて(交響曲・有名曲はあえて外しまして)、ささやかに、
実演に恵まれない我が注目の演奏会を中心に・・・

 

2006.3.26(日)

三宅麻美 ショスタコーヴィチ・シリーズ 第1回
「24の前奏曲とフーガ」全曲演奏と珠玉の室内楽 

ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」1〜5,16,17,13,12番、ピアノ三重奏曲第2番が演奏されます

指揮は、東京オペラシティ・リサイタルホールにて。


2006.4.8(土)

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第225回定期演奏会 

ショスタコーヴィチの組曲「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が演奏されます

指揮は、現田茂夫氏。その他、スクリャービンのピアノ協奏曲など。


2006.4.30(日)

晃華学園オーケストラ 第21回スプリング・コンサート 

ショスタコーヴィチの映画音楽「ハムレット」抜粋が演奏されます

その他、ラフマニノフのピアノ協奏曲第4番、そして、交響曲第1番。

中高生が、このマニアックな選曲、注目大ですね。立川市民会館にて。


2006.5.17(水)

オーケストラ・アンサンブル金沢 第202回定期演奏会 

ショスタコーヴィチのバレエ組曲第3番、ピアノ協奏曲第1番が演奏されます

指揮は、ドミトリ・キタエンコ氏。独奏は、小川典子氏。


2006.6.11(日)

アンサンブル・フラン 第29回定期演奏会 

ショスタコーヴィチの弦楽のためのシンフォニー(弦楽四重奏曲第3番のシトコヴェツキによる編曲版)が演奏されます
これは珍しい選曲です。私もこの版の楽譜は見たことがありますが、実際に音で聞いたことは無いです。
バルシャイの編曲は木管も加えていますが、こちらは純粋に弦楽のみということです。注目の演奏会と言えましょう。

指揮は、新田ユリ氏。


2006.6.16(金)

合唱団「道」 演奏会 

第1部は、ショスタコーヴィチ生誕100年を冠し、

エルベ河、平和の歌、かわいいお嬢さん、祖国は聞いている、若者たちは前進する が歌われ、
さらに、バラライカによる「ロマンス」(馬あぶ)も演奏されます



2006.6.16(金)

群馬交響楽団 第426回定期演奏会 

ショスタコーヴィチのバレエ「ボルト」組曲、バレエ組曲第1番が演奏されます

指揮は、高関健氏。


2006.6.19(月)

JTアートホール 室内楽シリーズ
ショスタコーヴィチ・アーベント 

ショスタコーヴィチのチェロソナタ、ヴィオラソナタ、ピアノ五重奏曲が演奏されます

チェロは上村昇氏、ヴィオラは豊嶋泰嗣氏、ほか。


2006.7.15(土)

ジャズ in 藝大 

ショスタコーヴィチのジャズ組曲第1番が演奏されます

東京芸術大学奏楽堂にて。


2006.8.5(土)

三宅麻美 ショスタコーヴィチ・シリーズ 第2回
「24の前奏曲とフーガ」全曲演奏と珠玉の室内楽 

ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」11,6〜10,14,15番、ミケランジェロ組曲抜粋、チェロ・ソナタが演奏されます

東京オペラシティ・リサイタルホールにて。


2006.8.17(木)

土肥敬 室内楽シリーズNo.51

ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第1番が演奏されます

伊丹アイフォニックホールにて。珍しいトリオの1番。


2006.8.20(日)

名古屋フィルハーモニー管弦楽団40周年記念
「名フィルの日」 

ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第1番が演奏されます

しらかわホールにて。13時から19時までの室内楽コンサートのオープニングをショスタコーヴィチが飾ります。それも珍しいトリオの1番です。


2006.9.13(水)

矢澤一彦 ピアノリサイタル

ショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガより、第15,24番が演奏されます

東京オペラシティリサイタルホールにて。


2006.9.20(水)

横浜交響楽団 第593回定期演奏会 

ショスタコーヴィチの「管弦楽のための組曲」が演奏されます

一体このタイトルは何だろう。こんな作品はない。
昔「ジャズ組曲第2番」と呼ばれた作品が、プロムナード・オーケストラのための組曲、といった呼ばれ方もあるので、その作品かとは思うが、曲名に関しては正確を期していただければ幸い。
指揮は、甲賀一宏氏。


2006.9.22(金)

桜丘高校音楽学科 第43回定期演奏会

ショスタコーヴィチの祝典序曲が演奏されます(ただし、電子オルガン版)

大谷茉莉子さんの演奏。愛知県、豊橋市民文化会館にて。


2006.9.23(土)、24(日)、27(水)

モルゴーア・クァルテット
第一生命ホール5周年
 ショスタコーヴィチ生誕100周年記念 弦楽四重奏曲全曲演奏会

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全15曲が演奏されます


2006.9.24(日)

二期会ロシア歌曲研究会
第10回定期演奏会
ショスタコーヴィチ生誕100周年記念コンサート〜芸術歌曲から映画音楽まで

ショスタコーヴィチのドルマトーフスキーの詩による5つのロマンス 他が演奏されます

東京文化会館にて。


2006.10.1(日)

ハーゲン・クァルテット
トッパンホール6周年バースデイコンサート 

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第3番が演奏されます


2006.10.7(土)

ふれあいサタデーコンサート ピアノ&フルート 

ショスタコーヴィチの「前奏曲集」より演奏されます

ピアノは、日置寿美子氏、フルートは、岩花秀文氏。24の前奏曲の抜粋をピアノ独奏で演奏すると思いますが、詳細は不明です。
ヴァイオリン版をフルートで、なんて可能性もあるけれど。
町田市 堺市民センターにて。


2006.10.7(土)

仙台クラシックフェスティバル ロシアン・アコーディオンで名曲を聴く 

ショスタコーヴィチの「ワルツ」が演奏されます

アレキサンダー・シェヴチェンコのアコーディオン。
「ワルツ」だけでは分りません・・・旧ジャズ組曲第2番(現・プロムナード・オーケストラのための組曲)あたりからの抜粋か。有名なワルツがありますし。
仙台市 青少年文化センターにて。


2006.10.8(日)

読売日本交響楽団 東京芸術劇場マチネーシリーズ第82回 

ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番、「ボルト」抜粋が演奏されます

指揮は、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー氏。独奏は、アレクサンドル・ロジェストヴェンスキー氏。


2006.10.12(木)

愛知県立芸術大学創立40周年記念 第39回定期演奏会 第2夜 

ショスタコーヴィチの2台のピアノのためのコンチェルティーノが演奏されます

演奏は、学内オーディションにより選抜。
愛知県芸術劇場コンサートホールにて。


2006.10.21(土)

藝大フィルハーモニア定期 第320回 

ショスタコーヴィチの5つの断章、ピアノ協奏曲第2番、交響曲第10番が演奏されます

指揮は、佐藤功太郎氏。の予定がご逝去の為、松尾葉子氏に変更。

その他、ショスタコーヴィチ関連シンポジウムも開催。


2006.10.22(日)

荻原尚子とマーラーチェンバーオーケストラの仲間たち 

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第1番が演奏されます

愛知県 豊田市能楽堂にて。


2006.10.28(土)

第20回 岸本力 バスリサイタル 

ショスタコーヴィチの「反形式主義的ラヨーク」によるモノ・オペラが演奏されます

東京文化会館小ホールにて。岸本氏自身による台本・構成。


2006.11.16(木)

日露友好ショスタコーヴィチ・祝祭ガラ・コンサート 

ショスタコーヴィチの祝典序曲、チェロ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲第1番が演奏されます

東京オペラシティにて。東京フィル、井上道義氏の指揮。
チェロ独奏は、ソル・ガベッタ。ヴァイオリン独奏は、パトリツィア・コパチンスカヤ。

 

2006.11.16(木)

筧聡子 メゾソプラノリサイタル 

ショスタコーヴィチの「スペインの歌」全曲が演奏されます

名古屋市 伏見 電気文化会館 ザ・コンサートホールにて。


2006.11.22(水)

サンクトペテルブルグ・フィル ショスタコーヴィチ生誕100周年メモリアル・コンサート 

ショスタコーヴィチの「森の歌」が演奏されます

サントリーホールにて。テミルカーノフ氏の指揮。

その他、11/24は、交響曲第13番「バビ・ヤール」と、ヴァイオリン協奏曲第1番を。レーピンのヴァイオリンソロ。


2006.11.23(木)

志村泉 ピアノリサイタル 

ショスタコーヴィチの24の前奏曲が演奏されます

津田ホールにて。


2006.11.26(日)

京都フィルハーモニー室内合奏団 第149回定期 

ショスタコーヴィチの室内交響曲、ピアノ協奏曲第1番、ハムレット組曲 Op.32aが演奏されます

京都コンサートホールにて。


2006.12.1(金)

メイプル弦楽四重奏団 第5回演奏会 

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第1、7番 及び ピアノ五重奏曲が演奏されます

名古屋市 電気文化会館にて。


2006.12.2(土)

日本アンサンブルコンクール入賞者披露演奏会 

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第2番 及び 2台ピアノのためのコンチェルティーノ・2台ピアノのための組曲が演奏されます

横浜みなとみらいホール(小)にて。


2006.12.7(木)

白井篤 ヴァイオリン・リサイタル 

ショスタコーヴィチの「24の前奏曲」抜粋が演奏されます

浜離宮朝日ホールにて。


2006.12.10(日)

三宅麻美 ショスタコーヴィチ・シリーズ 第3回
「24の前奏曲とフーガ」全曲演奏と珠玉の室内楽 

ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」18〜24番、ピアノ五重奏曲が演奏されます

東京オペラシティ・リサイタルホールにて。


2006.12.13(水)

JTが育てるアンサンブル・シリーズ 第28回
若きチェリストたちの饗宴U 

ショスタコーヴィチの「前奏曲とフーガ」(林裕編曲)チェロ五重奏版が演奏されます

JTアートホールにて。

 

2006.12.16(土)

アナスタシア クリスマス・コンサート
ショスタコーヴィチの「24の前奏曲」より5曲が演奏されます

岐阜県サラマンカホールにて。ビジュアル系クリスマス・コンサートでも、とうとうショスタコーヴィチが登場。2006年のクリスマスに何と相応しいことか。

その他、12.15(金) 杉並公会堂にて
12.17(日) 町田市 ART SPACE ”O” にて、も同様のコンサートがあります。


2006.12.22(金)

清水高師 碓井俊樹 デュオ リサイタル 

ショスタコーヴィチのヴィオラソナタが演奏されます

名古屋市 電気文化会館にて。

 


以上、月間ぶらあぼ 他からの情報より抜粋。


過去の履歴は残しておきます。自分が行ったコンサートは、「トピックス」へのリンクもしまして、自分の情報整理もかねて。

2003年の履歴

(2003年のコメント)

2003年、とうとう、新世紀もまた、「戦争」は避けられず。
何も力になれないながらも、空しさを感じる。
ショスタコーヴィチが体験した時代の、なおも、連続した延長線上にある時代を生きる我々にとって、
彼の音楽は、聴かねばならない、大事なメッセージを携えたものとして、時代と共にあるのを再認識している。

個人的ながらも、私Ms、今年は、彼が、第2次世界戦争に巻きこまれ、「レニングラード」交響曲を
書き上げたまさにその年齢となる。邪悪な戦争に対し、これだけの自己主張、自己表現を、
こんな未成熟な、頼りない若干30過ぎという年齢で成し遂げたことに、改めて驚き、感動している。

「レニングラード」のみならず、さらに、戦争交響曲三部作のみならず、
この世の悪に対する抗議を、ショスタコーヴィチを聴きつつ、今一度、自分のものとして
体感したい。体感して欲しい。体感すべきと思う。

さあ、コンサート会場へ行こう。

(2003.3.22 Ms)

2002年の履歴

(2002年のコメント)

2000年、没後25年。2001年、ショスタコ生誕95年。
に続き今年2002年も充実したコンサート目白押し!

なんと、2002年はタコ8の当たり年? ぞくぞく登場!!
2001年の日本は、タコ8を渇望していたというわけなのか?
21世紀初頭のタコ8、に私たちは何を見出すのか?

・・・NYテロ、アフガンでの戦争・・・

2001年、戦争交響曲の年だったのか・・・

・・・・と書いたら、今度は2002年、タコ9、勝利の交響曲?
出来過ぎじゃないの?

しかし、演奏会もドンドン増えてきましたね。良いことです!!

2001年の履歴


2004年における、「イベント・ステージ」終了宣言も残しておこう。時代を反映した語りだなあ。・・・


さて、ショスタコ・コンサートを紹介してきました、このページも、
2003年夏のパソコン・ダウンに伴い休止、
2004年春のHP再開後もそのまんまとなっていました。その間にも・・・

2002,3年と、世界はまさに戦争状態に突入、その余波はいまだ続き、
全世界規模の、新たな「テロ」が戦争状態の恒常化を招いてしまっています。

ショスタコの音楽がこんなに同時代性をもって鳴り響く時代となってしまうとは。
(悲しくもあり、自分の非力も感じます。)
そんな世相を反映してか、いまや、ショスタコの音楽は日本各地で鳴り響き、
全く「珍しい」状況ではなくなっています。

ということで、このページも使命を終えてしまったんじゃなかろうか?
とにかく、コンサート情報を拾っていたらキリが無い。
このページを見る前に、皆さん、情報を仕入れていることでしょうし。

・・・・でも、今2004年の不条理感、ショスタコの音楽とからめつつ、
今年も一文残させて頂いてよろしいでしょうか?
戦争のみならず、社会全体に、ショスタコが被った、
ソ連での苦難がいま蔓延していないだろうか?

それでは、一言・・・・

(2004年のコメント)

2004年、これだけは言いたい

 などと、大袈裟に始まったのだが、それも自分自身の偽らざる思い、この画面にぶつけたくなったのだから仕方あるまい。
 皆様にとって興味深いかどうかはわからない。また、一読にして気分を害されるかもしれない。でも、今、これだけは言いたいのだ。言わねばならぬ。

 ショスタコーヴィチ・ファンたる私Ms、最近は、なかなか、落ちついてショスタコの音楽を聴くこともめっきり少なくなったところである。忙しい毎日、正直なところ、ハードボイルドな、また、真面目に聞き始めたら神経をすり減らす、彼の音楽とは、今、疎遠な状況となってしまった。
 ショスタコ、と聞けば、とにかく、じかに耳に入れたいと、生演奏を求めての旅も目っきり減ったっけ。

 しかし、そんな生活の中、最近、私の心の中をショスタコが鳴って鳴ってしょうがない。決して、勇ましい5番のフィナーレ、興奮の7番の第1楽章、爽快な祝典序曲などなどにはあらず。

 交響曲の8番、第1楽章、太鼓群の怒涛のトレモロが導くクライマックスのすぐ後、独り残るコーラングレのせつせつたるソロ。
 はたまた、交響曲の10番、フィナーレの序奏、嘆き、溜め息のような、木管の訴え。

 全体主義の横暴のなかの、「個」の叫び、または、つぶやき。
 今にも巨大な力に押しつぶされかねない、「個」の存在の危うさ。

 イラク人質事件の、当事者、家族。自分の偽らざる気持ち、「自己責任論」を振りかざす国民的な批難の前に、果たして耐えられたか。
 首相訪朝、北朝鮮拉致被害者10人進展なし、に対する家族会の方々の偽らざる気持ち、なぜに、その主張を口封じさせる圧力が大手を振る?

 個人の悲しみ、怒り。まして、当事者ではないか。その、偽らざる思い、「全体」の中になぜ風前のともしび、なのか?
 政府に対する批判のトーンを下げざるを得なくさせた、社会、世論・・・・はたしてそこに恣意的な、マスコミや政府系勢力の暗躍、ありやなしや。
 個の悲しみや怒りを、見えざる力が圧殺した瞬間を見て、何を思う。
 (皇太子殿下の偽らざる思い、「皇太子妃の人格否定の動き」これもまた・・・・、個の叫びの押し込めはなかったか・・・・どう受けとめるべきか、私にはわからぬ)

 ソ連なる国に生き続けたショスタコーヴィチが、作品に託した思い。私が、彼の作品から感ずる思い。ソ連を知らぬ私にとって、ショスタコーヴィチの音楽が、ソ連における個の嘆きと、日本におけるそれとをがっちりと結び付けてしまう・・・・・2004年の日本、まさしく、今の日本の音楽と言えないか、ショスタコーヴィチの音楽は?

 いまや歴史上のソ連なる国、の後を追う日本、なのか。・・・・遅々として進まぬ改革、地方主権は確立できず、自己目的化した官僚制の勢いは止むことはない。集団指導体制をとる絶対君主制の如き、官僚制の揺るぎ無さに対する政治家の無力。
 中央集権と国家統制を国是とした「絶対」官僚制たる、2つの国。
 私の空想は飛躍する。歴史を曲解する。日本は28年遅れのソ連なり。

 凄惨な独裁的権力のもと、辛酸をなめ尽くした国民が、新たな希望を胸に再出発を誓った、1917年の革命。1945年の敗戦。
 掲げた看板は全く違う。でも、理想を求め、国をまとめ、ガムシャラに頑張った。中央集権と、国家統制がその原動力。その制度設計と運用を任せられた官僚制。
 ソ連は、第二次大戦を契機に軍事大国、世界を二分する勢力の頂点に。日本は、日米安保で軍事を切り捨て経済大国、これもまた経済力で世界の頂点に。しかし、いつまでも、同一線上の発展はありえぬ。いつからか、変化に対応できぬまま、不名誉な汚点を繰り返し、しかし、なお、国是の変更、改革を先送りにし続ける官僚制、その将来には何が見える?

ソ連 革命            
  1917   1942   1967   1991
    第1世代   第2世代   第3世代  
  1945   1970   1995  
日本 敗戦          

 

 この簡単な年表から何を見るか。

(2004.6.10 Ms)

 原因はともあれ、ゼロから出発だ。前時代の支配階層が総退陣してしまった以上、新たな秩序の回復が優先、とにかく「上からの変革」で強引にも押しきらねば、との必要性。当然の帰結が、中央集権、国家統制。結果としては、前時代と国家スタイルはそう変わらない、でも、掲げる理念が全く違う。そんなシチュエーションも酷似。
 ただ、日本は、戦前から続く官僚制の支配を温存しての再出発ではある。(国家総動員法の張本人たちが事務方にそのまま残留。ソ連に比べれば、前時代の遺産がしっかり残っている。故に、戦時中ユダヤ人たちを救った外交官は、外務省から追放もされた。人道よりも官僚機構の秩序が勝るという論理。)

 効率よく、新国家建設を進めるための集権・統制。仮に1世代、四半世紀(25年)をスパンで考えよう。ちょうど第1世代から第2世代に移る辺りで、上からの変革は、ある一定の成果を挙げる。
 ソ連においては、まさしく第二次大戦の試練、第2世代に差し掛かる1943年が、独ソ戦最大の激戦、スターリングラード攻防戦 <おお、ショスタコの8番が聞こえて来るぞ>。 これが勝負の明暗を分け、一気にソ連が勝利へ、さらに、東欧支配まで進み、軍事大国としてのソ連が確立。
 日本においては、世界史上類例を見ないほどの高度経済成長。経済大国のトピックとして、東京オリンピック(1964)、大阪万博(1970)か。

 しかし、一定の成果を収めた官僚制、時代の変化への対応も困難、自己目的化、前例踏襲などなど、弊害も。
 それでも、第2世代は、繁栄を謳歌する。
 ソ連、1953年のアメリカに次ぐ水爆実験、1965年の史上初の宇宙遊泳など、軍事大国の威信は絶好調か。
 日本も、オイルショックの衝撃はあるも、軽々と乗り越え、アメリカを脅かす経済大国の地位は不動。

 ただ、やはり、変革を怠ったツケはじわじわと。
 第2世代の終了時、ソ連は、1964年から、長期停滞のブレジネフ時代。
 日本は、バブル崩壊(1990年代初頭)。失われた10年・・・・(今なお進行中か)。

 社会主義経済の非効率性は明白となり、「正直者がバカを見る」停滞の時代のソ連。
 資本主義経済の虚構は明白となり(好景気を支えた株価、地価・・・・その価値の実態はあったのか?)、これまたモラル無き混迷の時代の日本、まさにブレジネフ時代風の停滞感、いや、収束感、凋落感か。

 さて、日本の先輩!ソ連のその後、第3世代はどうなった?
 国家及び社会全体の混迷さ加減は、1983年大韓航空機撃墜、1986年チェルノブイリ原発事故などにも象徴的に。世界の顰蹙。
 そんな中、軍事大国のプライドだけは捨てられず、でも、変革はならず、1979年からのアフガン戦争、この泥沼化が、結果、国家の疲弊を加速。やっと、改革者ゴルバチョフの登場(1985年)を迎えるも、手遅れの感は否めない。国家の形を変えるほどの大崩壊劇は避けられず。

 かたや日本の第3世代は?経済低迷、その他もろもろ、かつての日本とは思えぬ凋落ぶり。 安全神話は? 企業のモラルは? はたまた人間の質は?
 そんな中、経済大国のプライドだけは捨てきれず、でも、変革はならず。先輩ソ連のアフガン介入の1979年+28年=2007年、さて、日本において国家の疲弊を加速させる大失策、大失政は何ぞや?

 われ思う。道路公団民営化。これは、やりようによっては、亡国から救えたろうに。結果は、看板かけかえではないのか。結局、官僚制、既得権益の温存。
 道路、この借金財政のなか、ひたすら作りつづけるそうな。今、国家および自治体の計で700兆円の借金を抱えていながら、子孫に多大な負担をさらに押しつける、鬼の集団だよ、日本の父さん母さんは・・・・国家という家の中までドメスティック・バイオレンスじゃないの。子供をいじめる趣味の人ばかりなんだな、日本の親達は。

 先輩ソ連が「軍事大国」のプライドを胸に、アフガンに意気揚揚、軍事介入、その非を悟った時、国は無くなっていました。
 我が日本も「経済大国」のプライドを胸に、高速道路建設に邁進、その非を悟る日、国の姿は・・・・・?

 道路ばかりではない。もちろん、年金の問題やら、地方自治の話やら、亡国政策はいろいろ。でも、結果、本質は、自治体に比べ、国が権限と財力を持ち過ぎで、さらに、時代の変化を見極めず、過去の政策を反省することも無く自己保身、組織防衛に走る愚かさよ。
 国家公務員は全国、補助金ばらまき方法を考えるばかり。地方公務員は、全国、補助金のもらい方を勉強するばかり。この日常が、国民のための税金の使い方?その弊害をなくし、国家官僚は、外交・国防・金融などの、世界の中における日本の戦略をしっかり考えて欲しい。その他の官僚は、自分の故郷に帰れ。補助金などという回りくどいものは不要(財源偏在を調整する仕組みだけは必要)、地域の中で、住民と向き合って、ホントに必要なニーズに応える行政をすべし。
 官僚が地方に散った時、全国画一の机上のシステム構築を止めた時、地域地域の特色を生かす政策を競い始めた時、高速道路よりも必要なニーズは見えているはず。それこそ、的確な税の使い方となろう。
 官僚制の解体、再配置が、日本にとって、ソ連の如き国家の崩壊、の防止法とならないか。

 今の政権にそれをやる気概、実力、決断力ありや?
 どうも、「ワン・フレーズ」までは良いのだが、それ以後は、官僚のやりたい放題。
 K泉氏(1945年の敗戦から56年目の登場)が、10年早く出現した「ゴルバチョフ」(1917年の革命から68年目の登場)なら、将来の大崩壊を食い止められただろうか?
 でも、どうも、20年遅れの「フルシチョフ」(1917年の革命から36年目に登場)に過ぎず、なのか?(1956年、スターリン批判をした首相)<おお、ショスタコの10番が聞こえて来るぞ>

 「J党をぶっこわす」=(イコール)「スターリン批判」に私は思える。
 (ただ、J党ではなく、派閥をぶっこわしただけか。族議員、法律不勉強議員という組織は壊れなかった。)
 その当時は、確かに凄いこと、とのインパクト。国を変える一大決断だったろうに。でも、スターリン批判で、ソ連の延命は図れたか?本質が変わったか?
 例えば、ショスタコーヴィチは、スターリンに苦しめられた。でも、さらに、スターリン死後の官僚制にも、もっと苦しめられた。
 家族の前で涙した、強制された共産党入党事件は、スターリン死後の話。
 ロシア革命を称える、体制べったりの交響曲(11&12)の作曲も然り。

 「J党ぶっこわし」も「スターリン批判」も、後世から見れば、その国の本質的変革とは評価できないのでは?

 確実に、我が日本も、「ソ連にとってのアフガン」に足を踏み入れつつある2004年。このままで、はたして・・・・・。

(2004.6.17 Ms)
「たぶん、だぶん」から転載、加筆(2004.6.20 Ms)

これにて、このページ、筆を置かせてください。
ただ、2005年、さらに、世の中が、「ショスタコ」を呼んでいるような時代になっているのなら、
また、こんな駄文を書いてしまうのかも・・・・

(2004.6.20 Ms)


「ショスタコBeachへようこそ」 へ戻る